Celebrate love

高樫玲琉〈たかがしれいる〉

第1話 夢

(絶対帰って来てね、私、待ってるからーーー……!)

あれは、誰だっただろう?

      *

高い電子音のメロディが聞こえる。

ベッドと布団〈ふとん〉の間から手と頭が出てきて、スマートフォンを引き摺〈ひきず〉り込んだ。

指を画面に押し当て、スワイプすると、アラームは鳴り止〈や〉んだ。

うつ伏せの状態で寝ていたのを、Lの字を反対にしたように、背中から起き上がると、肩に乗っていた布団が捲〈めく〉れて、枕〈まくら〉の下に敷かれたシーツの上に落ちた。

秋畑穂稀〈あきはたほまれ〉は、その感覚を背後で

感じながら、欠伸〈あくび〉をした。

「穂稀ー、朝ご飯出来たわよー」

自分を呼ぶ、母親の声がした。

「はーい」

声を張って返事をすると、穂稀はベッドから降りた。

遮光〈しゃこう〉カーテンを開けて、太陽の光を部屋に入れると、部屋着を脱いで、制服に着替えた。

学習机の上に、やり終えて、出しっ放し〈だしっぱなし〉にしておいたままの課題一式を、スクールバッグの中にしまうと、自分の部屋を出た。

階段を降りて、洗面所で身支度〈みじたく〉を整えると、キッチンへとやって来た。

「おはよう」

母親が挨拶をした。

「おはよう」

父親も俯〈うつむ〉いていた顔を上げて、挨拶をすると、読んでいた新聞紙を折り畳んで、自分に用意された朝食の横に置いた。

穂稀が来るまで、二人は待っていた。

「おはよう」

挨拶を返すと、穂稀も空いている席に着いて、スクールバッグを自分の足元に置いた。

三人が揃〈そろ〉うと、父親は手を合わせて挨拶をした。

「いただきます」

この言葉を合図に、二人も手を合わせると、挨拶を言った。

『いただきます』

三人は食事を始めた。

今朝〈けさ〉の献立〈こんだて〉は、トーストにハムエッグ、コーンスープだった。

「うん、美味〈おい〉しい」

一口齧〈かじ〉ったトーストを噛〈か〉んで飲み込みながら、父親が話し掛けた。

「母さんの作るご飯は、今日も美味〈うま〉いな」

その言葉を聞くと、母親は照れて、頬〈ほほ〉を赤く染めた。

そして、謙虚〈けんきょ〉にこう返した。

「簡単に出来そうな物を作っただけよ」

穂稀も噛んでいたトーストの一部を飲み込んで、母親に言った。

「本当、美味しいわ」

娘からも好評の言葉を貰うと、母親は嬉〈うれ〉しくなって、礼を述べた。

「まあ、ありがとう」

そう言うと、自分もトーストを齧った。

母親が喜〈よろこ〉びに浸〈ひた〉っている、その一方で、父親は話題を変えるように、穂稀にも話を振った。

「今日は学校でどんな事をやるんだ?」

穂稀は答えた。

「そうね、まずは現代文で教科書の音読でしょ、次に古典で古文の解読、で、三時限目が数学で素数の続き、次が体育でバレー、あ、ボールを打つ方ね、それから、英語でBe動詞についての授業、最後に化学で元素記号の覚え方をやるわ」

父親と一緒に、穂稀の授業のスケジュールを聞いていた母親が、何気に眉〈まゆ〉を顰〈ひそ〉めながら言った。

「なんだか、また、小難しそうね」

同調するように、穂稀は返した。

「まあね」

話しながら、ソースのかかった目玉焼きを切って、口の中へと運んだ。

父親が訊ねた。

「授業は難しいのか?」

穂稀は答えた。

「そうね、でも、全部が全部大変って言うわけじゃないの、化学では実験をやったり、現代社会だとモニターを使って学んだり、OC、ああ、オーラルコミュニケーションって言う、英語を使って会話等〈など〉のやり取りを行〈おこな〉う授業の事なんだけど、ゲームを混じえてやったりとかして、楽しい授業もあったりするから、難しいばかりと言うわけではないわ」

