第10話

アイドルではなく役者として求められることが増えてから、苦手だったバラエティ番組の出演もそこまでの苦手意識が無くなった。


私は無意識のうちにその場に適応した人間を演じていた。

以前会った時よりもトーク力が上がっているとか、もっとうちの番組に出て欲しいとか、関係者の方々から実際にそのように言われるから、私の無意識のスイッチングは良かったのだと、偽りで自信を持つことが出来た。


偽りの仮面には代償が発生する。偽りに偽りを重ねた1日を乗り切り、全てのストレスをあの女に行為としてぶつけ、最愛の人が待つ家に帰るのだ。



「もう行っちゃうの?あきちゃん」



私の古参ガチオタクであり、みのりの元セフレ。みのりの過去を晒さないことを引き換えに、私は椿リサの性欲の発散道具として己の身を提供している。


椿リサは腹部を擦りながら、ことが終わったのに下着は身につけたものの服は着ずに、ベッドの上に寝転がり、本人は恐らくまだ私を誘っている。

会う回数を重ねる度に話し方の語尾が丸くなるような、ねっとりとしたような質感の話し方をしてくる。心底気持ち悪い。


でも、それでも今日はやりすぎてしまった。


彼女が腹部を擦っているのは痛いからだ。本人はされる方が本望なのか、痛いはずなのに厭らしく笑っている。



赤黒いものとぬらぬらした感触。



私は普段ネイルをしないし、爪は伸びていないから傷つけることは無いはず。爪の長さはそういう行為をする際は気をつけることであって、私はただ力を込めすぎただけだった。

そして椿リサも私の力が強かったことを分かっているし、血が出たことも私が伝えたけど、それでも続けてほしいと言ったのは彼女自身だった。


私のものでもみのりのものでもない鉄っぽい匂いと、手首まで赤く染った自分の手は心底吐き気がして、ホテルに備え付けのハンドソープをこれでもかというくらい使い、何度も洗った。



私の手から血の匂いが消え、服を着直して、やっとみのりの元へ行ける。



「ねぇあきちゃん、行かないで」

「腹痛いなら病院行く?悪かったね、ごめん。医療費なら出すから、領収書よろしく。」

「あきちゃん、私」


「一回やればいいって言ったの、あんただよね?」



部屋を出ていこうとする私を椿リサは何度も呼び止める。はぁ、本当にうざい。



「もうこんなことお願いしないから…、少し聞いてほしいの。」



下着姿のままベッドから降りると、腹部が痛むのかゆっくりとした足取りで私の元へ近づいてくる。こいつのことだから今度は何を言うか分からない。何も信じられないし、信じない。



「そこで止まって。」



万が一、私に近づいてもう一回するとか言い出されたり手を出されたりするのは嫌だから、歩くと五歩ほど、手で触れることの出来ない距離で彼女が近づくのを止めた。



「今日はもうやらないよ」

「大丈夫。そういうことじゃない。」



意外にもあっさりと否定された。


下着姿でその場に立ち尽くす椿リサは、細身だが骨張った印象がなく、出るところは出ていて、足が長い。セクシー系アイドルを名乗るだけあって男性に好かれそうな魔性の女って感じの印象を受ける。


姿形は人を虜にするそのものなのに、今私に向けられている表情は私のオタクである時の表情とも違う。



近しいといえば、中学生の頃。私に向けられた表情に今の彼女の顔つきが似ている。顔が似ているというよりも、顔に出ている感情が似ている。



「もう、こんなことやめるから。やめるから……」

「ありがとう。これでみのりとの時間も増やせるし、仕事もレッスンも稽古もスケジュールもっと詰められるよ。で、何?」



私は椿リサに優しくする気はない。


逆に追い打ちをかけるような言葉を投げた。返答が遅い。私は俯き気味の彼女をじっと見つめる。彼女が言いたいことはもう想像がついているし、なぜそうなってしまったのか、感情の変化にやはりM気質なのかと確信するだけだ。



「早くしてくれる?もう帰りたいんだけど。」



みのりのことを晒さないことを引き換えにこういう関係になることを契約した時の威勢の良さはどこへ行ったのか。勢いが良かったのはあの日だけで、その後はただのか弱い少女みたいだった。いつ、どのタイミングで、不思議だ。私だったら少なくともそういう相手にそういう感情にはならない。



