第3話:青年、拉致監禁されし事。
小学生だった頃の夢を見ていた。親父がせっかくの休みだからと、遊園地へ連れて行ってくれた日の夢だ。
ずっと楽しみにその日を待っていて、実際とても楽しかったはずなのに、やっぱり俺が出かける時は何かが起こる時だった。
閉園時間も近付いた夕暮れ時、最後に乗った観覧車が俺たち親子を最上部まで運んで、急にその動きを止めてしまったのだ。
機械の
細かな部分は
その夢の中の観覧車の揺れと、今の俺の体が感じる揺れがリンクしている。ガタガタ、ガタガタと。
そこで俺は、頭部に鈍い痛みを感じて夢から覚めた。こめかみの辺りから、ズキズキとした
周りを見ると、目元しか見えない出で立ちの男が二人、俺の左右に座って行き場を塞いでいた。
「目覚めやしたかい、兄さん」
振り返って声を掛けてきたのは、髪形の整っていないサングラスを掛けた男だ。その顔を見て、ようやく俺は自分の置かれた状況と、こめかみの痛みの理由を思い出していた。
「んんーーーーー!! んんんーーーーー!!」
せめてもの抗議を発してみても、口はガムテで塞がれてまともな発声にならなかった。気絶させられて忘れていたが、俺は現在進行系で
「静かにしろ!」
右隣の男が俺の頭を小突いて黙らそうとしてきたので、ムカついた俺は敢えてそれを避けずによろけたフリをする。
わざと肘が当たるようにしながら思い切り体重をかけてやったせいで、肘は右の男の脇腹をどつくような形になった。
「こ、この野郎……!!」
男が目に苛立ちを浮かばせて、ポケットからナイフを取り出して俺に突きつける。
「大人しくしないと、命の保証はねぇぞ!」
「おい、やり過ぎだ!」
左の男が止めようとしたが、俺はここぞとばかりに頭を振って、ナイフに飛び掛かった。
「うわっ!?」
ナイフの先端は口を封じていたガムテープに当たり、ほんの一センチ程度の穴を空けた。まさかナイフに向かって来ると思っていなかったのか、動揺したらしい右の男は思わずナイフを引っ込めた。
「やってみろ……こっちはこんなこと慣れてんだ……ナイフがあっても助かると思うなよ……」
狂犬のような顔をして、ガムテープに出来た隙間からくぐもった
「うるせ〜兄さんっすねぇ。もっと頑丈に留めてた方がいんじゃねっスか?」
助手席の大男のアドバイスのせいで、手錠の上から更にガムテープでぐるぐる巻きにされてしまい、手足の自由はほとんど無くなってしまった。もちろん口も再度塞がれた。
車は相変わらずガタガタ揺れ続け、いい加減腰が痛くなりそうだった。一体どんな悪路を走っているのか、不思議でならない。
スモークガラスが張られていて外は見ることが出来ず、運転席のディスプレイに表示されるはずのデジタル時計も見えないよう隠してあった。自分がどれだけ気絶していたかも分からないせいで、大まかな移動距離を推測することも不可能だった。
どうやらこいつらは、俺をどこに連れて行くのか是が非でも隠し通したいみたいだ。そこまでやられると打つ手はないので、俺はすっかり及び腰になっている両端の誘拐犯を
喉の奥から低い唸り声を絞り上げ、動かせる関節を捻っては抵抗の主張を続ける度に、貼られるガムテープの量はますます増えていき、最終的には発掘されたばかりのミイラのような俺が出来上がっていた。
そうして体感では二時間以上車で走って、ようやくバンはその走行を止めた。止まった先に見えたのは、
五階建ての、多分ホテルか何かだったんだろうと思われる建物だ。入口までの道は荒れ果てて、中も相当オンボロなのが予測出来る。太陽がかなり高い位置にあるように見えるので、少なくとも今の時刻は正午前くらいには差し掛かっていそうだった。
俺は動かせる部位がほとんど無かったため、後部座席の二人に手荒に頭と足を持たれ、荷物のように乱暴に持ち運ばれた。中に入ると、ホテルのエントランスに当たる場所に、何人かの人が待ち構えているのが見えた。
大多数は動きやすい格好をして、顔が分からないようマスクと帽子で隠す拉致の実行犯と同じ服装をしていたが、真ん中にいる一人だけはやたらと小綺麗な明るい色のスーツを着ていた。真ん中分けの髪形で、メガネを掛けたいけ好かない感じのする男だった。
「遅かったですね、
「
大男が不服そうに漏らすのを聞いていないのか、メガネは俺の方をちらりと横目で見る。
「
「
「そうですか。では、あとは
それだけ残して、メガネの男は外に出て行こうとした。その時点で俺は、冷凍マグロみたいに床に転がされている。俺の横をメガネが通る時、視線で噛みつかんばかりに
それから俺は四人掛かりで三階まで運ばれ、その中の一番奥まった一室のベッドに放り込まれた。やはりそこはホテルのような宿泊施設だったようで、部屋には鏡台や、椅子と机のような生活用品が一通り揃っていた。
ただしそれらは全て、十年以上は放置されていたであろうほどに埃を被って、今にも崩壊しそうな年代物ばかりだった。部屋の鍵もギシギシと
俺はベッドの上に放り投げられ、雑に捨て置かれた。一番後ろから着いてきていた大男が、他の男たちと二、三言会話を交わして部屋に残ると、他の連中は全員外へ出ていった。
大男は部屋の奥から椅子を持ってきて、ドアの前へ置いた。そしてそこへ腰掛けると、長い足を組んでこちらを眺め始めた。
「さぁて、逃げようなんてしねぇでくだせぇよ。手段を選ばずってのはこっちもやりたくねぇんで」
どうやら俺に話しかけているようだが、会話が成立するような状況でないことを忘れてるんだろうか。
「んーーー!! んんーーー!! ん!! んん!!」
俺は体を弾ませながら、自分の顔を
「あぁ、そういや喋れねんでしたっけ……ま、ガムテくらいは外してもいいか。舌噛んだりしねぇでくだせぇよ」
言うと男は有言実行、俺の口に貼られている分のガムテープだけは外してくれた。
「ぶはっ!! ハァハァ……へっくし!!」
呼吸と共に古い家屋の臭いが鼻を刺激して、それまで出すに出せなかったクシャミがようやく表に出てきた。埃も凄いし、老朽化も激しい。こんなところで監禁されるなんて、たまったもんじゃない。
とにかく会話が解禁されたなら、自分の置かれた状況を少しでも良くするのが俺に許された手だ。だから言葉は、慎重に選ばなければ。
「おい、アンタ……」
「へぇ、何でしょ」
俺はここに着いてから、一番気になって仕方なかったことを尋ねることにした。
「アンタ、ショージョーって名前なのか」
「
「ショージョーって、どんな字書くんだ? 表彰状とかの
「……はぁ?」
大男は当然の疑問を顔に浮かべたあと、額に手を置いて喉の奥で笑いを堪えているようだった。
「クッ……クククッ……口開いて一番に聞くのが相手の名前ですかい? 兄さん変わり者だねぇ。言っとくが
「そんなこと考えてない。ただ気になったから聞いただけだ」
「……
「へぇ……変なあだ名」
「自分から聞いといて、ひでぇ言い草だな」
男はやれやれといったジェスチャーをして、会話を終わらせようとした。しかし俺としては名前のことは単なる取っ掛かりで、ここからが本番だ。
「それで、交渉の余地は?」
「はぁ?」
「交渉だよ、コーショー。逃がしてくれとは言わないから、言うことの一つくらい聞いてくれてもいいだろ?」
余りにも
「それは内容次第っすかねぇ。何すか、別に命までは取られねぇっすよ、多分」
「多分じゃ意味ないだろ……それに要求はそんなんじゃない。親父には手を出さないでくれ。それだけだ」
