42.魔王戦

 巨大な両扉を開けると、だだっ広い広間が現れた。

 中央には、赤い絨毯が一直線に敷かれている。長く閉じられていた空間だからか、少し埃っぽい臭いが漂っている。

 広間の奥、一段高い場所に設られた豪奢な玉座まで、その絨毯は続いていた。

 そして、そこに座しているのは、魔王。まるで肌にまとわりつくかのような気味の悪い圧迫感が空間を満たしている。


「遅かったな。逃げ出したのかと心配していたところだ」


 太く、地を這うような声が空間を震わせる。背後で、ミリアがフェリスの外套をぎゅっとつかんだのが感じられた。

 後ろにいるメメたちも、ぴりっとした緊張を漂わせている。


「逃げるものか」


 はっきりと通る声でリオンが言い放ち、前へ出た。その横に、ガルドが並ぶ。


「俺は、勇者リオン! 魔王を撃ち倒す者だ!」

「戦士ガルド。世界の敵は許さねェ」


 金属の擦れる音とともに剣を抜いた二人が、その切先を魔王へと向ける。


「ああ、その口上懐かしいよ……反吐が出そうだ」


 魔王の低く唸るような声が空気を震わせた。全てを呑み込むかのような、湿った粘度の高い口調。

 背筋に冷たいものが走る。

 

「へへへ反吐が出そうなのはこここっちなんだからっわわわたしは魔法使いミリア! おお姉さまはわたしのもの‼︎」

「ミリア……」


 言っていることは少しおかしいが、その思いがフェリスの胸を打つ。

 フェリスのためにと、それだけで魔王に立ち向かえる強さ。ミリアは間違いなく、勇者一行のメンバーだ。


「観念しなさい魔王。知っての通りわたしは大聖女フェリス。あなたを救いに来たわ」


 魔王の威圧感に、知らず自分の声が震えた。


「救い? 虫唾が走ることをぬけぬけと……」


 ゆらりと魔王の身体が揺れ、立ち上がった。その血のような真紅の瞳がフェリスたちを蔑んで歪む。


「お前が救いに来たのは、私の身体を好き勝手に使っていた異邦人だろう?」

「ッ、マオくんは⁉︎ マオくんは無事なの⁉︎」


 はい、あーん! そう言ってフェリスにスイーツを食べさせてくれた笑顔が脳裏をよぎる。

 目の前の魔王と同じ顔であって、全く違うあたたかな笑顔が。


「くくっ。無事とは言えないが、まだ存在はある」

「マオくん⁉︎ マオくんをどうしたの⁉︎」


 マオ。フェリスを推しだと言い、気持ちを通わせた大切な人。

 マオは魔王の身体で動き、笑っていた。だが、そこに纏う雰囲気は、魔王とは全く違う。

 今の魔王は、同じ顔なのに邪悪さしか感じない。


「どうしただと? ありがたく思え、今奴は、私の慈悲でまだ存在している」

「————ッ」


 慈悲なんて嘘だ。なにか邪悪な目的がある。それでも、まだマオが存在出来ているのは確認できた。

 チャンスはあるはずだ。


「なぜわざわざ、その雑魚どもの洗脳を解くチャンスを与えてやったと思っている?」

「え……」

「奴に、お前たちをなぶり殺すところを存分に堪能してもらうためだ。消滅させるのは簡単だが……絶望させてからでも遅くはない。私の肉体を弄んだ罰は受けてもらわねばな」


 魔王の口角が歪んだ笑みを形作った。その表情にのどが絞まったような錯覚に陥り、無意識に首に手を当てる。

 フェリスの首を絞め、わざと苦しめて愉しんでいた魔王。その様子を今度はマオに見せ、それを愉しむのだ。

 そうなれば、生き地獄を味わうことになる。フェリスだけではなく、ここにいる全員が。


「聖女よ、お前は一番最後にしてやろう。仲間たちが無駄に苦しみ、泣き叫びながら痛めつけられ、絶望の中死んでいく様を見せてやる」

「ふざけるな! そんなことなどさせるか!」


 リオンがぐっと聖剣を握った手に力を込めた。淡い光が聖剣を包む。

 フェリスが聖力セイクリッドを込めた聖剣だ。


「いいぞ、怒れ。私を救うなど綺麗事はやめろ」

「嫌よ! あなただって被害者じゃないの!」


 魔王の魂を封じた時に覗いた深淵にいたのは、子供だった。ただ母親を呼ぶ、哀れな子供。

 その子供にのしかかる、この世界全てのダークネス

 あの時のフェリスに、それらを全て払いのける力はなかった。だから、封印するしかなかったのだ。


 今度はやれるという確信などない。だけど、やらなければならないのだ。

 魔王も、マオも救う道を探さなければ。


(子供一人と世界、勇者ならどっちを取るかなんて迷う必要もないわ。でも、わたしは勇者じゃない)


