第22話 天才作曲家は(本気の)魂(レッスン)と(高級)音源(サウンド)と(迫る)時間(リミット)に焦燥する

「俺の『秘密(とっておき)』の音源、使わせてやる」


 俺はUSBメモリを取り出した。シルバーの何の変哲もないスティック型のメモリ。だがこの中には俺(Kanata)がプロの現場で使っている、選りすぐりのソフトウェア音源……それも特にピアノとストリングス(弦楽器)の最高級ライブラリがいくつか「移植」されている。本来ノートPC(しかもLogic体験版)で軽々しく扱える代物じゃない。下手をすればPCがフリーズする。


「ひ、秘密の音源……?」  


 春日さんが、目を輝かせている。  


(まずい。期待させすぎた)


「あ、いや。大したものじゃない」  


 俺は慌てて付け加える。


「ただのフリー(無料)の音源だ。ネットで拾ったやつ。でも、PC(これ)の内蔵音源よりは多少マシな『音』が出る、はずだ」  


(完璧な嘘だ。フリー音源なわけがない。このピアノ音源だけでそこらのバイト代の数ヶ月分が飛ぶ)


 俺はUSBメモリをノートPCに差し込み、慣れた手つきで音源ライブラリをLogicに読み込ませる。  


(頼む。フリーズしないでくれポンコツPC)  


 幸いPCは悲鳴を上げながらもなんとか音源を認識した。


「よし。春日さん。もう一度、さっきの『黒歴史(Cマイナー)』、再生してみろ」


「は、はい!」  


 春日さんが再生ボタンをクリックする。


 ――ポロロロロン……♪


 さっきまでのチープな電子音とは別次元の、……深みと艶のある、本物のグランドピアノのような音が部屋に響いた。俺が高校時代に書いたあの荒々しく未熟なメロディがまるで、高級なドレスを着せられたかのように生まれ変わっていく。


「わ……! わ……!」  


 春日さんが息を呑んだ。


「すごい……!音が全然違う……!生きてるみたい……!」  


(だろうな。生きている(本物のピアノをサンプリングした)音だからな)


「師匠!これ本当にフリー(無料)なんですか!?」


「ああ。……(『フリー』の定義にもよるが)」


「私も欲しいです!ダウンロードできますか!?」


「いや、これは配布元がもうサイト閉鎖してて……」  


(苦しい言い訳だ。だがこれで押し通すしかない)


「そ、そっか……。残念……」  


(よし。第一関門、突破)


「それより、春日さん」  


 俺は彼女の才能(モンスター)への、次の「餌」を与えることにした。


「さっきお前が見つけた、『ミ♮(ナチュラル)』の音」


「あ、はい!」


「あそこだけ、ピアノじゃなくて別の楽器の音に変えてみろ」


「え!?そんなことできるんですか!?」


「ああ。このソフト(Logic体験版)にもいくつか別の音色(プリセット)が入ってるはずだ」


 俺は音色(トラック)の変更方法を手早く教える。


「ストリングス(弦楽器)か、……ベル(鐘)の音あたりが合うかもな」  


(……と、俺(Kanata)なら思う)


「わー! いっぱいある!えーっと……」  


 春日さんは目を輝かせながらプリセットリストをスクロールしていく。そして彼女が選んだのは。俺の予想とは違う音色だった。


「これ、どうですか? 『Music Box(オルゴール)』」


「オルゴール?」  


(なんでそこでオルゴールを選ぶんだ……俺のあの重苦しいCマイナーの曲(黒歴史)に?)


「再生してみろ」


「はい!」  


 春日さんが四小節目の「ミ♮」の音だけをオルゴールの音色に変え再生した。


 ピロリン……♪(ピアノ)…… …… …… キラリーン……☆(オルゴール)


「…………」  


(悪くない。いや、むしろ天才か、こいつは)


 俺が意図した「暗闇(マイナー)の中の一筋の光(メジャー)」。その「光」の音色を力強いストリングスや神々しいベルではなく、……か細く、……儚い「オルゴール」の音にすることで。その「光」が「希望」でありながら同時に

「壊れやすさ(脆さ)」も持っているという新たな「意味(レイヤー)」が生まれてしまっている。


 俺(Kanata)でも思いつかなかった解釈(アレンジ)だ。


「ど、どうですか……?やっぱり、変、ですかね……?」  


 春日さんが不安そうに俺の顔を窺(うかが)う。


「……いや」  


 俺は二度目の敗北を認めた。


「それがいい。……それが正解だ」


「!やったー!」


(ダメだ。教えるとかそういうレベルじゃない。こいつは勝手に育っていく……俺はただこいつが道を踏み外さないように最低限の「ルール(理論)」と「道具(ツール)」を与えるだけでいいのかもしれない)


