第11話: 地獄の窯の蓋が開いた日




 とりあえず学校に行く準備をしようと思った僕だけど、ここで問題が一つ。



 それは、色々あってすっかり忘れていたけど、学生服をクリーニングに出し忘れていたってこと。


 僕の部屋って物置小屋だったから、時期によっては湿気とか臭いがどうしてもこもるわけ。


 やっぱりさ、臭いって思われるのは、嫌じゃん? 


 だから、中学の時から、夏休みとか長期の休みの時は、必ずクリーニングに出していたんだけど……今回は、すっかり忘れていた。


 なので、今回ばかりはもう仕方がないから、始業式の日に頭からペンキを被って大変だったって事にして……今回は私服で行く。



 そんなわけで、だ。



 『部屋』の外に出た僕だけど、すこししてから周りの様子が違うことに気付く。


 出た直後は周りに人が居なかったので気付かなかったが、ある程度の人通りがあるところに出て……誰も彼もが頭上を見上げ、あるいは指差していた。


 いったい、なんだろうか……そう思って見上げた僕の視線の先にいたのは。




 ──やあ、人間たちよ、私です。




 雲海の隙間より、後光と共に姿を見せている……遠目でもその巨大さが窺い知れる、ビッグボディになっている謎のお姉さんであった。


 なんだろう、テレパシーってやつなのだろうか。


 姿を認識した瞬間、お姉さんの声が頭の中に響いてくる。それはまるで、事前に録音した音声を流すがごとくであった。


 内容は、先ほど『部屋』でお姉さんから話された事のおさらいというか、少し言葉を変えただけで同じ内容だ。




 一つ、人類含めてこの星の生命体に、当人の情報を『ステータス』という形で客観的に見られるようにした。


 二つ、私は神様でも天使でもないので、そこは勘違いしないように。


 三つ、人類に曇りなき眼なんて端から期待していないし、いいかげん文明リセットからやり直すのは嫌なのです。


 四つ、とりあえず、悪い事とかしていなかったら気にする必要とか無いから。隠す時点で悪い事していますよってアレだから。


 五つ、私は天使ではない。それだけは覚えておくように。




 大まかにまとめると、この五つ。


 この五つを延々と繰り返しており、どうやら今日一日はずっと頭の中に響くので我慢しなさい……ということだった。



 ……なるほど。



 プライバシー……知らない食べ物ですね、そう言わんばかりな内容によって、要は内心の秘密が赤裸々に公開されてしまっているようだ。


 あのお姉さんの言う通り、『童貞』とか『猪突猛進』とか、そりゃあ知られると恥ずかしく感じてしまう部分はあるけど、そこまで隠すかと言えば、そうではない。



 だって、事実だし。



 実際に僕は童貞で猪突猛進(うっすら、自覚はあったけど)だから、知られてしまうのは恥ずかしいけど、否定はできないから。


 だから、そこまで気にする必要はない……のかもしれない。少なくとも、知られたら信用に関わるようなモノを抱えてさえなければ。



(なんとも分かりやすい、道理で殴りあいしている人がいるわけだ……)



 そうして、改めて辺りを見回して……まあ、納得する。


 おそらく、大学生グループなのだろう。


 男が2人、殴り合っていて、女が1人泣き叫んでいる。


 短髪の男と、なんか異性からモテそうな男と、異性からモテそうな女の3人。


 その周りで、男たちの喧嘩を止めようと、おそらく知り合いらしき人たちが拘束に動いていた。


 痴話喧嘩の類にしては、ずいぶんと派手だ。


 それに、なんと言い表せば良いのか……モテそうな男と女に向けられる視線がなんか冷たく、短髪男の方には……こう、同情がこもった視線が……??? 


