第41話:異動前ラスト3日“3分の通話”と埋まらない距離
翌朝。
出社してすぐ、広報フロアの空気がいつもと違うのに気づいた。
(……なんだろ、このザワつき)
席に向かう途中、成田が椅子を回しながら声をかけてくる。
「真由〜〜〜! お前、またトレンド乗ってるぞ!」
「えっ……えっ!? また!?」
「“理想の上司と部下、異動前に距離を縮める”って、なんかまとめられてる」
「縮めてません!!」
美咲もコーヒー片手にやってくる。
「昨日の“帰り道5分デート”、誰かに見られてたっぽいわね」
「そんなつもりじゃ……! たまたまですよ!」
「“たまたま”で距離が近いんだもん。そりゃ撮られるって」
(ほんともう……世の中の観察力どうなってるの……?)
美咲はニヤニヤしながら言う。
「でも安心しなさい。
今日の午前、柊さん、本社に缶詰よ。絶対に来ないから」
「えっ……来ないの……?」
自分でも驚くほど声が小さくなった。
美咲は肩をすくめる。
「顔に出てるわよ、寂しいって」
「出てませんっ!」
「出てる出てる」
成田「むしろ看板出てる。“柊募集中”って」
「出てないですぅぅぅ!!」
⸻
午前10時。
広報フロアのチャットに通知が一件。
【柊 誠:本社会議開始。
藤原、昨日の資料──完璧だった。ありがとう】
(……っ)
誰も見てないのに、頬が熱くなる。
返事を打とうとして……手が止まった。
(あ……そうだ)
昨日の“新ルール”。
――“会えない日は1分通話、必ずする”。
(昼に、電話……)
じわりと胸が温かくなる。
⸻
昼休み。
電話ブースに入り、深呼吸して発信する。
プルル……プルル……
『藤原』
たった一言で、胸の奥が緩む。
「誠さん、忙しいですか?」
『この1分のために抜けた』
「抜けた!? 仕事は!?」
『仕事より、この通話の方が重要だ』
「そんなはずないでしょ!」
『俺が決めることだ』
(この人……会社より大切とか平然と言うのやめて……!!)
「……そっちはどうですか? 本社」
『あまり良くない』
誠さんの声は低く、少し疲れていた。
『統括室の立ち上げは予想以上に混乱している。
人も足りない。方針も曖昧だ』
「……誠さんがしんどいなら、ちゃんと……」
言いかけたところに、
『でも、声を聞いたら楽になった』
「……っ」
『お前の声、効果が強すぎる』
「そんなんじゃ……ないです」
『じゃあ言わせておけ。俺の気分がいい』
「……自分勝手」
『君が言わせたんだろう』
「っ……!」
(この“論破された気になる言い方”ずるすぎない?)
『……あと30秒だ』
「そんなカウントしなくていい!」
『大事だ。明日は“3分”だからな』
「……楽しみにしてます」
一瞬、電話の向こうが静かになる。
『……それはずるいぞ』
「なんでですか」
『君に“楽しみ”って言われたら、
今すぐ会いに行きたくなる』
「だ、だめです! 本社会議は!?」
『会議より君の方が大事だと言ったが?』
「ええええええ!!?」
『……1分だ。また後で』
通話が切れる。
電話ブースで私は頭を抱えた。
「……ほんと……心臓もたない……!」
⸻
午後。
広報フロアに、緊急の連絡が飛んできた。
【至急】
“ブランド統括室の方針説明会に広報代表を1名派遣”
「え? 今日? 急すぎない……?」
美咲が言う。
「真由ちゃん、あんた行きなさい」
「えっ!? なんで私!?」
「向こうの状況が混乱してるなら、
“柊さんの代わりに広報が情報整理します”って言えるの、
あんたしかいないわよ」
「そんな大役……!」
美咲は真剣に言う。
「誠さんの“横に立つ人”でしょう?」
「……っ……!」
成田が腕組みしてうなずく。
「藤原しかいないだろ。
柊課長の言いたいこと、誰より理解してるんだから」
(……そんなこと言われたら……行くしかないじゃんか……)
⸻
夕方。
