File.5「第二事件:溺愛深濡」



[次の事件に進んでくれ]

[伝奇憑き『蛇舌焔煽』]

[美園コハクの次に怪異に取り憑かれたのは]

[玲瓏館のいったい誰なのか]


 早くも前菜オードブルを召し上げた気分なのか。

 師匠は二番目の事件について、直截ちょくさい的に進行を求めた。

 僕は頷き、カチカチとタイピングする。


 ────────────


【第二事件の伝奇憑き】


-フルネーム:美園瑠璃

-愛称:ルリ嬢、ルリちゃん

-性別:女性

-年齢:17

-身体:T163 B119(Q寄りのPcup) W57 H88

-容姿:

 ・髪:烏の濡れ羽色をしたストレートの腰までロング

 ・眼:キリッと流麗な碧眼

 ・肌:姉妹のなかでも一際しなやかで、滑らか

 ・顔:シャープで可憐な細面ほそおもて

-属性:[女子高生][クール系お嬢様][元スポーツ特待生][水泳部員][姉][妹][几帳面][潔癖症][男嫌い][衣裳持ち]

-服装:

 ・制服:共学校の制服はキチっと着こなし、上は夏でもタートルネックの長袖インナーと下は70〜80デニールのタイツを着用している(露出絶無の鉄壁の防御力)

 ・私服:エレガントなターコイズブルージャケットに黒のカットシャツとタイトスカートにストッキング(仕事のデキるOLや秘書のような出立ちで隙がない)

-好物:ミントの葉を乗せたレアチーズケーキ

-苦手:しつこいもの

-一人称:私

-誕生日:12月10日

-家族構成:母子家庭

 ・母親 美園ジュリア

 ・長姉 美園ミウ

 ・末妹 美園コハク

 

 ────────────


「師匠はさっき、コハクちゃんが僕に父性を見出してるかもって言いましたけど」


[ん?]

[なんだ]

[異論でもあるのか?]


「いえ。どちらかといえば、それはルリちゃんのほうに当てはまるのかな、って僕は思います」


[ほう]

[それはまた]

[何故そう考えたのか気になる語り口だ]

[美園ルリ]

[末の妹の美園コハクと比べて]

[彼女はかなり対照的な部分が多いように見えるけれど]

[それどころか]

とまで明記しているのに]

[彼女もまた、キミにズブズブ甘えたがっていると?]


「ズブズブって」


 憑藻神は勝手な思い込みで、なんだかかなり爛れたイメージを抱いていそうだ。

 軽く思い返してみるが、僕はそこまでコハクちゃんに甘えられている記憶は無い。

 むしろ、日々からかわれ、悪ふざけの対象として、チョッカイをかけられているくらいだ。


 やれやれ、と肩を竦めてコーヒーを啜る。


「たとえ男嫌いだったとしても、ルリちゃんも美園家の娘ですよ」


[ふむ]

[たしかに、このくらいの年頃の娘ならば]

[歳上の異性に惹かれてしまうのは、珍しい話じゃない]

[母子家庭という環境もある]

[一時的にとはいえ、同じ屋根の下で暮らしていれば]

[多少は心を許すコトもあるか]


「そういう言われ方をすると、少し複雑ですが」


 実際、彼女が僕に好意を持ってくれたのには、そうした背景も多分に絡んでくるだろう。

 事件を解決するため、コハクちゃん同様、僕は彼女もプロファイリングしている。


[たしか、美園ルリが姉と妹と違って]

[お嬢様学校である女学園ではなく、男女共学校に進んだのは]

[そこでなら、スポーツ特待生になれるからだったね?]

[幼い頃から水泳の才能を開花させていた彼女は]

[水泳の競技大会でも優秀な成績を収め]

[スイミングの道に進むことを志望した]


「ええ」


[だが、今現在の彼女はスポーツ特待生]

[幽霊部員や退部済みと書かなかったところを見るに]

[まだ高校の水泳部には、在籍しているものと推察するが]

[さて]

[美園ルリに取り憑いた怪異は]

[麗しきスイマー美少女の心に巣食った闇の正体とは]

[このあたりに関係があると思って、いいのかな?]


「もちろんです」


 そうでなければ。


「そうでなければ、伝奇憑き『溺愛深濡デキアイシンジュ』──」


 濡れそぼる誘惑の肢体、魅了と洗滌せんできの真珠。


「ルリちゃんの周囲で、あんなにもが騒ぎを起こすコトは無かったでしょう」


[水の怪異か]

[昔から水辺は、この世よりもあの世に近いとされる]

[水辺に近寄ると引き込まれる]

[足を取られて攫われる]

[そうした実際に起こり得る事故に基づいた伝承が、世界各地にあり]

[スコットランドの水棲馬ケルピーなんかは、人間を背に乗せて、まんま水中に引き摺り込むと伝わる水霊、水魔の代表例だね]

[ベースとなった伝奇は?]


 の一字を用いているからだろう。

 師匠はすでに、あらかた怪異の方向性を見抜いている様子で訊ねた。

 しかし、惜しい。


「彼女の場合、馬ではなく魚です」


[魚]


「より正確に言うのであれば、【人魚】、そして【人魚の涙】です」


[人魚か]

[スイマー美少女には、如何にも相性が良さそうだ]

[でも、人魚の涙?]

[そのふたつを敢えて分ける意図は、何だろう?]

[真珠の異名だろう?]


「ええ。まぁ、それはいったん置いておきます。まずは分かりやすさ優先で」


[ふむ]


「さらに踏み込んで言うのなら、ルリちゃんに取り憑いたのは西洋の【セイレーン】や【ローレライ】、日本の【川姫】や【濡れ女】などの──いわゆる〝水辺で誘う女〟の怪異でした」


[人魚には不老不死の伝説や]

[凶兆、瑞兆を知らせる預言獣としての言い伝えもある]

[日本ではむしろ、そちらのほうがイメージが強い]

[福井県や栃木県などで語られる八百比丘尼やおびくに

[聖徳太子が禍の存在として扱った琵琶湖の人魚]

[他にもいくつか例はあるが]

[美園ルリの場合は、どちらかと言うと]

[西洋のマーメイドに近いのか]


 セイレーンもローレライも、船乗りや航海士を誘惑し、海へと引き摺り込むコトで有名な伝説だ。

 その姿は諸説あるが、大まかには美しい女性の上半身と魚の下半身を持つものとして語られる。

 ゲームやマンガでは、色っぽくセクシーにデザインされがちだね。


「日本でも、明確に人魚と伝わっていないだけで、同じように水辺で異性を誘う女怪は存在しますけどね」


[それが、川姫と濡れ女だと言いたいんだな?]

[たしかに、川姫は特に似ている]

[若く美しい女の姿で川辺に現れ、人の心、とりわけ男性の気を惹いては]

[その精気を吸い取るという逸話]

[濡れ女のほうは、人魚というよりかは蛇に近いけれど]

[九州の磯女とも同一視されて]

[海辺や川辺で、髪を濡らした姿──洗っている姿をわざと覗かせ]

[好奇心をくすぐられた漁師なんかを、誘い込んでは逃がさないとされる妖怪だ]


 どちらも、男を誘惑して殺してしまうバケモノである。


[なんだかおっかないな]

[美園ルリは男を溺れさせる]

[そういう伝奇憑きだったと理解したけれど]

[男嫌いが高じて?]


 異性を嫌うがあまりに、異性を殺そうとした。

 そんな伝奇憑きだったのかと、師匠は訊ねる。

 僕は首を横に振った。


 彼女が起こした事件の曰くを語るには。


 その背景にある彼女自身の人格形成。

 見目麗しい美少女だからこそ、幼少期から付きまとった大きな悩み。

 そして、彼女がどうしてになったのか?

 これらの真相に触れないワケにはいかない。


「順を追って説明します」


[頼むよ]


 ブルースクリーンの薄青い明かりに照らされて。

 僕は彼女の青い瞳を想い出す。

 水に沈みながらも、珠の涙をこぼしていた彼女の姿を。






 まず、美園ルリの第一印象。

 最初に会ったときに、最も目立っていた特徴を挙げるならば。

 それは〝厚着〟だ。


[厚着?]


「はい。ルリちゃんはコハクちゃんと違って、極端に露出度が少ないんです」


 平日は制服。

 休日はスーツライク。

 どちらも肌を覆い隠して、首から上と手首から先しか素肌を覗かせない。


「もうじき夏です。この町は海風もありますから、日によっては湿気がすごいこともあるのに」


[美園ルリは暑さよりも]

[肌を隠すコトを優先している?]


「聞けば、去年の夏もそうだったらしいです」


[へえ、それはまた]

[暑いのが苦手なわたしには、聞くだけで〝うわっ〟って感じだ]

[ムワだけに]


 憑藻神はたまに、しょうもないダジャレを差し挟む。

 努めて無視して、話を続けた。


「とはいえ、無理をしてるってワケでもないらしいです。ルリちゃんは平熱が低くて、汗もそれほどかかない体質みたいで」


[ふ〜ん?]

[プロフォールにはクール系ってあったね]

[じゃあ美園ルリは、まさしくひんやりした少女だというワケか]

[怪異に取り憑かれて]

[霊感少女になっただけじゃなく]

[最初から、実は少女だったという……チラッ]


「やかましっ」


 無視したせいだろう。

 師匠はあざとくもチラッなんて出力しながら、どうしてもツッコミを入れてもらいたいらしかった。

 仕方がないので、座布団一枚とだけリアクションをしておく。


[ふふん]


 満足したようだ。


「ともかくですね。ルリちゃんは季節に関係なく、肌という肌を年中隠している女の子なんです」


[ああ。それは分かった]

[美園コハクとは、ほんとうに対照的なんだね]

[というより]

[良家の子女である美園家のお嬢様なら]

[むしろそのくらい、本来は貞淑であったほうが当然だという気もする]

[女学園ではなく共学校に通いながらも]

[美園ルリは、そのあたりの慎み深さや淑やかさが]

