28.
翌日、アルガの指示に従い、マイはノアールの借家へ向かうこととなった。そして、マイがノアールの家に向かったのは、実はこれが初めてのことである。
パーティを組んでから、多くを共に行動をしていたが村に戻れば当然各々の家に帰って行き、クエストの打ち合わせは基本ギルド内の共用スペースか、そこから近くの食事処か、メンバーの家を使うにしてもマイかアルガのどちらかの家であった。そのためお邪魔したことはなく、昨日ノアールからもらった手書きの地図を頼りにマイはそこへ向かい、とある家のドアの前に立つ。
作りは自分が住んでいるハンター用の借家と同じ作りの建物で、そういった建物がいくつか立ち並ぶ中の、とある玄関のドアをマイは叩いた。すると、ドアの中から「はいっ、はい、はい!」と言う聞きなれた声と共に、ばたばたとした足音が聞こえ、マイが叩いたドアはガチャっと音を立てて開かれる。
「いらっしゃい、マイちゃん! 待ってたよ~」
中から姿を現したノアールは、マイと目を合わせるといつもの人懐っこい笑みを浮かべた。対してマイは何故か、「あ、ああ」とぎこちない返事だったため、ノアールは「どしたの?」と首を傾げる。
「いや、その、髪、が」
「かみ?」
「髪型が……いつもと違うから、少し、驚いただけだ……」
狩りの時、ノアールはいつも高い位置で髪を一つに束ねているのだが、今日は横に流すように低い位置で髪が束ねられていたため、休日スタイルとでも言えばいいのか、そんな姿をしたノアールを見るのもマイは初めてだった。
「ああ、オレ休みは大体こうだよ〜。人と会わないなら縛らなかったりだけど、とりあえず縛らないと爆発しちゃうから~」
「へえ……」
「なんかいっつも顔合わせてる気がしてるけど、そういや休みの日に会うの初めてだっけ? ま、とりあえず入って入って!」
何となく、あれから――自分がノアールに恋をしていると自覚してから、マイはノアールと二人きりになるのを避けていた。そしてそれは、おそらくアルガには気付かれていたのだろうと思う。そうでなければあの時、アルガがまるで「いいことを思いついた」というような顔を、わざわざ自分にしてくるはずがないのだから。
自覚してしまってから、自分がノアールに目を向ける回数や時間は、明らかに増えてしまったと思う。それはノアールに気付かれてはいないだろうけれど、こんな状態だというのだから二人きりになるのは本当だったら避けたかった――と、そんなことを思いつつ足を踏み入れたノアールの家の中に、マイは思わず絶句した。
玄関で足を止め、固まってしまっていればノアールは「マイちゃん?」と顔を覗き込んでくる。ただ、今はそんなことよりもそのノアールの後ろに見える部屋の中に、ただただ言葉を失った。
「ノアール、お前……」
「んっ?」
「よく三日で片付けると言えたな……?」
一言で言えば、足の踏み場がなかった。いや、正確には部屋の中へと続く導線は見えているのだけれど、逆に言えばそこ以外の足の踏み場はないくらいに物があったのだ。おそらく部屋の間取りは自分が住んでいる部屋と同じだというのに、物のせいでかなり狭く感じる。以前、打合せに使う場所をロクが「ノアールの家は~?」と言ったことがあり、それにノアールは「オレの家は無理だよ〜」と笑っていたが、文字通りこれは無理だなと思わざる負えなかった。
決して汚いとか、いや、物がまるでない自分の家に比べればそれは汚いのだけれど、ノアールの家を埋め尽くしている大部分はハンターの装備であったり、紙束や、たくさんの本である。
「というか、何か、本の量すごいな……?」
「そ~! だからちょっと片付けるの大変でさ~……」
「……ベッドが見当たらないが、お前いつもどこで寝てるんだ? ハンター用の借家なら備え付けのベッドあるはずだろ」
「へ? 何か、その辺。ベッドは暫く使ってないなあ」
気になって聞けば返ってきたのはそんな言葉であり、指差されたその場所はタワーのようになっている本たちに囲まれてできている、クッションの置かれた謎の空間だった。
「お前いつか本に押しつぶされて死ぬんじゃ……」
「オレもそう思う〜! 実際何度か埋まったことあるしね~」
笑いながら言われたことに、笑いごとじゃないと思いつつ、マイは小さく「すまない」とノアールから少しだけ目を逸らす。
「へっ? 何が?」
「正直言って、お前が本を読む人種だとは思っていなかったからかなり驚いている……」
「え、普通に酷い。まあ~でもオレが読んでる本って小説とか、そういうんじゃないけどね~」
