第7話 水と共に生きる街

 イリアの言っていた通り、ハーマルはまさに水と共に生きる街だ。いくつもの運河が網のように街中を駆け巡っており、まるで水の上に街が浮いているかのように見える。家の一つ一つにまで玄関代わりに船着場が設けられ、運河の上をたくさんの船が往来している。

 そして、その運河は数段下のラーディクス川へと流れ込んでいる。増水したときにはラーディクス川へと流し、それでも処理しきれない場合は近くの溜め池へと排出していくという仕組みになっているらしい。

 二人もまた船に乗って移動していた。荷台を船に乗せるのには一苦労したが、意外と船での移動は快適なものだった。何より、深刻なダメージを負っていた足を動かさずに済むのがいい。

 ──それにしても美しい街だ。そうジュメイアは思った。色鮮やかなレンガの建物が運河沿いに並んでいる景色は、とてもこの世のものとは思えない。水面に景色が反射し、水中にも街が続いているように見える。外の世界はこうも興味深いものでいっぱいなのかとジュメイアの心はときめいていた。

 「今日はもう遅いからなぁ。喫茶店に行くのは明日にしよう。品物を集めるのも明日だ」

 水面から空へと視線を移すと、もうすでに太陽が西へ姿を隠そうとしていた。夕日に照らされて、たなびく雲から尾を引くように光が伸びている。ハーマルの街全体がオレンジ色に輝いていた。

 「いい宿がある。そこに行こう」

 そういうとイリアは船の向きを変え、細い運河を建物の間と間を縫うように進んでいく。しばらくすると、周りの建物と比べて二回りくらい大きい建物が見えてきた。

 「あれ?」

 「そう、あれ」

 建物自体は大きいが、特に派手な装飾もなく親しみやすい印象を受けた。ジュメイアのイメージでは、だいたいこういうのは眩しいくらいに装飾して客を寄せるものだと思っていたから、逆に拍子抜けするような気持ちになった。

 イリアは宿の船着場に船を止め、桟橋に足をかけた。ジュメイアもそれに続いて桟橋を歩いていく。階段を登っていくと、すぐに入り口の扉が現れた。

 「バタフライ?」

 ジュメイアは扉の上にかけられた看板を読み上げた。アリエフロートだと聞きなれない響きだ。

 「この宿の名前。蝶の意味だよ。遠いところの言葉らしい」

 イリアはそう答えると扉を開けた。玄関ベルが軽やかな音を奏で、二人を迎え入れる。一歩踏み入れると、見渡すほど大きいエントランスホールが広がった。中央には蝶の羽のように、四方向に広がっている階段がある。その下に受付はあった。

 イリアは手短にチェックインを済ませ、部屋の鍵を二つ受け取った。ジュメイアの方に歩み寄り、もう一方の鍵を渡す。

 「はい、ジュメイアは二階の部屋だってさ」

 「それじゃあイリアさんは?」

 「俺は三階の部屋だけど」

 「なんで部屋が違うんですか?」

 思ったことをそのまま口にすると、イリアの目が点になった。

 「え、いや、同じ部屋は嫌でしょ。いろいろと」

 ジュメイアはその言葉の意味がわからなかった。どうして同じ部屋だと都合が悪いのだろうか。イリアもまた、ジュメイアの言葉の意味をわかりかねているようだった。瞬きの速さが異様に速くなっている。

 「私は気にしませんが」

 「俺が気にするの」

 「そうですか」

 釈然としないながらも、ジュメイアはひとまず納得することにする。

 「とにかく、荷物置いてきな。飯を食おう」

 そう言い残してイリアは階段を早足で登っていった。不思議そうな面持ちで、ジュメイアはその小さくなっていく背中を見送った。


──────


 部屋に荷物を置きおえた二人はエントランスへと戻った。イリアはラフな格好に着替えているらしく、汗でベタついた服を着替えてくればよかったとジュメイアは少し後悔した。

 「こっちだ」

 イリアはそんなジュメイアを気にもかけず、受付のさらに奥へと進んでいく。いくつか曲がり角を曲がり、かなり奥まで進んでいったところにその店はあった。

 「知る人ぞ知る名店。と、俺は思ってるんだがな」

 イリアはそんな意味不明なことを言い、ごめんくださいと叫びながら店へと入っていった。

 「いらっしゃっせー」

 店の奥から呑気な声が返ってくる。従業員らしき人が寄ってきて、二人をカウンターへと案内した。

 宿自体もそうだが、この店もかなり質素な印象を受ける。穏やかなランプの光が店内を照らし、落ち着いた印象を受ける。テーブル席も少なく、カウンター席が中心なのは珍しい。

 二人が席につくなり、厨房のおっちゃんが頭を乗り出して声をかけてきた。

 「よう、あんさんたち旅人かい?」

 深いしわにしゃがれた声。大将という言葉はこの人のためにあるのか。

 「あぁ。何でわかったんだ?」

 「そりゃあ日に焼けた顔とバランスの取れた体格の良さを見ればわかるさ。この街にあんさんたちみたいなゴツい人間はあまりおらん」

 顔だけは二人の方を向いているが、手の方は一切止める様子がない。手慣れた動作にジュメイアは感嘆した表情を浮かべた。

 「そうなのか」

 イリアの方はおっちゃんとの会話に夢中のようだった。おっちゃんは頷く。

 「レンガ作りとかに携わってるやつなら別だが、やつらは腕ばっかり太いからなぁ。バランスが悪い」

 「なるほど」

 「この辺りは沼地やから良い粘土がよぉ取れる。レンガの他にも陶磁器とかもえぇで。エントランスのお土産屋に売っとるから買っていきや」

 ちゃっかり商売話も入れてくるあたり流石だ。

 「そうかそれはいい!そうするよ」

 二人はまだお酒も入ってないだろうに、大声を上げながら腹を抱えて笑っている。そうするとこんどは、女将と呼びたくなるようなおばちゃんが厨房の奥から出てきておっちゃんの頭をペチンと叩いた。

 「このタコ。手動かさんかい」

 「手は動かしちょったで」

 おっちゃんは苦し紛れの言い訳をするも、おばちゃんには全く通用していないようだった。

 「調子の良いこと言ってないでさっさと働きなさい。注文溜まってるのよ」

 おばちゃんはおっちゃんの首根っこを掴んでそのまま厨房へと引きづり込んでいってしまった。どちらかといえばおばちゃんの方がタコぽいと、ジュメイアは自分で突っ込んでおいて口に含んでいた水を噴き出した。


 

 

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