第十二話:枯渇と、裏切りの囁き

美咲が水守みずのもりのみやの宮へと逃げ帰った後、神社全体は重い静寂に包まれた。


地下水脈が封鎖されたことで、宮の結界を維持していた清浄な力も枯渇し始めていた。美咲は自室に戻り、自分の新しい装束の白と青が、以前よりもくすんでいることに気づく。彼女の体表には、水の膜どころか、わずかな湿り気すらなかった。


「…力がない」


美咲は、手のひらに集中したが、水滴一つ生み出すことができない。彼女の力は、外部の水源と深く結びついていた。


「龍神様」みそぎが、深手を負った体で美咲の部屋を訪れた。「くのかいノ会と辰砂しんしゃの狙いは成功しました。我々の水源は、禁呪で封鎖され、辰砂の穢れによって汚染されつつある。この宮は、もう長くない」


じんは悔しそうに壁を叩いた。「我々の無能さゆえに…!」


「無能なのは私よ」美咲は自嘲気味に笑った。「戦う力がないのに、訓練なんてしたって無駄だったんだ」


みそぎは静かに美咲を見つめた。「確かに、あなたは外の清浄な水を使えなくなりました。しかし、水龍の力は、あなた自身の体内に宿る清浄な生命力を源泉とすることもできる。それは、最も難易度の高い訓練です」


「自分自身の清浄な力?」


「はい。あなたの心と肉体の穢れを自ら浄化し、そのエネルギーを力に変える。これこそが、『自浄(じじょう)』の訓練です」みそぎは言った。「成功すれば、あなたは汚染された環境でも力を発揮できるようになる。失敗すれば、あなたの心身が穢れに飲み込まれる」


美咲は立ち上がった。もう、選べる道はなかった。


「…やるわ。生きて、この穢れを止めなきゃ、どこにもいけないから」


その夜、美咲は、宮の最も神聖な場所に置かれた水鏡の前に座った。


訓練は、美咲自身の心臓の鼓動を聞き、体内を流れる清浄な生命力と、体内に侵入しようとする外部の穢れを意識的に分離し、浄化する作業だった。


目を閉じると、美咲の意識は、禍津まがつの囁きが支配する闇の中へ引きずり込まれる。


『無駄だ。お前の体は、絶望と憎悪で満ちている。お前自身が最大の穢れだ』


美咲は、頭の中に響く声と闘いながら、必死に自分の心の中に「澄んだ一滴」を探そうとした。


同じ頃、くのかいノ会の隠れ家。


一葉いちようは、水源封鎖の成功にもかかわらず、全く笑っていなかった。彼の横で、碧斗あおとは、美咲が避けたあの禁呪の短刀を手に、苦悩に顔を歪めていた。


「美咲は避けた。しかも、反撃までしてきた」碧斗あおとはついに口を開いた。「あれは、本当に災厄の器なのか?彼女は…ただ生きようとしているだけに見えた」


「黙れ、碧斗あおと!」一葉いちようは激しく怒鳴った。「あの力は崩理ほうりだ!僕たちの命を弄び、世界を壊す力だ!感情を持つな!」


しかし、碧斗あおと一葉いちようの怒りにも怯まず、静かに言った。


「僕たちは、命知めいち様から、『美咲を殺せ』という使命を与えられた。だが、僕たちは彼女を追い詰めるだけで、誰も殺せていない。一葉いちよう、君は…本当に彼女を殺したいのか?」


一葉いちようは言葉を失った。彼の心の奥底には、初恋の少女の面影と、くのかいノ会としての使命の板挟みが存在していた。


碧斗あおとは、その隙を見逃さなかった。彼は一葉いちようの目を避けながら、そっと懐から一つの木札を取り出した。


「僕の使命は、君を守ることだ。僕は…美咲に接触する。そして、僕たちの使命の真の目的を、彼女に伝える。これは、君の心を救うための、僕の最後の裏切りだ」


碧斗あおとは、一葉が気づくよりも早く、隠れ家を後にした。彼は、美咲の絶望と、一葉いちようの苦悩を終わらせるため、自らの危険を冒して、水守の宮へと向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る