ひび割れた花は黒猫と踊る
天海 扇
第1話 「高嶺の花なんかじゃなくて」
私は、努力するのがあまり苦にならないタイプの人間だった。
テストで良い点を取ったり、スポーツで活躍して良い結果を残したりして、その結果お父さんやお母さんに褒められることが好きだったし、かわいい妹に『お姉ちゃん凄い!』と尊敬してもらえるのも嬉しいことだったから。
頑張れば頑張るほど良い結果が待ち受けているんだと、そんな単純な考えで私は無邪気に勉強や練習に
だけど、積み重ねた努力の先に得られたのは、『
いつからそんなことになっていたのかわからないけれど、多少成績が良いというだけだったのに、中学校時代の私はまるで、手の届かない特別な存在であるかのような扱いを受けた。
そんな大層な人間じゃないのに、いくら私が『皆と変わらないよ』なんて言っても、その言葉が信じられることはなくて。
誰も、私のことを見ていない。皆が見ているのは理想の
他人から見れば、たったその程度のことで大袈裟だと思うかもしれないけれど、当時の私にとってはそれが、一時的にとはいえ登校できなくなるほどにキツい出来事だったのだ。
いじめられたってわけじゃない。
誰かが悪かったわけでもないと思う。
それでも私は中学卒業後、逃げるようにして地元から離れた高校に進学した。
次は失敗しないようにしよう。そう決意して、勉強はそこそこ、スポーツもそこそこできる程度の、『普通の高嶺春香』を目指す。
そうすることで、周りの皆と対等な人間関係を築いていくんだと意気込んで、入学から2ヶ月経とうとしていた頃。
私は、黒猫のような彼女と出会った。
――――――――
「高嶺さ~ん……今の授業理解できた~……?」
「あ~、なんか難しかった、かな?」
授業が終わってすぐの時間。私の席までやって来たクラスメイトに、困ったような表情を作って見せる。
「そ~だよね~!? まだ高校始まって2ヶ月経ってないのにこれじゃあ、ついていけるか不安だ~……」
「中学校までとは、やっぱりちょっと違うよね。松島さんは数学苦手?」
「ん……数学が、というより勉強が苦手……ってか嫌い……」
「そっか……皆そうなのかな?」
「勉強が好きな人なんていないでしょ。知らんけど~……」
私の机に手を置いたまま項垂れてしゃがみこむ彼女の頭を優しく撫でながら、私は今日の時間割がどうなっていたか思い出す。
次は4時間目。移動が必要な何かだったはず。
……そうだ。体育の授業だ。
「松島さん、良かったね。次は体育だよ、勉強じゃない」
「んへへ……」
「松島さん?」
「ん!? あ~、体育ね! やった~頑張るぞ~!」
そう言って立ち上がった彼女は、何だか慌てたような素振りで教室の外に出ていった。
そんな彼女を目で追っていた私は、頬杖をついて考える。
体育の授業は一般的に見て、喜ぶものなのか、嫌がるものなのか。
そんなことを少し考えて……。
「くだらないか」
好きな人は喜ぶし、そうじゃなければ嫌がる。ただそれだけのことでしかない。
こんなことを考えて、自分はどうするべきかを決めようだなんて、そんなのは全然普通じゃない。
「あれ、春香ちゃん。まだ行かないの? 着替える時間が無くなっちゃうよ」
「あ、いや、今行くよ」
凛とした、ほんの少しだけ低めなその声に反応して席を立つ。
少し見上げた先にあるのは、同性の私でもキレイだと見惚れてしまいそうな美人の顔。
実は昔と雰囲気が違いすぎて、顔を見ても全く気づかず名前を聞くまでは思い出せなかったんだけど、それは内緒の話。
「なんかボーッとしてた? 低血圧?」
「大丈夫、そんなんじゃないよ。ちょっと考えてただけ」
「そう? 必要なら私がエスコートしてあげるけど!」
そう言って叶多さんは私の手を取る。まるで王子か何かのような仕草で。
「も~、大丈夫だって。変なことしてないで、さっさと行こ」
「え~残念」
優しく触れる彼女の手を離し、体育用のジャージの入ったカバンを手に取って教室を出る。