穂稀の話を聞いて、父親は短く返した。

「そうか」

そして、また、トーストを齧った。

更に穂稀は続けた。

「自分で授業を好きに選べる、選択授業もあるしね」

今度は母親が返した。

「あら、それは楽しそうね」

そう言うと、コーンスープを啜〈すす〉った。

「そうなの」

穂稀も真似〈まね〉るように、コーンスープを一口飲んだ。

父親もそれに続いた。

「それなら何よりだわ」

さっきの会話に続くように、母親は喋った。

会話が進むにつれて、食卓に置かれていた食事は段々に減って行き、空〈から〉になった食器だけが残った。

「忘れ物無いか?」

玄関に二人で並んで、座って革靴〈かわぐつ〉を履〈は〉いていると、父親が言った。

「えーと、ちょっと待ってね」

そう言うと穂稀は、スクールバッグの中を改〈あらた〉めて、確認した。

「大丈夫、無いよ、お父さんは、忘れ物してない?」

娘に訊かれると、父親は慌てた声で言った。

「あ、やば、スマホ」

それを聞いた穂稀が、心配した声を出した。

「やばくない?急いで取りに行った方がいいんじゃない?」

と、言っていると、父親はスーツの懐〈ふところ〉に手を入れて、ゆっくりと抜いた。

その手には、スマートフォンが握られていた。

「なーんてな」

誂〈からか〉うような声で、父親は言った。

「あ……もうっ」

騙〈だま〉されたと分かった穂稀が、ちょっと怒って、膨〈ふく〉れっ面〈つら〉を顔で作った。

「ははは、すまん、すまん」

父親が軽く謝った。

両手で穂稀の顔を包むと、優しく押して、頬の空気を抜いた。

「しょうがないんだから」

幸せな気分になった穂稀は不満を言いながら、父親を許した。

「ほらほら、いつまでもイチャついてないで、早く行きなさい、遅刻するわよ」

洗い物を終えて、濡〈ぬ〉れた手をエプロンの裾〈すそ〉で拭〈ぬぐ〉いながら、母親が二人に声を掛けた。

『はーい』

二人で伸びやかに返事をすると、父親が言った。

「じゃ、そろそろ本当に行くとしますか」

冗談〈じょうだん〉めかして、敬礼の真似事〈まねごと〉をした穂稀が了解した。

「アイアイサー」

父親が先に挨拶を伝えた。

「行って来ます」

続いて穂稀も同じ挨拶を母親に言った。

「行って来ます」

母親も二人に挨拶を返した。

いつものように、忠告も付けて。

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

言葉を送りながら、手を振って見送る母親の姿を眼にしながら、父親と一緒に外に出ていた穂稀は、外からゆっくりと、扉を閉(し)めた。

二人は、話しながら道を歩き出した。

「今日のお弁当、何かな〜」

先に口を開(ひら)いたのは、穂稀だった。

「もう、その話か?気が早いね、穂稀は」

父親がそう返した。

歩(あゆ)みを進める度(たび)に、民家(みんか)や、高層(こうそう)ビルにホテル、マンション等(など)の様々(さまざま)な建築物(けんちくぶつ)が流れて行くように、過ぎ去って行った。

