不登校の私がプリントを届けに来る学級委員に手玉に取られるはずがない

川野マグロ(マグローK)

待ちぼうけの不登校

第1話 いつも焦がれる来訪者

 遠くでチャイムの音が聞こえてきて、私は昼寝から目が覚めた。


 まだぼんやりする頭でゆっくりと近くを見てみる。

 あるのはベッドに窓の外の家々、棚に並べられたゲームソフトとモニター。

 そこまで目に入ってようやくここが自分の家、それも我が根城だとわかってほっと息を吐き出せた。


 周りの確認をしていると、少しずつ血の巡ってきた頭がチャイムの音も家のインターホンだと気づかせてくれる。

 そう、キーンコーンカーンコーンという学校のチャイムじゃない。


 とはいえ、私はまだ中学生。


 昼間から学校へ行かず、家で昼寝をしているなんて、きっと他の人からしたらおかしいんだろう。

 だけど、なんてことはない。私はごくありふれた不登校。だから、家にいる。


 去年の10月頃から、私は学校に一歩も足を向けていない。

 もっと言えば、病院へ行く時以外は家の中でじっと息を潜めて暮らしていた。


「んーっ!」と声を出しながら、ゆっくりと、緩慢とさえ言える動作で寝ていた体を起こしていく。

 机を支えにして、立ちくらみで倒れないよう注意しながら私はそっと体を起こしていく。

 それでも視界は光を失い、ノイズばかりの黒と灰色で満ちた視界が10秒ほど私の目の前を支配する。


 これを見るたび、私という人間の電源がいつまで保つのか、不安になる。


 ゆっくりと呼吸をして10秒耐えてから、戻った視界で部屋を出て階段を降りる。

 ここでも手すりを使って暗い視界に耐えながら、一歩一歩踏みしめる。


 ようやく玄関まで着いて、私は胸に手を当て一度深呼吸をした。

 心が落ち着き、話す言葉が見つかってから私は扉を開けた。


「待たせてごめんね」


 律儀に笑顔で待ってくれていたのは、インターホンを鳴らした本人、横道よこみち優愛ゆあさん。

 濡れたような長い黒髪に白目の綺麗な黒い瞳。ニキビのない綺麗な肌。制服をかっちり着こなした真面目そうな印象を受ける少女。見た目の印象通り、学級委員をしているらしい。私の家に来てくれるのも仕事の一環、とは、本人の口から聞いたわけじゃないけれど、多分そうだ。


「ううん。待ってないよ」


 なんて、ニコニコ笑いながら言うその姿は、少し前まで視界の悪さと戦っていた不快感が吹き飛ぶほどで、こちらまでつられてクスッと笑ってしまう。


「待ち合わせじゃないんだから、待たせてたでしょ」


「あっはは。そーだね」


 ぺしぺしと肩を叩かれると不意のスキンシップにドキッとしてしまう。

 横道さんは、真面目そうな見た目に反してスキンシップが多い。

 あんまり人に触れることに抵抗がないのか、いつもどこかしら触ってきてその度にドキッとさせられる。


 ただ、私が考えすぎなだけで、もしかしたら普通のことかもしれない。

 普通なら気にしていると思われてはいけない。


「じゃ、上に行こう。待たせちゃったし」とあくまで平然と扉を支え家の中に招く。


「おじゃましまーす」と言いながら入っていく後ろ姿に、今日も何かに気づいた様子がなくて安心する。


 別に、私が動揺しているとバレたところでなんともないと思う。だけれども、もし、もしも、万が一に、私が横道さんを変なふうに意識しているのだと思われたら、と考えてしまう。ただでさえ不登校で人より不出来な自分なんか、簡単に気味悪がられるんじゃないか、と。

 考えただけで胃が重く地面にまで落ちてしまうような気がした。


 扉に背中をあずけたまま横道さんに意識を戻せば、彼女は少し慌てたようにカバンを背負い直してスカートも直していた。


「まさか、見えてなかったよね」


 ほんのりと頬を赤くしつつ聞いてくるせいで、私の方まで変な想像をしてしまった。

 私がぼうっとしているせいで下着でも見ていたと思われたのかもしれない。


「見えてないよ」


 声は出ていたと思う。

 よしと満足げに笑う横道さんの顔がいつもよりも目に留まったから。


 目が合って、それから横道さんの眉尻が下がった。


「体調?」


 心配そうにうかがうような視線を受けて、私は手を横に振る。


「今は大丈夫。ちょっとぼうっとしてただけだから。行こう」


「なら、いいけど」


 あまり納得していないような声を聞き流しつつ、何もないのだと自分に言い聞かせる。

 ただ、ほんの少し、本当に見えていたら私は固まって見入ってしまっていたような気がする。

 そんな妄想を押し出すように少し早足で階段を目指す。


 横道さんの隣に来たところでふっと頭に手が乗ってきた。

 見ればいたずらっぽい笑顔の横道さんが私の頭を撫でてきていて、意識から外したはずの心臓はまたしても主張をしてくる。


「今日も招いてくれてありがとうね」


「……うん」


 絞り出すように声を出して頷く。

 その動きが、まるで自分から手に頭を擦り付けているような気がして、いつもよりくすぐったさが返ってきて、いっそう体が熱くなる。


 そう。横道さんはスキンシップが多い。


 けれど、こんなことでうろたえたりはしない。

 私は元々そんなキャラじゃないし、動揺を悟られて引かれたら、きっと耐えられないだろうから。

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