第5回:渡世人と法・治安維持の関係 ― 抑圧と黙認のはざまで

第5回:渡世人と法・治安維持の関係 ― 抑圧と黙認のはざまで


前回は「渡世人の装束」に宿る魂を語った。

今回は、その魂がどんな「法の網」に絡め取られていたのかを見ていこう。


江戸幕府という国家は、秩序を保つために“無宿人(むしゅくにん)”を最も恐れた。

彼らはどこにも属さず、どこにでも現れる。

だからこそ、「最も自由」であり、「最も危険」でもあった。


1. 法の枠外に生きる ― 無宿人の宿命


江戸の身分制度「士農工商」。

そのどれにも属さぬ者――それが“無宿”だった。

宗門人別改帳(戸籍)から外れた者は「浮浪人」とされ、

幕府の御触書では“犯罪予備軍”と断じられている。


> 「無宿の者を見かけし時は、これを召し捕え、元の住所へ送り返すべし。」

> (宝永六年二月之触書より)


つまり、漂うことそのものが罪。

「自由」は、すなわち「違法」だったのだ。


江戸後期、飢饉や失業で無宿人が急増。

安永七年(1778年)には、江戸で三千余名が一斉に捕縛され、

佐渡へ送られる「無宿大流し」が行われた。

社会のほころびを“掃除”するための強制連行――。

三度笠をかぶっただけで怪しまれた時代だった。



2. 牢屋敷と島流し ― 罪と罰の現場


無宿や渡世人の処遇は、牢屋敷送りが基本だった。

江戸・伝馬町牢屋敷はまさに「社会の底」。

博打、喧嘩、刃傷――渡世人が日常的に転がり込む場所だった。


文政十年(1827年)の触書では、

「無宿が長脇差を帯びて歩くことを禁ず」とあり、

違反者は“死罪も免れぬ”と記されている。


牢屋敷は一応“更生施設”とされたが、

実際は飢餓と疫病、拷問が横行する地獄。

再犯者は佐渡や隠岐へ島流し――「生殺し刑」と呼ばれた。

自由を求めたはずが、たどり着くのは牢と島。

それでも彼らは“筋”だけを頼りに生き抜いた。



3. 「治安の影」としての渡世人 ― 黙認の現場


ところが、幕府の姿勢は一枚岩ではなかった。

無宿を恐れながらも、その侠気(きょうぎ)を治安維持に利用していたのである。


町奉行や八州廻り(関東取締出役)は広範囲の治安を担ったが、

下層社会の揉め事までは手が回らない。

その空白を埋めたのが、渡世人や博徒の「私的調停」だった。


賭場のトラブル、旅籠での喧嘩、借金の清算――

彼らが仲裁し、時に血を流してでも“筋”を通す。

それが結果的に、治安維持の一助になっていたのだ。


幕府はそれを承知しながら、公式には黙認。

御触書には書かれない“影の行政”が確かに存在した。

地方では十手を預かる渡世人まで現れ、

人手不足の幕府を実質的に支えた。

法の外で動く“もう一つの正義”――それが彼らの居場所だった。



4. 利用と抵抗の狭間 ― 国定忠治・英五郎・次郎長


幕末になると、この“黙認”はさらに露骨になる。


国定忠治(1818–1852)はその代表。

群馬の侠客として盗賊を抑え、時に八州廻りと協力し、時に敵対した男である。


> 「民百姓を守るは義理、法に背くは承知の上」


この言葉こそ、渡世人の矜持を象徴している。


大前田英五郎(1830–1863)は東海道の渡世人として旅籠の揉め事を仲裁し、

幕府の目付にも報告していたが、取り締まり強化で処刑された。

利用され、最後は切り捨てられた者の末路である。


清水次郎長(1820–1893)は博徒でありながら、

漁村の争いを調停し、後年は博愛社を設立。

「治安の支え」へと転じた渡世人だった。

彼らはみな、時代と法のはざまで“己の筋”を貫いた。



5. 法の外にある「義理の法」


江戸の法は「統制」のために作られた。

渡世人の法は「信義」を守るために生まれた。


表と裏、官と民、法と義理。

それらが交差する場所に、もう一つの秩序があった。


彼らは治安の敵でありながら、秩序の守護者。

矛盾を抱えたまま、義理を曲げなかった。

その姿が、後の任侠映画や時代劇に理想化される理由でもある。


渡世人は、法に背きながらも、

人を救う“もう一つの正義”として生きたのだ。



6. 結び ― 風のように法をすり抜けた者たち


渡世人は、法に縛られず、法に抗いながら、

それでも秩序の中に存在した。


牢屋敷と島流しに怯えながらも、

人々を守るために刃を抜いた。

それが江戸のもう一つの「治安の顔」だった。


第4回で語った“装束”が外の鎧なら、

第5回で語った“義理”は内の鎧。

彼らは二重の甲冑をまとい、風の中を歩いた。


風を斬り、法をかわし、己の筋で生きた――

それが渡世人である。



次回予告(第6回)

文学に描かれた渡世人。

明治から戦後にかけて、小説や映画、ドラマに息づく“義理と仁義”の物語をたどっていく。



■関連作品:『異世界三度笠無頼』

江戸の渡世人・丈之助が、剣と義理を胸に異世界を渡り歩くロードムービーファンタジー。

史実の「渡世人像」を下敷きに、人の情と誇りを描く物語です。

https://kakuyomu.jp/works/16818792440635779978


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