第13話:サプライズは突然に

「社長! 見てください、これ!」


 万城目不動産のオフィスに、碇裕美子の弾んだ声が響き渡った。普段の彼女からは想像もつかないような、上ずった声だった。その手には一枚のチラシが握られており、まるで宝くじの一等当せん券でも持っているかのような興奮ぶりだ。


「どうしたね、碇くん。そんなに慌てて」


 デスクで鷹揚に新聞を読んでいた万城目社長が、ダブルのスーツの肩を揺らしながら顔を上げた。その視線の先で、碇は深呼吸を一つすると、チラシを恭しく社長の前に広げた。


「友人の結婚式の二次会で、私が幹事をやることになりまして。それで、会場を探していたら、こんな物件を見つけたんです!」


 チラシには、お洒落なデザイナーズ家具が並ぶ、広々としたレンタルスペースの写真が載っている。ガラス張りの壁面からは都会の夜景が一望でき、どう見ても予算オーバーになりそうな豪華な内装だ。


 しかし、その写真の横には、力強いゴシック体でこう書かれていた。


『オープン記念! 驚きのサプライズ演出、全部乗せ! 今だけ限定のスペシャルプライス!』


「ほう、これはまた随分と景気のいい文句だねぇ」


 社長は顎に手をやりながら、面白そうに目を細める。


「そうなんです! しかも、このお値段! 普通じゃあり得ません! きっと何か最新のプロモーション技術とかを使ってるんですよ! ホログラムとか、プロジェクションマッピングとか!」

「なるほど、ホログラムか」


 目をキラキラさせながら力説する碇に、社長は深く頷いてみせる。


「これは一度、この目で見てみんといかんなぁ。よし、碇くん! ワシも下見に同行しよう!」

「えっ!? 社長自ら!?」

「うむ! 我が社のモットーは『丁寧、誠実、確実に!』だ。社員が使う施設とあらば、代表として安全を確認するのは当然のことじゃないかね。ガッハッハ!」


 豪快に笑う社長に、碇は感激した様子で「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。



 その頃、榎田順一郎は雑居ビルの一室に構えた自身の事務所で、校閲の赤字と格闘していた。不動産鑑定士が本業ではあるが、こうした地味な内職も彼の貴重な収入源の一つだ。


(……この作家の文章は、てにをはが滅茶苦茶だな)


 ぶつぶつと文句を呟きながら赤ペンを走らせていると、机の隅に置いた愛用のガラケーが、地味なバイブレーション音を立てて震え始めた。ディスプレイに表示されたのは、付き合いの長い別の不動産会社からの依頼メールだった。


『榎田様。至急、鑑定をお願いしたい物件がございます。例によって、少々特殊な案件でして……』


 メールに添付されていた広告のキャッチコピーを見て、榎田は本日何度目かわからない溜め息を吐き出した。


『オープン記念! 驚きのサプライズ演出、全部乗せ!』

「全部乗せ、ねぇ……」


 別の意味での「サプライズ」が満載である可能性をひしひしと感じながら、榎田は重い腰を上げた。その行き先が、偶然にも上機嫌な元上司とその部下が向かっている場所と、一字一句違わぬものであることを、彼はまだ知らない。



 件のレンタルスペースは、築浅のオフィスビルの最上階にあった。


 エレベーターの扉が開いた瞬間、榎田の目に飛び込んできたのは、チラシの写真そのままの、洗練された空間だった。床から天井まで続く大きな窓、壁にかけられたモダンアート、そして部屋の中央には巨大なパーティシンクを備えたアイランドキッチンが鎮座している。


 内装だけを見れば、非の打ち所がない優良物件だ。


 しかし、榎田の肌は、この空間に満ちる不穏な空気を敏感に感じ取っていた。まるで真夏日に冷房の効きすぎた部屋に入ったような、肌を粟立せるような寒気。そして、部屋の隅々から感じる、無数の視線。


「……なるほど。これは確かに『全部乗せ』だ」


 誰もいないはずの部屋に、歓迎されているような、あるいは値踏みされているような気配が渦巻いている。陽気な子供、気取った男、おしゃべりな女たち……。様々な種類の思念が混ざり合い、奇妙な期待感となって空間に満ちていた。榎田は小さく呟くと、鑑定用の機材が入った鞄を床に置き、ゆっくりと部屋の中を歩き始めた。


「さて、どこから手をつけるか……」


 榎田が独りごちた、その時だった。


「うわー! すごい! 社長、写真通り、いえ、写真以上に素敵です!」

「うむ! これはなかなか大したものだ!」


 背後のエレベーターホールから、場違いなほど明るい声が響いた。聞き慣れた、というよりは、聞きたくなかった声だ。


 恐る恐る振り返った榎田の視線の先には、目をハートにして部屋を見回す碇と、腕を組んで満足げに頷く万城目社長の姿があった。


「え……榎田さん? どうしてここに?」


 最初に榎田の存在に気づいたのは、碇だった。彼女は驚きに目を丸くし、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。