「早くして」


「…嫌なら嫌でいいから、はい」


「んじゃ、嫌だ。無理。あんたの言いたいことなんて分かってる。早くしろよ。」



快楽は好きなくせに、感情面は初心な様子だ。全裸でいるよりも、自分のそういうところを晒すよりも、平仮名でも漢字でもたった二文字の言葉を言う方が恥ずかしいみたいだ。


面白い一面もあるなぁと、イライラするのも疲れてきて脳内で別のものに変換して、彼女が口を開くのを待った。殴りかかる前の応急処置だ。



「…あきちゃんが好き」

「ありがとう、これからも応援して」


「ちが、くて、恋愛として好きです。」



人が気を使って解釈を変えてあげたのに、それを自分で訂正してきた。


「さっきも言ったけど。無理。」

「うん。分かってる。」


「わざわざ言わなかったら、この関係続けられたと思うけど?私は続けなくなってありがたいけど、そっちはどうなの?セフレでも見つけたの?」


私の問いに首を横に振った。続けてボソボソと呟き始める。


「これで、終わり…だから」

「は?」



体の関係をみのりのことを引き換えに自分から提案したくせに。告白して自分だけ楽になりたいのか。


「もう私アイドルも辞めるの。」

「ちょっと意味が分からないんだけど。」

「正確には"解雇"」


想像よりも深刻なことになっていて驚いた。落ち着いてきたのか私の目を見て諦めの入った穏やかな表情で話を続けた。



「だからこうやって直接会うのは最後。私はあきちゃん推しのただのオタクの中の一人に戻るから。」




穏やかな表情の瞳の奥に悔しさを滲ませていた。アイドルとして真っ当とは言えないし、間違った道を辿ってしまったことは今から変えられることではない。正直、業界人には見つからないだけで犯罪紛いのことをしている人だっている。



「マネージャーが私を売ったの。自分には否がないように。…まぁ自業自得だけど。」

「Devil glowは……リサはどうするの?」



彼女が目を丸くした。次の瞬間、顔が綻んで静かに涙を流した。



「アイドルは、元々やりたくなかったの。…だから、あきちゃん推しになったのかもしれないな。」

「私がアイドルっぽくないってこと?」

「まぁ、そういうところかな」



少し馬鹿にされた気がしたけど、…スルーしておくことにする。



「私、女優になりたかったから。」

「事務所変えて今からでも」


「だって敵わないんだもん。あきちゃんには、敵わない。」

「私?」


「敵わないからこそ、推しなの」



私には分からない感情だ。そもそも私は推しとかそういうものが出来たことがないし、自分から望んでこの世界に入ったわけではない。みのりが作ったレールの隣を少し下がった位置でそのまま並走していただけだったからだ。



「自分の世界に入り込んで、何かに憑依したみたいに顔つきが変わって、見とれるの。あきちゃんはこちらをきっと見ていないのに、惹き付けられるの。凄い子だ、この子には絶対敵わないなって……最初のライブを見た時から思ってた。その時点で私は分かった。自分はここにいるべきじゃないって。」



もしも椿リサがアイドルではなく、最初から女優の道を歩めていたら。私と出会っていなければ、少しデビュー時期がずれていたら、同性でなければ……もしも、を考えてしまう。


ただ夢を追って、きっと純粋に夢を叶えたくて頑張ってきたのだろう。


「もう行かなきゃだよね」


手で涙を拭い、無理矢理笑顔を作る。余裕そうな色気のある笑顔ではなく、あどけない少女の笑顔で。


「アイドル向いてると思うよ。女優よりも、たぶん。」


そんな可愛らしい笑顔が出来るのなら、きっと彼女の転職はアイドルなんだと思う。もう誰かの前で歌うことも踊ることもないアイドルは私の言葉にボロボロと涙を流して、それでも笑顔だった。


私は彼女に背を向け、部屋を出る。



「……名前、呼んでくれて、ありがと」



後ろを振り返らず、私は扉を開いた。






────────────────────

次の日。Devil glowの公式SNSにて。



『椿 リサ 脱退のお知らせ』



脱退理由はコンプライアンス違反という、昨今のこの業界の引退などでよく出てくる言葉で片付けられていた。

"卒業"ではなく"脱退"。卒業公演もなくDevil glowの中心メンバーがいなくなったことは私たちのグループにも衝撃を与えた。

特に一緒に仕事をすることが多かったみのりは過去のことはさておき、かなり驚いた様子だった。みのりも私も椿リサの連絡先を知っていたが、事務所携帯だったのか気づいた時には連絡すらつかない状態になっていた。




「みのり、大丈夫?」

「うん。ありがと。」


仕事の休憩中に少しいつもより暗い表情のみのりの隣に座り、声をかけた。


今朝はみのりが雑誌撮影が入っていてあまり話せる時間がなかった。



「私のせいかな。」

「え?」



詳細は口には出せない環境だが、私は意味を理解して、テーブルの上にあるみのりの手に自分の手を重ねた。


「明子」

「ん?


「明子はどこにも行かないでね。ずっと私の傍にいてね。」


いきなり大胆なことを口に出すから、私は周囲を見渡し警戒する。私の様子に気づき、みのりは小声で「ごめん」と言った。



「心配しなくても大丈夫だから。」


私はずっとみのりの傍にいるよ。



みのりが安心しきった顔で私を見つめる。ここが家だったら、キスしてしまいそうなくらい可愛いのに。


それが出来ないから、私もみのりに微笑んだ。


二人でくすりと小声で笑うと練習再開の時間がやってきた。アイドルの表情に切りかえ、立ち上がったみのりが私に向かって手を伸ばす。



「よし、頑張ろう!」

「うん」



最前、中央に二人で並ぶ。


別れのメロディーが流れ始める。

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