人喰い神社に少女は笑う

@ikayuu

第1話 立ち入り禁止の廃ホテル

「うるさいな……」


 蒸し暑く熱気が立ち込める夏の夕暮れ時のことだった。


 大学二回生の桜木薫は、一人薄暗い部屋で夏休みを控えた課題のレポートを執筆していた。


 夏も佳境ということもあり、外では蝉の大合唱がやかましいくらいに響き渡っている。

 一人暮らしの六畳一間は防音設備なぞ完備してあるはずもない。

 まるで課題に手一杯である薫の境遇を嘲笑っているかのように思えてしまうくらい、耳を劈くそのノイズはみるみる薫の集中力を奪っていった。


 しかし、その騒音に紛れて殊更軽快な電子音が薫の耳に入る。

 スマホを光らせるとロック画面には、大学に入ってからの友人である小林から、なにやらメッセージが届いていた。


『おい薫これ知ってるか』


 そんな文言と共に添付されていたのは、流行りの心霊情報が群雄割拠する掲示板のサイトであった。


 小林がこういったオカルトに興味があるなどという話は聞いたことがなかったが、人間は誰しもミーハーな面を持っているものだ。心霊特番でもやっていたのか。


 実際、薫自身も流行りに敏感というわけではないが、鈍感な方でもない。

 ニュースはよく見る方だし、不思議な現象などという謳い文句があれば、薫もわくわくした気持ちにさせられることも多々あった。


 しかし、薫がこれらを本気で信じることができないのは、彼の母親の影響が少なからずある。

 薫の母親は生まれながらの現実主義者で、超常現象などはくだらないの一点張りであった。

 そしてその思想は幼き薫への英才教育を以てして引き継がれていた。


 彼の中での幽霊は目の錯覚であり、イエティは与太話なのだ。


 小林の送ったリンクを開いてみると、数年前に廃業したあるビジネスホテルについての情報が載っていた。


 奇しくも、薫もこの話はニュースで見たことがあった。


 ある山道の中腹に位置するこのホテルは、滅多に車が通らないため集客も見込めないであろう奇妙な立地をしており、創案者の経営センスに疑問が持たれていた。

 神社を潰した跡地に建設されたというのも、世間を震え上がらせる要因になっている。

 さらに、そこへ肝試しに行った数組の大学生グループが行方不明となっており、立ち入ってはならない心霊スポットとして悪名を轟かせていた。


 薫は『知ってるよ』と、ぶっきらぼうにも見えるような短文で返信した。


 すると毎度のように数秒足らずで返事が返ってくる。『今から行ってみないか?』と。


「え、今から?」


 あまりに唐突な誘いに薫は思わず間抜けな声を出す。

 小林は以前から他人の都合は気にしていないような振舞いをしており、気さくというか無鉄砲というか、そんな気兼ね無さが心地よくてよくつるむようになった。

 しかし当日肝試しとは、今までにない無茶な誘いである。心霊特番でもやっていたのか。


 薫はどうしたものかと思案したが、最近は自室に籠って課題を処理するだけの生活の繰り返しだったので、運動不足が如実に現れていた。

 数時間の外出くらいは期日にそれほど影響ないだろう。


 そう思った薫は『まあいいけど』ど杜撰に返し、あまり手につかなかったパソコンを片づけ始めた。

 


 小林が車で迎えに来たのはそれから十分後のことだった。


 バイト代をコツコツ貯めて買ったというその中古車には、同じく友人の田中、佐藤が乗っており、型落ちの古びた軽自動車にしてはかなり賑わいのある光景だった。


「いい車だろ? 乗るときはちゃんと砂を払ってからにしてな」


 そう上機嫌にのたまう小林は、愛車のキーを指でくるくると回しながらボンネットに腰かけている。


「はいはい、いつもより多めに払っとくな」


 準備を既に終えていた薫は、適当に相槌を打ちながら後部座席へと乗りこんだ。


 車中では隣の田中がスナック菓子を、助手席に座る佐藤が何やら書類に消しゴムをかけていた。スナックの粉と消しカスで、小林の愛車は現在進行形で見るも無残に汚れていく。


「お前ら人の車でよくそんなことができるな……」


「なんだ薫、お前も食いたいのかー? 卑しい奴だな! そういうと思って全員分用意してきたから、そんながっつくなって!」


「落ち着け、そんなことは言ってない」


 一人で盛り上がっている田中を体よく受け流し、薫は先ほどの紙に熱心に何かを書き込んでいる佐藤の方に視線を向けた。


「佐藤は何を書いてるんだ? 課題がピンチなんてお前らしくないじゃないか」


 そう軽口を叩く薫に、視線を落としていた佐藤が顔を上げた。


「そんなんじゃねーよ。これから行くところがどこか忘れたのか? 事前情報なしで死んだろどうするんだ、僕が」


 お前が死ぬんかい。


そういえばこいつ、怖がりのくせによくついてきたな。

 薫は思わず出かかった言葉を飲み込むと、運転席に乗り込んだ小林に尋ねる。


「どれくらいかかりそうなんだ? 課題が残ってるから早めに帰りたいんだけど」


「大丈夫、そんなかかんないぞ。ざっと二時間くらいだ」


 エンジンを入れ始めた小林は、はははと小気味よく笑った。

 二時間はだいぶかかっている方だと思うのだが、何が大丈夫なのか。

 どうやら薫の課題は大丈夫ではないらしい。


「よーし、お前ら覚悟はいいか? 地獄の肝試しに出発だ」


 小林の啖呵と同時に車が走り出した。

 人が失踪しているという心霊スポットに向かうというのに、車内はそれに反してパーティー会場のように喧然としていた。



「だいぶ走らせたな、そろそろ着きそうか?」


 来る前の課題の疲れからか、薫はウトウトしていた瞼を擦ると小林に尋ねた。

 とうに日は陰り、辺りはヘッドライトに照らされる木々や砂利道しか見えなくなっていた。

 車内は冷房が効いており少し肌寒いとすら感じる。


「おう、ぐっすりだった薫ちゃんよ! 俺のドライビングテクは安眠仕様だぜ」


 なんだこいつ酔ってるのか。いつにも増して奇妙な言い回しだな。

 おそらく深夜テンションと、肝試しを目前にしたアドレナリンの影響だろうが、このお調子者のことだ。もし飲酒運転をしていたとしてもなんら不思議ではない。


 ちなみに車中で菓子を食べていた田中と、書類の文字を読んでいた佐藤は既にグロッキーとなっている。胃酸を抑える二人は目も当てられないほど苦悶の表情を浮かべていた。


ふと、足場の悪い山道の衝撃で、佐藤が手に持っていた書類がポロリと落ちる。


 薫はそれを拾い上げると、返す前にちょいと目を通してみた。


「立ち入り禁止の廃ホテル、か」


 行方不明者が出た際にはニュースで、幽霊の目撃情報があったときは心霊番組で、それぞれ報じられていたのを見たことがある。


 そのような非現実的なものは興味がなかったためあまり詳しくは覚えていないが、写真を見る限りどこか不穏な雰囲気が漂っていることは、そういったことに無関心な薫にも読み取ることができた。

 薫の記憶には断片的な情報しかなかったものの、佐藤が調べて印刷してきた書類がそれを補完する。


 なぜ多くの人が戦々恐々とする心霊スポットと言われるのかが、そこには書いてあった。


 このホテルは、現役だったころ数多くの事件の舞台となっていたらしい。

 職員による横領、そしてその職員は惨殺死体となって付近に埋められていたそうだ。

 さらに多くの女性が拉致監禁され、その体を慰み者にされていたという。

 中には十代前半の子供すら売春の餌食になっていたとも囁かれていた。

 加えて、麻薬の取引も密かに行われており、摘発された男の数は少なくない。


 掲示板では、こういった事件が起こるのは反社の人間が経営していたからではないか、などと物議を醸していた。


 これらの事件が前提となった上で、過去に肝試しに立ち入った人間の証言では、青白くぼやけた少女の霊を見たというものがあり、被害者の遺恨が残留しているのではと世間を恐怖に陥れた。

