第10話 文化祭の虹のはじまり
文化祭の準備が始まり、学校中が活気に包まれていた。夏希は廊下を歩きながら、各クラスや委員会の準備風景をスケッチブックに収めていく。彼女の目には、この活気がかつてのビジネスプロジェクトのようにも映るが、そこには数字ではなく、青春のエネルギーが満ちている。
「相沢さん、見てください!」
藤原が真剣な表情で企画書を広げる。そこには細かい時間割と役割分担が記され、さすがは元エリートビジネスマンの面目躍如だ。
「藤原さん、これは...あまりに完璧では?」
「え?」
「もう少し余白を残した方がいいですよ。想定外の楽しみが生まれる余地を」
藤原は一瞬驚いた表情を見せた後、深くうなずいた。
「おっしゃる通りです。私はつい...」
その時、森川がカメラを提げて近づいてきた。
「場所を確認した。東階段の横の展示スペースが使える」
「ありがとう、森川さん。写真の選定は?」
「半分ほど終わった」彼はカメラの画面を見せながら、「お前のアドバイス通り、テーマを『日常の非凡』にした」と付け加えた。
そこには、誰もが見過ごしてしまうような瞬間の美しさが捉えられていた。窓辺に落ちる木漏れ日、グラウンドの水たまりに映る雲、階段の踊り場でこっそり微笑む女子生徒...
「これ、全部森川さんが撮ったの?」
「ああ。お前が言ってた通り、特別なものは探さなくていい。日常に転がっている」
その言葉に、夏希は胸が熱くなった。前世の森川は、この才能に気づかずにいた。少なくとも、彼女の知る限りでは。
「おいおい、真面目な顔して話してないか?」
赤城がにこやかに近づいてくるが、今日の笑顔には力みがない。
「盛り上げプラン、考えてきたぞ!でも...」彼は少し照れくさそうに続けた。「みんなの意見も聞きたいんだ」
神崎は相変わらずノートパソコンに向かいながらも、耳を傾けている。
「まずは基礎構造からだ」神崎が淡々と言う。「お前らのお祭り騒ぎはその後で」
「わかったわかった、テクノロジー担当の先生」
赤城の冗談に、神崎の口元がほんの少し緩む。
五日後、展示の骨組みが完成し始めた。神崎のプログラムは森川の写真と見事に融合し、来場者が画面に触れると、写真が動き出す仕組みだ。
「すごい...」夏希は完成したデモを見て息を飲んだ。
「まだ途中だ」神崎はそう言いながらも、目に誇りを輝かせている。
藤原は進行管理表を更新し、赤城は来場者を楽しませるインタラクティブな要素を追加していた。それぞれが自然に自分の役割を見つけ、お互いの仕事を尊重している。
「ねえ、みんな」夏希が差し出した箱を開けると、手作りのおにぎりが入っていた。
「今日は遅くなるから、少し食べてからにしない?」
一同から歓声が上がる。
「相沢さん、これまで何人の胃袋を掴んできたんだ?」赤城は笑いながらおにぎりを受け取る。
「お前のその言葉、ロマンチックさゼロだな」神崎が呆れたように言う。
皆で輪になって食べ始めると、藤原が突然口を開いた。
「こんな経験、初めてです」
「どういうこと?」森川が聞く。
「つまり...」藤原は言葉を選びながら、「役割や立場を超えて、純粋に一つのものを作り上げるという経験が」
赤城がにやりと笑った。
「ようやく人間らしくなったな、優等生」
「失礼な」藤原は苦笑いしたが、否定はしなかった。
その夜、準備を終えて校舎を出ると、雨が降り始めていた。
「しまった、傘忘れた」赤城が頭を抱える。
「私のをシェアしようか」夏希が差し出す。
「いや、それより...」神崎が鞄から折りたたみ傘を取り出した。「お前に貸してやる。俺はまだ作業が残っている」
森川が静かに近づき、カメラを構える。
「何を撮ってるの?」夏希が聞く。
「雨の中の校舎の灯り」彼はシャッターを切った。「そして、傘を貸し借る仲間たち」
藤原は自分の傘を神崎の上に差し出す。
「風邪を引かれたら困ります。私たちでシェアしましょう」
神崎は一瞬驚いた後、そっとうなずいた。
駅までの道で、五人は二つの傘に分かれて歩いた。雨音が傘を打つ中、夏希はこの瞬間の温もりをしっかりと胸に刻んだ。
家に着くと、携帯にグループメッセージが届いていた。
神崎:「明日の作業、8時開始でいいか」
藤原:「了解しました。私は7時半に教室を開けます」
森川:「朝の光がいい時間帯に、最終チェックを入れよう」
赤城:「おっしゃ、じゃあ朝飯持って集合な!」
夏希:「お弁当、多めに作って行きますね」
彼女は返信しながら、ふと考える。この調和がいつまでも続くとは思えない。それぞれが別々の道を歩む日が来ることを、彼女だけが知っている。
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