ベッドへうつ伏せに転がされながら、俺は額をマットに擦り付けるように頭を下げた。自分の命を守るのはもちろん大事なことだが、相手が組織立って犯行に及んでいるなら家族にも牙を
「若ぇのに肝の座った要求じゃねぇすか。心配しなくても、あっしらが用があるのは兄さんだけでさぁね」
「本当か?」
「えぇ、ですがここで暴れたりこっちの指示を無視したりしたら……そん時は分かるっすよね?」
「無理に決まってんだろ」
けれど俺はそんなものは知らん顔して、自分の都合だけを口にした。
「だいたいそっちが無法なことしてるのに、なんで俺がお前らの勝手な言い分を聞かなきゃいけないんだ。立場分かってる?」
「……そりゃ概ねこっちの台詞だと思うんですがね。親父さんが危ない目に
「それはそれ、これはこれ。俺は可能な限りお前らから全力で逃げるし、その結果お前らが親父に危害を加えたら絶対に
一切のおふざけ無しで宣言してるのに、
「あ、あんま笑わせねぇでくだせぇよ……あっしはこれでも仕事は真面目にやる方なんすから……クククク……」
「アホか! こっちも至って真面目だ!」
「あーおかし……しかし兄さん、
「そりゃあ、三回目だからな」
「三回目?」
「
「そりゃまた……ご
悪党のはずの
「同情するなら逃がしてくれ」
「だから言ってるじゃないすか。あっしは真面目に仕事するタイプだって」
「とてもそうは見えないぞ。そもそも
「そりゃあっしは『外注』っすからねぇ」
「『害虫』?」
実は昆虫か何かだったりするのかと思って、
「……あー、口が滑った。今のは聞かなかったことにしてくだせぇ」
「害虫ってどういうことだ。駆除業者のことか?」
「何を言ってるか分かりゃせんが、理解してねぇならいいっす。あとは静かにしてくれりゃあ、あっしが言うことはねぇんすが」
「やだね! お前がうんざりしてノイローゼになるまで喋り尽くしてやるわ!」
「ったく……しょーがないすねぇ、じゃあこういうのはどうっすか?」
「今から兄さんの拘束を解いてやりやす。その上であっしに指一本でも触れることが出来たら、ここから逃がしてもいいっすよ」
「マジか! ボーナスゲームじゃん!」
「兄さんみてぇなタイプは、実力で思い知らされた方が
それは暗に、触れることすら許さないという
「本当に指一本でも触れたら、ここから逃がしてくれるんだな?」
「えぇ、ウソは言いやせん。出来るもんならね」
言いながら
全身のテープを
「さ、これで兄さんは自由っすよ。ちょっと遊びやしょうか」
そんな台詞を
「おっと、油断も隙もねぇ兄さんだ」
「さすがにそんな簡単に触らせちゃくれねーな」
当たり前だが
「……ッシャ!!」
気合いの声を上げて、俺は
「勢いだけはいいじゃねぇっすか。その調子その調子」
そして、その時は訪れる。
「おおぉぉぉぉ!!!」
勢いづいた俺の体当たりは、
俺が賭けたのは、部屋の鍵が老朽化で
ドアの他に窓へぶつかる方法も考えたが、ここは三階である。落ちて
何より外の連中は、
とにかく今は、ドアを破れるかどうかに掛かっている。猩々が気が付くよりも早く、ドアにぶつからなければ……。
しかし相手は、そんな俺よりも更に
まさか足が届くと思っていなかった俺は、
「ぶへぇっ!!」
「惜しかったっすねぇ。でも、ドアの方見過ぎっすよ。狙いがバレバレ」
立ち上がった
「くっ……離せ……!!」
「駄目駄目、ゲームはもう終わりっす。後はゆっくり寝てるといいっすよ〜」
背後から
「まぁそれなりに楽しんだんで、一つだけ教えてやりやすよ」
「兄さんは今日から三日後、マガヒコノオオカミの
その聞き慣れない神様の名前を聞いたところで、俺の意識は完全にブラックアウトしていた。
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