『「貴様の命令では犬死にだ」 50歳のイージス艦長、昭和(1935)に転生。非効率な精神論を殴り飛ばし、日本を魔改造する』
月神世一
EP 1
非効率な目覚め (1935年)
202X年、海上自衛隊 艦艇装備研究所。
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。階級、一等海佐。
彼の執務室は、冷めたブラックコーヒーの匂いと、膨大なシミュレーションデータで埋め尽くされていた。
「……リソース不足だ」
坂上は、モニターに映る「次世代広域防空システム」の予算折衝資料を睨み、こめかみを押さえた。
今日は彼の50歳の誕生日だったが、そんな感傷に浸る余裕はない。昨夜も、新型ソナーのシミュレーション不具合で一睡もしていなかった。
(非効率だ。現場を知らん政治家どもを説得する資料作りに、なぜこれほどの時間を割かねばならん)
彼の怒りの根源は、常に「非効率」と「人命軽視」にあった。
イージス艦長(かんちょう)時代、統合幕僚監部時代、そして今。彼の脳内は、どうすれば「人命(リソース)」を「非効率(精神論)」で失わずに済むか、その一点で占められている。
ガリッ、と奥歯でコーヒーキャンディを噛み砕く。
祖父が特攻で死んだ広島の男にとって、「精神力」という言葉は「狂気」の同義語だった。
「……昼か」
時計は12時半を回っていた。
彼はデスクの引き出しから、コンビニのカロリーバーと、ブラックコーヒーのペットボトルを取り出す。これが昼食だ。
味などどうでもいい。糖分とカフェインの効率的な摂取。それが全てだ。
数分で腹に流し込むと、強烈な睡魔と倦怠感が襲ってきた。
(15分だけだ。15分だけシステムをシャットダウンする)
坂上は、艦長時代からの癖である「超短時間仮眠(パワーナップ)」のため、リクライニングを倒し、深く目を閉じた。
胸が、ズキリと痛んだ。
(カフェインの過剰摂取か……)
非効率な身体だ。そう思ったのを最後に、彼の意識は深く、暗く沈んでいった。
……うるさい。
けたたましい電話のベルの音。
怒鳴り声。
インクと、安物のタバコが入り混じった不快な匂い。
坂上は目を開けた。
「――おい坂上! 寝てる場合か! 陸軍の会見、お前が行くんだぞ!」
視界が定まらない。
目の前には、スス汚れた天井と、裸電球に吊り下がった、ゆっくりと回る旧式の扇風機。
ここはどこだ。研究所の仮眠室ではない。
「坂上! 聞いてるのか!」
ガタン、と椅子を蹴るような音と共に、Yシャツ姿の男が坂上のデスクを叩いた。
デスク?
坂上が上半身を跳ね起こすと、視界に入った光景に眩暈を覚えた。
黒電話。
和文タイプライターを叩く、和服姿の女たち。
壁に貼られた紙には、右から左に書かれた旧字体の見出し。
「……何だ、この非効率なレイアウトは」
坂上が最初に漏らした言葉は、それだった。
空調は集中管理ではなく、旧式の扇風機。照明は暗く、書類はすべて紙。ペーパーレス化はどうした。第一、この室内の空気、衛生的観点から最低だ。
「何を寝ぼけてる。いいからさっさと行け! これがお前の記者証だ!」
男が叩きつけてきた「記者証」を、坂上は無意識に掴む。
【帝都日報 経済部 坂上 真一】
(……記者?)
坂上は混乱する頭で立ち上がった。
身体が、軽い。50年間蓄積してきた肩こりや腰の痛みが嘘のように消えている。
ふらつきながら窓際に歩み寄り、ガラス戸を開けると、生ぬるい風と共に、さらなる「非効率」が飛び込んできた。
土埃の舞う道。
走っているのは自動車より、馬車や自転車の方が多い。
人々の服装。軍服、和服、モダン・ボーイ。
「……何の訓練だ」
対テロ訓練か? にしては、規模とディテールが異常だ。
坂上は、トイレ(と書かれた札が下がる扉)に駆け込んだ。
タイル張りの、薄暗く、これまた非衛生的な空間。鏡を覗き込み、彼は完全に凍り付いた。
そこにいたのは、50歳の疲弊した一等海佐ではなかった。
日に焼けてはいるが、肌に張りがある。目つきは鋭いが、シワはない。
知らない男だ。だが、どこか面影がある。
29歳――彼がイージス艦の副長になる前の、若く、無謀だった頃の自分に似ていた。
ガサリ、とポケットの紙屑が音を立てた。
取り出すと、それは折りたたまれた新聞だった。
【昭和拾年 八月五日】
(……昭和、10年?)
1935年。
祖父・榮一はまだ、海軍にも入っていない。
広島に、原爆が落ちる10年前。
日本が、「非効率」と「精神論」の狂気に突き進み、破滅する――その入口。
「ハ……ハハ……」
乾いた笑いが漏れた。
「(冗談じゃない)」
眩暈がした。
この非効率なレイアウト。
この非衛生的な空気。
この非合理的な時代。
「(ここは……地獄か?)」
坂上真一(精神50歳 / 肉体29歳)は、鏡の中の若い男を睨みつけた。
イージス艦長の血が、沸騰する。
「ふざけるな……。こんな『バグ』だらけのシステム、俺が全て修正(デバッグ)してやる」
彼は蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗い、執務室――いや、編集局へ戻っていく。
その足取りは、すでに「新聞記者」のものではなく、「監査官」のそれだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます