第37話 天才作曲家は(秘密の)城塞(スタジオ)で(才能の)原石(データ)を研磨(みが)き、(疑念の)視線(目)に射抜かれる

本日は2話投稿です。こちらは2話目です。

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「早く来い。お前の『魂』、……今度こそ『本物』の音で鳴らしてやる」


 俺はUSBメモリをメインPC(Kanata用)に差し込んだ。起動音と共に、複数の大型モニターがスタジオ内を青白く照らし出す。背後で春日さんが息を呑む気配がした。無理もない。ここはもう「音大生の部屋」の偽装(カモフラージュ)を解かれた、俺の本当の仕事場……『Kanata』の城塞そのものなのだから。


 春日さんはまだ部屋の入り口で立ち尽くしたまま、目の前の光景を信じられないといった表情で見回している。壁一面のシンセサイザーとラック機材。巨大なミキシングコンソール。防音処理された壁と天井。床に敷き詰められたケーブル類。どれもこれも、彼女が知っている「大学の練習室」や「隣人の部屋」とは明らかに異質だ。


「し、師匠……」  


 彼女の声が震えている。


「これ、本当に師匠の部屋、なんですか……? まるで、プロのレコーディングスタジオみたい……」


「言ったはずだ。詮索しない、と」  


 俺は努めて冷静に返しながら、Logic(正規版)を起動し、USBメモリから彼女のプロジェクトファイル『Kasuga_DEMO_Ver02.logicx』を開いた。  


(よし、破損はバックアップのおかげで最小限だ。問題なく開ける)


「……座れ」  


 俺は自分の椅子とは別に用意してある簡易的なパイプ椅子を指差した。コントロールルーム(スタジオの中枢部)に、易々と入れるわけにはいかない。


「は、はい!」  


 春日さんは、まだ周囲をキョロキョロと見回しながらも、恐る恐るパイプ椅子に腰掛けた。彼女の視線がデスクの隅に置かれた小型のMIDIキーボード(俺がレッスン用に普段使っているもの)と、目の前にある88鍵のマスターキーボード(プロ仕様)とを交互に見比べている。明らかにスケールの違いに戸惑っている。


「まず、音源(音)を変える」


 俺はLogicのライブラリから、俺が最も信頼しているピアノ音源…Ivory II(アイボリーツー)を選択した。数テラバイトに及ぶ、最高級のグランドピアノのサンプリング音源だ。Logic体験版の内蔵音源とは比較にすらならない。


「いいか? これが『本物』のピアノの音だ」  


 俺は、彼女が打ち込んだ『黒歴史(Cマイナー)』の冒頭部分を再生した。


 ――ポロロロロン……♪


 スピーカー(Genelec)から、深く、豊かで、生々しいピアノの音が響き渡った。それはもうPCの音ではない。コンサートホールで聴く、本物のグランドピアノの響きそのものだった。


「!」  


 春日さんが椅子から飛び上がりそうなほど驚いている。


「な、なんですか、これ……! 全然違う! 私が昨日まで聴いてた音と、全然……!」


「当たり前だ。機材(これ)が違う」


「き、機材……! あの、師匠!これも、もしかして、中古で……?」


「……さあな」  


 俺は曖昧に答え、作業を続けた。  


(これ以上、機材の話でボロを出すわけにはいかない)


 次に、彼女が苦戦していたストリングスとドラムの音源も、俺が普段使っているプロ用のものに差し替える。Kontakt(コンタクト)、Superior Drummer(スーペリアドラマー)。業界標準のモンスター級ソフトウェア音源だ。


「これで、もう一度聴いてみろ」  


 俺は彼女が作ったデモ(Ver.2)を頭から再生した。チープだったピアノは深遠な響きに。ペラペラだったストリングスは壮大なオーケストラに。打ち込み感の強かったドラムは、まるで生演奏のようなグルーヴを刻み始めた。彼女が紡いだメロディとコード進行はそのままなのに、鳴っている「音」が変わるだけで、曲の持つ説得力が何十倍にも増幅されている。


「…………」  


 春日さんは言葉もなくただスピーカーから流れてくる自分の「曲」を聴き入っていた。その目には、驚きと、感動と、そして畏敬のような色が浮かんでいる。  


(どうだ。これがプロの世界だ。これがお前が足を踏み入れようとしている世界の『音』だ)


 曲が終わっても彼女はしばらく動かなかった。やがてゆっくりと顔を上げ、俺を見た。


「……師匠」


「なんだ」


「私、……すごいところに来ちゃったんですね」


「……そうだな」


「それで、……師匠はどうしてこんな……」  


 彼女は言いかけて、ハッと口をつぐんだ。「詮索しない」というルールを思い出したのだろう。  


(危ない。核心に触れられるところだった)


