第15話 介助

「ほら、いるんでしょ?」


窓がコンコン、とノックされる。


背筋が凍りそうなほどに冷たく、全身から体温が引いていくのを感じた。


これは、悪夢じゃない。現実だ。


身体が、肌が、全身の神経が、それを感じ取っている。


窓にはカーテンがかかっていて、美月の顔は見えない。


顔が見えないこそ、より彼女を不気味に感じてしまう。


彼女は、無言だった。


けれど、窓にはうっすらと人の影が映り続けている。


ゆっくりと時間だけが、流れていた。


しばらくすると、再び窓がノックされる。


「入れて。寒いよ」


それだけ告げると、再び黙り込んだ。


バクバク、と心臓が低く鳴る。


「また、体調崩しちゃうよ」


ねえ美月、もうやめて。


その言葉は、口に出来なかった。


美月が何をしでかすか分からないし、唇が震えてうまくろれつが回らなかったからだ。


何もできない私は、ただただ毛布の中にくるまった。


現実からの逃避。


無意識で、美月の声をシャットアウトしようとしたんだ。


寒い。寒い。寒い。


身体の震えが止まらない。


誰か助けて。

美月を止めて。


そう思ったところで、誰も助けてはくれない。


「……そっか、愛ちゃん」


美月は小声でそう呟いた。


「もう、私と一緒にいてはくれないんだ」


それだけ言うと、窓に写っていた影はゆっくりと引いていった。


外に気配は感じない。ブラフでも何でもなく、本当にいなくなったのだろう。


私の意識は、ブレーカーが落ちたようにブツン、と切れそのまま眠ってしまった。


~~


朝が来た。


部屋のドアから、柔らかな朝日が差し込む。


ラジオ体操は希望の朝なんてのたまうが、私にとっては絶望の朝だ。


学校に行けば、美月が待っている。


「……っ!!」


そう思うだけで、胸が痛くなり、気分が重くなる。


身体が重い。頭が痛い。


美月に会いたくない。どうしても。


私は再び毛布を頭まで被る。


冬の冷たい空気が、異様に淀んでいるような気がした。


肺に入るたび、胸がむかむかと気持ち悪い。


今日は、学校を休んでしまおう。


こんなボロボロの身体で、メンタルで、学校に行けるわけがない。


目を閉じようとした次の瞬間だった。






コン、コン。





「────おはよう、愛ちゃん」


嗚呼。


何でいるの?


来てほしくなかったのに。



もう誤魔化せない。無視できない。


そう思った私は、ゆっくりと窓を開ける。


「おは、よう。美月…」


そう言うと、美月はにこりと笑った。


まるで、この夜のことなんて何もなかったみたいに。


私は大きくため息をついた。


あれが夢ならば、どれほど良かったか。


「大丈夫、愛ちゃん?目に隈ができてるよ」


「……大丈、夫。行こうか、学校。まだ何も準備できてないけど…」


「そう。じゃあ、私身支度手伝ってあげるから、入れて欲しいな」


「………」


「……無理そうなら、別に…」


「…いや、いいよ」


私はそう言うと、家の鍵を開ける。


もう美月に抵抗できる気力なんて残っていなかった。


今は、ただただ体調が悪い。辛い。


全部美月のせいなのに、それに怒る気すら、なれやしない。


「お邪魔します」


「…なんで私の家分かるの?」


「実は前、尾行しちゃって。その時知っちゃったの、ごめんね」


「別に」


昨日のことはあくまで知らんぷりか。


私はフラフラとリビングへ向かう。


ふとスマホを見ると、入れた覚えのない地図アプリは消えていた。


不思議なことに、LIMEも会話履歴は残っていなかった。


本当に夢じゃないかと思えてくるような展開だ。


リビングにさしかかった途端、足から力が抜ける。


グラリ。私はそのまま倒れこむ。


「愛ちゃん!?」


美月は私に優しく触れる。

いつも温かい美月の体温は、妙に冷たく感じた。


「全然大じょ…」


「大丈夫じゃないよ!ご両親は?」


「…どっちも仕事。もう家出てるから、帰ってこれないよ」


「とりあえず、休んでおいて」


美月は私の肩を支えると、拙い歩きでベッドまで送り届ける。


「私が学校に欠席の連絡入れるから。あと、冷蔵庫にあるもので色々作っとくよ。いいよね?」


「勝手にして」


私はぶっきらぼうにそう言うと、ベッドに倒れこむ。


体温計は、39℃を示していた。


ズキズキと頭が強く痛む。そのくせ痛みがひどくて眠れない。


しばらくそれに悶えていると、私の部屋にゆっくりと美月が入ってくる。


自分の場所にずけずけと踏み入られる嫌悪感はあったが、今はそれよりも頭痛の方が苦しい。


美月は、ベッドの横の小さなデスクにおかゆを置いた。


「余っていたお米があったから作ったわ。パッと作ったから、あまり凝ってないけど…」


「ありがとう。美月もう学校行きなよ。遅刻しちゃうよ」


「いいよ、私も休む。今日も体調不良って伝えといたから」


はぁ…私はまたため息をついた。


美月と距離を置くって決めた矢先のことだし、美月だって何を考えているのか分からない。


そんな状況で、気が休まるわけないじゃん。


だが私の思いが伝わるわけもなく、美月はつづけた。


「何かあったら伝えてね。私、何でもしてあげるから」


そう言うと、美月は私の部屋から出ていく。


私は、頭の痛みをこらえてゆっくり起き上がると、おかゆを手に取る。


お椀が熱い。フーフーと冷ますと、口をつける。


味がしない。


まあ風邪だし、当たり前なんだけど。


唯一感じたのは、舌の痛み。


フーフーが足りなかったらしく、舌をやけどしたっぽい。


泣きっ面に蜂だ。


ふと耳をすますと、まな板に包丁が振り下ろされる音が台所に響いていた。


あの悪夢を思い出す。


血に濡れた包丁を持った美月。


思わず鳥肌が立つ。私は手で顔を覆った。


最悪だ。マジでどうして今そんなこと思い出してしまったんだ。


今、美月は何を作っているのかな。


そんなことを思いながら、おかゆを完食する。


昨日早く寝たのもあって、食欲はそれなりにあるみたいだ。これで、美月の手料理も問題なく食べられるわけである。


お腹が満たされた私はベッドに横たわると、少しずつ眠気に襲われていった。


眠りに落ちる直前、部屋の外の美月の影が動いたような気がした。


あれ…私が眠ったら、美月に何されるか分からないじゃん…


そう思ったのも束の間、私に意識は闇に飲まれていった。





****


次回──第16話 素顔、思惑(仮)




短編更新したので、読んでくれると非常に喜びます!


彼女からの最期の旋律


https://kakuyomu.jp/works/822139839391598058/episodes/822139839392364436


音楽に惚れた主人公と、その音楽の歌い手との生死を超えた物語です。


是非ご覧ください。

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