第27話 涙の暴露と懇願
「菜月さんと、楽しかったみたいだね」
文香のその言葉は、夏の終わりの気怠い午後の空気を、一瞬にして凍てつかせた。彼女の声は、いつもの穏やかで抑揚のないトーンを保っている。しかし、その静けさこそが、嵐の前の不気味な静寂のように、俺の鼓膜を、そして心臓を、冷たく締め上げた。彼女が俺の目の前に突きつけた、あの小さな銀色の包装紙。それは、昨夜の俺と菜月の秘密を、そして俺の裏切りを、あまりにも雄弁に物語る、動かぬ証拠だった。
俺の全身から、急速に血の気が引いていく。頭の中は、けたたましく鳴り響く警報で真っ白になり、言い訳の言葉一つ、見つけ出すことができない。ファブリーズのシトラスの香りが、まだ部屋の中に微かに漂っている。その必死の隠蔽工作が、今となっては、あまりにも滑稽で、惨めな悪あがきにしか思えなかった。
「……いや、これは……」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほどにか細く、そして情けなく震えていた。どんな嘘を重ねても、もはやこの状況を覆すことはできない。俺は、彼女の黒縁眼鏡の奥にある、感情の読めない瞳から、目を逸らすことしかできなかった。隣では、さっきまで俺のベッドで肌を重ねていたはずの菜月が、血の気の引いた顔で硬直している。彼女の大きな瞳は、驚愕に見開かれ、目の前の信じられない光景と、それを引き起こした自分の不用意さを呪っているかのようだった。
文香は、そんな俺たちの狼狽を、まるで面白い芝居でも鑑賞するかのように、静かに見つめていた。彼女の口元に浮かんだ、あの微かな、そして勝利を確信した笑みが、俺の罪悪感を、屈辱という名の鋭い針で、何度も突き刺す。
しかし、次の瞬間、彼女のその完璧な仮面は、音もなく崩れ落ちた。
その瞳から、堰を切ったように、大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ち始めたのだ。それは、静かな嗚咽などではなかった。長年、心の奥底に抑え込んできた、すべての感情が、一気に決壊したかのような、激しい、そして痛々しい慟哭だった。
「……う、うわあああああん……!」
文香は、その場に崩れ落ちるように、床に膝をついた。白いワンピースの裾が、汚れた床に広がるのも構わずに。彼女は、両手で顔を覆い、その小さな肩を、激しく震わせている。その姿は、先ほどまでの冷徹な断罪者のそれではなく、すべてに絶望し、傷ついた、一人の弱い少女の姿だった。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、佑樹君……!」
彼女の口から漏れるのは、謝罪の言葉だった。俺を責めるのではなく、なぜ、彼女が謝るのか。そのあまりの唐突さに、俺も菜月も、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「私、本当は、気づいてたの……。夏祭りの夜も、その前から、ずっと……。佑樹君と菜月さんが、二人だけの特別な関係になってるってこと、本当は、分かってた……。分かってて、知らないふりをしてたの……!」
文香は、顔を覆ったまま、途切れ途切れに、そのすべてを暴露し始めた。夏祭りの夜に握りしめた、あのコンドーム。それは、彼女の嫉妬と絶望の象徴であり、そして、この奇襲攻撃のための、切り札だったのだ。
「私だけが、蚊帳の外だった……! 自分だけが、彰太君とのこと……うまく別れを言い出せなくて、動けずにいる間に、菜月さんは、どんどん、佑樹君の特別な人になっていく……! それが、悔しくて、羨ましくて……どうしようもなかったの……!」
彼女の涙ながらの告白は、俺の胸を、罪悪感とはまた別の、強い感情で締め付けた。それは、庇護欲だった。この傷つきやすい少女を、ここまで追い詰めてしまったのは、他の誰でもない、自分なのだという、どうしようもない責任感。
「それに彰太とのことは断れなかったの。佑樹君にとって汚れた女になってしまったの?」
