環境活動家にキレ散らかすイルカニアンさん

南太平洋の風は光をはらんで柔らかかった。

ゴールドコースト沖に浮かぶイルカニアンのために特注で作られた半分ほど水面に居住区が沈んているクルーザーの後部甲板近くの海面で、イルカニアン財団国オセアニア地域首席監察官のイルカニアンは久方ぶりの本物の海と潮風を感じていた。



地平線まで続く青い海、潮風が肌を撫でる。

執務ポッドの中では再現できない、海と風の感覚。

透明の水槽越しに眺める世界ではなく、いまは水面が、直接その眼の中で光を砕いていた。


やはり、本物の海はいいなぁ。


地球赴任以来、小職は常に大陸型惑星訪問用ポッドの中で過ごしていた。

重力、塩分濃度、温度、酸素濃度、すべて小職達イルカニアン族に合わせて調整された完璧な密閉環境。

だが同時に、あれは息苦しい。

人類に説明するのであれば、ずっと車の中にいるようなものと言えばわかりやすいだろうか。


寝るとき以外はずっと車の中。休憩時も食事の時もだ。


気が滅入ってしまうだろう。

なんなら自国の星間移動船の中の方が開放的なくらいだ。


そんな日々が2年も続き、いい加減限界になった私はオセアニア諸国への贈呈惑星の選定も無事終わったことで一区切りがついたため、長期の休暇を取ることにした。


今は解放感に浸っているところだ。

あぁ、今月はもう何も考えたくない。



こんな時間がずっと続けばいいのに。

だが、そううまくはいかないようだ。


ふと陸地の方を見る。


遠くに見える白い船影が、まっすぐこちらへ向かっていた。

ヨットの様だが……あれは。


目を凝らして帆を見ると、たしかあれはこの国の環境保護団体の旗か。


思わず水中スピーカーを通して小さく息を吐いてしまう。

「あー、そういえば今日はこの1件だけ公務があったか」

端末を目で操作しながら思い出す。

そういえば先ほどタスマニアジンの飲み過ぎで酔いつぶれてしまった小職の秘書官が言っていた。

だって久しぶりの海なのに海中に入るの止めるんだもん。つい。



やがて船が接近し、数名の人間が甲板に現れた。

マイクを握る女性が、にこやかに手を振る。

背後にはカメラもある。どうやら報道陣同伴らしい。



「首席観察官殿! 本日はお時間をいただきありがとうございます!」

「……どういたしまして。それで、本日は小職にどのようなご用件かな?」


小職のクリック音が人類言語の英語に変換されてマイクからやさし気な中性的な声として出力される。

表情筋こそないので小職の感情は伺い知れないだろうが、音声モジュールの調子は完璧だ。

変換指数を調整し声で笑顔を演出する。



私の返答を聞いて、女性活動家は興奮気味に話しはじめた。

「私たちは貴方達が訪れよりもはるか昔から世界中でイルカやシャチの保護活動行ってきました! 命の尊厳を守るために、幾度も船で抗議し、時にはイルカ漁の漁船を襲撃し、海を守ってきたんです!あなたも、同じイルカとして、この活動をきっと誇らしく思ってくださるでしょう!」


小職は思わず少し声帯が揺れそうになるのを押さえ、波に揺れる自分の影を見つめた。

彼女たちは止まらない。熱に浮かされたように、次々と『守った命』の話をし、写真を見せ、そして配給権の割り当てを求める話に飛んだ。


小職はしばし沈黙し、静かに答えた。


「立派なことだと思います。しかし、我が国としては保護体制に必要な場合を除いて特定の団体への配給権の割り当てを行うことはありません。また、我が国は地球原生生物の保護には関心を持ちません。保護にせよ根絶にせよ、それは各々の国家の責任において行う権利を有していると考えています」


一瞬、空気が凍った。

活動家たちの笑顔が引きつる。

「えっ……でも、あなたもイルカでいらっしゃるでしょう? 同じ種族として――」

……一回はスルーしたが二回目だ。これは意図的か?

「あのだね。お嬢ちゃん」

小職はあえて低いドスの聞いた声帯出力に声色を変更する。


「君たちは私にタカリに来たのかね?それとも侮辱しにきたのかね?」

「そ、そんな!私たちは貴方と同じイルカを――」


「私はイルカではなく、イルカニアン。イルカニアン財団国オセアニア地域前FTL文明首席保護観察官だ」

「あ、あの、何を怒って――」

本当に気づいていないのか?


