第21話 下層の掃除屋
遥か昔の記憶。
上層から下層を見渡すことのできる崖縁で、三人の子供たちが柵越しに地底世界を眺めていた。
三人ともボロ雑巾のような服を着て、痩せこけている。顔や体には炭のせいで黒ずんだ部分が所々にあった。劣悪な環境のせいで肺は侵され、もはや常に喘息のような症状が発症している。
「お腹すいたね」
子供の内の一人、まだ幼少の頃のミカが呟いた。するとその隣にいた、一回り背の高い子供——レンがミカの頭を軽く叩いた。
「そうだな。上にまで来てみたけど……何もなさそうだし、帰る?」
レンの言葉に対してミカではなく、その後ろにいた少女——アンナが答えた。
「そうしましょ……」
レンとミカはその言葉に同意して立ち上がる。
その時、ミカは何かを思いついたのか突然口を開いた。
「そうだ! ゴードンさんがあっちの方向に行けば外に出られるかもしれないって言ってなかったっけ!」
「外へ行くのはナシだ。僕達は外のことを何も知らないし、生きていくのは難しいよ」
レンの言葉にアンナも同意する。
「こんなところでも惨めなんだから、外に出たらもっと惨めよ。生きて行けるとは思えない。勝手も知らないんだから」
三人は知人で、稀に合成肉の切れ端をくれるゴードンから外の話を聞いていた。ここが元々廃棄場であったことや、外にスラムがあること、さらにその先にダストシティという巨大な都市があること。
まだ現実に絶望しきっていないミカはレンとアンナと違って、まだ外の世界に希望を持っていた。
だが、レンとアンナはミカを制止する。
外は危険だと。
当然の反応だった。
閉塞的な環境で生きていれば、外が怖くなる。
おかしいのはミカの方だ。
「帰るよ」
「わかった……」
ミカはしょんぼりとしながら崖縁から離れていく。そしてレンとアンナの二人の後ろをついていって上層を後にした。
◆
時は現在。
「ふぅ……」
座り込んで柵に背中を預けながらミカが天井を見上げていた。
その手にはマグボルトがある。
ひんやりと冷たいグリップを握り締めて、熱くなった手のひらの熱を移す。
冷えていく手のひらと共に、ミカの意識もはっきりと鮮明になっていく。
「……」
昔の記憶だ。
もう記憶は朧げで、鮮明に思い出すことはできない。レンとアンナの顔には霧がかかっているようでよく分からない。声にもノイズが走っていて、すべてを思い出すことができない。
それでも確かに、脳内に残っている。
同じ場所。
ここから柵に体を預けて地底世界を見たあの日。
煌めく地底世界の光で目が焼けるほどの輝きに包まれた日。そしてその時は一瞬で終わって、裏路地の暗闇へと身を堕した。
戻るだけ。
戻って為すべきことを成すだけ。
「……」
柵に寄りかかるミカに地底世界を一周グルリを回って来たドローンが帰ってくる。
ミカは一度ドローンの方を見てから立ち上がった。
「もう一度回ってこい」
バックパックから拡張バッテリーを取り出すとドローンに取り付け、もう一度飛び立たせる。
そしてミカは昔と同じように崖縁から離れて、裏路地の向こう側へと姿を消した。
◆
上層から下層へと移動する道は、非正規のモノを含めると数多くあるが、正規の道は少ない。
ミカはその一つに足を踏み入れる。
横幅が狭く、天井も低い。壁を這うようにパイプが伝い、幾つかは破損して火花を散らしていた。天井のコンクリートを突き破ってケーブルが垂れ下がっているし、オイルや機械油が地面に薄く膜を張っている。
ちゃぷちゃぷと音を立てながらミカが歩く。
すれ違う人はおらず、ミカの足音だけが響いた。
切れかけの蛍光灯だけが唯一の光源。真っすぐな道に等間隔で置かれている。
(……)
蛍光灯に視線を傾けて、ミカは少し息を吐き出した。
昔は完全に灯っていた。時間の経過に伴ってこの通路は幾らか姿を変えたようだ。
以前、上層へと向かう時に利用した際は地面がオイルまみれにはなっていなかったし、壁も少しだけ綺麗だった。昔までは定期的に整備がされていた道はもう使われなくなって、廃墟と化している。
これも、クレイトンが新たな王として地底世界に君臨したせいか。
「……」
いずれにしても、ミカがすることは変わらない。
子供の時に通った道を辿って下層世界を目指し、夢を叶えるだけ。
