第3話

 仕事扱いになったので、僕はスーツを着て電車に乗った。

 朝から都心とは反対側へ行く電車に乗るのは新鮮だった。大学へ通い始めたときの気持ちに似ている。

 ――思えば、僕の人生ののピークは、初めて大学へ向けて自転車を漕ぎ出すあの瞬間だったように思う。


 例の封筒には、電話番号もメールアドレスも書かれていなかったけど、住所だけは書いてあった。

 そこまで遠くはなかった。電車で2時間とかからない。封筒を前に、唸りながら理由を考えるってのもいいが、時間は有限。僕は給料が高いことよりも、残業がない方を優先する質。時は金なり。

 結論として、僕は時間を無駄にしないために、差出人に会って、封筒の意味を直接聞いてみることにしたのだ。


 平日の昼間とあって、駅の人通りはあまりなかった。

 向かう先は住宅地なので、歩くほどに人は減っていった。

 長く緩やかな坂道。夕方、会社帰りの戦士たちが肩を丸めて、この坂を登ってくる様子が目に浮かんだ。


 住所をスマホに入力し、道案内と音楽を聞きながら歩いた。――10分くらい迷った。


 たどり着いたのは、ここらに似つかわしくない、少々古い一軒家だった。小さな庭と、錆びついた門扉。庭の木はあまりこまめに手入れはされていないように見えた。


 インターホンを押した。


「はい」


 女性の声だった。


「マル・ファイン株式会社の者です。弊社に送られた封筒について、お話を伺いたくお邪魔いたしました」


 インターホンはしばらく沈黙し、


「マルファイン? ですか?」

「えっと、ご存じないですか?」

「ええ、すみません」


 わが社に心当たりが無いらしい。

 自分で封筒出したのに? それとも、この人じゃないのか、封筒を出したのは?


「差出人に『来栖佳代子』とあるのですが」


 はっと息を呑むのが、インターホン越しでも伝わった。


「今開けますので」


 5分と待たずに、門扉の向こうでガラガラと引き戸が空いた。出てきたのは30歳くらいの女性だった。


「こんにちは。来栖佳代子さんですか?」


 僕が聞くと、女性は泣き出しそうな顔をした。僕は慌ててすみません、と口に出しかけたがそれよりも早く、


「佳代子は、私の母です」


 と女性は言った。


「それは、失礼いたしました」

「封筒について聞くために、わざわざいらしたんですか?」

「――ええ、まあ、会社もサボれるので」


 僕が冗談めかして言うと、女性はいくらか表情が和らいだ。僕はホッとした。昔から、泣き顔は苦手だ。


「どうぞ」


 僕は玄関のところで話を聞く予定だったけど、女性がどうしてもと言うので、あがらせてもらうことにした。


「もし差し支えなければ、お線香を上げていってください」

「あの、誰かお亡くなりに?」

「ええ、母がつい先日」


 僕はお悔やみを言って、深く頭を下げたけれど、頭の中は別のことを考えていた。


 ――封筒の差出人は、死んでいた。


 普段は湖面のように静かな心臓が、珍しく鳴った。

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