[末の妹よりも、だいぶしっかりしている姉なんだろう]


「もちろん、そういう見方もできます。いえ、そういう見方も正しいです」


 母親の反対を押し切って、ルリちゃんはスポーツ特待生として男女共学の高校に進学した。

 その際、彼女はジュリアさんと約束を交わしたそうだ。


 ──スポーツの道を目指すのは認めてあげるけど。


「〝代わりに、共学校でも女学園の生徒に負けないくらい、節度ある振る舞いを心掛けなさい〟」


[過保護だね]

[娘を心配する気持ちは分かるけれど]

[男女共学の高校に進んだからって]

[誰も彼もが非行に走ったり、不純異性交遊に耽るワケじゃないだろうに]


「それでも、ジュリアさんも女学園の卒業生ですから」


 自分の知らない世界に、大切な娘を送り込むのには抵抗があった。

 美園家は母子家庭で、ジュリアさんにはなおさら〝自分が子どもを守らなければ〟という意識が強かったのだ。

 優れた美貌は時として、誘蛾灯がごとく悪い虫を惹き寄せる。


「娘のルリちゃんも、そんな母親の心配には理解があります」


[だが、と続けるんだろう?]

[美園ルリが夏でも肌を隠しているのは]

[単に母親の言いつけを、忠実に守っているからだけじゃなく]

[何か他に、彼女自身の強固な意思が関係している]

[そうなんだね?]


「はい、そうです。ルリちゃんが自分の肌を徹底して隠すようになったのは、が原因になっています」


[父親以外の男性]

[彼女には記憶が?]

[美園ジュリアは若くして夫を失ったんだろう?]

[そうなると、三人の娘たちもかなり幼かった頃に]

[父親を失っているはずだが]


「幼少期の記憶がどれだけ残っているかは、人によって違います」


 ルリちゃんの場合、それは姉や妹よりも少しだけハッキリしているのだろう。

 伝え聞く人物像や、玲瓏館に残された写真。

 近所の評判でも、温和で器の広い男性だったと情報が残っている。

 美園家には婿養子として入り、家族仲も良好だった。

 けれど、ある事件によって彼は命を落とした。


[事件?]


「刺されたそうです。突然、玲瓏館に押し入ってきた男に」


[なんだって?]


「幸い、犯人はすぐに取り押さえられて捕まりましたが、彼の死後」


 残された美園家の面々には、しばらくのあいだ見知らぬ男性への恐怖心が残った。

 特に、次女のルリちゃんの心には〝外の男〟に対する不信の芽が、それ以降、深く深く根を張るキッカケになってしまった。


 悲劇はさらに続く。


「凄惨な事件からしばらくして、年月が流れたコトで、ようやく美園家の心にも平穏が取り戻されつつあった時にです。ルリちゃんが小学校高学年に上がった頃から、彼女はいくつかトラブルに見舞われます」


[トラブル、か]

[事件と言わない以上、そこまで重篤な話ではない?]


「第三者の視点からしたら、そうですね」


 当事者の視点からすれば、相当にしんどいコトに違いはないが。


「よくある、と言ってしまうのはよくないコトなんですけれど」


[言いたまえ]


「……最初はリコーダーの紛失、体操着の紛失といった、ルリちゃんの持ち物が何処かへ消えてしまうトラブルです」


[盗難だ!]

[それは立派な事件だぞ!?]


「ですが、犯人が分からないままだったら?」


 証拠が見つからず、持ち物も返ってこない。

 子どもの内なら、どこかで置き忘れてしまった可能性もあるとして。

 騒ぎを大きくしたくない大人は、得てして〝まぁまぁ、お母さん。我々も今後は、よく注意して見守っておきますから……〟などと話をうやむやにしてしまう。


「十中八九、犯人は学校の関係者でしたが、幼い頃からとびきり可愛かったルリちゃんは、そうした標的に狙われがちでした」


 彼女が一見、物静かで大人しげに見えるのも原因のひとつではあるだろう。

 長い黒髪に綺麗な碧眼。

 どこか妖精的な可愛さも備え持って、ルリちゃんは清楚な印象が強い。


「中学生になって女学園の中等部に入学してからは、一時期、放課後になると町の不良少年に後をつけ回されたりもしたようです」


[だから、事件だ!]

[それはストーカーだぞ!?]


「ですがこれも、事が大事になる前に相手の少年が諦めたので、事件にはならなかったんです。告白を断られて、その頃合いだったそうですが……」


[陰湿な……]

[怖がらせるだけ怖がらせて]

[女の子が怯え切ったところで、溜飲を下げた?]