 ホテル亡き後も失踪事件が起き続けているのは、こういったことが影響していると考えられた。


 瞬間、鋭く鈍い音が車中に響き渡る。


「おい小林! なんか轢いたんじゃないか⁉」


「気のせいだろ、道が悪いからな」


 気にする素振りを見せない小林の頬を、一筋の汗が流れていくのが見えた。

 小林は強張った表情を悟られないように自分を誇示しているらしい。

 それでいい、と薫は無意識にもそう思っていた。

 それを止めたら、見えない糸がぷつんと切れるように、おかしくなってしまいそうに見えたからだ。


 どこか張り詰めた空気が車内を覆う。

 変わらないスピードで順調に山を登っていく薫を乗せた車は、まるで誰かの意思によっていざなわれているかのようにすら感じられた。


「着いたぞ」


 車をホテルの駐車場らしき場所に停めた小林が、そう告げる。


 薫は車内でくたばっている田中と佐藤を起こすと、扉を開け外に出た。


 生温い風を一身に受け、じわと汗が滲み出る。

 怪しげに反り立つその建物は禍々しい様相で薫たちを見下げると、その威圧感を遺憾なく振りまいていた。


「これがあの特番でやってた廃ホテルか、間近で見るとやっぱ怖えーな……」


 満身創痍の状態から復活した佐藤はそうぼやくと、蒸し暑い中身震いした。

 同じく復活した田中はまだ菓子を食い続けている。ちょっとはビビれ。


「いいか、なんかあったら迷わず外に出るんだぞ。さすがの俺でも明日のテレビに出るには心の準備ができていないからな」


 車のトランクから懐中電灯を持ってきた小林はそう軽口を叩くが、声は若干急いており、お調子者の彼でさえもホテルの迫力に圧倒されているように見えた。


「よしいくぞ、薫頼んだ」


 啖呵切ったお前が先頭行くんじゃないのかよ。


 薫は小林に差し出された懐中電灯を渋々点灯させると、入口から中を照らしてみた。

 エントランスドアは大破しており、ガラス片が床に散らばっている。

 ところどころに血痕があるのは、肝試しに来た人間がひっかけてついたものだろう。

 奥の方からは如何ともしがたいカビ臭いにおいが立ち込めていた。


「うわぁ、こんなぼろいのか。割とガチ目に危ないな」


 田中の言う通り、壁紙は剥がれてコンクリートや鉄骨が剝き出しだし、天井は至る所が抜けていていつ崩落してもおかしくないように見える。

 前にグループの置き土産だろうか、辺りにはたばこの吸い殻や酒の缶が散らばっていた。


「おい薫、あんまり速く行くなよ! 行方不明になるぞ!」


「え、ああごめん」


 ホテル内の異様な雰囲気にかなりビクついている佐藤が、先頭を歩く薫を忠告する。

 といっても薫とて速く進んでいるわけではなく、佐藤の歩幅に合わせた小林、田中が遅れているに過ぎない。


「ひっ、今白い女がいなかったか……?」


 恐怖に怯える佐藤の顔色はかなり深刻だ。生唾を飲む回数は増えているし、汗を何度も拭っているため頭髪はボサボサになっている。近いうちにリタイアしてしまうだろう。


 一同は荒れ果てた客室を横目に二階へと上がっていく。

 湿気がすごいのか、一階に比べると草木の茂り方が尋常じゃない。

 月明かりすら届かぬホテル内にこれほどまでとは。異常な空間である。

 しかし意外にも、それ以上は特に目立った特徴はなかった。

 一行の進む足音、喋り声以外に物音は一つとしてしないし、ポルターガイストの類もまた、これと言って起こるような感じはしない。


「なんか巷で騒がれてた割には、大したことないな。どこにでもあるような普通の廃墟だぞ」


 薫は長旅の末のあんまりな結果に、思わず不満を垂れた。

 行きだけで二時間の長丁場だ。帰りの時間も考えると、何もないまま帰るというのは実に実りがなく口惜しい。

 かといってこれ以上抜けた床を縫って歩くには限界があった。

 佐藤も限界がきてそうだったし、収穫なしは致し方ないか。


 そういえば、小林達がいやに静かだな。


 薫はそう思って後ろを振り返ると、


「え」


 思わず間抜けな声が出た。


 そりゃそうだ。薫の後ろには誰一人としていなくなっていたのだから。


「あいつらどこいったんだ?」


 辺りを見回してみるも、どこかに行ったような痕跡など一つもなかった。

 文字通り、突如としてはぐれたのである。


「まさか例の神隠しか? 三人もいっぺんにいなくなるなんて話は聞いたことがないんだけどな……」


 手に持った懐中電灯で来た道を照らしながら戻ってみるが、物音ひとつしない静寂が、薫の焦燥感に拍車をかける。


「ん? 今誰かいたような」


 思わず見落としそうになったが、今さっき流し見た部屋に、確かに誰かの人影がよぎるのが見えた気がした。しかし、一人分だった。


「誰かその部屋にいるのか? 入るぞ」


 扉は開け放たれており、廊下からでもその内装は把握することができる。

 何号室かは文字がかすれて読めないが、入った先にもう一部屋ある普通の客室だということはわかった。

 呼びかけをしながら手当たり次第に懐中電灯を向け、薫は中に足を踏み入れようとした。

 しかし眼前。そこで見たのは一緒に来た友の姿ではなく、佐藤の書類で見た情報と一致する姿の少女であった。


「な、ほんとうにいるのか⁉ 心霊関係は人間が作り出した妄言だと思っていたのに……」


 青白く微弱に発光しているその肌は透き通って見え、膝丈くらいの純白のワンピースとともに冷たい雰囲気をまとっている。

 それとは対象的に腰まで届く髪は、白い肌を取り込まんとするほどの深い黒に染まっており、どこか物憂げにも見えるその表情を隠すのには十分だった。

 小学校高学年くらいの幼い顔立ちと背丈に、その表情はかなり異質なものに思える。


 彼女はこちらに気付いてるような素振りはなく、部屋の奥にあるもう一部屋の中へと扉を開けずに透けて消えていった。


「あっ、ちょっと待って!」


 初めて実際に非現実的な事象を目の当たりにしたのだ。この機を逃すわけにはいかない。

 薫は少女の消えていった部屋の前まで走ると、その引き戸を素早く開けた。


「うっ」


 瞬間、原因不明の耐え難い頭痛が薫に襲い掛かった。


 前頭から後頭にかけて稲妻のような衝撃が走り、脳幹が沸騰しているかのような錯覚にさえ陥る。痛みに思わず膝が崩れた。

 視界が明滅し、焦点が定まらない。

 そんな中、扉の先に少女を探してみるもその姿はなかった。逃したか。

 血管が張り裂けそうな鋭い痛みは、そんな後悔すら抱かせまいとするかのように、ゆっくりと薫の意識を奪っていった。


 暗黒の中、蝉の声はもう聞こえなかった。

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