 魔王を見捨てれば、フェリスは永遠に後悔し続けるだろう。

 それに、マオのことも諦めるわけにはいかない。

 魔王の注意を引いて、彼がマオを手にかけるという思考をさせないようにしなければ。


「被害者? だとすれば、お前たちは加害者なのか? ならば命乞いをしながら滅べ!」


 威圧感が空気を震わせた。引きつった嗤い声を上げた魔王の前に、青白い光が浮かび上がる。


「霊子さん⁉︎」


 姿を現した霊子が、魔王の胸のあたりを覗き込んだ。

 それにちらっと目を向けた魔王は、霊子を無視して玉座を降りた。

 霊子と魔王の身体が重なり、通り抜ける。魔王の背を霊子がしばし見つめ、その姿はすうっと宙に消えた。


「フェリス様下がって!」


 霊子が消えたのを合図にしたようにリオンが叫び、駆け出した。聖剣を魔王に向けてふり降ろす。

 魔王からあふれた闇によって弾かれたものの、闇と切り結んだ聖剣がますます光を強めた。

 リオンの中の、勇者としての輝きが増して行くのがわかる。

 ガルドがフェリスを背中に庇った。


「勇者とはその程度か?」


 魔王が顔を歪め、リオンを押し返す。リオンが後退すると同時に、魔法の矢が魔王に放たれた。

 詠唱は聞こえなかったから、ベルだ。

 矢は、闇の障壁に阻まれた。背後で、ミリアの詠唱が始まる。


「食らえ!」


 魔法の矢が終わると同時にリオンが飛び出す。その一撃は、闇の障壁にヒビを入れた。


「ほう……面白い。そうでなくてはなぶり殺す甲斐がない」


 リオンが離れた。ミリアの炎が飛ぶ。その威力は、普段より少し抑えめだ。

 魔王を、マオを救いたい。そのフェリスの願いに、彼らは応えてくれようとしている。

 しかし、時間が長引けばそう言ってもいられなくなる。急がなければ。


「フェリス様、どうだ?」

「もうちょっと……」


 身体の中を聖力で満たす。

 魔王を救う鍵は、あの子供だ。あの子は、魔王の中の深淵で、この世界の闇に押し潰されている。


「急げ。それまではオレが盾になる」


 本来なら、魔王の注意を引いてリオンが戦いやすくする。それがガルドの役目だ。

 二人でかかるところを、今はリオン一人で行っている。


(魔王とは、ずっと繋がっていた。だから、わたしは汚染されてしまったんだわ。でも、だからこそ、わたしには魔王の魂がわかる)


 もう一度繋がるのだ。魔王と。

 ペンライトを強くにぎり締めた。上手く行くかどうかなんてわからないが、やるしかない。


「ガルド、行くわよ」

「おう、任せろ!」


 ガルドの足が床を蹴った。そして、フェリスの身体も床を蹴り、空中に舞い上がる。

 頭上にはリリー。フェリスを蜘蛛の糸で吊り上げたのだ。

 ガルドがベルとミリアの魔法をかい潜り、魔王へと切りかかる。

 その剣を手に纏わせた闇で受け止めた魔王に、リオンも剣をふり降ろす。

 両手で剣を押さえた魔王が、わずかに表情を歪めた。

 そこへ、ペンライトを向ける。ありったけの聖力を魔王へ向けて放出した。


 聖力は浄化。治す力。

 あの幼い子供に背負わされた全ての闇を、これで浄化する!


「————ッ‼︎ 小癪こしゃくな!」


 魔王の両手の闇が膨れ上がり、リオンとガルドの剣を弾いた。

 一瞬だけフェリスと視線が交わる。膨れ上がった闇が、聖力とぶつかり激しいつむじ風が巻き起こった。

 糸で吊られたフェリスの身体が大きく揺らぎ、思わず悲鳴を上げる。


「っダメ!」


 叫んだリリーが、フェリスを下に降ろそうと蜘蛛糸を緩めていく。しかし、それを待たずに魔王の手のひらがかざされた。

 その狙いは、リリーだ!


「やめてぇっ!」


 魔王の手から新たに生まれた闇が放たれた!

 鋭いリリーの悲鳴とともに、フェリスの身体が自由落下を始め——どすんとなにかにぶつかった。

 近くに、もう一つなにか大きなものが落ちた音。


「リリーっ‼︎」


 叫んで起き上がろうとし、床ではない感触に驚く。


「ッ、ガルド⁉︎」


 リオンが再び魔王に斬りかかり、ベルとミリアの魔法が飛ぶ。それを横目で見ながら、慌ててガルドを下敷きにしていた身体を起こす。

 ガルドが身を挺してフェリスを受け止めてくれたのだ。


「大丈夫だ大した高さじゃなかったからな! リリーを見てやれ!」


 自身も素早く身を起こし、再びフェリスの前に立つ。

 ガルドは、フェリスの盾を全うしてくれようとしている。


「リリー!」


 リリーに駆け寄る。脇腹と腕、そして蜘蛛の足に傷を負っている。


「いた……ぁ」

「今回復するわ!」


 リリーの傷に手を触れ、聖力を注ぎ込む。

 みるみる傷が塞がっていくリリーの上を、魔王の放った魔法が飛んだ。


「くっ……これしきィ!」


 ガルドの剣がうなり、フェリスに向けて発射された魔法を次々に叩き落とす。

 それに感心している間もない。身を起こしたリリーと頷き合い、彼女は壁際へと走り天井へと登っていく。

 フェリスも、再び聖力を身体に溜め——後ろからした新たな悲鳴に身を凍らせた。

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