裏切りの魔術師

うつせみ

序章

第1話

 五百年前。


 悪魔の女が人間の男と恋に落ち、一人の子を成した。


 そしてそれが、悲劇の始まりだった――


×       ×       ×


 魔術師の歴史は、迫害の歴史だ。


 頭部に山羊やぎのようなつのを持ち、魔術によって火や風を起こす魔術師を、非力な非魔術師サルたちは人智を超えた存在として恐れ、疎んだ。


 比喩ではなく文字通り、悪魔の血を引いていたことも大きい。


 魔術師は非魔術師サルの十倍の戦闘能力を有していると言われているが、その存在が広く認知されるようになった当初――三百年前の人口は、社会全体の千分の一にも満たず、非魔術師たちの数の暴力に抗うことは不可能だった。


 多くの同胞たちが非魔術師サルの「魔術師狩り」によって命を落とす中、それでも生き残った魔術師たちは結束し、多産によって数を増やすことによって弾圧に抵抗したが、非魔術師たちと同等の社会的地位を獲得することは、今日こんにちに至っても達成できていない。


 そんな彼らの元に希望が舞い降りたのは、一年前のことだった。


 とある魔術師の冒険家が、苦難に満ちた航海の果てに、無人の「新大陸」を発見したのだ。


 そこは奇しくも彼らの祖、「偉大なる母グレート・マザー」リリスの出身地だと伝えられている、西の果ての大陸だった。


 聖地に移住し、魔術師にんげんだけの新国家を作ろう!


 そういった機運が高まったのは、当然の成り行きだったと言える。


 古い言語で「魔術師の土地」を意味する「マゴニア」と名付けられたその新大陸に、魔術師たちは大挙して、入植を開始した。


 これでもう、自分たちの生活が脅かされることはない。


 誰もがそう思っていた。


 だが、今、目の前――夕焼けのような忌々しい色に紅葉こうようしたカエデの葉が舞い散る、新大陸マゴニアのある河岸にて展開されている光景は、その希望的観測を全力で否定していた。


 新大陸マゴニアは無人とは言っても、入植の妨げになるものが一切、存在していないわけではない。


 それくらいは、男も理解していた。


 しかし、だからといって、よりにもよって――当代最強と名高い魔術師が、いきなりの邪魔を始めるなんて、流石に想定外だ!


 巨大な黒い角を頭の左右に一本ずつ生やした若い男が、先端に碧い宝玉の付いた鉄製の杖を手に、呪文を詠唱する。


「『ウォーター』『エマルフ』」


 男はまず、自身の頭上に大量の水を生成すると、次いでそれを急速に冷却して、巨大な氷塊へと変えた。


 一見すると簡単なようだが、実際は非常に高度な魔術だ。


 本来、攻撃のための魔術――黒魔術マレキフィウムは「フレイム」「ウォーター」「ウィンド」「ランド」の四属性のみであり、「エマルフ」などという属性は存在しない。


 だが、「フレイム」と「ウォーター」の二属性だけはそれぞれ、その属性を得意とする一流の魔術師のみ、「エマルフ」「リトゥ」という「反転属性」を操ることができる。


 とはいえ、反転属性は魔力を通常の数倍は消費する上に、その制御も難しい。


 だいたい、魔術師が同時に扱うことができるのは、二属性までが限界のはず。


 つまり、裏切り者のあの男――アヴェン・インブスルックは、自らの作り出した氷塊に、このまま押し潰される運命なのだ。


 常識的に考えれば、そうなるはずである。


 だが、


 アヴェンは跳躍すると、手にした杖を振るい、氷解を粉々に砕き――木製の杖を用いる魔術師が大半なのに、重たい鉄製の杖をわざわざ持ち歩いているのは、こうした使い道があるからだろう――そのまま、三つ目の呪文を詠唱した。


ウィンド


 転瞬、氷の礫が風に乗り、雹のように魔術師たちを襲う。


フレイム!」


 男はどうにか、炎の盾を生成し、アヴェンの攻撃を防御することに成功したが、「反転属性込みの三属性同時使用」という規格外の芸当に圧倒されてしまったのか、仲間たちはまともに反応できず、氷をまともに食らってしまった。


「……くそっ、化け物が! 『フレイム!』『ウィンド!』」


 吐き捨てて、男は「火球を生成し、それを風に乗せて標的まで飛ばす」という、もっとも基本的な魔術師の攻撃方法で、アヴェンに反撃する。


「……ふん!」


 だが、渾身の魔力を込めていたにも関わらず、その一撃は魔術ですらない杖の一振りによって、あえなくかき消されてしまった。


「嘘だろ……?」


 この男は魔術だけではなく、体術においても最強だというのか……!?


 九人いた仲間たちは皆、息も絶え絶えだ。


 氷を頭部に受けて気を失った者、腕や足を折られ、痛みで身動きが取れない者……。


 全員、かろうじて生きてはいるようだが、放置していればじきに死ぬだろう。


 一方、アヴェンはかすり傷ひとつ負っていない。


 この人数の魔術師を相手にして無傷とは、尋常ではない強さだが――それよりも恐ろしいのは、その突拍子もない行動だ。


 長年、非魔術師たちによる厳しい抑圧に晒されてきたにも関わらず、魔術師たちが生き残ってこられたのは、個々の実力が高かったからだけではない。


 民族全体を家族とするような、鉄の結束があったからこそだ。


 この男はそれに、ヒビを入れようというのか。


 己の実力を過信した、青二才が。


 に対する、安っぽい同情心などを理由に――


「……失せろ」


「っ……」


 アヴェンに鋭い眼光で睥睨へいげいされ、男は一目散に逃げ出した。


 言ってやりたいことは山ほどあるが、今は一刻も早く白魔術ベネフィキウムの使い手を連れて来て、仲間たちの治療をしてやらねば……。

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2025年12月29日 20:01
2025年12月30日 20:01
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裏切りの魔術師 うつせみ @semi_sora_

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