「それより修正だ」


 俺は話を逸らした。


「お前のデモ、アイデアはいいがまだ技術が追いついてない。俺が手を入れる。見てろ」


「は、はい!」


 俺はマウスとキーボードを駆使し、彼女が苦戦していた箇所を猛烈なスピードで修正していく。ストリングスのベロシティカーブを滑らかに描き直し、人間らしい抑揚をつける。ドラムのタイミングを微調整しグルーヴを生み出す。転調部分のボイシングを、より洗練された響きに差し替える。俺(Kanata)にとっては日常的な作業

だ。だが春日さんにとっては魔法のように見えているだろう。


「すごい……! どうやって、そんな……!」  


 彼女は俺の手元とモニター画面を食い入るように見つめ、時折感嘆の声を漏らす。


(いいぞ。盗めるものは全部盗め)  


 俺はもはや彼女に技術を隠すつもりはなかった。見せられるものは、すべて見せてやる。それが俺(彼方)なりの、彼女(弟子)への、向き合い方だと思ったからだ。


 修正作業を進めるうち、俺は完全にゾーンに入っていた。彼女のメロディに触発され、俺自身のアイデアも次々と湧き上がってくる。


(ここのコード、F#m7(♭5)もいいが、Gsus4からの解決の方が、より切なさが出るか?いや、待てよ。ここで一瞬、メジャーコード(G)を挟んで、裏切るのも面白い……)


 俺は無意識に、修正している箇所の先の展開……つまり、俺(Kanata)が『Anima』で採用したコード進行やフレーズを鼻歌で口ずさんでいた。  


「♪〜〜 Gm7 C7 FMaj7……いや、Fm7か……」


「……師匠?」  


 春日さんの訝しむような声。俺はハッと我に返った。  


(まずい!今、俺『Anima』のフレーズを……!)


「今のメロディ……なんですか?」  


 彼女の目が鋭く俺を捉える。


「聴いたことないのにすごくしっくりくるというか……。私が作ろうとしていた『続き』のもっと先にある『答え』みたいな……」


(バレたか!?こいつの耳はやはり誤魔化せない!)


「あ、いや」


 俺は慌てて取り繕う。


「なんでもない。ただの、思いつきだ。……気にするな」


「でも……!」


「それより、ここだ!」


 俺は強引に話題を変えた。


「このサビ前のキメ。もっとタメを作った方が……」


 俺は必死に作業を続け彼女の意識を逸らそうとした。だが、俺は気づいてしまった。PCモニターの、ファイルブラウザの隅に俺が昨日まで作業していた、『Anima_Master_Ver03.logicx』というファイル名が小さく表示されていることに。  そして、そのファイル名を春日さんがじっと、見つめていることにも。


 (見られた……!)


 彼女は何も言わなかった。ただ、その目に確信に近い「疑念」の色が深く刻まれたのを俺は見逃さなかった。『Anima』……魂。ラテン語。彼女が知らないはずがない。俺(Kanata)が生配信で語った、「魂」の話と、繋がらないはずがない。


 重苦しい沈黙がスタジオに流れる。俺はただ黙々と彼女のデモの修正作業を続けた。春日さんもそれ以上何も聞いてこなかった。だが、二人の間の空気は明らかに変わってしまっていた。


 やがて、デモ(Ver.2改)の修正は終わった。「本物」の音源で生まれ変わった彼女の曲は素晴らしい完成度になっていた。


「……これで、どうだ」


「はい。すごいです。ありがとうございます、師匠」  


 彼女の声には、以前のような無邪気な響きは、もうなかった。


 俺は修正したデータを彼女のUSBメモリに上書きコピーした。


「持って帰れ。あとはお前がどうするかだ」


「……はい」  


 彼女はUSBメモリを受け取り静かに立ち上がった。


「あの、師匠」  


 帰り際、彼女はドアの前で振り返った。


「なんだ……?」


「ありがとうございました。今日のレッスンも。そして、私の秘密を知っていてくれたことも」  


 彼女は深々と頭を下げた。その言葉の本当の意味を俺はまだ測りかねていた。


 バタン。ドアが閉まり、俺は一人スタジオに残された。  


(……バレたのか?)  


(いや、まだだ。決定的な、証拠は、ないはずだ)  


(だが、……時間の問題か)


 俺はメインPCの画面を睨みつけた。


『Anima_Master_Ver03』。  


 この曲が世に出る時。彼女がこの曲を歌う時。俺たちの「秘密」はどんな形を迎えるのだろうか。俺の心は再び重い焦燥感に包まれていた。


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