もちゃぷきんと、ちいさな世界。
ほしわた
第1話 🐾 もちゃぷきん、ねがえる。
ぼくは、茶の間の真ん中にいた。
午後七時すぎ。外はもう真っ暗で、
窓にストーブの赤い光が映っている。
カーペットの上はぬくくて、油断すると溶けてしまいそうだ。
ぼくの横で、人間たちが喋っていた。
「最近さ、バイト多くない?」
声の主は、おとう。少し疲れた声だった。
「……いいじゃん、別に」
JKが答えた。ぼくの飼い主で、よくぼくにブラシをかけてくれる人だ。
「テスト近いんだろ?」
「今月だけ。来月から週二に戻すってば」
「そんなに働かなくても……」
「お金いるの」
「何に?」
「……言いたくない」
空気が、すこし冷たくなった。
ストーブの音だけが、ちりちり鳴っている。
おかあが台所から顔を出した。
「まあまあ。二人とも、あったかいお茶でも飲みなさいよ」
でも誰も、すぐには返事をしなかった。
ぼくは、あくびをした。
にゃー、って音が出たけど、誰も見なかった。
人間の喧嘩は、音が多いだけで、だいたいぬるくなる。
でも、その音がちょっとだけ、好きだ。
……ちょっと寝よう。そう思って寝返りをうった。
ごろり。
背中に、なにか硬いものがあった。
カチッ。
ぱっとテレビがついた。
光が部屋に広がって、空気が止まる。
画面には、剣とドラゴン。
古い音楽。
『ドロクエⅠリメイク 発売決定!』
という文字が、金色に光っていた。
ぼくは目を細めた。まぶしい。
「……ドロクエ、Ⅰ……?」
声の主は、弟だった。
目を輝かせて、画面を指差す。
「これ、姉ちゃん買うんでしょ? パパが昔やってたって言ってたよ!」
JKはびくっとして、眉をひそめた。
「わたしがやりたいわけじゃないから」
ムッとして言うけど、声のトゲはさっきより小さい。
おとうは何も言わなかった。
ただ、少しだけテレビを見つめていた。
その沈黙の中で、ナレーターの声が流れた。
「かつての勇者が、もう一度世界を旅立つ――」
その言葉が、部屋の空気をそっとなでた。
おかあが、台所からやわらかく言った。
「……高いのよねぇ、ああいうの」
おとうが小さく笑った。
「まあ……今月だけなら、いいか」
「じゃあ、わたしも一時間くらいパート増やそうかな」
おかあの声は、軽くて、やさしかった。
「無理すんなよ」
おとうの声は、少し照れていた。
弟がテーブルの下から顔を出して言った。
「来月、パパの誕生日じゃん」
その一言で、空気がふっとほどけた。
おとうは笑い、JKは顔をそむけながら、口の端を上げた。
ぼくはその隙間に、ころんと寝転がった。
カーペットの毛足が、ぬくくて、柔らかい。
テレビではCMが終わって、白い猫の動画が流れていた。
毛づくろいをする猫。
ぼくも、それを見ながら同じ動きをした。
「もちゃぷきん、それ見てる?」
JKの声が少しだけ笑っていた。
ぼくは返事をしなかった。
にゃーと鳴くほどの気分でもない。
ただ、まぶたを閉じた。
音も光も、やわらかく溶けていく。
おとうが「風呂、先入るか」と言い、
おかあが「ご飯、温め直すね」と言った。
ぼくは寝返りを打つ。
ストーブの音が、ゆっくりと小さくなっていく。
――にゃ。
世界は、静かで、ぬくくて、たぶん、それでいいにゃ。
にゃあ。
世界のことは、知らないにゃ。
でも、きみがちょっと笑ったなら、それでいいにゃ。
押したければ♡でも、なでなでも、きみのじゆうにゃ。
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