「だって楽しみなんだもん、あー今から待ち遠しいな」

ウキウキとした気持ちが、穂稀の笑顔に現れていた。

「ウィンナー入ってたら良いな〜」

そう言うと、ふいに、何かに気づいたように、あ、と、声に出して、父親に訊ねた。

「そう言えば、お父さんはどうなの?お仕事の方、順調そう?」

父親が答えた。

「決まってるだろ、勿論(もちろん)順調だよ」

それを聞くと、穂稀は喜びを露(あら)わにして、父親を応援した。

「そっか、そうだよね、頑張って」

穂稀の言葉に応えるように、父親は返した。

「ああ、今日も企画会議で完璧にプレゼンをバッチリ決めて来るからな」

クシャクシャと若干〈じゃっかん〉乱暴に、穂稀の頭を撫〈な〉でた。

「もうっ、折角〈せっかく〉セットしたのに」

父親の、愛の籠〈こ〉もったスキンシップを受けて、穂稀は頭に手をやりながら文句を言った。

本気で怒っている訳ではないのだが。

「悪い悪い、怒らないでくれよ、可愛い顔が台無しだぞ」

また、父親が軽く詫びた。

顔を褒められて穂稀は、頬を赤く染めた。

「仕返ししてやる、えいっ」

そう言うと穂稀は、父親の腕に抱きついた。

「おっと」

父親から、言葉が零〈こぼ〉れた。

「えへへ、捕まえた」

二本の腕を絡ませて、歌うように、明るく穂稀が言った。

その表情は嬉しそうなものに変わっていた。

「逃さないもんねーだ」

楽しそうに言う穂稀に、父親は声を出した。

「おいおい、参ったなあ」

可愛い仕返しに、父親は顔を綻〈ほころ〉ばせた。

穂稀が腕に抱きついたまま、二人は続けて足を進めた。

平然と普段の速さで歩く父親に、穂稀は必死に歩幅

〈ほはば〉を合わせようと、ついて行った。

「おいおい、大丈夫か?」

息を弾ませて、追いつこうと歩く穂稀に、父親は声を掛けた。

「大、丈夫、このぐらい、なんでもない」

途切れ途切れの言葉で答える穂稀には、説得力が無かった。

「無理しないで、離れて歩いた方が良いんじゃないか?」

娘を気遣って、父親が言った。

穂稀はこう言い返した。

「む、無理なんて、してないもん」

言葉とは裏腹〈うらはら〉に乱〈みだ〉れた吐息〈といき〉で呼吸をする穂稀を見て、父親は眉間〈みけん〉に皺〈しわ〉を作り、渋い顔をした。

そして、息を吐くと、穂稀に言った。

「はあ、分かった、それじゃあこうしよう」

父親は足を止めた。

それにつられて穂稀も歩くのを止〈や〉めた。

いきなり止まった父親に慌てた為、つんのめるようにして、穂稀は止まったのだった。

「とと、どうしたの?」

父親の変わった様子が気になり、穂稀は訊〈たず〉ねた。

穂稀の問いに父親は答える事無く、口を閉〈と〉じたまま、無言でそっと自分の腕から、穂稀の腕を外〈はず〉した。

さっきの根強〈ねづよ〉さは何処〈どこ〉へやら、穂稀はされるがままだった。

そして、穂稀のより一回〈ひとまわ〉りぐらい大きな手で、穂稀の手を握〈にぎ〉った。

父親が手を繋〈つな〉いで来た。

「これなら無理無く歩けるだろ」

穂稀の手を引いて、父親は再び歩き出した。

「行くぞ」

そう言われて、穂稀が返事をした。

「あ、うん」

そして、父親のすぐ斜〈なな〉め後ろをついて行った。

「穂稀は今日の晩ご飯、何だと思う?」

再び歩き始めて二、三分後、父親に話し掛けられた。

「お父さんだって気が早いじゃん、人の事言えないじゃない」

さっきの注意の仕返しだと言わんばかりに、穂稀が喋った。

「おっと、そう言われてみれば、そうだったな」

また、詫〈わ〉びの言葉を繰り返し述べて、軽く陳謝〈ちんしゃ〉すると、父親は続けた。

「で、何だと思う?」

改めて訊かれた質問に、ちょっと考えてから、穂稀は答えた。

「ん〜、じゃ、麻婆豆腐〈マーボーどうふ〉」

それを聞いて、父親もこう返した。

「そうか、俺〈おれ〉は麻婆春雨〈はるさめ〉だ」

その言葉を聞いた穂稀が冗談半分に父親を誘いにかけた。

「賭〈か〉ける?負けた方が勝った方の欲しいものをプレゼントする」

強気な言葉で父親は答えた。

「言ったな?よーし、覚えて置けよ」

穂稀も言い返した。

「そっちこそ忘れないでよ」

いつも休日に家族サービスの予定でスケジュールで埋めていた事を忘れて、仕事を入れては詫びる父親に対して、穂稀はかなりの自信があった。

楽しそうに鼻歌を歌いながら、数〈かぞ〉えるように、穂稀は欲しいものを挙〈あ〉げて行った。

「ふんふんふふ〜ん、何が良いかな〜、ニンテンドースイッチとソフトでしょ、カラオケでしょ、あ、東京ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンも良いな、それにファミリーレストランに回転寿司」

娘の希望するプレゼントの羅列に、父親は不満を言った。

「高いものばっかりだな」

穂稀が平然として、言って退〈の〉けた。

「そりゃあ、そうよ折角〈せっかく〉のチャンスだもん」

ウキウキしながら、穂稀は満面の笑みを浮かべた。

その様子はまるで既〈すで〉に勝ちを見据〈みす〉えたかのようだった。

と、ふいに、そんな娘を見ていた父親が、短く声を出した。

「あ」

それに気づいた穂稀が、言葉を返した。

「何?」

穂稀の言葉の中に何か引っ掛かるものがあったらしい。

しかし、父親は穂稀の返しを打ち消した。

「いや、なんでもない」

穂稀が言葉で迫〈せま〉った。

「気になるじゃん、言ってよ」

澄〈す〉んだ瞳〈ひとみ〉で真っ直〈す〉ぐに父親と視線を合わせて言った。

それに負けて、父親は打ち明けた。

「いや、カラオケで思い出したんだけどさ、今週末〈こんしゅうまつ〉取り引き先とカラオケに行く接待〈せったい〉があるんだよ、流行〈りゅうこう〉に敏感〈びんかん〉な方〈かた〉だそうだから、今時〈いまどき〉に合うどんな曲をリクエストするのが良いのかなって、訊〈き〉こうかと思って」

穂稀は納得〈なっとく〉したような声を出すと、父親が訊いて来た事に対して、答えを述べた。

「成る程〈なるほど〉ね、今、八十年代の曲とか流行〈はや〉ってるから、昭和の曲とかでも大丈夫なんじゃないかな」

それを聞いた父親が返した。

「そ、そうなのか?」

穂稀は頷いて言った。

「うん、新しい曲を入れたいのであれば、男性なら、米津玄師やCreepynuts、女性だったらあいみょんとかYOASOBI辺りが良いと思うよ」

スラスラと最近の人気な歌手名〈かしゅめい〉を挙〈あ〉げて行く穂稀に、父親はストップを掛けた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

