五 憂鬱なる蛇使い

 何十匹もの蛇がうぞうぞと床を這うが、ただの情景描写で実体はない。


 しかし──コウは、昔から蛇だけは苦手だった。

 虫類は平気なのだが、幼い頃マムシに咬まれ、毒で何日も寝込んだことがあるせいだ。山の麓にあるタカオ邸は当然蛇もよく出る。たまに悲鳴があがるので、仲間内では周知の事実であった。


「ひゃああああああ、出たぁ!! 蛇ぃ!!」


 畳の床を埋め尽くしていく大量の蛇を目の当たりにして、裏返った声で叫ぶ。

 大部屋には遊女が客を接待していた跡がそこらじゅうに色濃く残っている。闘いが始まって屏風びょうぶは倒され、煙草盆や酒入りの徳利とっくりが散乱していた。


「ナマズと思いましょう」


 後ろにいる八雲が雑な助言を飛ばす。


「ナマズだとしても、もはやキモイ! 多すぎ!!」

「『見隠みかくす』の文字を施してみますか」


 八雲が『見隠』を紅の瞼に書く。以前虎丸に使用した、恐怖心を覆い隠す言葉だ。多少は落ち着いたようだが、生理的嫌悪感にはあまり作用しないらしくまだ鳥肌を立てていた。


 ざりっと、重いブーツで畳を踏みしめる音がする。

 蛇の群れの奥から現れたのは、嘘っぽいデザインの将校服を着た人物。


 八雲と紅は初対面だが、田町遊廓で虎丸が一度対峙している。手首に黒い蛇の入れ墨が入った銀髪の男である。


「こんなに可愛いのに……ひどくない? ひどいよね?」


 ゆるい癖毛の髪を後頭部でひとつにまとめて背中に垂らしている。肌や瞳など全体的に色素が薄く、仏蘭西ふらんすの血が入っている十里じゅうりと並ぶほど派手な成りだ。

 目立つ容姿に反した陰鬱な喋り方が、なんともアンバランスな雰囲気を醸し出していた。


「ねー、ジョセフ。俺さぁ、今日非番だったんだよね……。でも敵に蛇嫌いがいるから来いって呼び出されてさ……。しかも彼らが予想以上に早くここを突き止めちゃってもう来たし……。昨晩から昼までずっと巨大蛇を形容化してたから寝不足なのに……。はあ、全然やる気ない。正直帰りたい」


 独り言──ではなく、すぐ目の前にいる八雲たちを無視して、片手に巻きつけた白蛇に向かって話しかけているのだった。


「なんだ、オマエ。軍人? そんな奇抜な軍服着たやつ見たことねーけど」


 紅が問いかけても、やはり視線を合わせようとしない。

 しかし聞こえてはいるようで、質問の内容はしっかりと会話に反映された。


「ジョセフ、聞いた? 軍人か、だって。そんな訳ないじゃん。残念ながら俺は吉原生まれの孤児院育ち。父親不明の私生児でまともな戸籍だってないし、将校服なんて着られる立場には一生なれないから……。あぁ、生まれながらにして不幸。もう帰りたい」

「んじゃ、なんで着てんだよ」

「はああああ……聞いた? ジョセフ。無神経な人間ってやだよね……。作家のくせに繊細さが足りない。でもそういう物書き、多いんだよね……。心の機微とかやたら神経質に描写するくせにさぁ、実生活ではすっごい自分勝手で性格悪いの……。やだやだ、ほんと帰りたい」


 くるっと八雲のほうに向き直り、うんざりした顔の紅がカタコトで言う。


「ぶちょー、あいつ、うざい、一刻も早く黙らせたい」

「気持ちはわかりますが、堪えましょう。この手の人間は、突然激昂したりするものです。喋るのを下手に邪魔しないほうがいい」

「あー、ちょっと納得」


 やれやれと息を吐いて、もう一度会話を試みる。

 蛇使いから少し離れたところに立つ七高しちたかは、片手に愛用の薙刀をぶら下げ、余裕のある表情で笑って見ていた。


「じょせふって、オマエの手に巻きついてる白い蛇のことか?」

「そうだよ。ちょう可愛くない!?」


 ペットの話題になって嬉しかったのか、長髪の男は瞳を輝かせて食いついてきた。


「蛇はぜんぶキモイだろ」

「ひどい……縁起良いのに……」

「で、オマエはなんで将校服なんだ」

「俺、遊女が仮装するちょっと特殊な店の雇われ楼主てんちょうだから……。客の要望でくノ一とか、戦国の姫とか……。雰囲気出すためにって、俺までこんな恰好させられてるんだよ。ひどくない? 毎日帰りたい」