 不思議に思い、ゲスな好奇心に引き寄せられるがまま、ソーッと回り込むように近付き……3人の頭上に表示されているステータスを見た。



 まず、短髪男。


【ひみつ】:浮気サレ男、生真面目


【私からの一言】:浮気されていますね、別れた方が吉。このままだと確実に托卵されますので、速やかに動きましょう。あと、体力をつけなさい。



 次に、モテそう男。


【ひみつ】:ヤリチン、女泣かせ、フィジカル良し


【私からの一言】:祝・7人目の彼氏持ちの女を食いましたね、おめでとう。貴方には称号を与えましょう、次は経験人数30人を狙いましょうね。



 次に、泣いている女。


【ひみつ】:浮気者、托卵予定


【私からの一言】:生存戦略として、強い雄の子を産み、それより弱い雄を騙して育てさせる方法は間違っていません。胸を張りましょう、貴女はそれができる人です。




 ……う~ん、納得した。



 どうやら、短髪男と女は彼氏彼女で、彼女がモテ男と浮気して、子供がデキたら短髪男を騙してそのまま育てさせよう……って考えていたようだ。


 道理で、周りからの目が冷たいわけだ。


 特に、男からの視線がガチで冷たい。


 そりゃあそうだ、自分の子供でないのに、子供と偽って面倒みさせようとたくらんでいたわけだし。


 ていうか、称号を与えましょうっての、すごい。


 だって、モテ男の頭上に表示されているステータス、デカデカと『祝! 彼氏持ち女食い7人目!』って文字が別に表示されているから。


 しかも、なんか輝いている。若干、点滅もしている。


 まるで夜中のネオンのようにやけに目について、事情を知らない通行人が、「あっ……」って呟いて遠ざかっていくぐらいに目立っていた。


 そんな中で、なんか女の味方をしようとしていた人がいたっぽいけど……たぶん、少し離れたところでギャーギャー騒いでいる人たちかな。



【ひみつ】:浮気者。



 自然と、頭上に表示されている項目の一部が眼に止まる。


 なんか一生懸命頭上に表示されているステータスを消そうとしているっぽいけど……あれ、なんで表示したのだろう? 


 たぶん、売り言葉に買い言葉みたいな感じで、『そこまで庇うおまえ、もしかして……』みたいな流れになっちゃって、表示するしかなくなったのかな? 


 ちなみに、ステータスを表示していない女からの視線の割合は、8:2で嫌悪側が多い。


 残りの2割は……なんか変に青ざめているというか、様子がおかしい……まさか、托卵とまではいかなくとも、浮気とかに身に覚えあり、とか? 


 ……まあ、考えるだけ無駄か。


 他人の事だし、他所の痴話喧嘩に首を突っ込むほど野暮な事は無い。事情も知らない……いや、事情を知っていても、無視した方が吉だ。



(……そういえば、さっきから頭の中に響いてくる説明、表示したステータスの消し方とか伝え忘れてない?)



 まあ、それはそれとして。


 僕はお姉さんから直接話を聞いたから分かっていたけど、先ほどから続いているステータスの説明に、足りない点があるよ……と、心の中で念じると。




『──あっ』




 ピタッと、雲海の向こうに見えるビッグお姉さんが、その呟きと共にピタッと動きを止めた。



 ……。


 ……。


 …………うん、まあ、何事も初めは失敗が付き物だし、ね。







 ──さて、そんな感じで道草を食いながらも、学生服をクリーニング屋へと持って行き……いざ、学校へ。



「……どこのクラスの生徒だ? かなりの遅刻だが、今はいい。制服はどうした?」

「1-Cです。制服はペンキが被りまして。なんとか頑張ったんですけど、こりゃあもうクリーニングに出すしかないって感じで、店に出してから来ました」

「最初からクリーニングに出せば良かっただろう」

「それは分かっていたんですけど、店に出すと高いじゃないですか。でも、臭いが残るし、うまく取れないしで、こりゃあもう無理って」

「そうか、それは災難だったな。とにかく、担任には私からも伝えておくから……辛くなったら、事後承諾で構わないので早退しなさい」

「はい、失礼します……あの?」

「ああ、コレか? 君も聞こえているだろう、空のアレを」



 正面玄関にて、たまたま遭遇した教頭先生に挨拶をする。


 とりあえずの事情説明の後で、僕は堪らず先生の頭上に表示されているステータスに付いて尋ねる。




【ひみつ】:アイドル会員(会員番号147)、腰痛、生活習慣病


【私からの一言】:ファン歴35年の一途な愛には脱帽です。良いですね、どんな形であれ、ここまで長く誰かを愛し続けるのは。奥さんも、もう呆れて諦めていますね。




 やはり眼に止まるのは、フィジカル部分のステータスではなく、その部分。特に、アイドル会員のところ。


 既に、ステータスの消し方は通達されている。


 だからもう、ひとまずの混乱は治まり始めているはずだが……どうして、表示したままで居るのだろうか? 