再び足を止め、手を離〈はな〉すと、慌ててスーツの懐〈ふところ〉に手を突っ込んで、ボールペンとメモ帳を取り出した。

「もう一回言ってくれ」

父親の頼みを穂稀は引き受けた。

「良いよ、もう一回ね」

今一度、先程〈さきほど〉も挙げられた歌手名を穂稀は繰り返した。

父親はそれを聞き逃〈のが〉さないよう、メモ帳に書き留〈と〉めて行った。

「これでよし、と、もう良いよ、ありがとう」

父親はそう言うと、ボールペンとメモ帳をスーツの中に仕舞い直した。

そして、再び穂稀の手に、自分の手を繋いで来た。

「さて、行くか」

父親の声に、穂稀は頷いて応〈こた〉えた。

「うん」

二人はまた、歩き出した。

歩き始めてから、五歩程(ほど)歩いた時だった。

高音の電子音が聞こえた。

「あ、私のだ」

穂稀はそう言うと、歩みを止めた。

父親も止まってくれた。

そして穂稀はスクールバッグのポケットからスマートフォンを取り出して、片手で画面に指を押し当て、応答のアイコンをスワイプして、電話に出た。

「もしもし、あ、なんだ、テツかー」

親しげな、電話の相手の呼び方に、父親の片耳が動いた。

「何?課題?やってあるけど」

そう言うと穂稀はテツからの受け答えを聞きながら、話した。

「写させれば良いの?オッケー、良いよ」

次のテツからの言葉を聞いた穂稀は嬉〈うれ〉しそうに喋った。

「本当!?ノワール奢〈おご〉ってくれるの!?」

燥〈はしゃ〉ぐように喋る穂稀は眼を輝かせた。

「言ったね、よーし、約束だからね」

相槌〈あいづち〉や返事を二、三回すると、穂稀は終わりにこう言った。

「それじゃ、また、学校でね、じゃあねー」

そして、通話は切られた。

「だ、誰からの電話だ?」

スマートフォンをスクールバッグに仕舞い直す穂稀に、父親は話し掛けた。

「ま、まさか」

と父親が続けた。

取り乱している様子が声や言葉に現れていた。

穂稀は答えた。

「?……ああ、テツの事?クラスメートだけど」

それを聞いて、父親はホッと、安心の溜〈た〉め息を吐いた。

「そ、そうか、それなら良いんだ」

二人はまた、歩〈ほ〉を進めた。

「お父さんもカラオケ行くんだね」

また、穂稀が先に口を開いた。

「まあ、自分ではあまり行かないけど、こんな風〈ふう〉に誘いがある時とかは、偶〈たま〉にな」

と、父親が返した。

「どんなの歌うの?」

自分が歌うレパートリーを、父親は挙げて行った。

「ポルノグラフィティ、クリスタルキング、フィンガーファイブ、アリス、ポケットビスケッツ、ブラックビスケッツ、DA PUMP……とまあ、こんな感じだな」

父親の言葉を聞いた穂稀は、気を悪くしたように口を尖〈とが〉らせた。

「なんだ、結構〈けっこう〉歌えるんじゃん、私のアドバイス、必要無かったじゃない」

不服を申し立てる穂稀に、父親は宥〈なだ〉めるように言った。

「最近の歌は知らないって言っただろう、さっきの穂稀のアドバイス、とても役に立ったよ、ありがとう」

そんな事を話しながら、道を歩いていた時だった。

高い電子音のメロディが聞こえた。

再び二人は止まった。

穂稀がまた、スクールバッグのポケットから、スマートフォンを取り出して、画面を見たが、いつも良く見ている、通常の画面だった。

「ああ、悪い、俺のだ」

穂稀のスマートフォンではないと分かると、父親がスーツの胸元から、赤ん坊の泣き声のように、けたたましく鳴っている、自分のスマートフォンを取り出し、画面に出て来た応答のアイコンに指を押し当て、スワイプすると、電話に出た。

