第11話 九九魔殺し
カイレム要塞、死守成功。
その報せは新聞を通じて王国中に伝わり、軍に不信感を抱いていた国民たちを安堵させた。
王都に帰ってきたエイガルたちは、いつもより賑やかな人々の姿を見て少し嬉しくなる。戦争を肯定するつもりはさらさらないが、命を張った甲斐があった。
号外の新聞が街で配られていたため、エイガルは一部受け取って内容を確認する。先の防衛戦の詳細が上手くまとめられていた。
「人よりも情報の方が圧倒的に早い時代か。この速度……馬ではないな。何を使っとるんじゃ?」
「通信石と呼ばれる道具です。数は少ないですが、重要なポストにさえ行き渡れば組織は上手く機能しますから」
聞いたことのない通信手段だが、効果は予想できる。かつて戦場で、遠くにいる人物へ声を届けられる魔法使いと出会ったことがあった。あれと似たようなものだろう。
エーテル技術はつくづく便利なものだ。選ばれし者にしか使えなかった貴重な魔法が、今や誰にでも使えるようになっている。生産量が課題らしいが、いずれ量産技術も磨かれていくだろう。
在るべき未来に思いを馳せていると、ドーズが難しい顔で新聞の記事を読んでいることに気づいた。
「ドーズ、どうしたんじゃ?」
「……いえ、新聞に我々のことが載っていないので」
「扱いが難しいんじゃろうな。……儂らは王族お抱えの少数部隊。武装も独自開発したものばかり。何より軍で孤立しておる。祭り上げるには面倒な連中じゃろう」
孤立している少数に光を当てれば、孤立していない大多数の反感を買うかもしれない。要塞死守という華々しい報せを、一点の曇りなく公表したいという記者の気持ちもよく分かる。
かつて嫌というほど名声を浴びたエイガルが、今更それを欲することはない。アリエも欲しているのは肩書きではないため、新聞での扱いは気にしていないようだった。
ドーズだけがいつまでも不満げだった。
エイガルは首を傾げる。どちらかと言えば大人しそうな印象だったドーズだが、これで存外、功名心があるのかもしれない。
仲間の意外な一面に驚きながら、特機武装隊の基地へ向かう。
基地の入り口に、金髪碧眼の美しい少女が佇んでいた。
「三人とも、無事ですね」
エイガルたちの無事を確認したマーセリアは、心底ほっとしたような顔で胸を撫で下ろした。
三度の飯より機械弄りが好きそうな彼女が、まさか出迎えてくれるとは思わなかった。今日帰るという報告を受けてから、ずっと基地の入り口で待っていたのかもしれない。
「仕え甲斐があるのぉ」
「その点に限っては同意します」
「……自分も同意見です」
エイガルの呟きに、アリエとドーズが共感する。
当の本人であるマーセリアだけは、首を傾げていた。
「すぐに装備の感想を聞きたいところですが……エイガル様、ギュスター大佐がお呼びです」
「儂?」
「敵の隊長を倒した兵士に、一言礼を言いたいとか。倒したのはエイガル様ですよね?」
「ん、まあ儂じゃな」
確かに直接倒したのは自分だが……あの戦場にいたのは自分一人ではない。
「アリエとドーズも連れて行ってよいかの? 儂一人では生きて帰れなかったかもしれんのでな」
「分かりました、私が許可します」
柔軟な上司で助かった。エイガルたちはすぐにギュスターのもとへ向かう。
カイレム要塞に駐留していたギュスター率いる第二国境防衛隊は、エイガルたちとは別ルートで王都に帰還していた。エイガルたちの帰還が彼らより遅れたのは、防衛隊が安全に帰還できるよう定期的に後方を確認していたからである。現在、カイレム要塞を守っているのは魔導歩兵隊だ。
「ギュスター大佐とは、どういう人物なんじゃ?」
エイガルの問いに、ドーズが答えた。
「カイレム要塞を預かる第二国境防衛隊の隊長です。喜怒哀楽がはっきりしており、少し傲慢なところもありますが……」
丁寧な説明だった。
その続きを、エイガルは割り込むように口する。
「戦略は極めて几帳面。結果を出した人間には正しい評価を下す。そういう人柄か?」
「……そうです。なので、なんだかんだ人望もあります」
ドーズは微かに驚きながら肯定した。何故、知っているのだろうと言わんばかりの顔だ。素直に尋ねてくれてもよかったが、まだドーズとはそこまでの信頼関係を築けていないらしい。
(やはり、か……)
名を聞いた時から、もしかしたらと思っていた。
ギュスターが休養している隊舎に入ると、受付の男が近づいてきた。所属を伝えるとすぐに用件を察し、エイガルたちを案内する。
受付の男がドアをノックし、開いた。
「大佐、特機隊の方が来ました」
「おぉ!! お前たちが、我が要塞を守ってくれた兵士か!!」
ギュスターは革製のソファから勢いよく立ち上がる。
見たところ負傷はしていない。強いて言うなら薄毛が目立った。要塞の防衛には並々ならぬ心労が重なるのだろう。今回の休養で羽を伸ばせればいいが。
「特機隊の兵士と直接顔を合わせるのは初めてだな。私はギュスター=ロブナンツ大佐。カイレム要塞の責任者だ」
「アリエ一等兵です」
「ドーズ一等兵です」
アリエとドーズが敬礼する。