「……君はどうも落ち着いているようだから、先に話しておこう」



 気になっていると、教頭先生は……静かに、それでいて、しっかり僕の目を見つめながら話してくれた。



「コレが一過性の事で、人々が白昼夢を見ていただけ……で済むなら良いのだが、もしも永続的に続くことならば……今の内に、コレを開示することに慣れておいた方が良い」

「え?」

「そうなれば、コレを開示できない者は、自らが人には言えない何かを行っていると周りに言うも同然になるだろうからね」

「そうなります?」

「まあ、適当な屁理屈を持ち出して、見せないのが当たり前といった空気を作ろうとするだろうが……それでも、開示しない者に対して一定以上の信用は置かれない時代になるだろう」



 なにせ……その言葉と共に、教頭先生は己のステータスを指差した。



「空の彼方のアレが何者なのかは分からないが、超常的な存在なのは確かだ。事実、妻ですら知らない私の会員番号がここにはある」

「そうなんですか?」

「そうだ。だから、開示した時点で、自分は悪い事は何もしていないという証明になり、開示できない時点で、その証明ができないと宣言するも同然になる」

「おぉ……」

「だから、もしもコレが終わらないようであれば、君も今の内に覚悟をしておきなさい」

「はい、そうします。ところで先生、なんかやけに冷静ですけど、どうしてなんですか?」

「私はこれでも、学生の頃は数学にのめり込んだ時期があってね。事実は事実として受け入れ、受け入れるのは大事だよ」

「なるほど、参考になります」



 それから、えっちらおっちら教室へ……という感じで、約1ヶ月ぶりとなる、『1-C』の教室の扉を開いた。



「すみません、遅刻しました。制服がヤバいことになったんで」



 その言葉と共に教室に入れば、ジロッと視線が集まる。


 いくつか空席になっているけど、これってアレかな、ステータスを閉じることができず、開示されたままで耐えきれず保健室からの早退……だろうか。


 まあ、そうなっても不思議ではない。おそらく、ひと騒動あったのだろう。


 緊急的な学級閉鎖とかしたらよいのでは……って思わなくはないけど、たぶん前例とか規則とか無いから、勝手にそのような判断が出来ないのかもしれない。


 だからまあ、辛うじて避けられた人は、そのまま残っているのだろう。


 人によっては、そりゃあもう引きこもりたくなるような秘密まで開示されてしまうから、早退しても……ていうか、僕の童貞も露見するとそれはそれで恥ずかしいし。


 なんと言えば良いのか、クラスメイトたちもそうだけど、この時間を担当している先生もどこか上の空という感じで、そういう空気が室内に満ちているように見えた。



「……えっと、小山内くんだね。とりあえず、席に座りなさい」

「はい」



 とりあえず、着席を促されたので、自分の席へ。



 ──浮気した最低野郎。


 ──なんで平気な顔で


 ──信じられない、彩音がかわいそう



 と、思ったら、なにやらコソコソと囁き声が……視線を向ければパッと逸らされたけど、記憶が確かなら……幼馴染のアイツと仲が良い人たちばかりだ。


 合わせて視線を向ければ、おさな……う~ん、島田さんが、なんかチラチラと挙動不審な感じでこちらを見て……あ~、これは、アレだな。



(こいつ、浮気を誤魔化すために、先手を打って、浮気された事にしたな……)