「もしもし、ああ、君か」

穏やかな声と口調で、父親は電話の相手を明かした。

「どうしたんだ?」

と父親は続けた。

「え?明後日〈あさって〉が提出期限の資料がまだ出来てない?」

相手が電話をかけて来た用件を具体的に、父親は喋った。

「分かった、十五分には着くと思うから、それまでどうにかもっててくれ」

そう返答すると、相手の反応を聞いて、父親は希望を託〈たく〉すように、応援の言葉を掛けた。

「うん、頑張〈がんば〉ってくれ、それじゃあ頼んだぞ」

そうして、通話は切れた。

利き手である右手の人差し指でスマートフォンの画面を操作し、アプリの選択画面に戻すと、スーツの中にスマートフォンを仕舞った。

「女の人からの電話?モテるね」

誂〈からか〉うように、穂稀が言った。

「何言ってんだよ、仕事の電話だ」

ちょっと怒って、父親は言い返した。

「冗談〈じょうだん〉よ、早く行きましょう」

穂稀の言葉に父親は頷いて、短く返事をした。

「ああ」

二人は歩くスピードを速〈はや〉めた。

そこからの穂稀と父親は無言で歩いた。

過ぎ去って行く街〈まち〉並みの角〈かど〉を曲がって行くと、十字に分かれた交差点に出た。

穂稀の通う学校と、父親の勤める会社はそれぞれ反対方向にあった。

此処〈ここ〉から二人は別れてそれぞれの道を歩いて行く。

「じゃあな、勉強、頑張れよ」

そう言った父親に、穂稀も頷いて、言葉を返した。

「うん、お父さんもお仕事、頑張ってね」

こうして、二人は別々の道を歩き始めた。

ノワール、ピザハット、ローソン、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、ファミリーマート、

サーティーワンアイスクリーム、ミスタードーナツ、セブンイレブン。

腹(はら)が減るような店名が出揃(でそろ)い、

建ち並んでいる通りを、穂稀は歩いている。

色んな料理の匂いが、穂稀を誘惑した。

しかし、穂稀は負けなかった。

様々な飲食店の前を横切り、突っ切って、通り過ぎて行った。

図書館、日本銀行、新聞社(しんぶんしゃ)、交番、花屋、駄菓子屋、味楽(みらく)、スーパー高橋屋、文具店、コメリ、ホーマック、高田書店。

まだまだ続く色んな店が穂稀の横を過ぎ去って行った。

「ふう」

店が途切れた所で、穂稀はホッと溜め息をついた。

ふと、横を見ると、自動販売機があった。

学校に行くついでに丁度良いと、穂稀はスクールバッグのポケットから財布を取り出し、小銭(こぜに)を入れて、スポーツドリンクを買った。

すると、明るいメロディが鳴り出し、ルーレットが始まった。

当たりが出たらもう一本貰えると、言う事らしい。

折角〈せっかく〉だから、タイミングを見計〈みはか〉らって、ルーレットに合わせて、ボタンを押した。

同じスポーツドリンクが、取り出し口に出て来た。

受け取った穂稀はどうしたものかと、手に持ったもう一本のスポーツドリンクを見つめて悩んだ。

ふと、何気無く前方に眼をやると、一人の少年が道路の向こう側〈がわ〉に立っているのを見つけた。

年は穂稀と同じぐらいだろうか。

折り畳んだ跡〈あと〉がついてるA4サイズぐらいの大きな紙を広げて、眉間〈みけん〉に皺〈しわ〉を刻んで難しそうな顔をして、紙と睨〈にら〉めっこしながら、キョロキョロと左右に首を動かして辺〈あた〉りを見回したり、進んだかと思ったら戻って来てウロウロしたりしている。

(丁度良いや)

