第七話 「大八木の義憤と生臭い金の決着」
🏮新太郎定廻り控え帳
第七話
「大八木の義憤と、生臭き金の決着」
一. 夜討ちの決断と、大八木の進言
天保元年、秋も深まる頃。
北町奉行所定廻り弐番組の同心部屋。
筆頭同心・豊田磯兵衛は大八木七兵衛、真鍋新太郎ら五人の同心を前に夜討ちの決断を告げた。
「皆の者よく聞いてくれ。旗本中沢壱岐守への不正献金、そして札差・柴田屋勘兵衛による闇取引の件、ついに動く時が来た」
豊田は橋番三人組からもたらされた決定的な証拠を示した後、同心全員に目を配った。
その視線は特に、大八木七兵衛で止まった。
「大八木。貴様が長年追ってきた札差・柴田屋だ。今宵、貴殿の判断と実力を頼りにする」
豊田は同心としての大八木の力量に全幅の信頼を置く姿勢を示した。
大八木は、無言で深く頷く。
「豊田さん。手下の二吉も柴田屋の廻船問屋部門が中沢様への付け届けを扱う裏口であると証言しております。二吉は札差が持つ裏の建物、深川の廻船問屋の普請に長年関わっており、その隠し場所を知っている。私が必ずや金子の隠し場所を現場で突き止めます」
新太郎は札差という表の顔の裏で、廻船問屋という部門を悪事に利用する柴田屋の狡猾さを改めて知った。
二. 深川の闇と、二吉の協力
日が暮れ、江戸の町が深い闇に沈む頃、北町奉行榊原忠之を筆頭に、豊田、大八木、新太郎ら定廻り弐番組の同心六名は、札差・柴田屋が持つ深川の廻船問屋の屋敷を取り囲んだ。
屋敷へ踏み込む直前、大八木は手下の二吉を新太郎に引き合わせた。
大八木は新太郎に「二吉の情報を頭に叩き込め」と簡潔に指示した。
二吉は運河沿いの屋敷の地理と、柴田屋が最も金銭的な証拠を隠す場所について、確かな情報を供した。
「新太郎様。柴田屋は札差ですが、この廻船問屋の地下は、船の底荷を隠すための特別な土蔵になっておりやす。ここには干物や海産物が運び込まれるため匂いが強い。旦那方は、匂いで気が散ると見越して、一番高価な金子をそこに隠しやす」
榊原の「北町奉行所である!大人しく縛につけい!」という闇を切り裂く掛け声と「それい!」という合図と共に同心六名は屋敷へと踏み込んだ。
大八木は新太郎と他の同心を率い、二吉からの具体的な情報を胸に、魚醤の強烈な生臭い匂いのする土蔵へと続く道を探る。
三. 激戦の深川、隠された金と決定的な証拠
北町奉行榊原の合図と共に、定廻り弐番組の同心六名は怒号と共に屋敷へと踏み込んだ。
廻船問屋の奥からは荒々しい怒声と共に無頼連中が飛び出してきた。
札差の裏金に飼われた十数人の無頼たちは腰の刀に手をかけ、ギラリと唸る抜き身を闇の中で見せつけた。
彼らの目は血走り、同心を殺す覚悟を決めている。
「ここでてめら木っ端役人なんざ皆殺しだ!血の雨を降らしてやる!」
「白瓜、持ち場を離れるな!後は我々に任せよ!」
筆頭同心・豊田の指示が飛ぶやいなや、同心・大八木七兵衛が、「鬼」の異名にふさわしい抜刀術で切り込んだ。
刀の風切り音が夜の深川に響き渡り、真剣と真剣がぶつかり合う甲高い金属音が火花を散らす。
豊田や大槻、小宮、関根もまた、腰の差料を振り込み共に死闘を演じ始めた。
辺りには、鎬の火花、鉄の匂いと、人の血の匂いが混ざり合い、乱戦の激しさは地獄絵図となった。
新太郎はその殺意に満ちた戦闘の傍らで、十手を構えながらも、魚醤の生臭い土蔵の匂いを頼りに、二吉が言った「地下へ繋がる小さな戸」を探した。
彼の耳には、斬り合う刀の音と、運河の潮の匂いがこびりついて離れない。
「札差の金子は、昆布と魚の血の匂いを吸っている...!」
大八木が無頼の徒を打ち倒した一瞬、道が開いた。
新太郎は十手を脇に挟み、網の下の小さな木の戸へ飛び込んだ。
戸を開けると、腐った海水と干物の強烈な生臭さがまるで生き物のように新太郎の顔に襲いかかった。
新太郎は必死の形相で土蔵の中へ降りていった。
土蔵の中には大量の昆布や干し鮭が積まれ、闇の中で強い生臭さを放っていた。
新太郎はその生臭さの中で、積み荷の裏に隠された古びた木箱を見つけ出した。
木箱の蓋を開けると、昆布の粘液と魚の血の匂いをまとう、目も眩むほどの金子が露わになった。
その木箱の底には、橋番の件で決定的な証拠となった「荷為替の控えの原本」の残りが敷かれていた。
「豊田さん! 大八木さん!二吉さんの言った通りです!不正の金と、生きた証拠を見つけました!」
新太郎の叫びは、激闘の終息を告げた。
奥で同心の手下らにおさえられていた札差・柴田屋勘兵衛は、金子と証拠が押さえられたのを見て、最早、抵抗の術はないと悟り、その場で捕縛された。
四. 手柄と、江戸の夜明け
夜が明け、深川の屋敷から、金子の詰まった木箱と捕縛された札差・柴田屋勘兵衛が引き立てられていく。
奉行所に戻った豊田は、大八木らの武功と、新太郎の推理を高く評価した。
その後、中沢壱岐守頼正は評定所の調べにより、賄賂の受諾が明らかなものとなり切腹の沙汰が下された。
表向きの体裁は保たれたものの、武士としての名誉は地に落ちた。
中沢壱岐切腹のその夜、新太郎は「のりひょう」で、大八木と二吉、橋番三人組に酒を奢った。
「大八木殿。二吉さん。あなた方の長年の義憤と鳶としての知恵、そして橋番三人組の偶然がなければ、この事件は闇に葬られていました。心より感謝申し上げます」
大八木は、静かに酒を呷り、「これで、江戸の夜の義理は果たせた」と、深く頷いた。
二吉もまた、「これで、深川の闇も少しは晴れる」と、安堵の表情を見せた。
橋番三人組はチンドンと皿を鳴らし、タダ酒を呷った。
新太郎は深く息を吐き安堵の笑顔を浮かべた。
もう夜が明けようとする刻時、自宅に戻り控え帳を静かに広げた。
『六、札差・柴田屋勘兵衛、捕縛の顛末。筆頭同心・豊田磯兵衛の決断と、同心・大八木七兵衛殿の真剣の活躍、そして鳶の二吉の情報が、全てを結びつけた。橋番三人組のささやかな怒りが、中沢壱岐守の不正を暴き、市井の人々の義憤と知恵が、幕府の闇を断つ、定廻り弐番組の誉れとなった。』
新太郎の筆は、夜明けの江戸の光の中で克明に記録し続けた。
(第七話 完)
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