不幸中の幸い
「なにから話せばいいかな……」
美月は、この状況に関する知識をある程度知っているようだった。けれどこうなることを知っていたわけではなさそうだと、月愛は思った。単に親友の欲目で元凶だと思いたくないというだけでなく。美月も多少なりとも憔悴していると感じたから。
「あたしは、変異種っていう、なんていうのかな……ラノベみたいなさ、特殊能力を持った人間なんだ」
「……うん」
「で、いままで見てきた理性もなにもない暴れるだけの人たちはNOISEっていう存在で……彼らにはもう、元の人格はなくて、仮に姿形がそのままでも、もう中身はすっかり壊れちゃってるの」
「うん……」
何処から、どのようにして、どれだけのことを。
隠し事をしたがっているのではなく、美月自身も纏め切れていない様子で、けれど何とか月愛にわかってもらおうとしていることが伝わってくる。
美月が困っているときによくやる、髪を指先でくるくると弄る癖が出ている。長い白髪が細い指に絡んでは、つるんと弾むようにほどける。手入れの行き届いた髪は、何度指に巻き付けても巻いた跡が残らない。
「あたしは自分の体液やそれが混ざった水を操る力があってね。だからいつも半端な水を持ち歩いてたんだ」
「そ、っか……わたしずっと、水分補給に気をつけてるのかと思ってた」
「それもあるかな。吹部って動くから喉渇くじゃん」
「わかる」
少しずつ、僅かだけ、いつもの調子で相槌を打てるようになってきた。
月愛は美月を見下ろして、彼女がいつも持っているペットボトルがいまもしっかり左手に握られていることに気付いた。しかも今日は、普段は見ないフェイクレザーのベルトも腰に巻いており、其処には三本の未開封ボトルが巻き付けられている。
その様はまるで、西部劇に見る銃のホルスターのよう。
「あのさ、美月」
「なに?」
「昼休みの放送……あれが原因ってことでいいんだよね?」
「うん。間違いないと思う」
月愛は「そっか」と呟いて、それから。
「うちの顧問だったね」
泣きそうな顔で、そう言った。
音質は最低だったが、間違いなかった。セリフも一言一句覚えている。あのとき、あの男は確かにこう言っていた。
『これより、エインヘリヤル選別を行う』
どういうつもりか知らないが、なにかを探しているのだろう。
「あのクソボケ暴力ゴミ顧問は、たぶんNOISEなんだと思う」
「え……」
突然の暴言に一瞬面食らうが、それより気になることがあった。
「でもノイズ? ってのは、自我とかないんじゃなかった?」
「うん。まともな理性は残ってないよ。NOISEは自分の狂気……執着みたいな、たった一つのやりたいことのためだけに動くの。アイツが何の狂気持ちかはまだよくわかんないけど……目的があってやったことには違いないよ」
「じゃあ、ノイズになってもただ闇雲に暴れるだけじゃないんだ……」
「そうだね。昼休みの出来事は……急激な断片化で錯乱状態だったからだと思う」
美月の言葉で、一瞬昼休みの光景が月愛の脳裏を過ぎった。
あの悪夢のような光景を具体的に思い出すとまた吐きそうだったので、頭を振って追い払う。自分のしたことも、いまはあまり考えたくなかった。
「えっと、じゃあ、断片化っていうのは?」
「変異種ってのが、抑も《銀の靴》っていうコンピュータウィルスに感染した人間のことでさ、ウィルスに侵蝕されすぎると自分が分解されて行っちゃうの。その状況が断片化。これが進むと……」
「ノイズってのになる……で、あってる?」
「うん」
わからないことは多いが、起きたことの輪郭は理解出来た。
顧問が何らかの目的でウィルス感染を促す放送をして、学校中が急激に感染した。そのショック症状で生徒たちは能力を暴走させて暴れ出した。月愛自身も、そうだ。襲いかかってくるクラスメイトに怯え、反射的に殺して、しまったのだ。
「わ……わたしも、その、ノイズなの……?」
もしもそうなら、美月に自分を殺させるくらいなら自分で死んでしまいたい。そう思った月愛が涙声で問うと、美月はピシャリと「違うよ」と言い切った。
「月愛は違う。それと……月愛は誰も殺してないよ」
「え……? で、でも……」
震えながら、自分の右手を見下ろす。確かにあのとき、自分の手は狼男みたいな、鋭い爪と漆黒の毛並みに覆われた恐ろしい腕になっていて。軽く振っただけで男子の首に大きく傷をつけた。噴水のように噴き出す血を見た。
「あのあと月愛、倒れちゃったでしょ?」
「う……うん……」
「NOISEにしろ変異種にしろ、あんまり一撃必殺ってないから。余程実力に差があって圧倒的な相手なら別だけど。感染すると丈夫になって治癒力も増すんだよね。例えばあたしなんかは、屋上から落っこちても殆どノーダメで行けるし」
「え……すごい……」
想像以上の丈夫さで、月愛は思わずぽかんとした顔を晒した。
「アイツもあのあと暫く、教室ん中で暴れ回ってたからさ。だから、アイツを咄嗟に傷つけちゃったのはまあ、事実だけど……殺してはないよ。絶対」
「ほ、んと……?」
一度は止まった涙がまた溢れてくるのを感じる。
振った腕にこびりつく、人の肉を裂く感触。それはきっと、ずっと消えてくれないだろう。それでもまだ自分は人を殺していないという親友のお墨付きに、安堵の涙が止まらなかった。
あれほど狂乱の中にあった教室で自分だけ無傷なままだったことや、生存者が誰もいない状況で目覚めたという事実が、なにを意味するのかも理解していたけれど……それでも。
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