そうして、「とりあえず本どうにかしなきゃだから、外の台車に本だけ運んでもらえる?」と近くの本を拾い上げるノアールに倣って、マイも近くにある本を手に取り拾い上げて行く。マイが最初に手に取った本のタイトルは「モンスター大全」、次に取ったのは「高原の草花」、「砂漠の遺跡」、「モンスターと歴史」………目に映るタイトルはそんなものばかりだった。
「……図鑑や、歴史書ばかりだな」
「ああ、うん。オレさ、モンスターの生態とか、それに伴った歴史とか……そういうのがすげー好きなんだよねえ」
「ああ、何となくそれはまあ、気付いてた」
言いながら、マイが思い返したのはフィールドでのノアールの姿。討伐対象を前にしていない時は、常に辺りをキラキラとした目で見まわして、たまに見かける討伐対象ではない大型モンスターを陰から見て、「わあ〜っ! すごいすごいっ! あいつあんなことするんだね!」と少年のように目を輝かせることは少なくない。
それを見てマイは、「モンスターのこと好きなんだなあ」と勝手にぼんやり思っていた。
「もしかして……お前がハンターやってるのも、それでか?」
「うん、そう! 前さ、オレに四分の一竜人族の血が流れてるって言ったの覚えてる?」
「ああ」
「実はオレの両親はさ、オレがこーんなちっちゃい時にモンスターに襲われて死んじゃったんだけど、それからオレは竜人族のじーちゃんに引き取られて、竜人族の里で育ったんだよねえ」
急に言われたノアールの過去に、マイが思わず「えっ……」と暗い声を出してしまえば、ノアールは「あーあー両親死んじゃったのオレ覚えてない時の話だから! 気にしないでっ」と慌てて言い、マイと目を合わせるとにこっと笑う。
「んで、竜人族ってさ普通の人たちと比べてかなり長命だから、結構独自の文化とか技術持ってて……その中の一つにモンスターの観測を生業にしてるってのもあって」
「あ、ああ」
「オレのじーちゃんはモンスターの観測隊を編成してて、ちっちゃい頃からオレはそれについてってたんだよねえ。ほら、たまにフィールドで気球飛んでることあるじゃん? あれが正にそうなんだけど」
「ああ、そうなんだな……」
気にしたことはなかったけれど、確かにそれを見かけたことをマイはあった。そして、それに対してよく手を振っていたノアールのことも覚えていて、あれは知り合いに手を振っていたんだな、と思う。
「オレ、今もたまに観測手伝ってるんだけど元々は観測隊に居てさ……で、途中からもっと目の前で見たいなあとか思い出しちゃって。じーちゃんにそれ言ったら、ハンター業勧められたんだよね~で、今に至ると!」
「観測隊からハンターって……大変じゃなかったのか? 身体づくりとか」
「んにゃ、そんなに。何かじーちゃんに昔からめっちゃ鍛えられてて、太刀の扱いも教えてもらってたから結構すんなりハンターになれたよ」
「ふうん……そういえば、ノアールはどういう経緯でアルガたちとパーティを組んだんだ? 最初から一緒だったわけじゃないんだろう?」
「あ、オレ? オレはねえ、ロクちゃんに誘われたっていうか、何というか……」
「ロクに?」
「火山でさ~鉱石掘ってたらいつの間にかロクちゃんがオレの横に並んでて? で、手持ちのピッケル全部壊れちゃったときにそれ気付いて、ロクちゃんと目が合ってー、要る? って聞かれて、ピッケル分けてもらって、その後アルガちゃんのとこ連れてかれて、そしたらアルガちゃんモンスター討伐してて。そもそもロクちゃんが鉱石採取のクエストじゃなくて、モンスター討伐のクエストに来てたのにアルガちゃんとはぐれちゃって迷子だったっていうね。で、そのままよく分からん状態でオレも討伐に加勢して、討伐し終えたらアルガちゃんはロクちゃんにどこ行ってたのー! って説教始まっちゃったから、まあオレは拠点戻るかなってそっと離れようとしたんだけど、ロクちゃんに突然腕掴まれて、この人パーティに入れよう! って言われたんだよねえ」
「ええ……」
「んで、まあそんなこんなでパーティに加入したのさ。ちなみにオレがアルガちゃんたちとパーティ組んだのってマイちゃん入ってくる半年前くらいだからね、前に言ったことあると思うけど」
「えっ? そうだったか? ……随分仲がいいから、もっと長く組んでるのかと」
「そだねえ。ロクちゃんとは妙に馬が合って? なんかすぐ仲良くなったんだよねえ」
そうして、ノアールの話を聞きながら、本を運び出せば部屋の中にあった三分の一くらいの本で用意されていた台車は埋まってしまった。