「……叶多さんってさ」
「ん?」
「皆にもそういう感じなの? エスコートしてあげる~って」
「いや、誰にでもってわけじゃないよ!? 流石にそんなタラシみたいなことはしてないって」
凄く動揺したような声で反論して、ワタワタという効果音が似合いそうな動きをする彼女を見つめる。
こういう、慌てふためくような姿を見ていると、意外と内面は昔からあまり変わっていないのかも。
本人には悪いかもしれないけれど、昔の気弱そうな印象が強いからか、普段の姿よりも今みたいな時の方が親近感が沸くというか、何だかホッとしてしまうみたい。
「そんな必死に否定しなくても、別にタラシだなんて思ってないよ」
「春香ちゃんがどう思ってるのかわからないけど、私はかなり一途な方なんだからね」
「へぇ、モテそうなのに。さっきのとかも、好きな人はキャーキャー言いそうだし」
「別にモテたりとかは……というか、女の子相手を想定してる? キャーキャーって」
「男の子でも言うときは言うよ、多分」
「そうかな……いや、そこはどうでも良くて。不特定多数にモテることは別に望んでませんって話です。覚えておいてください!」
「はい、大変申し訳ございませんでした」
わざとらしくオーバーなリアクションをした後、目と目が合う。
何だかおかしくなっちゃって、2人して笑いながら廊下を歩き続けた。
こういう何気ない時間、対等な友達が欲しかったんだと、喜びを噛み締めながら。
***
スポーツというのは、同じくらいの技量の人と、同じくらいの熱量を持って、同じくらいの目標に向かっている時が、一番楽しい。
あくまで個人的な考えだけれど、私はそう思う。
プロに教わったり、小さな子ども達に逆に教えたり。そういったことがつまらないとは思わないけど、真剣勝負となると話は別だ。
勝てない相手と戦うのも、負けない相手と戦うのも、どちらも面白いものじゃない。
気を遣わず、ただただ全力で挑むのが正解となるような、対等な相手との勝負が一番面白い。
その基準で考えると、学校の体育の授業は…………。
「高嶺さん、今の惜しかったね~」
「ん~、悔しいな~。入ったらヒーローだったのに」
――――なんて、思ってもいないことを言いながら、休憩のためステージの上に腰かける。
隣のクラスであるB組と合同での体育の授業。今日の内容はバスケットボール。
開始から20分ほどは基礎的なことをやる時間。今回はドリブルとかパス、シュートの練習をして、後の時間はチーム戦。
まあ、チーム戦なんて言っても、体育の授業で本気でやる女子はほとんどいないから、上手い人の
例えば、叶多さん。流石に1人で無双するほど暴れてはいないけど、体育でも結構力を入れてやるタイプみたいで、さっきから活躍が目覚ましい。
ポニーテールにしたキレイな茶髪をなびかせて、爽やかな汗を流しながら笑う彼女のことを、ジッと見つめている子がちらほら。
なんか視線が熱っぽい気がしなくもないけど……まあ、良いか。深くは考えない。
他には、B組の
彼女の場合は叶多さんと違って激しい動きはしてないけど、やっぱり、身長が高いのが強いのかな。ゴールの近くでパスをもらえば、大体彼女の得点になる。
皆星さんは、見ただけでも170越えの身長をしているのがわかるくらいに高身長な女の子。ついでにスタイルが良くて、顔も良い。モデルをしているって言われても納得するくらいの顔面の強さ。
ウルフカットのダウナー系美人って感じかな……1度話したことがあるけど、何故かちょっとドキドキしちゃったのを覚えている。不思議な魅力を持ってる人だ。
後は、もう1人。
ステージに腰かけて休憩している私の隣にいる。
さっきまで、『遊びにもなりませんよ』とでも言わんばかりに軽々と得点を重ねていた彼女は、今は横になって眠たそうな顔で丸まっていた。
確か名前は
私よりも小柄なこの子は、何だか猫のように撫でたくなるようなオーラを
静まれ、私の右手……!