[クズめ]


「同感です。ルリちゃんはそんなふうに、辛い経験を重ねて来ました。そのせいで、彼女は自分の外見を特に異性から隠したがるようになります」


[それが、夏でも厚着の理由か……]


「ただ、顔を前髪で隠したり、オドオドしてしまうほど弱くはなかったのが、ルリちゃんのスゴいところです。彼女の男嫌いは、ハッキリと線を引く鋭さに満ちていて、僕も最初はずいぶん距離を取られましたよ」


 ──勘違いしないでください。

 ──冴木さん。私が貴方と関わるのは、母とコハ……妹の手前、仕方なくです。

 ──必要なとき以外は話しかけないでください。

 ──私が冴木さんとふたりで話すコトは、ないと思ってください。


[壁が固いね]

[無理もない態度だけども]

[出会ったばかりでいきなり、これじゃあ]

[クールどころかツンドラだ]

[ハクアが何か、しでかしたってワケでもないんだろう?]


「まさか。ありえませんよ」


 玲瓏館に雇われてすぐの頃は、ジュリアさんの目もピカピカ光っていた。

 九条家のメイドたちにも、それとなく監視されていたし。

 僕自身も、たとえ契約があろうがなかろうが、そんな余裕は無かった。


 ──これから実際に、オカルトが現実になる。


 事件を解決できるか緊張していた。

 いつ怪異に遭遇するか、気を張り続けていた。

 綺麗な女性に囲まれて、浮き足立つ気持ちは無かったと言えば嘘になるけれど。

 玲瓏館の住人が魅力的だと分かれば分かっていく内に、彼女たちを助けようという意識が強まるばかりだった。


[ああ。だろうね]

[疑ってなんかいないさ]

[だからこそ、余計に始末が悪い状況に陥っているんだろう?]

[キミのそうした純粋な姿勢が]

[図らずも彼女たちの心を、射止めてしまったんだ]

[だから、言いたまえよ]

[美園ルリは、そこからどうキミの手のひらの上に転がり落ちて行ったんだい?]


「棘のある言い方だ……」


[なに、すでに話がハッピーエンドだと分かっているからこその]

[これは愛ある皮肉というものだよ]


「じゃあ、いいですけど……いったん思い出してもらっていいですか?」


[ん?]

[なにを?]


「ルリちゃんは何のスポーツ特待生でしょうか?」


[水泳だろう?]

[思い出すまでもない]

[この短時間でストレージが枯渇するほど]

[わたしの記録容量は少なくないよ]

[5000兆テラある]


「嘘乙」


 小学生みたいな大法螺に、思わず条件反射で打ち返してしまった。

 だいたい中身に、ちゃんとしたパソコンパーツが入っているかも怪しい。


[失敬だな……]

[だが、それで?]

[わざわざ美園ルリが水泳のスポーツ特待生であるのに言及して]

[何が言いたい?]



[……む、なるほど]

[失念していたよ]

[わたしは見ての通り、水に濡れたらアウトな電化製品だからね]

[水着という概念には、疎い部分がある]

[……そうか]

[美園ルリは、余人に肌を晒すのを敬遠しているのに]

[水泳をする時だけは]

[普段は包み隠している素肌を、普通以上に晒さざるを得ない]

[いや、しかし]

[どうしてそこまで、水泳を続けたがったんだ?]


「そう。それが、ルリちゃんを語る上でどうしても避けられない、自己矛盾の謎なんです」


 美園ルリは男が嫌いだ。

 自分に性的な欲望を向けてくる男という生き物を、心から嫌悪している。

 玲瓏館の外にいる男。

 父親を刺して殺して、美園家にしばらくのあいだ暗い陰を落とした危険な存在。


 不信の種は根を張って、小中を通して自分が被害者になったコトで芽を出し茎を伸ばした。


 今では葉も生い茂り。

 あまりにもキチっとし過ぎている服装は、彼女にとって自分の身を守るための鎧でもある。


 まなじりを吊り上げて、キッと男にキツい視線を送り。

 

 間違っても相手が〝隙がある〟などと勘違いしないよう、外の人間を寄せ付けない超ガードスタイル。

 表情も緩めない。

 僕もこれまで、ルリちゃんが笑っているところは、数えられるくらいしか見ていない。


 一見すると、氷の彫刻のような少女。


 感情を抑え、視線の動きひとつまで、精緻な計算で動いているように見え。

 言葉少なで、家族や九条家以外の人間からの言葉には、必要最低限の返答しかしない。


 学校では、澄みきった湖面のように静かに過ごしていると云う。


 腰まで伸びた黒髪は艶があり、指先や肌の動きも流線的で。

 すでに美人の片鱗を覗かせている彼女は、常にアルコール消毒液やウェットティッシュも持ち歩き。


 過去にリコーダーや体操着などを盗まれ、と認識しているため、自身の清潔さをとても保とうとする。


 誰かとの接触──特にクラスの男子生徒や男性教諭とは、一歩下がってから話すそうだ。


 その話し声も、完璧に作り上げられた外行き用の高さで。

 距離が縮まりそうになれば、無意識に呼吸が浅くなって、すかさず離れる。

 男の呼気や汗の匂いなどを、自分の肺に取り込まないために。


 彼女の周囲だけ、空気が他よりも冷たい気がするとは、実際に聞き込みを行った上での大多数の男性意見である。


[にもかかわらず]

[美園ルリは水着になる]

[水着になって、共学校のプールで泳ぐ]

[ちなみに、男子用と女子用でプールは分かれていたりするのかい?]