その問いかけは、鋭い刃となって俺の心臓を貫いた。彼女は、俺に嫌われることを、何よりも恐れている。彰太の恋人でありながら、他の男の身体を求めてしまう自分を、俺が軽蔑しているのではないかと。その不安が、彼女をさらに苦しめている。
「彰太君とは…別れなきゃいけないって、分かってるの。でも、どう言えばいいか…。彼を傷つけずに、私が今まで築き上げてきたものを、全部壊さずに済む方法なんて、どこにもない……。でも、でもね、佑樹君……!」
文香は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。その瞳は、熱に浮かされたように、俺をまっすぐに捉えている。
「身体が、辛いの……! 彰太君の優しさに触れるたびに、嫌悪感がして心が苦しくなる。彼に抱きしめられても、何も感じないどころか、あなたの熱を、思い出してしまうの……! あの夜、あなたが、私の身体の奥深くにくれた、あの理性を焼くほどの快感が、忘れられないのよ……!」
彼女の悲痛な叫びは、俺の性的コンプレックスを、最も甘美な形で肯定した。彰太では決して満たすことのできない彼女を、自分だけが満たすことができる。その事実は、罪悪感を麻痺させるほどの、倒錯的な全能感を、俺の心に与えた。
そして、彼女は、最後の懇願を口にした。それは、彼女のプライドも、理性も、すべてを投げ打った、魂からの、あまりにも切実な願いだった。
「だから、お願い……。私も、混ぜてほしいの……。このままじゃ、私、おかしくになっちゃう……。彰太君を裏切る罪も、菜月さんを出し抜く罪も、全部、私が背負うから……。だから、お願い……。私を、あなただけのものにして。私を、あなたたちの共犯者にして……!」
文香は、そう言うと、俺の足元に、その額を擦り付けた。彼女の震える背中からは、嫉妬と、欲望と、そして孤独への恐怖が、痛いほど伝わってくる。
しかし、俺は、彼女のその涙を、見捨てることはできなかった。彼女をここまで追い詰めたのは、俺なのだから。だから、彼女を俺だけのものにした。俺は、ゆっくりと、その震える肩に、手を伸ばした。この選択が、やがて俺たち全員を、どのような運命へと導くのかも知らずに。ただ、目の前の涙を拭ってやりたいという、その一心だけで。文香の欲望の肯定は、俺たちの歪んだ三角関係の、本当の始まりを告げる、静かな号砲となった。
俺は、床に膝をつき、彼女の涙で濡れた顔を、両手で包み込んだ。そして、その震える唇を、自分の唇で塞いだ。しょっぱい涙の味が、罪の味となって、俺の舌の上に広がっていく。
「……汚れてなんかない。お前は、俺だけのものだ」
俺は、彼女の服に手をかけ、その白いワンピースのファスナーを、ゆっくりと引き下ろした。布地が擦れる微かな音が、部屋の静寂に響く。露わになった彼女の白い肌は、まるで上質な陶器のように滑らかで、そして熱を帯びていた。俺は、彼女を抱き上げ、乱れたままのベッドへと運ぶ。隣で、息を呑んでその光景を見つめる菜月の存在さえも、もはや俺の意識の外にあった。
俺は、文香の身体を、貪るように求めた。ラブホテルのあの日と同じ、いや、それ以上に、彼女は激しく乱れた。優等生の仮面は完全に剥がれ落ち、彼女はただ、一匹の雌として、俺の愛撫に喘ぎ、その豊満な身体をくねらせる。彼女の身も心も、もはや彰太のものではない。それは、俺の規格外の肉体によって、快感の烙印を押された、俺だけのものだった。
「佑樹君……好き……あなたの、ものに、して……」
結合の最中、文香は、恍惚とした表情で、そう囁いた。その言葉は、彼女が自らの意志で、俺に完全に服従したことを示す、甘美な宣言だった。彼女の身体は、俺の動きの一つ一つに、正直すぎるほどに反応し、その膣壁は、俺の肉塊を、まるで離したくないとでも言うように、何度も、何度も締め付けた。
その夜、俺の部屋で、俺たちは、再び罪を重ねた。しかし、それはもはや、単なる過ちではなかった。それは、文香という存在が、身も心も、完全に俺専用のものになったことを確認するための、支配と服従の、神聖な儀式だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます