第3話 尾尚文
門を抜けたところに、拝観受付と思われる窓口があったが、誰もいなく無人だった。
仕方なく祐一はそのまま寺の境内に足を踏み入れた。
寺の境内は、門のみずぼらしさの割には結構広く、正面に大きなお堂が建ち、奥にもいくつか建物が見えた。
目立つのは草木で、山を背にして迫るように生い茂っていたが、自然情緒あふれるというより、むしろ不気味だった。建物も色がくすんでまるで”お化け屋敷”のようで、染みの一つや二つはきっと人の顔のように見えるものがあるかもしれない。
壮絶に嫌な予感を感じながらも、仕方なくとりあえず正面のお堂に近づき呼びかけてみた。
「すみませーん。誰かいませんか?」
返事はない。
お堂の扉は開け放たられているが、中は薄暗くてよく見えない。
先ほどまでゆるく流れていた風がやんだ。あたりは完全な静寂である。
これはなにかおかしい。祐一は鳥肌が立ってきた。
今ならまだ間に合う。逃げるなら今のうちだ。
借金と“呪われる”を天秤にかけたら、借金の方がよい。
体をひねりひきかえそうとした、その瞬間であった。
「誰じゃ!」
背後から大きな声が聞えて、祐一は文字通り飛び上がるように驚いた。
恐る恐る振り向くと、そこにはじいさんが立っていた。
じいさんの服装からして、この寺の住職であろうということは明らかであった。しかし、そのまるで獲物を見るような鋭い眼光と陽を反射するスキンヘッドは、とても堅気の人間には見えない。祐一は、ふと誰かに似ているなと思った…。
すぐに思い当たった。そうだ、あの「エイリアン2」に出てきたアンドロイドのビショップだ!
「あのー、父の紹介でやってきた松岡と言いますが…」
祐一はゆっくりと言った。
すると、じいさんの眉毛がピクリと動いた。
「あぁ、君がそうか…。わしがこの金玉寺の住職、尾尚文(びしょうぶん)じゃ」
「えっ!?」
本当にじいさんがビショップと名乗ったのかと思った。
「なにか、おかしいか?」
「いえ、なにも…」
祐一はごまかすように境内を見渡した。
「見てのとおり、この寺にはわし一人しかおらん。なかなか手が回らなくて荒れてはおるが…松岡…?」
「祐一です」
「祐一。君は本当になんでもするのか?」
「…えぇ、まぁ…」
「はっはっはっ」
尾尚文が笑った。
なにがおかしい。祐一はやっぱり帰ろうかと思った。まだ間に合う。
「別に取って食おうというわけではない。まぁ、こっちにこい」
そう言って、尾尚文は祐一を正面のお堂へと案内した。
「この寺のことはどれだけ知っておる?」
尾尚文は振り向いて尋ねた。やはり、ビショップに似ている。
「なにも…」
祐一が答えると、尾尚文の鋭い眼光に鋭く力がこもった。
「……」
しかし、睨んだだけで、尾尚文は黙ってお堂の中へ入った。
なんて失礼なじじいなんだ。人を初対面でいきなり呼び捨てにしておきながら、睨みつけるとは。だから年寄りは嫌いなんだ。祐一も負けじと尾尚文の禿げ頭を睨みながら後に続いた。
堂の中は薄暗く、歩くと床の軋む嫌な音が鳴った。そして、カビ臭い。
「この寺は、かの聖武天皇の勅願によって建立されたと伝えられておる。遣唐使船でインドから伝わったという金の宝玉がこの地に納められたことから金玉寺と名付けられた。かつては、七堂伽藍の荘厳な寺として誇ったというが、平安時代の大火で焼失して以来、鎌倉時代の叡尊上人(えいそんしょうにん)によって復興され現在は真言律宗の寺として続いておる」
尾尚文はすらすらと言ったが、正直、祐一にはなにを言っているのかよくわからなかった。聞いたことないような単語もいくつかあった。ただ、少なくとも寺の起源が睾丸(金玉)ではないということは理解した。
祐一がぼけっと口をあけて堂内を眺めていると、
「まぁ、お前に叡尊上人の話をしてもまだ理解できんじゃろう…。こっちにこい」