「…………あのさ」
「……? あ、え、私……?」
疼く右腕を抑えていたところに急に話しかけられて、凄く間抜けな声を出してしまった気がする。恥ずかしい……。
「
「あ、高嶺春香です……えっと、よろしくね……?」
「……うん、よろしく」
急な自己紹介に、私の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされた。
……何これ、下手なお見合い……?
「あ、えっと……黒間さんは、スポーツ得意なんだね~……」
「ん、まぁ……そうだね」
「……」
「……」
あ、話終わった。
え、何、なんか気まずい……。
自己紹介してくれたから話したいのかなって思ったけど、勘違いしちゃった……?
なんて、1人で困惑して、変にドキドキしていた私の耳に、次の瞬間、予想だにしていなかった言葉が届いた。
「……なんかさ、すっごい手抜いてるよね。高嶺さんって」
「……えっ」
世界から音が無くなった――そう勘違いするほどの衝撃だった。
それでも、何とか取り
彼女の言葉に深い意味はない。きっと。
あれだ、言葉通りだ。体育で本気出さないタイプなんだねって、ただそう指摘されただけの話。
それじゃあ私は、こう言えば良いんだ。『下手だからそう見えちゃったかな』とか、そんなことを笑って言えばそれで終わり。
……よし。
「手を抜いてる……? あ~、まあ、黒間さんはスポーツなら何でも得意そうだもんね! 私はあまり得意じゃなくてさ、あれでも結構全力だったんだけど~」
「……へえ、そっか」
切り抜けられたか……。
そう思い、ホッとして横を見た時、黒間さんがジッとこちらを見つめていたことに今更になって気づいた。
「結構、嘘つきなんだね、君」
黒間さんはそう言って、少しだけ笑った。
何でだろう。何故か、スポーツについてだけじゃなくて、他の全ても見透かされてしまったかのような、そんな感じがした。
「嘘つきって、どういうこと? 私、別に嘘なんて」
「できる人が手加減してるのって、結構スポーツやってる側から見たらわかりやすいもんだよ」
それはわかる。私だって、活躍している叶多さんや皆星さん、黒間さんといった人達が、100%全力でやってないことには一目で気づくし。ただ手加減するだけじゃ、誰だって気づく。
だからこそ、そういったスポーツが得意な人達とは違うように見えるよう演技をしていた。
放ったシュートがリングに弾かれるように力を調整したり、ボールを持って視野が狭くなった、みたいな感じで迂闊なパスを出して相手にボールを取らせたり。
本気を出してないんじゃなくて、本気でやっているけど上手くいかない。そう見えるようにしていたはずだった。
でも、黒間さんからはそう見えていなかったということなら、方向性を変えてみよう。
もっと単純な、体育だから本気出さないだけって方向に……。
「……あ~、だって、体育の授業だしね。ちょっと上手くできるからって、本気で張り切ってやるものじゃないかな~って」
「……そういうのじゃないでしょ。ちゃんとやりたくてウズウズしてるように見えた」
「……気のせいじゃない?」
……全然、騙せてない。嘘が通じていない。
というかそもそも、何でこんなに踏み込んでくるんだ。
ついさっき自己紹介をしただけの仲で。何が気になるって言うんだろう。
「なんか苦しそうだなって。今の君を見て、そう感じたんだよね」
「……意味がわからない、けど」
「こっちもわからないよ。上手くできることをサボるならわかるけど、下手に見えるように頑張ってる人は初めて見たし」
怖い。
黒間さんが怖い。
何か嫌だ、この感じ。
何をしたいのかわからない。
何を知りたいのかわからない。
彼女の目には私がどう見えてるの?
動揺してるせいで呼吸がおかしくなりそう。
彼女と視線を合わせられなくなった私は、思わず顔を背けてしまった。
嘘をついてることを認めたら、それで終わってくれる……?
そうだ、怒って離れるフリをしたら……。
変な噂を流されたりしない……?