「そいつはご愁傷さま。そろそろ名乗れ、誰だよオマエ」


 湿っぽい表情へと戻って、気が乗らなそうに答える。


「本業は文芸雑誌『黒菊クロギク』の専属作家。文壇で黒菊四天王と呼ばれてるひとり……」

「なんだそのだせーのは。呼ばれてるってか自称だろ?」

「新世界派だって自称のくせに……評論家に相手されてないし……」

「ああ!? オマエはさぞかし人気作家様なんだろーな!?」

「俺は──金木。金木かなぎうれい


 紅も八雲も、その名は知っていた。


「金木……って、あの退廃デカダンスな作風の? まじですげー売れっ子じゃねーか!」

「あ、知ってる……? そうだよね、そういえば俺、結構売れてるんだった……。新世界派の無名作家とは比べ物にならないほどに……。べつに、自慢するわけじゃないけどね? ねー、ジョセフ?」


 そろそろ我慢の限界といわんばかりに、紅のこめかみに青筋が立っている。


「う、うぜえ~。かつてない種類のうざさだな、おい」

「なんだかんだと、紅はちゃんと相手をしていて優しいですね。私は登場の時点で早々に意思の疎通をあきらめました」

「ぶちょーは元から、仲間以外と疎通しねーじゃん……」


 基本的に八雲は、知らない人間とほとんど喋ろうとしない。うれいのような天然ではなく、意識的な拒否なのでよけいに質が悪いのである。

 訪ねてきたばかりの虎丸を部屋に泊めたのは、今考えると奇跡だったと紅は思う。それまでも幾度となく編集者が押しかけてきたが、乗合バスがなかろうと全員そろって放り出されている。


 さて、と紅は薙刀を構え直した。


「そろそろ本題に入るぜ。この妓楼に、藍鳥らんてうって僧侶のオッサンが捕まってるだろ? 返せ。返さないなら取り返す」

「俺は、闘いたくないな……」


 うれいが青ざめた顔でぼそぼそと囁いた。


「お? おとなしく返してくれんの?」

「それは命令違反だからできないけど、闘うのはいやだ……。特別手当が出るわけじゃないし、やる気ない。帰って寝たい……」

「話を堂々巡りにさせんな! もういいよ、突破して探すから!」

「えー……くるの? じゃあ迎え討たなきゃなんないじゃん……。はあああ、いやだなぁ……。七高、最初の文字だけ付与するから、あとはきみが頑張ってね。俺は手を出さない。なぜなら眠いし残業代も出ないから……」


 愚痴をこぼしながら、ペンを取り出して虚空に文字を書く。

 黒い蛇の入れ墨が手首の動きに合わせてうねっていた。



 『猛火』と『蛇王』


 

 前回紅が使った技を模倣したかのように、七高の薙刀がたける炎に包まれた。

 そのうえ、うれいの隣には人の背丈をはるかに超える腹の黄色い大蛇が現れ、鎌首をもたげている。


「うええ、なんだそれ」

「象さえ殺す猛毒、蛇王キングコブラ印度いんどの共食い蛇でさ……この大きな牙で獲物に大量の毒を注入するんだ。一噛みで人間二十人分の致死量……神経毒は体の自由を奪いながら回っていくから苦しいよ」

「エグい武器持ってんな。なに、オマエらは人殺しても忘八者チンピラパトロンに揉み消してもらえるわけ? 吉原は無法地帯だなー」

「そっちの無表情な彼だけは連れてこいって言われてるし、殺しはしないから安心しなよ。でも、ただの脅しで出したんじゃない。俺、血清持ってるからさ。交渉には使うよ?」


 蛇使いの男は憂鬱そうな表情の中にも、冷酷な眼光をしのばせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る