『水脈の輪廻（みゃくのりんね） - 龍を討つ、短命の刃 -』

第2話：接触と水に映る影

松永美咲は、その日もまた水道の蛇口から水を吹き出させてしまった。

放課後、美術室で絵の具を洗っているとき、美咲が憧れの一葉と友人の碧斗（あおと）が親しげに話しているのを見て、胸がざわついた直後のことだった。美咲が彼らに声をかける勇気が出ず、少しの嫉妬と自己嫌悪を感じた瞬間、水道の水流が轟音と共に暴れ出した。

「またこれ…」

水流はすぐに収まったが、美咲はこれが単なる水道管のトラブルではないことを直感していた。自分の感情の揺れが、この現象を呼んでいる。

美咲が水道の蛇口を閉め、濡れた手を拭いたその瞬間、美咲の背後の壁に掛かっていた鏡が、一瞬、強く水面に揺らめくような光を放った。そして、鏡の中の美咲の横に、見知らぬ二人の男の姿が影のように映り込んだ。

一人は筋骨隆々で熱血漢の面影を持つ男。もう一人は、静かで知的な雰囲気を纏った男。

美咲は驚いて振り返ったが、そこには誰もいない。ただ美術室の静けさが戻っているだけだった。

（今の…誰？）

幻覚か、疲れているのか。美咲は鞄を強く握りしめ、急いで学校を出た。

学校の裏門を出たところで、先ほどの二つの影が、美咲の目の前に現れた。

一人は美咲の目の前に立ち、その目には強い使命感が宿っている。

「松永美咲。龍神様の生まれ変わり。ようやく見つけた」

熱血漢の男、水守 迅（みずもり じん）が、ほとんど命令口調で言った。

美咲は警戒して後ずさる。

「え、誰？何？龍神様って何のこと？私、変な宗教とか興味ないんで…」

「ふむ。混乱しているな。無理もない」

美咲の後ろに静かに立っていたもう一人の男、滄海 禊（おうみ みそぎ）が口を開いた。彼の声は清冽な水のように落ち着き払っていた。

「我々は、千年前、あなたに仕えた臣下です。あなたは水龍の生まれ変わり。その力は目覚め始めています」

「水龍？私、松永美咲だよ。ただの高校生！」美咲は拒絶した。「冗談でしょ。二言目には龍、龍って、何かの勧誘？」

迅（じん）が苛立ちを露わにした。「龍神様！冗談ではない！叢雲（むらくも）はすでに復活し、この世界を腐敗させ始めている！あなたには、世界を護る使命がある！」

「使命？知らない！放っておいて！」

美咲はパニックになり、二人の横をすり抜けようとした。その瞬間、美咲の足元の水たまりが、彼女の感情に呼応して激しく泡立ち、水柱が跳ね上がった。

迅（じん）と禊（みそぎ）はその水柱を避けず、むしろその威力に満足げな表情を浮かべた。

「やはり、力は本物だ。龍神様、我々について来ていただかねば困る」

美咲は逃げるように走り出した。彼女の背後で、迅（じん）が短くため息をつくのが聞こえた。

「禊（みそぎ）、予定通りだ。まずは、日常の全てを失わせねば、龍神の使命など受け入れられぬ」

その頃、街の夜のオフィス街。

叢雲（むらくも）様の幹部の一人、辰砂（しんしゃ）は、最新鋭のオフィスビルの最上階で、市長や市議会議員ら権力者を集め、支配下に置いた人間たちを見下していた。

「皆様方のおかげで、我が社のインフラ事業は順調に拡大しています。次は、水源の管理と、市の防災システムの担当をいただきましょう」

辰砂（しんしゃ）はにこやかに笑うが、その瞳は冷たい。

「水龍の生まれ変わりが動き出したようだが、遅い。我々はすでに、この街の生命線を握り始めた。愚かな水龍がいくら清浄な水を操ろうと、元を辿る水脈が汚染されていれば、意味をなさない」

辰砂（しんしゃ）はグラスの水を飲み干し、静かに命令した。

「次の計画は、水の供給を一時的に止め、市民に不安を植え付けること。そして、その混乱の責任を、最近、水道を破壊している』という噂の『化け物』に押し付けるのだ」

美咲が自宅の玄関前にたどり着いたとき、全身の力が抜けた。

「ただいま…」

鍵を差し込もうとした瞬間、彼女の背筋に冷たい悪寒が走った。美咲の胸の動悸に合わせて、玄関の鍵穴から一筋の水滴が垂れ、家の内側からカチリと奇妙な音が響いた。鍵は固く閉ざされ、開かない。

美咲は、その夜、どうしても家に入ることができなかった。

彼女は気づかない。家に帰ることができなかったのは、単なる運命のいたずらではない。これは、龍神の使命を受け入れさせるための、臣下たちが仕掛けた最初の布石であり、叢雲の勢力が美咲を日常から切り離すために準備した、巧妙な罠が発動した瞬間だった。