 俺たちの奇妙な「共同作業」は続いた。春日さんが俺の「黒歴史」の楽譜を打ち込んでいく。俺は操作方法を教えるだけ。音程やリズムの間違いは彼女自身が「耳」で気づき修正していく。俺が驚いたのは彼女の「リズム感」だった。


「師匠。ここの、八分音符、なんか楽譜だとカクカクしてるけどもっとこう……跳ねる感じじゃないですか?」


(……!気づいたか。俺が当時楽譜(ルール)に縛られて書ききれなかった本当の『グルーヴ』に)


「ああ。……やってみろ」


「はい!」


 俺の書いた「楽譜(ルール)」。春日さんの「感覚(耳)」。二つがぶつかり合い、融合し、俺の「黒歴史」は俺自身も知らなかった「本当の姿」へと生まれ変わっていく。


 時間はあっという間に過ぎた。窓の外が茜色に染まっている。  


(もう、夕方か)


「よし。今日はここまでだ」


「えー!もう!?あともう少しで最後まで打ち込めたのに!」


「目が疲れるだろ。続きはまた今度だ」  


(……というか、俺の胃がもう限界だ。才能(モンスター)と長時間向き合うのは精神(メンタル)を削られる)


「はーい……。分かりました……」  


 春日さんは名残惜しそうにPCの電源を落とした。  


(あ、ヤバい。偽装アカウント(University)、ログアウト忘れるなよ俺)


「師匠!今日は本当にありがとうございました!」  


 春日さんが玄関で深々と頭を下げた。


「すっごく楽しかったです!作曲ってこんなに面白いんですね!」


「別に。作曲じゃない。ただの打ち込み(データ起こし)だ」


「ううん!作曲です!だって師匠の『魂(心)』、私少し触れた気がします!」


「……(やめろ。気安く、触るな)」


「……あ」


 帰り際春日さんが何か思い出したように振り返った。


「師匠。あの黒いカーテンの奥……」


「(!)」  


(まだ気にしてたのか、あれ)


「やっぱり、今度見せてもらえませんか?師匠の、『宝物(本当)』」


「……っ!」  


 俺は言葉に詰まった。  


(『宝物(本当)』?……違う。あれは俺の『呪い(呪縛)』だ。あれを見たらお前は俺(Kanata)にたどり着いてしまう)


「ダメだ」  


 俺は低い声で言った。


「あれは、……まだお前には見せられない」


「そっか。……残念」  


 春日さんはあっさりと引き下がった。  


(助かった)


「じゃあ、師匠!また来週!レッスンお願いします!」


「……(来週もやるのかこれ)」


「あ!その前に明日の夜!」


「……(?)」


「私の『推し(凛音)』の初めての『歌枠』配信あるんです!師匠も絶対見てくださいね!」


「……(歌枠? こいつが?『Luminous』歌うのか?)……それは聴かないわけにはいかないな)


「ああ。……気が向いたらな」


「絶対ですよ!じゃあ!」  


 春日さんは嵐のように去っていった。


 ……バタン。俺はドアを閉めその場にへたり込んだ。  


(疲れた)


 ローテーブルの上には打ち込み途中の「黒歴史(改訂版)」のデータが残っている。  俺はPCを起動し偽装アカウント(University)から本物(Kanata)のアカウントにログインし直した。そしてさっきまで春日さんと作っていたあのデータをこっそり自分のプロジェクトフォルダにコピーした。


 再生ボタンを、押す。


 ――ポロロロロン……♪……キラリーン……☆


 (悪くない……いや、めちゃくちゃ、いい)


 俺(過去)の魂(メロディ)。春日さんの魂(アレンジ)。  


(これが、……俺たちが、『二人』で作った最初の曲)


 ……ピコン。PCに通知が来た。柊さんからメールだ。  


 件名:『Re: 緊急:Kanataブランドの今後の方向性について』


(……来たか。アンチ(過去)への回答)


 俺は再生中の「黒歴史(デュエットVer.)」の音を止めた。  


(どうする、俺……『Kanata』として『魂(これ)』を世に出すのか?それとも『鏡(Luminous)』の仮面を被り続けるのか?)


 俺の本当の「作曲レッスン」はまだ始まったばかりだった。


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