「運び出したはいいが……どうするんだ? これ」
「ん? 売れるものは売っちゃって~残りはどこかに寄付かなあ」
「全部手放すのか?」
「まあ……だって、どこ行っても大体こうなっちゃうし。本に関しては途中であきらめた」
「ああ、なるほど……」
「じゃあオレちょっと昨日話付けといた商人のおばさんとこにこれ運んでくるから、マイちゃん続きで本運び出しやすいようにしといてもらってもいい?」
「ん? わたし一人で勝手にいいのか?」
「へっ? いいよ? じゃ、オレ行ってくるね~!」
そうして躊躇いなく、台車を引いてその場から去って行ったノアールの背を見届けて、マイは苦笑を浮かべる。
あまりにも仲間として信頼されすぎているなあ――、と。
*
「――今日はここまでかなあ」
「だな……しかし、夢にも思わなかったよ」
「何が?」
「――本の片付けだけで一日終わるとは」
マイの言葉通り、ノアールの引っ越し作業の一日目は本当に本の片付けだけで終わってしまったのだった。ここエルレ村の標高は高く、日の入りが遅いというのにも関わらず、それが終わったのは辺りも真っ暗になった頃である。キリがいいところまで、せめて本を片付け終わるまで、何て言っていたら昼から始めた作業だったが、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「オレは今日で本の片付け終わらないと思ってたからすごいと思うよ!」
「一人じゃあ終わらなかったろうな……これは昼からとか言ってないで、朝から作業した方がよさそうか……」
マイとしては、次向かう村から「早めに来てほしい」という要望があったため、少なくとも三日後にはこのエルレ村から旅立とうという算段であり、ノアールの引っ越し作業も三日あれば終わるだろうと思っていたため、自分の建てた予定に合わせるべくマイがため息混じりにそんなことを吐けば、ノアールはそれに「う~ん」と悩ましい声を上げた後、何かを閃いたように「あっ!」と声を上げた。
そして、ノアールが思いついたことは禄でもないことだった。
「じゃあマイちゃん、泊まってく?」
「……は?」
「ほら、もう真っ暗だしさ〜。明日も手伝ってくれるんなら、移動の手間省けるよ」
「おま、はっ? 何言ってるんだ? 同じ部屋で一緒に寝るって言ってるのか?」
「へ? うん。ほら、本片付けてくれたからいつものテントより大分広いし!」
動揺のあまり逆に淡々とした口調で言った自分の質問に対して、ノアールは「だから大丈夫っ!」と表情でも言ってきたため、マイは更に動揺した。ノアールの言った「いつものテント」とは、狩りの時に移動の道中で野宿をする時のことを言っているのだろうと分かったが、状況があまりにも違いすぎると思う。当番制で四人の内の二人が寝て、二人が起きているという体制を取っているため、自分とノアールがペアになり夜通し起きていることも、同じテントで並んで寝ることも確かにしているが、「違うだろう」と声を大にして言いたかった。
言うなれば、狩りへの道中は「仕事中」の話であり、今は仕事中でも何でもない、完全にプライベートの時間である。だというのに、そんな提案をしてきたノアールにマイは勝手に「こいつモテないんだろうな」と内心思い、重々しいため息を吐いた。
「……ノアール、お前恋人とか居ないのか?」
「まさかっ、居ないよ〜! 居たらその子に手伝ってもらってるし〜泊まってく? なんて言わないから~」
「そういう考えはあるのに、わたしは泊まっていいんだな……」
「へっ? いいよ? マイちゃんだもん」
首を傾げて無邪気な顔で答えてくるノアールに、マイは最早挑発されているような気になり、ふっと力のない笑みを浮かべる。
「――分かった、泊まって行ってやろう」
「わ〜ホント!? じゃあオレ飯作るから、マイちゃんお風呂どうぞ! 着替えオレの服だけど、いいかなあ」
「もういいよ……お前の好きにしてくれ……」
「じゃあこれと、これでいいかな。はい、着替え! かなり埃被ってるだろうから、流して来るといいよ~」
「……そういえば、お前猫は雇ってないのか? 獣人族」
「ないねえ。雇わないままここまで来ちゃったから、もういいかな~と思って」
一応の確認で聞けば、返ってきたそれに「本当に二人きりじゃないか」と思うものの、ノアールの言葉は全部が全部裏などなく、言葉通りの意味しか持っていないことに、マイの頭は痛くなり出したのだった。
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