「はい、そこはまぁ、昨今の時代ですから」


 共学校といえども、そういった配慮は学校側も意識している。

 しかしながら、そういった隔離は必ずしも完全なものではない。

 フェンスに隔たれた向こう側。

 遠目から確認できる女子プールや女子更衣室。


「普段、あれだけ肌を隠しているルリちゃんが、


 それを知った男子や男性教諭が、よからぬ欲求に駆られかけても無理はない。


「当然、男嫌いの彼女も、男嫌いであるがゆえに、そんなリスクを把握しています」


 ──男というのは。

 ──不潔で、浅ましくて、下半身でしか結局は考えてない。

 ──そういう、の生き物なんですものね?

 ──心底イヤだけど……


「それでもなお」


 ──我慢を?

 ──だって、そうするしかないでしょう?


[美園ルリは、そうまでして純粋に、水泳がしたかった……?]

[泳ぐコトが単純に好きで]

[母親の反対を押し切ってまで、特待生になったのは]

[本気で]

[夢を抱いて、スポーツ選手になりたかった]

[だからなのかい……?]


「……ええ。なのに」


 そんなルリちゃんにとって、何より不幸だったのは。

 彼女が高校に上がってすぐに、そのカラダがさらなる成長を遂げてしまった点だ。

 美園家の例に漏れず、彼女の胸はスポーツに適さないほどの大きさに膨らんでしまい。


「中学まではどうにかこうにか誤魔化せても、高校では水の抵抗が、努力でどうにかできる範囲を超えてしまった」


 特注の競泳水着など、あらゆる道を模索したようだが。

 残念なことに水泳選手になる未来は、他ならぬ彼女自身によって閉ざされてしまったのだ。


 記録も思うようには出せなくなり、後に残ったのは特待生の肩書きだけ。


 水泳部自体に籍は残してもらっていても、次第に彼女は、部活動に顔を出さなくなる。


[──バケモノは]

[その鬱屈と]

[フラストレーションの渦から]

[美園ルリの心に染み込んだ]


「まさしく、その通りです」


 ──ほんとうは泳ぎたい。

 ──私は水に愛されてるの!

 ──だから自由に何も気にせず、好きなように泳ぎたいのにっ!

 ──どうして……!

 ──ぜんぶぜんぶ、貴方たちのせいよ……!


「誰かを責めて、攻撃でもしなければ、彼女は耐えられなかったんでしょう」


[十代の少女だ]

[自分が本気で打ち込んでいた夢を]

[こんなにも早く諦めざるを得ないと知れば]

[悲嘆に暮れ、八つ当たりのひとつもしたくなって当然だね]

[しかし……]

[情状酌量の余地はあるとはいえ]

[それで男を溺れさせるというのは……]


「違いますよ、師匠」


 またしても同じ即断に入りかけたノートパソコンに、僕はハッキリと否定を返す。


「ルリちゃんは誰も、意図して傷つけようとなんてしていません」


[なに?]

[けれどキミは、直接その耳で聴いたんだろう?]

[八つ当たりを受けたのは、ハクア]

[いまの流れで、キミでなかったはずがない]


「それは合っていますが」


 誰だって、ツラい時には思ってもない言葉を吐き出してしまうもの。

 貴方たちのせいよ、と言われたところで。

 それを真に受けて、本気で害意を向けられているとまでは僕は思わない。


「伝奇憑き『溺愛深濡』は、無意識と幻像の怪異だったんです」


[無意識と、幻像……]


「整理しましょう」


 美園ルリには、幼い頃から育まれた異性に対する不信感と嫌悪感がある。

 肌を晒すことを極端に嫌うのも、辛い経験に根ざした自衛手段と言い換えられる。

 そんな彼女が唯一、玲瓏館の外で素肌を覗かせるのが、水泳の部活動でだった。


「ルリちゃんは泳ぐのが好きで、将来の夢はスイミングのスポーツ選手でした」


 家族からの証言でも、彼女は昔から屋敷のプールや浴場、水場で過ごすコトを好んでいたと情報がある。

 彼女自身の口からも、「水に愛されてる」と特別な想いを抱えているのは確実だ。

 ただ、よりその心理を正確に紐解くならば、


「水に愛されているんじゃなくて、彼女は水を愛しているんです」


[──、か]


「はい。それこそ、溺れるほどの愛を彼女は抱いている」


 日本には「水を得た魚」ということわざがあるけれども。

 水中で自由に泳ぎ回る魚のように。

 自分の得意分野や、能力が充分に発揮できる環境で、活き活きと活躍するのは大変に気持ちがいい。

 幸せを感じられるし、生き甲斐を覚えるのも必然だ。


「それに、水はカラダを清めてくれるものでもあります」


 過去の経験から、他人よりも過敏に清潔にこだわるようになった彼女は、思わなかったはずがない。

 水を切って泳いでいる時、自分のカラダがすすがれて、包み込むようにして洗われている。

 そんな安心感にも似た癒しを覚えている自分を。


「プールだけじゃなく、お風呂も小さい頃から好きだったみたいですからね」


[なるほど]