今、お前って言ったな。
内心活き立つ祐一を尻目に、尾尚文は堂内を進み、奥にあるタンスの様な大きな箱の前に立った。
「この厨子の中に、本尊さまがおらっしゃる。普段は秘仏で公開しとらんが…。今日からお前は、この本尊さまのもとで働くことになる。特別に見せてやろう」
別にそんなもん見せなくていいから、お前と言ったのを謝れ、と祐一は今度こそ尾尚文を正面から睨んだが、尾尚文は意に介することなく厨子の扉をあけた。
ギギギギ、キーッ
と嫌な音をたてて扉が開く。
中には2メートルはあるだろうかという像が立っていた。
どうせ、厨子に似合わずぼろぼろのちゃっちい仏像が出てくると祐一は思っていたので、思いのほか大きく、さらに堂内に差し込む陽の光でにぶく金色に輝く仏像が現れて、素直に驚いてしまった。
見上げると腫れぼったい顔に、流れるような…どこか艶めかしい体つき…。
仏像のことはよく知らないが、勝手に仏像は男だと思っていたので意外な感じがした。これは明らかに”女の体のライン”である。
「これは鎌倉時代の文殊菩薩立像。かの”運慶快慶”の…」
それは祐一も聞いたことある名前だった。
「運慶快慶のいとこの知り合いの…」
それは全然関係ないというのじゃないのか?
「印慶仏師作と伝わる」
いんけいぶっし!?
きんたま寺のいんけい…。
自分がなにも知らないからと思って、からかわれているのだろうと思ったが尾尚文はいたって真剣な顔をしていた。
「ちゃんと文化財の指定も受けとる」
ほう。そう言われたら、たしかに凄いもののようにも見えてきた。
「市の認定文化財じゃ」
祐一はずっこけそうになった。県ですらなく市なのか。またえらくローカルなところで攻めてきたな。
「へぇ、これがねぇ…」
祐一は顎に手をやり、その手で文殊菩薩立像に触れそうにした。
すると突然、
「ばっかもーん!」
と、凄い形相で怒鳴った尾尚文は、箱の扉を勢いよくバタン!と閉めた。
「うわっ、あぶな!」
咄嗟に手を引いたからよかったものの、もし遅れていたら腕が引き千切れていたかもしれない。
「じじい、てめぇ…」
「愚か者め…」
尾尚文の完全にヤクザの雰囲気のそれに、祐一は一歩引き下がりかけたが、こんなじじいに負けていられないと祐一も詰めよった。
一触即発!
しかし、その時だった。
外から「すみませ~ん」と、声が聞えてきた。
その声のあまりにも敵意のない雰囲気と、絶妙のタイミングに、尾尚文と祐一は、夢から覚めたように目をパチクリし、互いに見合った。
「ん、誰じゃ」
尾尚文は首をかしげながらお堂の入口に向かった。
仕方なく祐一もあとに続いた。
正直、内心安堵していた。あのままいけば、自分がバラバラにされてどこかに捨てられているか、もしくは自分がじじいを殺めていたかもしれない。きっと、明日の新聞の一面の見出しはこうだ。
“無職の夢やぶれた元バンドマンの男。坊主を仏にする”
あまりに哀れで救いようがない。祐一は、自分の救世主の顔を見ようとお堂の外を見た。
外には男が立っていた。どこからどう見ても普通の人だった。歳は40代半ばであろうか、手ぶらで立っていたので観光客ではないようだ。そもそもこんな寺に観光客がくるわけはないであろう。としたら一体何者?謎の普通の人現る!?
「あぁ、野口さんでしたか」
尾尚文がその野口さんと呼んだ普通の人に近づいた。
なんだ知り合いなのかと、祐一は尾尚文とその普通の野口さんを見た。
「ソムリエさんも忙しいですなぁ」
ソムリエ!?
「いえいえ。お取込み中のところをすみません。めずらしく観光客の方がきていたんですね」
その”謎の普通のソムリエの野口さん”が祐一の方を見て、笑顔で会釈した。
「いえ、これは違うんです。ちょっと、知り合いの”薄らとんかち”を預かっていまして」
「なっ」
薄らとんかちだと!?