穂稀はそう思うと、車が右と左、どっちの道からも来ない事を確認すると、車線が引いてある道路を渡り出した。

すると、少年も穂稀に気づいたらしく、向こうも道路を渡って来た。

二人はぶつかりそうになり、真ん中〈まんなか〉で対峙するように、立ち止まった。

『あの』

二人が声を掛けたのは、同時だった。

「あ、そちらからどうぞ」

少年が話をする順序〈じゅんじょ〉を譲〈ゆず〉ろうとした。

「いえ、そちらからお話し下さい」

少年は穂稀の言葉に甘える事にした。

「それじゃあ、僕〈ぼく〉から、楓〈かえで〉高校に行くには、どう行けば良いですか?」

その言葉を聞いて、穂稀は眼を見開いて、驚いたような顔をした。

よく見れば少年は、穂稀が普段から見慣れている、男子用の制服を着ていた。

そして、穂稀はこう言った。

「凄〈すご〉い偶然〈ぐうぜん〉ですね、楓高校なら、今、私も行く所です」

それを聞くと、少年は飛びつくように、言葉を返した。

「本当ですか!?」

迫り来るような姿勢に、穂稀はたじろいだ。

「あ、すみません、つい」

少年が謝ると、穂稀は続きを言うように、話した。

「ええ、もし宜〈よろ〉しければ、一緒に行きませんか?」

その言葉に少年は再び喰〈くら〉い付いた。

「え?良〈い〉いんですか?」

今度はさっきよりも返し方が少し落ち着いていた。

「良いですよ」

穂稀の返事に、少年は姿勢を正〈ただ〉すと、勢〈いきお〉い良く頭を下げた。

「よっ、宜しくお願いします!」

挨拶〈あいさつ〉を、一生懸命〈いっしょうけんめい〉な声に出して言った。

こうして穂稀は不思議〈ふしぎ〉な少年と一緒〈いっしょ〉に学校へ行く事になった。

穂稀が歩き出すと、少年もその後をついて行った。

「学校までの行き方〈かた〉が分からないと言う事は、もしかして転校生ですか?」

歩きながら、穂稀は少年に訊〈たず〉ねた。

「ええ、そうです、一昨日〈おととい〉引っ越し〈ひっこし〉て来たばかりで」

少年は詳しく答えた。

薬局、診療所、雑貨〈ざっか〉屋、郵便局、洋菓子店、リサイクルショップ、ガソリンスタンド、道の駅、歯医者、自動車整備工場、電化製品販売店。

また、次々と店の前を通〈とお〉って行った。

「お家〈うち〉、遠いんですか?」

続けて穂稀が訊〈き〉いた。

「いえ、歩いて三十分くらいです」

これにも快〈こころよ〉く少年は答えた。

麻雀〈マージャン〉荘、横澤算盤〈よこさわそろばん〉、公文式〈くもんしき〉、水野床屋の建物〈たてもの〉を通り過ぎて行った。

「どうして、前にいた学校から、楓高校に変えたんですか?」

この質問にも少年は差し支〈つか〉える事無く、答えた。

「就職するのに便利だからです」

今度は少年が穂稀に訊ねた。

「学校って、どんな所ですか?」

穂稀はつらつらと、本に書かれている内容を読み上げるように答えて行った。

「楽しいですよ、教室は賑やかだし、先生はフレンドリーで優しいし、授業や倶楽部〈クラブ〉活動、学校行事も面白そうなのがありますし、保健室なんて、休み時間や放課後に行くと、先生が帰るまでコーヒーの飲み放題があるんですよ、アルバイトもOKですし、良い成績を取ると、先生の中には夏ならアイスクリーム、冬だと肉まんを奢〈おご〉ってくれる人もいるらしいですし、あ、図書室にはファッション雑誌〈ざっし〉や漫画〈マンガ〉なんかも置いてありますよ」