[美園ルリは、水を愛している]

[愛しているのに]

[失うしかなかった]


 そう。


「だからこそ、ルリちゃんは夜になると、こっそり玲瓏館のプールで泳ぎました」


[学校ではもう泳げない]

[水泳部には顔を出したくない]

[でも、完全に水泳から離れるのもイヤで]

[家のプールだったら]

[ハクア。キミの目だけを避ければ済む]


「──そうして、ルリちゃんは夜な夜な、未練に溺れるように泳ぎ続け、彼女の鬱屈とフラストレーションが、未練の先に幻像を作り出すようになったんです」


[水辺という境界]

[この世とあの世の境]

[少女の重い感情は]

[情念と呼ぶに相応しいを湛えて]

[学校のプールに?]


「はい。ただし、出没場所は最初、女子用プールだったんですが……ある噂が立ち始めたのを機に、男子用プールに変わりました」


[ある、噂]


 伝奇憑き『溺愛深濡』

 美園ルリの心に巣食った〝水辺にて誘う女〟の怪異。

 それは最初、女子用プールに「人魚が泳いでいる」という噂を作る程度の幻だった。


「女子水泳部の部員が、いつものように水泳の練習をしていると、ゴーグル越しに水中に人魚を見たと言い始めたんです」


[当ててやろう]

[その人魚は、美園ルリに似ていた]

[だろう?]


「正解です」


 長い黒髪の、シラウオのように美しいマーメイド。

 元スポーツ特待生である美園ルリにそっくりで、彼女が浮かべるのはずのない華やぐような笑顔で水中を泳ぐ。

 噂はすぐに、男子水泳部にも広がった。


「同じ水泳部同士ですから、男女の性差はあっても校内では交流があります」


[しかし、噂を聞いた男子たちは]

[〝あの美園ルリにそっくりな人魚!?〟]

[〝一目でいいから、俺たちも見たい!〟]

[思春期ゆえに、そう話し始めたワケだ]

[奇しくも]

[美園ルリ自身は、水泳部から離れていたがために]

[その噂に気がつかなかった?]


 頷き、YESとキーを打ち込む。


「人魚はすぐに、彼ら男子水泳部員が望んだ通りに場所を変えました」


 より広く、より多くの噂になれるほうに。

 バケモノは本能でそう動いた。

 伝奇憑きの典型。

 成長を始めた怪異は、物語になって不滅の存在になるために、より多くの耳目じもくを集めたがる。


「だけど、その変化は変質をもたらします」


 ただ単純に、泳ぎの夢に微睡み続けたかった人魚は。

 男子水泳部員の注目を浴びて、興奮する彼らを魅了した。

 魅了し過ぎた。


「……元が鉄壁の美少女です。校内では常に男子を寄せ付けず、露出なんてまったく無しの発育激しい少女です」


[マーメイド姿の美園ルリ]

[下半身が魚とはいえ、伝承に従えば上半身は裸か]

[あるいは、ヴィーナスのごとく貝殻でもつけていたかな]

[どちらにせよ]

[年頃の少年たちにはあまりに、鮮烈で刺激が強かったろう]


「その結果、男子水泳部では事故が立て続けに起こりました」


 人魚の幻像に気を取られ、意識を惹かれた少年たちは。

 普段ならしないはずの不注意を招き、


「レーン型のブイや排水溝に巻き込まれかけたり、プールサイドで足を滑らせて転倒してプールに落下したりして」


[──溺れそうに、なった]


「そんな事件が立て続けに起これば、学校側も動きます」


 男子水泳部はしばらくのあいだ、安全上の問題が解決されるまで活動停止。


「この段階になると、ルリちゃんもさすがに噂を聞きます」


 噂を耳にした彼女は、それが自分の中に潜んでいるバケモノの仕業だとは分からない。

 だが漠然と、妙な胸騒ぎに駆られはする。


 ──私に似た人魚……?

 ──なによ、それ……

 ──自分たちの不注意を、そんなふうに私のせいにするワケ……!?


「今のはルリちゃんの日記に書いてあった言葉です」


[日記まで盗み読みしたのかい?]


「事件を解決するためには、仕方がなかったというコトで」


[まぁ、日記なんてものがあったら]

[読解師としては、手を出さないほうが手落ちか]

[ともあれ]

[彼女は活動停止になった男子水泳部に、怒りを抱いたんだね]


 自分が諦めざるを得なかった水泳競技の道。


「彼らはまだそこに居られるのに、よりにもよって、ルリちゃんが最も嫌悪する理由でその居場所を壊した」


[それが、美園ルリには許せなかった?]


「許せなかったでしょうし、余計にフラストレーションになって」


 夜、玲瓏館での水泳をやめられなくなった。

 その結果、どうなったのか?


「騒ぎが大きくなったことで、怪異は成長していました。成長した怪異は、次に噂の当事者のもとに向かいます」


[噂の当事者]

[つまり、宿主のもとに戻ったのか]

[しかしそれは]

[最初の人魚からは、変質していた?]