私は“ブランド統括室”のある別フロアに向かった。
初めて来るフロアは空気が違った。
慌ただしく人が行き交い、会議室のドアが次々閉まり、
コピー機の音すら緊張して聞こえる。
「……ここが、誠さんの新しい場所……」
胸がぎゅっとなる。
(ここに来るだけでこんな気持ちになるなんて……
異動したら、もっと……苦しくなるのかな)
自分で思った“苦しい”の言葉に、少し笑った。
(苦しいって……それもう完全に恋じゃん……)
⸻
会議室。
バサ、と資料を置く音。
私は、その音で気づいた。
誠さんだ。
スーツの袖をまくり、眼鏡を外して資料に目を通している。
“異動先の上司”ではなく、
“新しい戦場に立つ誠さん”の横顔だった。
(……この人、やっぱりすごい)
緊張しているのに、心臓だけはあたたかくなる。
「藤原」
「っ……!」
名前を呼ばれた瞬間、全部の音が消えた。
「よく来たな」
「広報代表で……来ました。資料、持ってきました」
誠さんは一瞬、柔らかく笑った。
「……助かる」
たったそれだけで、私は今日来た意味があった気がした。
⸻
会議が始まる。
統括室のメンバーは誰も余裕がなく、
資料の方向性もバラバラ。
そんな中で、私は立ち上がる。
「広報として、全体の方向性を踏まえると……
今の段階で公開していい情報はここまでです」
「ここから先は混乱を招くので、
“ブランドの思想”だけを先に固定した方がいいと思います」
部屋がざわつく。
「……このタイミングで思想を固めるのはリスクが」
「でも今の状態のまま外部に出す方が、
企業イメージに傷がつきます」
誠さんの視線が、私だけを見ている。
(……怖くない。誠さんが見てるから)
私は続けた。
「“信頼できるブランド”って言われたいなら、
まず“内部が迷っていない姿”を見せるべきです。
外に出す前に、私たちが信じてることを固めるべきです」
沈黙。
そして統括室の課長代理が言う。
「……広報の意見、もっともです。
柊さん、どうします?」
誠さんは深く息を吸って――はっきり言った。
「藤原の意見に従う」
「……え……?」
会議室がざわつく。
「広報が“迷っていない姿を見せるべき”と言ったなら、
俺たちはそれに合わせる。
信頼の基準は揃えておくべきだ」
(……信頼の基準……?)
誠さんはまっすぐ私を見る。
「藤原。
お前が“正しい”と言うなら、俺は迷わない」
(……っ……!!)
言葉が出なくなった。
会議が終わり、みんなが出ていく中。
誠さんが歩み寄ってきた。
「……お前、あんなに強かったか?」
「ち、違います……ただ……」
「ただ?」
「“誠さんの隣に立つなら、弱いとこ見せたくなかった”だけで……」
誠さんが目を細める。
「……そういうことを言われると、
お前を抱きしめたくなる」
「なっ……なんでそこでそうなるんですか!!」
「自然体だ」
「自然体を言い訳にするの禁止!!」
周りに人がいないことを確認して、誠さんは静かに言う。
「……今日、会えて良かった」
「私も……」
「明日は“3分”だ。覚悟しておけ」
「3分で何する気ですか……!」
「決まってるだろう。
“お前が不足している分を補う”。」
「補わないでください!!」
誠さんの横顔が、どこか嬉しそうに笑った。
⸻
夜。
スマホの通知が光る。
《@WORK_LIFE_BALANCE》
「“離れる前に、信じる理由を増やす”。
それが本当の準備。」
私は震える指で返す。
《@mayu_worklife》
「今日、私も“理由”を見つけました。
あなたの隣に立ちたいと思える理由を。」
数秒後。
《@WORK_LIFE_BALANCE》
「その言葉だけで、今日は眠れない。」
(……眠れないのは私もです……)
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