喋ってる途中で、穂稀は我〈われ〉に帰った。

「後、情報処理室や図書管理室にはパソコンが置いてあってそれも自由に使ってい……って、はっ」

頭を下げて、謝った。

「ごめんなさい、つい、私ばっかり話してしまって」

その言葉に少年は首を左右に振って言った。

「いいえ、色んな特典があるんですね」

池田酒店〈さかてん〉、横屋釣り具店、占いの館〈やかた〉、菅原〈すがわら〉美容院、居酒屋よっといで、Bar〈バー〉hurt〈ハート〉、多田青果店、

寿司・正太郎、薬王堂と言った店が過ぎて行った。

「楽しいのは学校だけじゃないですよ、町にも色んな楽しみがあるから、寄り道や散歩〈さんぽ〉するのも良いですよ」

と、穂稀が話すと、少年が言葉を返した。

「へーえ、帰ったら町を周〈まわ〉ってみようかな」

穂稀は勧めた。

「あ、良いですね、そうしてみて下さい」

と、言うと、少年から思いがけない言葉が返って来た。

「それじゃあ、学校が終わったら、案内して頂けませんか?」

逆に穂稀が訊き返した。

「え?私で良いんですか?」

少年はこう答えた。

「折角〈せっかく〉ですから、お時間に余裕〈よゆう〉があるんだったらですけど」

穂稀が返事を口にした。

「是非〈ぜひ〉とも、こちらこそお願いします」

少年の片手を穂稀は両手で握って言った。

白くて綺麗〈きれい〉な肌〈はだ〉に映〈は〉える

ような紅〈あか〉が頬〈ほお〉を染〈そ〉めた。

「あれ?お顔が赤いですよ、風邪〈かぜ〉ですか?」

穂稀にそう訊かれて、少年は言葉を返した。

「な、なんでもありません」

更〈さら〉に穂稀は訊〈たず〉ねた。

「大丈夫ですか?」

と、言うと、少年のおでこに手を当てた。

「熱は……無さそうですね」

少年が返した。

「大丈夫です、さあ、歩きましょうか、遅刻しちゃいます」

その言葉に、穂稀も頷いて言った。

「そうですね、行きましょうか」

二人は再び歩き出した。

旅行代理店、アパマンショップ、精肉店を横切った。

と、二人の足が止まった。

でん、と構〈かま〉えられるように立っていた広大〈こうだい〉な建物〈たてもの〉を面にして、穂稀は少年に言った。

「此処〈ここ〉ですよ」

少年は興味ありげに、校舎を見上げた。

「此処で僕も新しいクラスメート達と一緒に様々〈さまざま〉な事を学〈まな〉んで行く訳〈わけ〉ですね」

穂稀に会話するように、少年は喋ると、こう訊〈たず〉ねた。

「職員室は何処〈どこ〉ですか?」

尤〈もっと〉もな質問を訊かれて、穂稀は納得すると、こう答えた。

「そっか、そうですよね、案内します、こちらです」

二人は校庭〈こうてい〉に足を踏〈ふ〉み入れた。

ズンズン先を歩いて行く穂稀に、少年は慌てて早足でついて行った。

校舎の右と真ん中、そして左に入り口があった。

土手で出来た低い坂を登って行き、二人が向かったのは、左の入り口だった。

「此処が職員用の玄関です」

穂稀はそう言うと、少年にこう伝えた。

「入って回れ右をするとすぐに職員室はあります、それでは、私はこれで」

頭を下げて去ろうとしたが、何かを思い出したように戻って来た。

そして、スクールバッグのファスナーを開〈あ〉けると、一本のペットボトルを取り出した。

「さっき、自動販売機のルーレットで偶々〈たまたま〉当たりまして、良かったらどうぞ」

そう言うと、押し付けるように少年へと渡して、向きを変えると、来た道を退〈ひ〉き返した。

途中で止まって、また頭を下げた。

そして、今度こそ去って行った。

遠ざかる程小さくなって行く背中を、少年はキョトンとした顔で、ただ黙って見送ると、見比べるように、手に持たされたペットボトルを見た。

中身はスポーツドリンクだった。

「〝良かったらどうぞ〟、か」

今さっき、穂稀が言った言葉を思い出して、少年は楽しそうにクスリと笑った。

そして、〝折角〈せっかく〉貰ったんだから〟と、心の中で言い訳〈わけ〉をして、試すようにキャップを開けて、一口飲んでみた。

甘味〈あまみ〉と塩味〈えんみ〉が一緒になって、繰り出される爽〈さわ〉やかな味が、口いっぱいに広がった。

味に対しての感想は何も無いまま、少年はキャップをして、ペットボトルをスクールバッグの中に仕舞った。

鉄の板で仕切られた、硝子〈ガラス〉張〈ば〉りの引き戸を、取っ手〈とって〉を掴んで引っ張った。

トンネルのような形の入り口が開くと、少年は中へと足を踏み入れた。

上がり口には段差があって、様々な教室へ行ける廊下に繋がっていた。

少年は上がり口に、スクールバッグの他に持っていた袋から上履き〈うわばき〉を取り出し、置いた。

外靴〈そとぐつ〉を脱いで、履き替える〈はきかえる〉と、代わりに外靴を袋の中に仕舞った。

(入ってすぐ、回れ右だったな)

穂稀の言葉を思い出し、少年はそれに従〈したが〉った。

そうすると、ある一室が眼に入った。

上に掛かっている木札〈きふだ〉を少年は読んだ。

〝職員室〟

黒い字でそう書かれていた。

(此処〈ここ〉か)