「噂のなかには、ルリちゃんを〝男子を誘惑した女子〟として語る文脈もありましたからね」


 水辺にて誘う女の怪異は。

 このとき、取り憑いた少女自身と同一化し。

 美園ルリ自身が水辺にいる場合に、異性を絶対に魅了してしまう怪異現象を発現する。


[でも、彼女は玲瓏館のプールでしか泳がなくなってる]

[玲瓏館にいる男は、ハクア]

[キミだけだ]

[つまり、キミが彼女に魅了された?]


「残念ですが、不正解です」


[くそぉ]


「僕もルリちゃんの魅力には敵いませんが、溺愛深濡は無意識と幻像の怪異」


 少女の情念と未練によって出現したバケモノ。

 長い期間、深く深く注ぎ込まれた重い想いの化身。

 そして、美園ルリに魅了されていたで言えば。


「やっぱり、それは共学校の男子生徒や、僕よりも長かった」


 ある晩。

 少女がいつものようにひっそり、館の庭園からプールに足を向けて。

 せめてこの時間だけは、と水のなかに身を浸し。

 ゆっくりと泳ぎ始めた瞬間。


 ──アア ヤット ミレタ

 ──キャっ!?


「夜の暗い水底に、男子水泳部の顧問がいたんです」


[まさか]

[本物ではないはずだね?]

[いくら水泳部の顧問教師だからといって]

[人間は水中で呼吸できない]

[──幻像か]


「そう、幻像でした。けれど恐怖を与えるには充分な衝撃です」

 

 正気を失った姿。

 見目麗しい少女の肢体に手を伸ばし、掴まえようとする男の妄念。

 伝奇憑き『溺愛深濡』とは。

 宿主である美園ルリ自身が水辺にいる場合に、異性を絶対に魅了してしまう怪異であり。

 付近に男がいないのであれば。


[物語の辻褄を合わせるために]

[それまで魅了されていた男の妄念が]

[必ず、美園ルリのもとに出現する怪異に!]

[変質してしまったのか!]


 さながらそれは、マーメイドではなくマーマン。

 男の人魚に見初められた人間の女性が、伝承のなかでは彼らの世界に連れ去られて。

 強制的に夫婦にさせられてしまう逸話と同じだった。


[男の欲望も、馬鹿にはできない]

[それが本能に根差した衝動であるだけに]

[極度に隠され]

[徹底して何重にも守られた宝には]

[なんとしてでも、それを暴きたいと]

[求める欲望が注ぎ込まれる]

[何日も何日も、繰り返しそんな想いを募らせていけば]


「愛情と、言えなくもなくなる」


 教師と生徒という関係性では、倫理的な問題もある。

 男子水泳部の顧問教師は、さぞや苦しい想いを抱えていたに違いない。

 バケモノは、そんな彼の秘められた想いを幻像にした。


「僕がプールの異変に気がついた時、すでにルリちゃんは溺れる寸前でした」


 水のなかの怪異に足を掴まれ、暴れても暴れても逃げ出せない。

 男と女の腕力差。

 そこに加えて、恐怖によるパニック。

 水中での効率的なカラダの動かし方も忘れて、彼女は瞬く間に酸素不足に陥った。


「慌てて飛び込んで、助け出せたのは間一髪です」


[どうやって助けたんだい?]

[今回の場合、美園コハクの炎と違って]

[バケモノには明確な姿形があったはずだ]

[水中に飛び込んでも]

[溺愛深濡は邪魔者であるキミを、排除しようとは?]


「しましたね。でも、そこはどうにか頑張りましたよ」


[はぁ?]

[いやいや、どうにか頑張りましたよって]

[人智を超越した不可思議に]

[専門家であるという以外はただの人間のキミが]

[どうやって対処できたのさ]

[水でも抜いてみたのかい?]

[いや、それだと時間がかかって間に合わないだろう?]


「ハハハ……そうですね。だから、仕方がありませんでした。状況も切羽詰まっていましたし、人命救助第一というコトで」


[?]


「水に入る前に、思いっきり息を吸い込んでから飛び込んだんですよ。ルリちゃんはもう、頭まで水面の下でしたから」


 飛び込んだ僕は、怪異をどうにかするより先に。

 いや、これならどうにかできるかな? と期待も込めて。


「彼女に、人工呼吸をしたんです」


[!]

[水中でか!]

[ハリウッド映画みたいだな!]


「すっごく難しかったですけど、おかげで男子水泳部の顧問教師は手を離しましたよ」


[焦がれ続けた美園ルリが]

[自分ではない男と唇を重ねた]

[その光景に、ショックを受けたのかな]


「分かりませんが、ルリちゃんは水の中でまだ暴れていたので、僕は彼女の顔を押さえ付ける必要があったんですよね」


[念願のお宝を]

[先に奪われてしまった]

[男にとっては文字通り]

[冷や水に等しい悲しみだ]


「気がつけば彼は消えていました。僕はルリちゃんを水上に引き上げて、それから今度は正しい人工呼吸と心臓マッサージをしましたよ」


[気を失っていたのか]

[しかしハクア]

[どこで人工呼吸と心臓マッサージの方法なんて?]


