大学2年生の俺を、ばあちゃんだと言い張る不審者を拾ってしまった

すわ樫井

1.再会、初対面

1-1.(10/27文字数調整)



 容赦を覚えろ8月の太陽。



 おかげさまで、洗ったばかりのカッターシャツがしっとりを通り越して局地的にべっしょりだ。

 脇の下なんて、百年の恋も冷める効能くらいありそうだ。

 あまり透けるな、今日は油断しまくったデザインの下着なんだと喉仏の下あたりで愚痴っていた今日。


 ああ俺って不意打ちに弱いのか、


 と新たな自分を発見しました。

 見知らぬ男の腕の中で。





「サトコさぁぁぁんんん!」


 この公園に住まう蝉どもよ。今まで、やかましいとか思っていて本当すまんかった。

 硬い筋肉に覆われた腕で人様を抱き締め上げる、この男の吠え声の方がずっとやかましい。鼓膜が痛い。

 3回目となるサトコさんコールの後に続いた、ずびずびと何かをすする不穏な音と、


 あ、畜生その何かを擦り付けやがった。


 鳩尾辺りにじわりと広がった湿り気に五感を刺激され、逃げるなこれは現実だとせっつかれた気がして、ようやく。

 男の逞しい腕と胸板に、暑っ苦しく捕獲されていた俺は、腹をくくることにした。


「俺の第4ボタンのあたりに、」


 人生で一番熱烈なハグをくらって以降、はじめて。

 暑さ由来だけではない汗も浮いているはずの、俺の喉から声が出た。

 バスで居眠りこいて、ひとつ先の停留所から歩いてきたのだ。タダでさえ乾いていた喉は、得体の知れない緊張でカラカラに乾いていた。声はかすれて予定より随分迫力が無かった。が、これ以上このまこと不可解遺憾な状況を永らえるわけにはいかない。


「サトッ」

「サトコはいねぇよ」


 掠れた声を荒げて、口早に吐き捨てる。

 得体の知れない相手に対し、言葉を選ぶ余裕なんて無い。

 高校卒業後始めた1人暮らしで、ちょっとは社会を学んだ。警戒心というものもはぐくんできた。

 つい先ごろハタチを超え、胡散臭いものや危険なものをかぎ分ける嗅覚は、より鋭敏になったと思っていた。のに。


「……へ?」

「離せ。誰だよ。サトコっつーのは」


 なんてこった。

 俺はこの、間違いなく誓って初対面の男に、サトコさんコール3回半分の時間がっちりと抱き締められていた。

 言い訳をさせてもらうなら、何せ不意打ちだったのだ。

 背後から聞こえた雄たけびに驚き、何事かと振り返ろうとしたら既に男の腕の中なんて。逃げることが出来る奴がいるならば、方法を教えて欲しかった。今朝か昨晩あたりにマジで。


「離しやがれ」


 ゆるまない腕の力に、険が増した主張を繰り返す。

 威圧には役立たない枯れ声を援護すべく、睨み据える目に力を込める。

 俺の胸板に顎を押しつけ見上げる坊主と、視線がばちりとぶつかった。


 知らねえツラだ。薄いとも濃いとも言い難い顔は記憶に無い。

 角ばった輪郭や太くつりあがった眉に見覚えなど全く無い以上、コイツの年齢も職業もわからない。

 離せと言われ顔を上げた拍子、俺の顎先をざりざりこすった坊主頭くらいにしか俺はコイツの特徴を見出せ無い。

 肌艶や面構えから鑑みるに、俺と似たような年頃だろう。

 同年代。性別男。筋肉が邪魔。それくらいしかわからない。

 接点は、誓って、無い。


「サトコさんじゃ、ない?」


 精一杯の威嚇と冷徹を込めて坊主を見下ろすと、奴は小さくうめいて、出会い頭から俺のあばらをギリギリと締め上げていた腕の力をようやく緩めた。

 良かった。

 こいつがサトコさん以外の言葉を知らなかったら本当マジどうしようかと思ったのだが、少なくとも日本語は通じている。まずは第一関門クリアだ。


 熱い掌に握りこまれた体を、中天の太陽がちりちりと焼く。炎天下では、人の体温はこれほどまでに不愉快らしい。

 いぶかりに歪んだ面をぐいと寄せてきた坊主を、俺は努めて冷ややかに見据える。

 8月の昼日中から、屋外でのんびりくつろぐ馬鹿などここ南国九州では稀少だ。俺と坊主がびったり無残に身を寄せあうこの公園も例外ではない。

 ご近所さんにあらぬ噂を立てられかねないこの光景を、見られずに済んだのは良いことではあるが、裏を返せばこの状況から俺を解放してくれるホワイトナイトの出現も見込めないわけで。

 がんばれ俺。

 俺は、この、俺に落ち度は無いはずなのに降って湧いた珍奇な状況から自力で脱しなければならない。

 この、俺を見上げて下唇やら瞳やらをぶるぶる激しく揺らしている筋肉坊主を撃退しなければならないのだ。

 超がんばれ俺。


「そうだ。俺は、サトコなんざ知らね、ッ」

「そんなはずは、無い!」


 無表情を装っていた顔がゆがんだのは、両肘を握り締められた痛みと、坊主の声のデカさの所為だ。無駄に発声が良い。よく通る声が、要するにうるさい。


「何だその無駄な自信! とにかく俺は、」

「あなたは木内サトコだ! 忘れたのか!」

「やっぱ明らかに女性名じゃねぇか。お前も、散々俺の平たい胸板に額擦り付けたの忘れたのか!」


 そのうるさい声に怒鳴られて、俺の枯れ声も知らず勢いを取り戻した。

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