じじい黙ってたら、無茶苦茶言いやがって。
「尾尚文さんのお知り合いでしたか。それはそれは失礼を。しかし、薄らとんかちとは、また尾尚文さんも御冗談を、こんなしっかりしていそうな人を…」
祐一は、自分で言うのもなんではあるが、案外見た目ではしっかりしている人間に見られがちな傾向があった。なぜだかは自分ではわからない。果たして、それで人生を得してきたのか損してきたのかどうかもわからない。いや、損してきたのだろう。逆にいえば、自分は実際はしっかりしていない人間であるのだから、しっかりしてそうに見られてたら最終的にはその期待に応えられないということになる。それなら端からなにも出来なさそうなバカに見えた方が都合がいい。
「申し遅れました。私、こういうものでして」
野口さんが名刺を差し出した。祐一はそれを受け取って眺めた。
「奈良まほろばソムリエの会…」
「この方らは、凄い偉い方らじゃ。ちゃんと頭さげとけ」
「尾尚文さん。私らはそんな大したものじゃないですよ!」
野口さんが手を振った。
祐一は、名刺と野口さんを交互に眺め、
「ワインのソムリエの方が、なんでこんな”お化け屋敷”みたいな寺に…」
「なっ」
今度は尾尚文が唸った。
「いえいえ。そうではないんです。我々はいわゆるご当地検定の奈良まほろばソムリエ検定という試験を受かった、いわば奈良の歴史伝統文化の語り部のようなものでして。“奈良の”ソムリエなんです」
「はぁ…」
なんだかよくわからないながらも、なんとなく状況を察した。
「この方らは、難関の奈良ソムリエ試験の、ソムリエ級に受かったエリートさんたち。奈良のことなら何でも知っておられる」
尾尚文にそう言われ、当の野口さんは照れ臭そうに笑っている。
「おっ、そうじゃ。野口さん。よかったら、こいつにちょっと奈良を案内してやってくれんか?」
「私がですか…?まぁ、いいですけど。尾尚文さんも相当お詳しいのに」
「わしはどうも口下手でいかん」
口下手どころの話ではない。人間性にも大いに問題がある。
「手始めに東大寺から教えてやってくれんか。それがわからんことにはこの寺のことも理解できそうにないからな、この薄ら…」
「…わ、わかりました!」
野口さんは祐一のことを見て、
「では、いつの日にしましょう?」
と、尾尚文に訊いた。
「今から頼みますじゃ」
「えっ」
野口さんは固まった。
当たり前だ。こんな訪ねてきた人にいきなり頼みごとをするなんて常識がなさすぎる。
「あの、奈良ソムリエの野口さん、なにか用があったんじゃないんですか?」
祐一が助け船を出した。
「いえいえ、大したことではないんですが…、まぁ、今日は暇してましたし、いいですよ」
「野口さんなんか用がありましたのか?」
いまさら尾尚文が尋ねた。
祐一は、信じられないといった表情で尾尚文を見た。このじじい本当にボケてるんじゃないか…。
「いえ…、今度、うちの会で企画するウォーキングツアーに金玉寺さんも立ち寄らせていただければと思いまして、そのお願いに…」
「そんなことでしたか…。別にかまいませんよ。こんななんもない寺でよければ」
「ありがとうございます。また日時など詳しい資料など出来ましたらお伺いします」
「はぁ、こちらこそよろしくお願いします」
尾尚文は頭を下げた。
祐一は、このガンコじじいに頭を下げさせる奈良ソムリエ。たしかに凄い存在なのではないかとは思った。
「では、参りましょうか?」
祐一は野口さんに先導されて歩いた。もはや状況的に有無言わせぬ雰囲気であった。
門を出て階段を下ると、道路の脇に車が止めてあった。野口さんの車らしい。アルファードだ。
「良い車乗ってますね」
「いえいえ、大したことありませんよ」
野口さんは手を振って謙遜した。ふと、祐一はこれを売れば500万くらいになるだろうかと考えてしまった。
祐一が助手席に乗り込むと、野口さんがエンジンをかける。遠くで軽く唸るような音が聞こえた。バンド時代に機材を運ぶために乗っていたハイエースや軽バンと比べたらえらい違いである。これがアルファードか。
車はしずかに金玉寺を出発した。
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