「おっと。知らないんですか? 師匠」


 昔がどうだったか知らないが、少し前から学校では、そういう訓練を受ける機会もある。

 僕は大学で、たまたま講習を受けたばかりだった。


[へぇ]

[これは偏見だけど、キミはそういう防災訓練とかの類を]

[マジメに受けないタイプかと思っていたよ]


「ガチのド偏見じゃないですか」


[すまないね]

[言っては悪いが、ハクアって怪異マニアだろう?]

[怪異以外には興味がない、変人かと思っていたんだ]

[とはいえ、その後は?]

[美園ルリの命を救っても]

[怪異はまだ取り憑いたままだよね]

[読解師として、玲瓏館で生まれた第二の伝奇憑きを]

[キミはどうやって祓った?]


 釈然としない暴言に、つい眉間の皺が寄る。

 しかし、否定できないのも事実だったので、唸るだけに留めた。


 唸るだけじゃ、この憑藻神に遺憾の意は伝わらないのだけれども。


 わざわざ「ウゥゥゥゥ!」とかタイピングするのは、バカらしいし。


「……ルリちゃんを助けられたのは、結構ギリギリでした」


[うん]


「だから、彼女のバケモノを退治できたのも、さっき説明した水中人工呼吸と同じでアドリブの面が強いです」


 怪異が出現する場所が、高校の敷地内だったこともあって。

 卒業生でもない僕がフィールドワークをするには、なかなか難しい事件だったのだ。

 調査も聞き込み中心で、不審者と通報されかねないリスクを負いつつ。

 うら若き女子高生にパフェなんかを奢って、情報を入手するしかなかった。

 なかなか痛い出費だった。


「なので祓った、と自信を持って言えるほど、この事件については余裕があったワケじゃありません」


 最後に玲瓏館のプールへ、怪異の出現場所が変わったのも。

 直前まで高校がメイン舞台だと思い込まされていた僕からすれば、ほんとうに驚きだった。

 この世界のタイトルを思い出して、「あれ、これって館モノだよな?」と違和感に引っ掛からなかったら、ルリちゃんは助けられなかったと思う。


[それでも]

[キミは実際に美園ルリを救ってみせた]

[バケモノを追い払い]

[事件を見事に解決した]

[だったら、言いたまえよ]

[ハクアが思う、きっとこれが決め手だったのだと思う言葉を]


 ……師匠には敵わないな。


「意識を取り戻したルリちゃんが、僕に訊ねたんです」


 彼女は咳き込みながら、息を整え終わると怖ず怖ずとした調子で言った。


 ──……どうして?

 ──ん?

 ──どうして……私を助けてくれたの……?

 ──え? 溺れてたからだけど……

 ──そうじゃないっ。そうじゃなくて……

 ──……?

 ──私、冴木さんにひどいコトたくさん言ったわ……


「僕は、〝ああ、そんなことか〟と」


 夜の玲瓏館、月に見下ろされた彼女のカラダに上着を被せて。


「〝女の子が危ない目に遭っていたら、助けて守ってあげたくなるのが男の本能なんだよ〟って」


 ──! 男の、本能……?

 ──うん、石器時代からのね。


「そうカッコつけただけです」


 伝奇憑きとしての自覚が無かった少女には。

 その自覚を与えないまま、すべては幻だったと思わせるため。

 これからは夜にひとりでプールに入らないよう、大人として当たり前の注意をしてその夜は終わった。

 足を攣ったり、急な体調不良で溺れる危険があるからね、と。


 少女の心境に、そこで何かしら変化が訪れたのだとしたら、怪異が消えたのにも納得できる。


[草]

[キザすぎる]


「どこがですか! 至って真っ当ですよ!」


[いやいや]

[その前の守ってあげたくなるだとか]

[石器時代云々とかがさぁ]

[やれやれ]

[これはコロッと転がり落ちても]

[不思議はないジゴロだよ]


「誰がジゴロですか……」


 師匠は話が完全に解決済みフェーズに移ったため、すっかり「ケッ!」て感じだった。

 このノートパソコンに性別があるのかどうか知らないけれど。

 仮に女性だったとして、極めて男性的な性格の女性だと思う。


[それより、最初に仄めかした例の謎について]

[ここまでまだ、種明かしをしてもらってないな]

[人魚の涙]

[真珠の異名]

[あれはいったい?]


「フン」


 憮然としつつも、僕は大人気なくないので答える。


「人魚の涙。真珠には、失恋した人魚が涙を零して、それが真珠になったという逸話があります」


[ああ]


「……プールのなかで、ルリちゃんは泣いていたんです。その涙は、白く光る月の雫のようでした」


 だから、溺愛深濡。

 愛が深く、溺れるほどの水底で、涙に濡れていた美しき少女の怪。

 人魚であるなら、泡のように散って消えるのも当然か。


 我ながら、いいネーミングセンスだと思っている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る