第13話 大好きで大嫌い

「バイバイ」


「うん、バイバイりせちゃん」


「やっぱバイバイしたくないわ。今日泊まっていい?」


「えぇ…今から?」


「いや冗談だよ冗談」


そう軽口を叩くとりせちゃんは、そっと目を伏せる。


「帰りたくないなぁ。なんか愛と一緒にいたい」


「……!」


「いや、変な意味じゃなくて。普通に勉強したくないし」


「あ、あはは。そうだよね。」


「あとさ…」


りせちゃんは眉をひそめると、浮かない顔で私を見つめる。


「なんか不安なの。愛、大丈夫?」


「何、急に」


「…いや、何もないなら、別にいい」


りせちゃんは、「じゃあ本当に、バイバイ」と言うと、私に背を向けてゆっくりと歩き出す。


後ろ姿が夕日に照らされる。そして、一度足を止めると振り返って告げた。


「愛、


「!!」


りせちゃんはそう言い残すと去っていき、そのまま背中が見えなくなった。


最後に告げたあの言葉、どういう意味なのだろうか。


ふと空を見上げると、黄昏の空は血のような赤で燃えていた。


それがなぜだか、これから訪れる夜に怯えているように見えたんだ。


~~


私──高野美月は、真っ暗な部屋で1人、スマホの画面を見ながら俯いていた。


何時間経っても愛ちゃんからの返事は来ない。


こんなこと初めてだった。


いつも愛ちゃんは私にすぐ返事を返してくれた。


なのに──今は。


こんなに返事をして欲しい時に限って。


たった数時間がとてつもなく長い時間のように感じる。


>愛ちゃん、寂しい


送った言葉は、その一言だけ。それで通じるって、私を見てくれるって思ったから。


けれど、無理だった。


何で私を見てくれないの?

何で私を好きになってくれないの?


愛ちゃんのことを大切に思っていたのは私だけだったの?


暗い部屋で、愛ちゃんの写真を眺めながら、ずっと返事を待ち続けた。


何時間もの辛さを乗り越えた末、その時は訪れた。


──既読。


私は、思わず跳びあがる。ずっと待ってた。


愛ちゃんお願い、触れさせて。私の隣にいて。


スマホの前で、愛ちゃんのLIMEを待ちわびる。


ピロン。数秒後にスマホが鳴る。


>そっか

>ごめん、美月


刹那、身体の奥で卵がぐしゃりと割れたような、何かが壊れる音が響いた。


今まで築き上げたものが、音を立てて崩れ落ちていく。


私はそのまま、壊れた機械みたいにバタリと倒れる。


暗闇を照らしていたスマホの明かりすら消え、真っ暗な部屋に私だけが取り残された。


胸の奥から何か熱いものがこみあげてくきて、頬をツーと雫が滴り落ちた。


ああ、私こんなに弱かったんだ。


もう涙は止まってくれることを知らない。洪水のように溢れ出し、引くことはなかった。


暗闇の中、手探りでティッシュを探し求める。


柔らかな紙に触れると、チーンと鼻をかんだ。


もう叶わない愛への思いだけが涙と共にボロボロとこぼれる。


辛い。


嗚咽が部屋にこだますたびに、自分の情けなさに嫌気がさす。


熱い。身体の奥が。


胸がきゅっと閉まって、そこから虚しさが湧きあがる。


泣いて、泣いて、泣き果てて。


身体中の水分と一緒に涙も枯れ果てるんじゃないか、と思うほどに泣いて。


そのまま、私は冷たい床の上で、死んだように眠った。


~~


>りせちゃん、今日はありがとう!


>こちらこそ~

>また遊び行こうね


>もちろん!


そんなやり取りを一通り終えると、天井を見上げてほっと息を吐く。


胸が満たされていく一方で、美月のことがよぎるたびに心がチクリと痛む。


いや、チクリというのは違うか。


ぐしゃりとアバラごと砕かれたような激しい胸の痛みだ。


もう、美月の事を考えるのも、LIMEを見るのも辛い。


今更、あの時の選択が間違っていたかのように思ってくる。


私は美月を傷つけることを知ったうえで、距離をとる選択をしたはずだ。


あの時から自分に言い聞かせている。


自分がこんなに傷ついているのは、逃げだと。


本当に辛いのは美月の方なのに。


その罪滅ぼしのように、辛い思いをしていればよいわけじゃない。


これが、最善だと思ったんだ。


美月はもう私に扱えるような存在でも、私と対等な存在でもないから。


それでも、辛いものは辛い。


また天井を見あげ、涙をぐっと堪え、飲み込む。


喉の奥を熱い液体が通り過ぎていく。


自分を尊重するんだ。


自分を正当化するはずの言葉は、まるで自分を責めるナイフみたいに胸に刺さった。


でも、私はそれしかできないんだよ。


だってこれが、私の選んだなんだから。


~~


私──美月が、目が覚めたのは、真夜中だった。


もう寂しくも悲しくもなかった。


全てが去った後に残ったのは、愛ちゃんに手が届かない歯痒さでもなく、悲しみでもなく、ただの怒り。


胸の奥で、獣みたいな何かが蠢いていた。


何で愛ちゃんは私を愛してくれないの?

何で愛ちゃんは私を見てくれないの?

何で愛ちゃんは私が辛いときに一緒にいてくれないの?


先ほどと同じ疑問。でもその中に孕んでいる感情は、対照的だ。


今は、愛ちゃんが憎くてしょうがない。


愛ちゃんが理解できなくてしょうがない。


愛ちゃんが、大好きで大嫌い。


私はスマホを床に投げ捨てる。


ゴン、と鈍い音が鳴って、スマホにヒビが入った。


壊れてはいないようで、画面が無機質に白く光る。


「バイバイ」


小さく、冷たい声で私はそう告げる。


愛ちゃんを、愛してやまない私はもういない。


魂が抜け落ちた残骸。


かつて無償の愛で満ちていたその身体が、ゆっくりと立ち上がる。


残ったものは、愛憎だけだ。

その名の通り、歪んだ愛とただの憎しみ。


私は、部屋の押し入れにしまっていたGPS発信機と小型カメラを取り出す。


愛ちゃんのことが好きになってから、ずっと使うのが怖かった。


けど、今なら使える。ためらいもなく。


愛ちゃん、もう私がずっと見ているから。


これで、ずっと一緒。


暗闇に、ただ時計の針の音がチクタク鳴っていた。


****





もう、2人の間には友情も愛情もなかった。

愛がどれだけ望んでも、一度拒んだものが戻ってくることはない。


次回──第14話 通知音。


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