そうして、誰もいない道を少しばかり歩くと真っすぐな道に下へと繋がる階段が見えて来た。
階段の両脇にある側溝をオイルが流れ下層へと落ちていく。
壁に埋め込まれた間接照明が僅かに足元を照らすだけの階段を、ミカが下る。
一直線に続く長い階段だ。
崖縁から見下ろした時に見えた遥か下へと向かっている。
あの距離を下るのだから相応の長さと言えた。
そこからミカは5分ほどオイルで濡れて滑りやすい階段を下った。
少しずつ下層の声が聞こえ始めてくる。階段の出口が見え、明かりが差し込んでいた。
一歩、また一歩と着実に階段を下る。
そして出口に辿り着いた。
「……」
出口は鉄格子で塞がれていた。
ミカは動じることなくヴォルトハイブの引き金を引いて鉄格子をぶっ飛ばす。
下層は上層よりも機械の駆動音や人々の叫び声、銃声などが激しい。ヴォルトハイブ一発程度じゃ問題にはならないし、ミカが出て来た出口は中心街から離れた場所だ。
今、ミカの目の前には誰もいない裏路地しか見えていなかった。
階段があった方を見ると、少し整備されただけの土の地面が見える。階段はこの中を掘って作られた。崩壊の危険性もあって、今はもう誰も使っていない。
下層に入れば世界が変わる。
上層まだ新参者が多く、治安もそれなりにマシだった。排他的ではあるが直接手を下してくるほどじゃなかった。
しかし下層は違う。
ゲルグの本当の住民が住んでいる。
主に犯罪者が多数で、ダストシティから逃げて来た者やジャンクヤードのスラムを追放された者。義体化手術の失敗で神経がむき出しになった化け物。機械と肉片の融合体。
色々といるが、共通しているのはほとんどが犯罪者だということ。犯罪者ではなくても、ゲルグの下層に暮らしているというだけでほぼ似たようなモノだ。当然、ゲルグにいたミカも同類。
ジャンクヤードのスラムでも生きて行けないようなのけ者。
それで構わない。
目的が果たせるのなら。
マグボルトと拳銃の動作確認を済ませ、ヴォルトハイブをバックパックに突き刺す。
そして下層へと足を踏み入れようとした瞬間、横道から一人の男が姿を現した。
額に義眼を入れた三つ目の男。
両手は義手。恐らく展開式の武器が格納されている。
足の腱には人工腱が組み込まれ、人体を越えた出力を可能としている。
醸し出す雰囲気からミカは相手が誰なのか察した。
「
ゲルグで殺人の依頼を請け負う傭兵。彼らは
以前、ゲルグにいた時はミカも同じような仕事をしていた。
「依頼者は」
ミカが問いかける。しかし相手は問いに応えない。
「一歩、そこから進むのならば抹殺する」
男はミカと目を合わせる。
「一度去った者が再び足を踏み入れることはできない。お前は下層の秩序を乱し、災いを持ってくる」
ゲルグに秩序なんてない。
あるとしたらつまらない慣習ぐらいなもの。
「つまらねえ慣習も秩序も、ぶち壊してやるよ」
「……返事はそれでいいな」
「どうせお前以外にも
ミカが左手にナイフを持ち、右手にヴォルトハイブを持つ。
「時間が足りねぇよ」
その瞬間、男は地面が抉れるほどの瞬発力を発揮しながら、一気にミカとの距離を詰めそのままの勢いで横一線に蹴りあげた。
ミカはそれをしゃがみ込んで避ける――と同時に、男の肘に格納された鎌がミカの頭部に向けて展開された。
しかし、ミカはそれよりも早くナイフを肘に突き刺している。
ナイフによって展開するための機構が破壊され鎌は飛び出さない。
焦る男の顎下にゆっくりとヴォルトハイブの銃口が向けられた。
顎下に冷たい感触が走る。
そして僅かな風圧を感じた瞬間、撃ち出された弾丸が男の頭部を木っ端みじんに吹き飛ばす。
飛び散った男の脳髄や肉片が花を咲かせた。
ミカは男の体を片手で持ち上げて笠替わりに降って来る肉片を防ぐ。
そしてあらかた落ちてきたら肘に刺さったナイフを抜き取り、ミカは歩き出す。
「……」
っと、思い出して立ち止まる。
「どうせ見てんだろ」
振り向いて壁に設置された監視カメラを見る。
クレイトンは下層のシステムのすべてを掌握しているはずだ。カメラからミカの姿を確認している。
「今そっち行くから準備しとけよ」
カメラの先にいるクレイトンに向けて、ミカは弾丸を放った。
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