34.
拠点とする村が変わった。
そのことについて、提案された時二つ返事で答えて、新しい場所についてわくわくした。このメンバーで新しい土地へ行くことは楽しみだった。
――告げられた拠点とする村が、こっちの地方でなければ。
(でも、まだきっと大丈夫。まだ遠い。ここはまでは――……)
コンコン、とドアが叩かれる音にびくりと肩を跳ねさせ、ロクは慌てて音に振り返った。そこにはいつの間にドアを開けられていたのか、アルガの姿があった。
「鍵……掛かってなかったけど、少し不用心じゃないかしら」
「あ……、あはっ、慣れてない土地だったから忘れちゃってた! どうしたのアルガちゃん、こんな夜に~」
今はもう、すっかり日も暮れた夜だった。
武器屋に立ち寄ったあとは、一度ギルドの温泉に入ってみようとみんなで入りに行き、その帰りにクエストの資料をいくつか貰ったところで「明日話し合おう」と解散している。
アルガが訪ねてきたのは、ロクが荷ほどきをしている途中のことだ。
「……私が玄関を開けたのにも気づかないくらい、何を考えこんでいたのかしらね」
「え?」
ふと息を吐きながらアルガに言われたことに、表情を崩さないよういつもの笑みを浮かべながらロクが首を傾げれば、アルガはドアから内側へと入り、鍵をガチャリと掛けた。
「一応ね……、他の人には聞かれたくない話になるかもしれないから」
「何が……」
「聞かないとずっと言わなさそうだから、単刀直入に聞くことにしたの――――この村に居ることで、マイちゃんが記憶を戻す可能性がある?」
聞かれたそれにロクは息を飲みこんで、目を伏せると首を横に振る。
「あたしは……、マイちゃんじゃないからそんなこと分かんないよ……」
「まあ、そうよね。でも、ずっと疑問に思ってたけど、ロクはやっぱりそうなのね」
「えっ?」
「マイちゃんに、記憶を戻してほしくないんでしょう」
それだけ言うと、アルガはつかつかと室内を歩き、備え付けの家具である椅子に腰かけて足を組んだ。そうして、「立ち話も何だからあんたも座りなさい」と言われたことに、ロクは大人しく従いアルガの向かい側に腰掛けた。
「ロクはあの日――……ベンがエルレ村に訪れたあの日に、マイちゃんの過去を知ったんでしょう? そして、マイちゃんの過去が良くないものだったっていうのも分かるわ。あなた、ベンにマイちゃんをパーティに入れるなって言われたんでしょうから」
「何でそれを……ベンお兄ちゃんが何か言った?」
「いいえ、何も。言われてはないけれど、あの日ベンは私の前に太刀を背負って現れたの。しかもマイちゃんはベンに出会ったと言ってたわ。それだけで予想はつくでしょう」
話しながらアルガはテーブルの上に置いてあったアルコールランプに火を点け、ロクに目を向ける。暗くて見え辛かったロクの顔を見て、浮かべているその表情にアルガは「はあっ」とため息を吐いた。
「それからベンはずっとマイちゃんのことを監視していたでしょう。マイちゃんには気付かれないように……けど、私に気付かれるのは構わないっていう風だった」
「……………」
「そうすることで、ベンは私にマイちゃんのことを危険視して欲しかった。違う?」
「……ベンお兄ちゃんは、多分そうだったんだと思う」
「今まで私が詳しく聞かないでいたのは、ロクから話してくれるのを待ってたからよ。でも、もうこれ以上は待てない。マイちゃんがどんな経緯でここに居るのか、それはどうしても言えないことなの?」
聞かれてロクは一度口を開けたが、すぐにぐっと息を飲みこんで首を横に振る。そして、動揺を落ち着けるようにすぅっと目を閉じた。
「……それはきっと、マイちゃんが望まないことだから、あたしは言えない」
「ロクが言わなかったことで私たちに何かあったとして、それもマイちゃんが望まないことなの?」
言われたそんな言葉にロクは目を見開いて顔を上げ、アルガを見つめる。どういう意図でそれを言ったのか、読み取りたくてアルガを見たロクだったが、それは経験の差だろう、アルガの表情や様子からは何も分からず、ぐっと眉を顰めた。
「……アルガちゃんはもう、何か知ってるの?」
「いいえ、何も知らないわ。だた、貴方にもベンにも言ってないことはあるから」
「言ってないこと……?」
「ええ。エルレ村でね、マイちゃんはヴェリスと関わって、友人になったの」
「え……? ヴェリスって、あのヴェリス・デイ=カディネットのこと?」
「そうよ。ロクの家も何度かヴェリスに依頼をしたことがあるでしょう」
「ハンターとしてランス使いの中でも、最強って有名な……」
「ええ。で、あいつ私と昔からの友人なの」
「何でそんな人がマイちゃんと、」
「エルレ村に居る時、あんたが生家に帰るからって少し長めの休息日を取ることが何度かあったでしょう。その時だったわ、ヴェリスがたまたまエルレにやってきて、マイちゃんと行動を共にして、その過程でマイちゃんとも友人になったみたいでね」
言って、ふと息を吐いてからテーブルに肘をつき、その手に顎を乗せてアルガはロクを見つめる。
「――ヴェリスは、マイちゃん並みにいい奴で、ヒーロー気質な奴で、ヴェリスから声をかける人っていうのは行き詰ってるような人なの。そんなヴェリスが、自分からマイちゃんに声を掛けたんですって」
「え……」
「で、この村に来ることが遅れた理由のクエストだけど、私はヴェリスに手伝ってもらったから早く終えることができたのよ。その時ヴェリスにマイちゃんのことを聞かれたし、ヴェリスがマイちゃんに対して思ったことを色々と聞かせてもらったわ」
「何を……言っていたの?」
「マイちゃんは多分、どこかから逃げて来たんだろう――、て」
伝えたその言葉に、ロクの身体がぴくりと反応したことを、アルガは見逃さなかった。
「それから、彼女は自ら自分の記憶に蓋をした可能性が高い、ともね。ヴェリスは私が引くほどの八方美人で、そんなヴェリスがどうにもマイちゃんのことを気にかけてるから、マイちゃんの過去が何かしら後ろ暗いんじゃないかって思うのは当たり前でしょう」
「そっか……」
「ねえ、これでもマイちゃんの過去について教えてくれはしないのかしら?」
問い詰めるようにして、アルガはロクのことを睨んだが、ロクはただ小さく「ごめんなさい」とだけ零した。そのまま沈黙が流れたことに、アルガは「はあっ」とため息を吐いて、ロクを睨むことを止めた。
「まあいいわ。私は自分の目で見たものしか信じないし、今私たちの目の前に居るマイちゃんのことがとても好きだから」
「うん……あたしも、そうだよ」
「ただ、一つだけ聞いてもいいかしら。ロクは、私にして欲しいことは何もないの?」
一人で抱え込まなくていい、私を巻き込めと言っているのだろうアルガの言葉に、ロクは泣きそうな笑みを浮かべてから首を横に振って見せた。
「アルガちゃんは……アルガちゃんのままで居てくれれば、それでいいよ」
一貫して変わらないロクの意思に、アルガは小さく「そう」と息を吐いて席を立った。
「夜更けに邪魔しちゃってごめんなさいね。自分の部屋に戻るわ」
「…………」
「おやすみ、ロク」
「うん……おやすみ、アルガちゃん」
「戸締りはちゃんとしなさい」
「あはっ、うん」
アルガが去り、ガチャリと鍵を掛けた部屋の中でロクはとぼとぼとベッドまで歩き、ベッドに腰掛けた。
自分を心配してくれるアルガの顔を思い返して、ロクは小さく「ごめんなさい」と零して、ぽたぽたと涙を流した。ただ、アルガに申し訳なかった。マイの過去を伝えていないのは、完全なる我儘であったから。
けれど、その我儘を貫き通してでも、伝えてはならないと思っている。
誰も知らなくていい、こんなこと。マイ自身にも、伝えてはならないと、そう決めた。
「……ベンお兄ちゃん」
呼べば室内にこつりと足音が響き、ベンは姿を現した。アルガは気付かなかったが、元よりベンはロクの部屋の中に、気配を消して存在していたのである。
呼ばれたことにベンがロクの傍に寄れば、ロクは涙を手で拭ってベンを見上げた。
「確か、ベンお兄ちゃんはヴェリスって人と知り合いだったよね」
「ああ」
「どんな人か教えて」
「……アルガの言っていた通りの奴だ。ただ、付け加えるとしたら――気になることは突き止めてしまうような奴でもある」
付け加えられたそれで、おそらくヴェリスがマイのことについて探っているのだろうと予想でき、ロクはぐっと眉を顰める。
「そうなら――……口止めをして欲しい。マイちゃんの過去を突き止めてしまっていたら、それを誰にも言わないようにさせて」
「……了解した」
ロクの命を受け、部屋から出て行こうとしたベンにロクは息を吸い込んで、「ねえ」と問いかけた。
「ベンお兄ちゃんの中で、マイちゃんはまだ危険因子なの?」
それにベンは玄関のドアノブに手を掛けたまま動きを止めて、小さくぽつりと答える。
「……過去の記憶を戻していない以上、そうであるとしか言えない」
そんなことを吐いて、ベンは姿を消した。残された部屋の中でベンが言い残して行った言葉に対して、ロクは小さく「何それ」と嘲笑する。
マイが記憶を取り戻したとしたら、考えられるマイの行動パターンは二つだけ。
一つは、記憶を取り戻したことで元の記憶を忘れて、過去の人格にマイが戻ってしまうこと。そうなれば、きっとベンは完全にマイのことを危険だと判断して、排除しようとするだろう。
もう一つは、マイがマイのまま記憶を戻すこと。もしそうなれば、マイはきっと自らこのパーティから去ってしまうことになるだろうと予想できた。
――どっちのパターンだとしても、マイが居なくなってしまうことには変わりない。そして、ベンの先ほどの発言はそういう意味だった。
「あたしは……マイちゃんと、離れたくないよ」
そうは言っても、結局ロクにできることなどそれを隠すだけのことであり、何もできない自分にロクは酷く嫌気が差した。
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