第29話 天才作曲家は(二つの)返信(アンサー)と(新たな)課題(ミッション)を受け取る

 金曜日の昼過ぎに意識を失ってから次に俺が覚醒したのは土曜日の夕方だった。  スタジオ(本物)の椅子の上で固まった体を無理やり起こす。全身が軋むような疲労感。だが奇妙な達成感もあった。


(終わった……のか?)


 柊さんへの『Anima』提出。春日さんへのアドバイスメール送信。俺がやるべきことはやったはずだ。窓の外はすでにオレンジ色に染まっている。丸一日以上眠っていたらしい。腹が猛烈に空いていた。冷蔵庫を開けるが中身は空っぽのゼリー飲料の容器だけ。


(何か、食うか)  


 俺は重い足取りでリビングへ向かう。ローテーブルの上には、俺が置きっぱなしにしていた大学用のノートPC(偽装済み)と、春日さんの猫キャラ付きUSBメモリが残されている。


 ふと、左の壁(502号室)に耳を澄ませた。シン……としている。  


(寝てるのか? それとも俺のメール(ダメ出し)で心が折れたか?)  


いや、それはないか。あの春日さんに限って。きっと今頃俺のアドバイスを元にLogic体験版と格闘しているに違いない。


 俺はスマホ(Kanata用)を手に取った。柊さんからの返信はまだ来ていない。  


(まあ、金曜の昼に送ったんだ。土曜の今日中に返信があれば御の字か)  


 次に大学用のスマホ(彼方用)を確認する。春日さんからの返信は……来ていない。


(……さすがに、凹(へこ)んだか? 俺のダメ出し、厳しすぎたか?)


 いや、彼女ならきっと乗り越えるはずだ。根拠はないがそう思えた。


 俺はシャワーを浴び、最低限の身なりを整え、食料を調達するために久しぶりに外に出ることにした。玄関のドアを開け、廊下に出た瞬間。


「師匠!」


(うわっ!)  


 目の前に春日さんが立っていた。両手にはスーパーの袋。どうやら彼女も買い出し帰りらしい。その顔は睡眠不足なのか少しやつれている。だが目は爛々と輝いていた。


「おはようございます!」


「……もう夕方だ」


「あ! そっか! あの、師匠! メール、見ました!」


「ああ」  


 俺は身構えた。どんな反応が返ってくるか。「難しすぎて無理です」か、それとも

「師匠の言う通りやってみます」か。


「……すごいです!師匠!」


「は?」


「師匠のあのアドバイス! 『グルーヴ』とか! 『ボイシング』とか!私、全然分かってなかった!目からウロコでした!」  


(……そっちか)  


 ダメ出しされたこと自体に感動しているらしい。やはりこいつはどこかズレている。


「それで! 私、あれからずっと考えてたんです!」  


 春日さんは持っていたスーパーの袋(ネギが飛び出ている)を興奮気味に振り回しながら続けた。


「ストリングスの『ベロシティ』!ただ強くしたり弱くしたりするだけじゃなくて音の『立ち上がり(アタック)』とか『余韻(リリース)』も変えられますよね!?」


「(!こいつ、もうそこまで気づいたのか)」


「ドラムの『クオンタイズ』!あれ、カチッと合わせるだけじゃなくてわざと少しだけ『ズラす(スウィングさせる)』ともっと人間っぽく『跳ねる』感じになりませんか!?」


「(ああ。それは、プロ(俺)のテクニックだ)」


「あと、『ボイシング』!次のコードに行く時になるべく音が『近い』ところを通る

ように重ねると綺麗に聴こえる!」


「(『共通音保留』と『限定進行音』の概念まで、独学で掴みかけてる!)」


 俺はもはや相槌を打つことすら忘れていた。こいつは俺がメールで送ったたった数行の「ヒント」から、その先にある「音楽理論(ルール)」の本質を自分自身で猛烈な勢いで解き明かし始めている。


「だから私、もう一回やり直してます!師匠が『魂、聴こえた』って言ってくれたあのメロディをもっとちゃんと『音楽』にするために!」  

春日さんは決意を込めた目で俺をまっすぐ見つめた。その目にはもう昨日までの「初心者」の面影はない。一人の「クリエイター」の顔つきだ。


「……そうか」  


 俺はそれだけ言うのが、精一杯だった。


「頑張れよ」


「はいっ! あ!そうだ!師匠!」  


 春日さんがスーパーの袋から何かを取り出した。……栄養ドリンクだ。


「これ!徹夜明けにはこれが一番って夏目くんが!」


「(……智也め。余計な情報を)」


「……サンキュ」  


 俺はそれを受け取った。


「じゃあ私、作業戻ります!今日中にVer.2送りますね!」


「ああ」


 春日さんは自分の部屋(502号室)に嵐のように戻っていった。


 俺は手に残った栄養ドリンクを見つめた。  


(こいつは、もう大丈夫だ。問題は、……俺(Kanata)の方だ)


 俺はそのままエレベーターには乗らず自分の部屋(501号室)に戻った。スタジオの椅子に座りスマホ(Kanata用)を確認する。……来ていた。柊さんからの返信。


 俺は、栄養ドリンクのキャップを開け一気に呷りメールを開いた。


『Kanata先生。Anima、拝聴しました』  


(……どうだ)


『言葉もありません』  


(……悪い、という意味か?)


『これは、……あなたの、「魂」そのものですね』


『Luminousとは対極。それでいて間違いなくKanata(あなた)の音』


『そして、……驚くべきことに白亜凛音(彼女)の声が聴こえる』


『まだ、誰も聴いたことのない彼女の奥底にある「魂」の叫びが』


(……!……伝わったか。……俺が、この曲に込めた想い)


『正直この曲を彼女が今の段階で歌いこなせるかは未知数です』


『あなたの「ボーカル・エディット最小限」という条件はあまりにもリスクが高い』


『……ですが』


 メールは続いていた。


『この曲(Anima)を聴いてしまった以上もう他の選択肢は考えられません』


『やりましょう。あなたのその「賭け」に、……私たち(レーベル)も乗ります』


『ただしレコーディングは来週水曜日。時間はありません』


『……彼女を「育てて」ください。あなたの「魂」を歌いこなせるレベルまで』


『それが、できなければ、……』


(……できなければ?)


『その時は、あなたの「編集技術(ゴッドイーター)」ですべてを「完璧」にしていただきます』


『……フフ』


「…………」  


俺はスマホをデスクに置いた。  


(……条件付き、か……だがチャンスは貰えた)


 来週水曜日。レコーディングまで、あと、四日。その間に俺は二つのことを同時に成し遂げなければならない。一つは、『Anima』の完璧なオケ(伴奏)データの完成。もう一つは、春日さん(白亜凛音)をこの、『Anima』という俺(Kanata)の魂の塊を生身(ノーエディット)で歌いこなせるレベルまで引き上げること。


(できるのか?俺に、『天音彼方』として『Kanata』であることを隠したまま……どうやって?)


 コンコン。壁が、叩かれた。  


(……春日さんか)


「師匠ー! Ver.2、できました!今、メール送りましたー!」  


(早い!早すぎる!)


 俺は、慌てて大学用のノートPC(偽装済み)を起動した。メールソフトを開く。  受信ボックスに『春日美咲』からの新着メール。  


件名:『Ver.2です! 魂、込めました!』


添付ファイル:『Kasuga_DEMO_Ver02.logicx』


 俺は覚悟を決めた。  


(やるしか、ない……俺(彼方)とあいつ(春日さん)の本当の『共同作業』が、今、始まる)


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