「いえいえ、それはこっちのセリフですよぅ……」

「おお、榎田先生じゃないか! 奇遇だなぁ、こんなところで会うとは!」


 対照的に、万城目社長は少しも驚いた様子を見せず、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべて榎田に歩み寄ってきた。その目は「事情はすべてお見通しだ」と雄弁に語っている。


「榎田さんも、パーティか何かの下見ですか? まさか、婚活とか……?」

「違いますよぅ。仕事なんです」


 あらぬ疑いをかけられ、榎田は弱々しく否定する。この最悪のタイミングで鉢合わせてしまった元同僚たちを前に、彼の額にじっとりと嫌な汗が滲み始めていた。


「仕事? ほう、そうかそうか。先生もこういう華やかな場所に出入りするようになったか!」


 万城目社長は、わざとらしく榎田の肩をバンバンと叩いた。その衝撃で、榎田の猫背がさらに丸くなる。


「いや、ですから、そういうわけでは……」

「そうですよ、社長! 榎田さんは、きっとこういうお洒落な空間の『鑑定』に来たんですよ! ねぇ、榎田さん!」


 碇が、これ以上ないほどポジティブな解釈で助け舟を出してくれた。しかし、その善意は、今の榎田にとってはありがた迷惑でしかない。


「そうなんです、鑑定は鑑定でも、ちょっと特殊な……」

「おお、そうか! やはりそうか! さすがは榎田先生だ! この物件の『サプライズ演出』の正体を見抜きに来たんだな!」


 社長はポンと手を打ち、芝居がかった仕草で榎田を指差した。その声は、やけに部屋中に響き渡っている。


「サプライズ演出……ですか?」


 きょとんとする碇に、社長は悪戯っぽく片目をつぶって見せた。


「そうとも! チラシに書いてあっただろう? 『驚きのサプライズ演出、全部乗せ!』と。榎田先生は、その道のプロだからな。どんなサプライズが隠されているのか、気になって仕方なかったんだろう。ガッハッハ!」

「そういうことだったんですね! すごい、さすがです榎田さん!」


 尊敬の眼差しを向けてくる碇に、榎田はもはや「違います」と訂正する気力もなかった。このノリのいい社長がいる限り、何を言っても無駄な気がしたからだ。


「さあ、榎田先生! せっかくだから、ワシらにもその『サプライズ』とやらを教えてくれたまえよ! どこに隠されているんだね?」

「いや、ですから社長、それはですね……」


 榎田が口ごもっていると、部屋の照明が不意にチカチカと明滅を始めた。同時に、どこからともなく、子供の甲高い笑い声のようなものが聞こえてきたような気がした。


「キャッ! な、なんですか今の!」


 さすがの碇も、突然の出来事に驚いて小さな悲鳴を上げる。


「おお! 始まった始まった! これがサプライズ演出とやらか!」


 万城目社長は、慌てるどころか、待ってましたとばかりに手を叩いて喜んでいる。


「えっ? これが……? でも、今の笑い声……」

「最新の立体音響システムってやつだろう! 壁とか天井にスピーカーが埋め込んであるんだよ。なぁ、榎田先生!」

「は、はぁ……まあ、そんなところですよぅ……」


 社長に話を振られ、榎田は引きつった笑みを浮かべるしかない。彼の目には、天井の隅で逆さまになってケラケラと笑う、半透明の子供の姿がはっきりと見えていた。照明を明滅させているのも、その子の仕業らしい。


「すごい! 本当にホログラムとかが出てくるんでしょうか!?」


 すっかり社長の言葉を信じ込んだ碇は、目を輝かせて部屋中を見回している。タイミングの悪さは天下一品だが、この純粋さはある意味、才能かもしれない。

 すると今度は、アイランドキッチンに置いてあったグラスが、カタカタと小刻みに震え始めた。そして、ひとりでにスーッとテーブルの端まで滑り、床に落ちる寸前でピタリと止まる。


「わー! 見ましたか社長! グラスが動きましたよ! これも演出なんですよね!?」

「うむ! 間違いないな! 磁石か何かを使っとるんだろう。いやはや、大したもんだ!」

「すごい、すごーい!」


 完全に二人は、最新技術を駆使したテーマパークのアトラクションか何かと勘違いしている。能天気に盛り上がる元上司と元部下をよそに、榎田の冷や汗は止まらない。

 キッチンカウンターの向こう側で、蝶ネクタイを締めたバーテンダー姿の男の霊が、気取った手つきでグラスを磨いている。先ほどのポルターガイスト現象は、この男が引き起こしたようだ。他にも、窓の外を横切っていく老婆の影や、ソファではしゃいでいる若い女性の姿も見える。


 まさに、霊体の全部乗せ状態だった。


「どうしたね、榎田先生。顔色が悪いじゃないか。さては、次のサプライズがどこから来るか、必死で探しとるんだろう?」


 ニヤニヤと笑いながら、社長が榎田の顔を覗き込む。


「い、いえ、そういうわけでは……。それより社長、碇さん。そろそろ、ここから出た方が……」


 榎田が二人を避難させようと口を開いた、その瞬間だった。

 部屋中の全ての照明が一斉に消え、完全な闇が訪れた。


「「きゃあああああ!」」


 今度ばかりは、社長と碇の絶叫が綺麗にハモった。


(第13話 了)

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