軍人の素早い礼儀作法に、エイガルは一瞬遅れてしまった。しかしギュスターは特に気にすることなく笑みを浮かべる。
「うむうむ、二人とも若いのに覇気のある目をしているな。そのまま精進するがいい!!」
余分な上から目線に、アリエとドーズの顔が若干引き攣った。
「それで、敵の隊長を倒したのは…………」
ギュスターがエイガルに視線を移した。
「……ん? お前、私と会ったことあるか?」
どうやらギュスターも多少は覚えていたらしい。
エイガルはアリエたちの見様見真似で敬礼する。
「エイガル=クラウス二等兵じゃ」
エイガルが名を告げた途端、ギュスターは目を見開いた。
「あ、あぁ……ッ!! 貴方は…………ッ!!」
ギュスターがわなわなと震え出す。
その様子が気になった受付の男が、ギュスターに近づいて声をかけた。
「ギュスター大佐、どうされまし――」
「頭を下げろ!! 無礼者ッ!!」
ギュスターが男の頭を鷲掴みにして、無理矢理下げる。
「おぉ、おぉぉ……ッ!! そうですか、そうですか……!! 帰ってきてくれたのですね……!!」
ギュスターは感極まるあまり涙を零していた。
上官のただならぬ興奮に、アリエとドーズも困惑している。
ギュスターはエイガルのことを知っていた。かつて、この男が何と呼ばれていたのかを――。
「伝説の老兵……かつて世界を救った、
興奮するギュスターとは裏腹に、エイガルの心は緩やかに冷えていった。だがそれを表に出さないのが良心だと思った。
やはり、魔殺しの名で呼ばれるのは好きではない。
「文学を愛する気弱な男が、随分出世したのう」
「う……それは言わんでください。人の上に立つには、相応しい態度を身につける必要があったのです」
エイガルの知る二十年前のギュスターは、三十代半ばで、中尉だった。昇進が遅いことをコンプレックスに感じているにも拘らず、文学の世界に現実逃避してそれをやり過ごしてしまう気の弱さが印象的だった。
この二十年で進歩しているのは技術だけではないらしい。コンプレックスを抱えた男が、それを克服して前に進むには充分すぎる時間だったようだ。
「しかし、納得しました。特機隊の活躍の裏には貴方がいたのですね」
「ギュスター、それは違うぞ」
きっとそう言われるだろうと予想していたエイガルは、すぐに首を横に振った。
「ここにいるアリエとドーズがいなければ、儂は無事に生還できたか怪しい。それに、儂が使用した武装はマーセリア殿下が独自に開発したものじゃ。あれがなければ善戦もできんかったじゃろうな」
「そ、そうですか……貴方がそう言うなら、真実なのでしょう」
物分かりがよすぎるギュスターの態度に、アリエたちは驚いていた。しかしエイガルは知っている。どちらかと言えば、こちらが彼の本性だ。
「私は今まで特機隊の価値を疑っておりました。しかし今回の特機隊の働きは、軍でも高く評価されています。……今後、特機隊の評価は改められていくでしょう。私もその一助となります」
「うむ、それはありがたい」
エイガルにはそれほど功名心がない。だが心残りがあるとすれば、マーセリアだった。あれほど聡明で有能な人物が、見下されるなどあってはならない。
「そ、そうだ!! 貴方さえよければ、私の麾下に入りませんか!?」
ギュスターは名案を思いついたかのように、興奮気味に言う。
「特機隊を悪く言うつもりはありませんが、貴方は本来なら最前線で戦う性分でしょう? 私の部隊ならそれが叶います!! 地獄のような戦場が待っていますよ!!」
その条件で人を勧誘できるわけがない。……いや、昔のエイガルなら行ったかもしれない。
「すまんが、儂は殿下に仕えると決めたばかりでな」
「……分かりました。残念ですが無理強いはしません。今はただ、貴方が戦場に帰ってきたことを喜びましょう」
あからさまに落ち込むギュスターを見て、エイガルは居たたまれない気持ちになった。
積もる話もなくはないが、マーセリアが待っている。本当は装備の使用感を聞きたくて仕方ないだろうに、彼女は送り出してくれたのだ。早めに帰ってやりたい。
エイガルは踵を返した。
その背中に、ギュスターの叫びが響く。
「九九魔殺しよ!!」
振り返るエイガルに、ギュスターは不安げな顔で尋ねた。
「また、貴方に期待してもいいのか……?」
かつての活躍を、これからも期待していいのか?
そんなギュスターの問いに、エイガルの老いぼれた脳味噌は、反射的に言い訳ばかりを並べた。
歳だからもう無理だ――。
昔とはワケがちがう――。
今の時代には儂より優れた戦士がいる――。
隠居と共に、エイガルの心には弱さが巣食った。その弱さは老いを餌に膨れ上がる。長らく共生していたせいで、切っても切れない関係だった。
だが、その弱さにも弱点はあった。
マーセリア=リヒテイルという光だ。
――貴方を蘇らせてみせましょう!!
少女の宣言は今もエイガルの耳に残っている。
あの言葉を思い出す度に、エイガルに巣食う弱さは萎んだ。
「無論じゃ、儂に任せとけ」
勝ってみせよう。
老いという名の敵にも。
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