「君たちの国では、他国の全権代表をチンパンジー扱いすることは侮辱にならないのかね?」


女性が戸惑う。

「い、いえ、そういう意味ではなく、種としての――」


「主として近縁種に見えたから同一視した?つまり君たちは小職たちイルカニアンがチンパンジーと君たち人類を同一視しても良いのかね?」

「そんな侮辱は――――あ」

ようやく自分たちが何をしたのかに気づいたらしい。

活動家たちは目を見合わせ、慌てて弁明を試みた。

「わ、私たちはただ、知性を感じたから……イルカは賢い生き物で、互いに通じ合えるのではと……」


「原生生物のイルカにどの程度知性があるのかは寡黙にして知りません」

「なら……!」

「そして異種間文明においては相互理解を深める前にディスコミュニケーションが発生することはよくあることです」

「ですよね!なので――」

「しかし」

小職はあえて眼をぎょろりと動かし、活動家を見つめる。

「2年もの間、我々イルカニアンと人類は交流してきました。その間に蓄積された交流を調べもせずに、侮辱したことを謝罪もせずに自らの意見を押し通そうとするような輩と会話をすることに、小職は価値を感じませんな」

少なくとも小職や小職以外のイルカニアンが原生生物のイルカを自らたちと同一視したという事実は存在しない。

「……」

「チンパンジーとの意思疎通のできない会話の方が、まだ価値を感じる」

「……」


絶句した活動家たちを尻目に、シークレットサービスを呼び出す。

クルーザーの上階に待機していた地球人のシークレットサービス誘導され、彼らの船はそそくさと離れていった。

その背を見送り、小職は海に身を任せる。


「せっかくの休暇だというのに、気分が悪いな……」

しかし休暇中でも緊急の事案に対する仕事はしなければいけない。

彼は端末を起動し、『緊急の』ビデオ通信ラインを開く。

宛先はザ・ロッジ。相手はオーストラリア首相。


十数秒ほどの沈黙の後、通信が立ち上がった。

姿勢を正して眼を可能な限り開く。


『……首席監察官殿。直通のご連絡とは何か緊急の案件でも?』

閣議中だったのだろうか、後ろにはほかの閣僚も見える。

「貴国の連絡官を通じて会合を持った団体が小職をイルカと同じと侮辱した上で配給権の要求をしてきた。これは我が国に対してどのような意味を持つメッセージなのか、小職の『イルカと同様程度の頭脳』では理解ができなかったので照会を求め連絡した次第です」


画面の向こうで、首相の顔が引きつった。

「い、いえ、我が国には決して貴国を侮辱の意図は……!」

「貴国へ贈呈予定の惑星に不満があるのか、そもそも我が国の保護体制に不満があるのか、それとも貴国に致命的な国内不安が存在するのか、ただ滅びたいのか。どれかはわかりませんが一両日中には正直に非公式で構わないので直接の回答を要求します」


通信を切ると、小職は目を閉じて再び海に身を沈めた。

水の温度が心のざらつきをわずかに和らげてくれる。


少なくとも、これで同行していたクルーが撮影していた映像はオーストラリア政府で接収されるだろう。

このあたりのエリアは盗撮や防犯の関係で特別回線以外は通信妨害がある。ライブ映像でもないだろう。

おそらくすぐに沿岸警備隊あたりが彼らを拘束するはずだ。少なくとも公にはこのことは『なかったこと』になるだろう。



休暇中なのに疲れた……。

しばらく無心で海を漂う。




少しして気配を感じ、目を開ける。


波の向こうで、一頭の原生イルカが顔を出した。

丸い瞳でじっとこちらを見つめ、まるで「どうしたの?」とでも言いたげに首をかしげている。

向うからして『同胞』の小職を心配してくれてるのだろう。

小職はしばらく無言で見返したのち、小さくクリック音を返す。


……おまえに怒っているわけではないさ。



原生イルカは小さく鳴き、海面を滑るように回転した。

それにつられるように、小職も尾を振って水を蹴った。

小職と原生イルカの二つの身体が、太陽の下で光の弧を描く。


いいね。


これはヒューマノイドが犬や猫などの愛玩動物に感じる感情と近いものだろう。


文明も、種の違いも、ほんの一瞬だけ海の中に溶けた。

無粋な出来事は忘れてしまおう。





「……まあ、悪くない休日だった、ということにしておこう」


泡が弾け、光が散る。

海の底から、ゆるやかなクリック音が上がった。





――翌日

オーストラリア首相府からの非公式なビデオ通信。

なんでも昨日イルカニアンと会合を持った団体は『存在しない』とのことだった。

頭を下げて祈るように手を合わせながら首相が回答していた。

つまりあの出来事は小職の夢かなにかということだ。

「なるほど、どうやら休暇中の小職が見た夢だったみたいですね」

「そうですね、夢ですね、は、ははは、はははは……」

そういうことになった。

秘書官はジンの海に沈めておいた。

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