黒間さんがそういうことをする人なのかはわからない。でも、もしそういう人だったら、知り合い多そうだしすぐに広まっちゃったりするかも……。
「ん……ごめん……嫌な思いさせたかったわけじゃないんだけど。ごめん本当に」
「……」
…………何?
急に踏み込んで来たと思ったら、今度は急に謝ってきた。
どういうことなの。私、泣きそうな顔でもしちゃってた……?
今、自分がどんな表情をしてるのかもわからない。
「……わざわざそんなことしてるってことは、何か理由があるってことだよね?」
「…………そうだよ」
質問されて、嫌なことを思い出して、多分返事は凄い不機嫌な声になっていたと思う。
嫌な気分になって気持ちが落ち込んで、気づいたら顔まで伏せちゃって。
周りに見られたら心配されちゃうかもしれないから、すぐに顔を上げたいのに。重りが追加されたみたいに頭が重くて、なかなか持ち上がらない。
そうしてしばらく……といっても、十秒くらいしか経ってないはずだけど、ともかくしばらくして、右肩にもたれ掛かるような感触が伝わってきた。
顔を上げないまま、視線だけ向けて確認する。
いつの間にか起き上がっていた黒間さんが、私の隣に腰かけていた。体を少しだけ、私に預けるような体勢で。
何なの、この人……。距離の詰め方おかしくない……?
「……本当にごめん。好奇心に駆(か)られて嫌な気持ちにさせちゃったこと、謝るよ」
「……良いよ、もう。悪気が無かったなら。……普通じゃなかった私が悪いんだし」
「今度さ、自分が全部お金だすから、一緒にお出かけしてくれない? 言葉だけじゃなくて、行動でもお詫びするよ」
「え、えぇ? 何それ……別にそこまでしなくても」
「ん……ごめん、謝罪だっていうのにワガママ言って」
「あ~いや、え~……?」
何か変な状況になってきたかも。
私が気遣う状況になってないこれ?
お出かけか……選択肢としては、ここで断って終わり、ということにもできるけど……。
私の性格上、このまま話を終わらせてしまうと、かなり長期間引きずる気がする。
2度と会うことが無い相手ならともかく、相手は同じ学校の生徒。校内ですれ違う可能性は非常に高いし、体育で一緒になるのは今日だけのことじゃない。
それに何より、私達はまだ1年生だ。進級したらクラスが変わるし、同じクラスになってしまう可能性だってゼロじゃない。
このままモヤモヤを抱えたまま、変に気を張り続けるくらいなら、さっさと精算してしまった方が絶対に良い。
つまり、結論として……。
「わかった。そういうことならお出かけしよ。それが終わったら、今日の一件はおしまい」
「……! うん、ありがと。後で連絡先を教えるから」
「クロネコちゃ~ん! あれ、起きてる。次試合だから、こっち来て~!」
「ん……それじゃあ」
「は~い、行ってらっしゃい」
クラスメイトに呼ばれた黒間さんは静かにステージから降りると、「クロネコって……」とか、何かぶつぶつ良いながらコートへと歩いていった。
その後ろ姿を見つめながら、少し長いため息をこぼす。
正直言って、ドッと疲れた。
「春香ちゃんって、黒間さんと知り合いだったの?」
「え、ああ、お疲れ様叶多さん」
試合を終えた叶多さんが、タオルで顔を吹きながら私の近くまでやって来て、そのまま隣でステージに寄りかかる。
「お疲れ様でした~。それで、何か話してたの?」
「ん~いや、隣にいたからちょっと自己紹介したくらいだよ」
「……そうなんだ」
「そうだよ~」
自己紹介だけではなかったけど、詳しく話すようなことでもない。
だから、黒間さんとの件についてはこのまま終了。
その後は、『叶多さん大活躍だったね』とか、『午後の授業は何だっけ』というような普通の会話を続けた。
何気ない会話、特別じゃない日常。これこそが私が一番求めるものだと、そう改めて認識して心を癒しているうちにチャイムがなり、いつもとちょっと違った体育の授業は終わりを迎えるのだった。
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