RISING SUN

@akechi0619

第0話 心、ここにあり

 息が上がる。瞳孔は開き、心臓の音が聞こえる。足の痛みや、肺の苦しさなんて忘れてしまう位、集中する。どこまでも。どこまでも。何度でも着火して。チーターでも、戦闘機でも、光でも追い越してしまう位。もっと――――――


 「駆くん、来ないって」

いつかの土曜日の日本。乾いた冬の群馬県のゲームセンターにて。遼子は残念そうに言った。

「休日だってんのに、バイト漬けですかァ?」

ホストクラブの仕事帰りの翔一。続けて翔一は

「大ちゃんは?」

と訊いた。千円札を両替しながら遼子は返した。

「あたしたちより車の方が可愛いんだってさ。」

「やっぱしな。」

シートに座り、遼子が百円を入れたマシンは、レースゲーム。ビジュアルも挙動も再現度が高く、難易度も初心者お断り、と言った感じである。コースは赤城山。選択車種はBNR32。駆くんと同じ、紅いGT-Rだ。

「オメェもモノ好きだな。GT-Rなんて峠に向かねえのに。」

と横で覗く翔一。遼子はクラッチペダルを踏み、アクセルで回転数を6000rpmに合わせる。合図と共に、クラッチペダルをどんと離し、名器RB26のサウンドが鳴り響く。急ブレーキからの急ハンドルからの逆ハン。ブレーキペダルを踏んだままクラッチペダルを踏み、2速へシフトダウン。踵でアクセルを吹かしてヒールトゥー。

「テクいモンだな...。」

感激する翔一を気にせず、遼子は今日もレコードを塗り替える。何度か遊んで、外に出るともうすっかり夕暮れであった。

「今日も連れてってもらうのか?赤城に。」

「ううん、今日は駆くん、一人で走りたいって。」

「最近アイツ一人のこと多くね?」

「何だか分かんないけど、嫌われるようなことしたかな...寂しい。」

「オレでよけりゃあ、今夜相手になるぜ。」

「どっちのイミよ。」


 そんなうちに夜の18時を回った。

「たまたま残ってて良かったナ。」

遼子の父で、店主の勝雄が言う。ここは醤油ラーメンが美味しいラーメン屋「不敗神話」。閉店時間は18時。いつもは売り切れ必死だが、今日はちょうど彼らの分で売り切れになった。スープを飲んで見上げた後、店の神棚横に飾ってある写真を遼子は見た。駆くんと遼子が彼の32GT-Rの前で笑っている写真。

「...........。」


 深夜12時ちょうどを回ったその時、遼子のスマホが鳴った。その時遼子は眠りが浅かったので直ぐに応答した。

「...はい...もしもし、大ちゃんd...」

相手は大輔。遮るように

「駆くんが事故った」と。

「かっ...駆くんは!無事なの!?」

遼子の声は南極の海に突き落とされたように震え始めていた。

「ぶつかった衝撃でステアリングに頭をぶつけて助かるかは怪しい、だそうだ。」

同じく大輔の声も幽かに震えているのが分かった。何も考える余裕もなくして遼子は寝間着のままアルトラパンに乗り込み、駆くんが事故った赤城山へと向かった。

 規制線をくぐり、警察の「ご家族の方ですか?」という質問を無視して駆くんのもとへ駆け寄った。

「駆くん!駆くん!駆くん!駆.......」

気違いのように何度も呼びかけたが返事がない。顔はどんどん青白くなっていくばかりであった。死んだ。彼の命も、彼女の心も、もうすぐ結婚を控えていたという彼らの夢も、全部、全部、一瞬にして、死んだ。それを実感した遼子は

「じゃあ...じゃあ...じゃああたしは明日から....ど、どうやって生きていけばいいのよ...!」

冷たくなった彼の身体に、彼女の熱い涙がこぼれ落ちた。その日から遼子は、どう生きるかではなく、どう死ぬかを日々考えるようになった。そして遼子と駆が抱き合った部屋は、その日を境に独房へと姿を変えていた。 

 あの日から三ヶ月ほど経った春の日、突然大輔から遼子にメールで連絡があった。要件だけは伝えられず、彼の経営しているチューニングショップに来てほしいとのことだった。

遼子「いかない」

大輔「頼む」

遼子「いやだ」

大輔「死ぬことを考えているなら僕は止めない、でも死ぬ前にこれだけでも見に来て欲しいんだ」

遼子の身体は不思議と大輔の店へ向かった。「チューニングショップIZIRISAWA」の看板。彼の苗字、聖澤とチューニングのイジるを掛けた名前だ。元々は大輔の両親が経営している店だったが、大輔は小さい頃に母親をなくしているため、それを手伝う形になったのだ。今では車の変態である。

「おいで」

大輔はやつれた遼子をガレージの奥へと招き、布を被った車を前に

「めくってみて」

と言った。めくった遼子の眼の前に姿を現したのは、紅い紅い、燃える炎の様に紅い、あの日ガードレールに激突したはずの、駆くんの、R32GT-Rだった。遼子の目からは熱い涙が零れた。そしてその真紅の鋼鉄にその涙を落とした。駆くんとの思い出が、写真に浮かび上がるように思い出される。ここに駆の熱い熱い魂を感じた。「....お...かえり....!」

大輔が涙目の遼子に返答し

「乗ってみるかい?もうガソリンも満タンだし、すぐにでも走れるよ。」

「ううん...明日の朝、赤城山で走る。一緒に来てよ。」


 「脳死...ですか?」

遼子は聞き返すように言った。医者は

「ええ、心中お察し申し上げます。しかし、彼の場合、前例が無い特殊な例なのでそうとしか診断しようがなくてですね...まあ、このような場合は臓器提供のドナーとなるのが一般的です。」

「あの...助かる見込みは...」

「無いといえば嘘になります。」

「...!!...じゃ、じゃあ!やっぱり駆くんは...!」

「しかしあるとも言い切れません。何ていうんでしょう...こう...魂ここに在らずって感じなんですよ。」

「先生!助かるんですよね!?駆くんは、助かるんですよね!?ねぇ!?」

「まあまあまあまあ、落ち着いてください。」

遼子はいきなり冷静になった。

「では、時間をくださいませんか。とにかく時間が無いんですよ。」

「...ん?時間というのは?」

「駆くんの生きる時間ですよ。」

「なるほど。延命措置ですか。...わかりました。やるだけはやってみます。ですが猶予は一年としましょう。そのうちに回復が見込めなければ......よろしいですね?望みが薄いことには変わりありませんので。それでもよろしいです?」

「...はい。」

希望と絶望の背反した事象が並立していて気持ち悪がる遼子だった。

 

 時刻は朝6:00を回った。遼子はGT-Rにエンジンを掛けた。心地よい低音が大地を揺らす。駆のGT-Rの助手席には何度も乗ったことがあるが、運転席に乗ったのはゲームの中だけである。ゆっくりゆっくり、思い出の、トラウマの赤城山を目指してアクセルを踏んだ。嗚呼、寒い。でも、彼の温もりが運転席のシートに残っている気がした。大輔も黒く鈍く光るAE86カローラレビンで後を追う。何度も駆くんと走ったいつもの道が広がっている。ドライブ。ゆっくり、ゆっくり、彼と走ったあの日々を思い出しながら、ゆっくり、ゆっくり、頂上まで。

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