 本人の意思か、あるいはあの時の彼氏の意思か、偶発的な結果なのかはさておき……このまま放置しても、良い事はない


 なにせ、この話が昨日今日広まったならともかく、夏休み中にこっそり広められていたら、もはや、それで定着してしまっている可能性がある。


 というか、間違いなく定着している。


 その証拠に、明らかに女子から向けられる視線が冷たい。


 どのように話が通っているのかは知らないけど、もうこれはアレだね、彼女たちの中では僕は『浮気野郎』になっているようだ。


 まあ、それも致し方ない。


 僕と彼女たちは所詮、名前しか知らないクラスメイトだし。まだ、同性の方が信用に足ると判断するのは、別に不思議なことではない。



「……なにやら義憤に駆られてコソコソ陰口を叩いている善人なクラスメイトの誰かさんに言っておこう」



 だが、やってもいないのに勝手に浮気野郎のレッテルを貼られるのは、我慢ならん。


 なので、僕は……セルフ開示することにした。



「おそらく僕が浮気をしたかのような話にすり替えられているようだけど!」



 音も無く僕の頭上に現れるステータス。


 突然のことにギョッと目を見開く、僕に冷たい目を向けていた女子、話だけ聞いていた一部の男子、僕の発言に驚いたその他諸々。



「見てのとおり……僕はまだ童貞なのです!!」



 そんな皆様方に分かるよう、僕はズビシッと『童貞』の文字を指差した。


 これに対して、一部の女子からは小声で「キショ……」という声が。分かるよ、誤魔化したい時の魔法の言葉だ。


 ちなみに、男子たちからは「お、おぉ……」と、呆気に取られた声が聞こえた。



「実際は逆で、僕が浮気をしたのではなく、僕が浮気をされたのです。その証拠は、島田さんのステータスが全てを物語っています」



 そして、そう続ければ……クラスメイト達の視線が、一斉に島田さんへと向けられる。


 ビクッと、島田さんは肩を震わせて視線をさ迷わせ……けれども、僕は構わず、話を続ける。



「しかし、落ち着け、皆の衆。冷静になって考えてみてくれ……そもそも、僕と島田さんって、そんな釣り合うカップルだったか? どう見ても、島田さんって趣味悪くない……じゃなかったか?」



 ──なんて??? 


 ──え、どうだろ? 


 ──まあ、島田ってキレイだしな


 ──そりゃあ、釣り合うかって聞かれたら



 ざわざわと、ざわめきが生じる。何人か、納得した様子で頷いている。


 今の時間を担当している先生も、止めるのは一旦止めて、静観に決めたようで……1人、島田さんだけが、静かに首を横に振っていた。



「つまり、僕と島田さんは始めから付き合っていなかった。いや、というか、距離感が近すぎる島田さんのせいで誰もが勘違いしていた、ということなのだよ!!!」



 ──どういうこと? 


 ──2人は付き合っていなかったとか? 


 ──でも、けっこう一緒に居たよね


 ──だから勘違いだったってこと? 



 ざわめきの中で、僕はさらに畳みかける。



「そもそも、島田さんって既に彼氏居るからね。僕じゃないよ、ステータス見たら分かるでしょ? 島田さんはもう、ちゃんとした彼氏がいるのだよ」



 こういうのは、勢いが大事である。



「なので、これ以上その話は辞めようね! 島田さんのためにもならないし、僕だって彼女居ないのに浮気したとか噂を立てられるのは御免だから!」



 そして、勢いを補足してくれるのは、事実である。


 実際、僕と島田さんは、客観的にみたら釣り合わない。


 先ほどの発言のとおり、釣り合っていないと思っている人は相応に居て、実際には付き合っていないという話をあっさり信じた人もいる。


 そして、事実として既に島田さんは別の男と肉体関係がある。


 つまり、処女ではない。


 なので、もしもこの件を下手に追究したりしようものなら、島田さんは自分のステータスを明かす必要があるわけだ。


 もちろん、島田さんに限らず、『ステータスなんてデタラメだ』と否定する者もいるだろうが……それならそれとして、デタラメなソレを開示しない理由にはならない。


 なにせ、明らかに超常的な存在が今もなお、頭の中にアナウンスし続けているのだ。


 リアルタイムで超常現象が起こってそれを体感しているのに、これは夢だと、嘘っぱちだと、頑なに否定し続けるのは無理が生じる。


 実際、これからどんどん『ステータス』を検証していけば、そこに表示されているのが全て真実である……という事実が、人々に認知されるようになるだろう。


 今ですら、中には『ステータスは本当の事が書いてある』と、開示されても恥ずかしいだけの人が明言し始めれば、だ。


 おのずと、否定し続けるのはそれが事実だからでは……と、思われ始めるのは、目に見えているわけで。



「その証拠に、僕は島田さんに彼氏が居ると分かってから、一度も一緒に遊んでいません。知らなかったならともかく、知った以上は……彼氏に悪いでしょ?」



 そう、僕が結論を出してしまえば。



 ──そりゃあ、そうだよな、良い気分にはならんよな


 ──むしろ、島田さんが変に距離感近すぎただけってこと? 


 ──島田さんがステータスを見せたら分かるんじゃない? 


 ──プライバシーだし、小山内のやつがあそこまで言っているなら、噂でしかなかったのか



 結局のところ、島田さんがステータスを開示しない以上は、どう頑張っても誤魔化しようがなく……あっさり、この話はお終いになったのであった。



「…………」


「…………」



 そんな中で、島田さんと仲が良かった女子たちが、先ほどまでとは異なり……困惑と不審と不安が入り時混じる視線を、僕ではなく、島田さんに向けていて。


 当の島田さんは……俯いたまま、僕にも、女子たちにも、視線を合わさず……そのままだった。




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