心の中で納得すると、少年は自分の前に立ちはだかっている、閉まっていた白い引き戸を二回、ノックした。

コンコンと、小気味良〈こきみい〉い音がした。

「はぁーい、どうぞー」

引き戸の向こうから、のんびりとした声がした。

男性のものだった。

少年は引き戸の端〈はし〉に付いてる、長方形の小さな窪〈くぼ〉みに手を掛けて引いた。

カララと軽い音がなって、戸が開くと、職員室の中身が明らかになった。

灰色のデスクが八つ、四対四に分かれて、並べ置かれていた。

それに職員であろう、様々〈さまざま〉な大人達〈たち〉が、回転式の椅子〈いす〉に腰を掛〈か〉けて、色々〈いろいろ〉な本やら書類やらを並べて仕事をしていた。

「失礼しまーす」

少年は挨拶をする事で、一言断〈ことわ〉りを入れると、職員室の中に足を踏〈ふ〉み入れた。

引き戸を後ろ手で閉めると、戸を背にして立って、少年は言った。

「今日から此処の生徒になる、古屋真白〈ふるやましろ〉です、宜〈よろ〉しくお願いします、担任の先生はどちらでしょうか?」

真白の質問に声を上げた人物がいた。

「ああ、俺だ俺だ」

片手を挙げて喋ったのは、男性だった。

ノックした時に聞こえた声と同じ声をしていた。

一番右端〈はじ〉の右下のデスクで課題〈かだい〉に出していた物なのか、ワークをチェックしていた。

男性は雲丹〈うに〉のようなツンツンヘアーだった。

年は二十代後半ぐらいの見た目をしていた。

男性は真白の元まで歩み寄って来ると、自己紹介をした。

「担任の裃大道〈かみしもひろみち〉だ、宜〈よろ〉しくな」

真白は姿勢を正して、一礼をした。

「宜しくお願いします」

挨拶を終えるなり、大道は言った。

「よし、それじゃあ、早速だけど、教室に行くか」

真白は活気のある声で返事をした。

「あ、はい!」

それを聞くと、大道は自分のデスクまで行った。

そして、出席簿を手に取ると、真白の側〈そば〉を通り過ぎた所で、振り向いて言った。

「こっちだ、ついて来な」

また、真白の元気の良い返事を聞いて、大道は元の位置に向き直ると、再び歩き出した。

追いかけるように、真白も後をついて行った。

二人は職員室を後にした。

「失礼しました」

忘れずに真白は挨拶をした。

廊下に出ると、二人の会話が始まった。

「緊張しているか?」

大道が訊〈たず〉ねた。

「そうですね、楽しみ半分、不安半分って感じです」

真白はそう答えた。

「はは、大丈夫さ、どの学年もどのクラスもみんな、気の良いヤツらばかりだから、もっと肩の力を抜きな」

大道の言葉を素直に受け入れると、真白は深呼吸をした。

「倶楽部活動はやる予定はあるか?」

階段を上がりながら、大道は訊〈き〉いた。

真白の答えは否〈いな〉だった。

「いいえ、興味はありますけど、体力無いんで」

短い言葉で、大道は返した。

「そうか」

今度は真白が訊〈たず〉ねた。

「先生は何の教科担当ですか?」

あっさりと大道は答えた。

「俺か、体育だ」

それを聞いて、真白は申し訳け無さそうに言った。

「そうですか、すみません」

謝る真白の肩を軽く二回叩いて、許すように優しく

喋った。

「気にするな、生まれつきなんだから、そう言う事だってあるさ」

温〈あたた〉かい言葉を掛けられた真白は思わず、声を漏〈も〉らした。

「先生……」

肩に余韻〈よいん〉を感じながら、真白は大道に続いて、階段を上がりきった。

「しかし、珍〈めずら〉しいな、暑〈あつ〉さに弱いなんて、別に良いんだけど」

普通教室が並んでいる廊下を二人は黙って歩いて行った。

(読書中だし、お前が来る事はみんなに内緒〈ないしょ〉にしてあるから、静かにな)

と、真白は大道から事前に忠告を言われていた。

沈黙の時間が、学校中に流れた。

なかなか止まる様子を見せない大道を、チラチラ見ながら、真白は足を進めた。

一年の最後の教室の前で、大道は足を止めた。

その直後にチャイムが鳴った。

「俺が〝入れ〟と言うまで、此処〈ここ〉で待っててくれ」

言いつけられた言葉に真白が返事をすると、大道は笑みを見せ、小さな長方形の窪みに手を掛けて、引き戸を開け、教室の中に入って行った。

「起ー立〈きりーつ〉」

号令を掛けた日直の声が、室内から聞こえた。

「気を付け、礼、おはようございます」

クラス内の生徒達が日直に続いて、挨拶をした。

『おはようございます』

大道は挨拶を返すと、転校生が来ている旨〈むね〉を自分が受け持っている生徒達に話した。

「はい、おはよう、えー出席を取る前に、このクラスにニューフェイスが加わる事になった」

この言葉にクラス中がどよめいた。

それを大道は窘〈たしな〉めた。

「静かに、今から紹介するからみんな、温かく出迎えてやってくれ、それでは入りなさい」

再び静まり返った教室に、真白は足を踏〈ふ〉み入れた。

教壇〈きょうだん〉に立っている担任の隣〈とな〉りに来て止まると、大道は生徒達に背中を向けて、黒板にチョークで何やら書き始めた。

〝古屋真白〟

と、白くて大きな文字が現れた。

大道は生徒達に、自分の横に立つ新たな生徒を紹介した。

「えー、今日からみんなの新しい仲間になる、古屋マシュマロ君だ」

大道のボケ方〈かた〉に、真白はよろけた。

「先生、僕は〝ましろ〟です」

真白に言われて、大道は言葉を返した。

「ほんの冗談だよ、冗談、と言う訳でみんな宜〈よろ〉しくな」

そう言って纏〈まと〉める大道に続いて、真白は言った。

「宜しくお願いします」

下げた頭を上げる瞬間、一人の女生徒が視界に入った。

それは先程〈さきほど〉、自分を職員用の玄関まで案内してくれた女の子だった。

「あ……」

真白が声を漏らした。

「あ……」

女の子も真白に気づいた。

『君(貴方(あなた))は、さっきの』

二つの声が重なった。

「なんだ、秋畑、知り合いか?」

大道が穂稀に訊(たず)ねた。

代わるように真白が答えた。

「僕が学校に行くまでの道を訊いたら、行きながら案内してくれたんです」

大道は納得した。

「そうか」

と、言うと、更に続けてこう言った。

「丁度〈ちょうど〉良い、隣りも空いている事だし、良し、宜しくな秋畑、色々〈いろいろ〉教えてやってくれ」

それから、真白の背中を優しく押し、穂稀の隣りに座るよう、促〈うなが〉した。

スタスタと、足を動かして、真白は穂稀の元にやって来た。

「此処〈ここ〉、いいかな?」

真白が穂稀に訊ねた。

「どうぞ」

一言でそう答えると、穂稀は隣りの席に収〈おさ〉まっている椅子〈いす〉に手を掛け、力を込めて引いた。

「ありがとう、宜しくね」

真白が言った。

「こちらこそ、宜しく」

穂稀も挨拶を返した。

チャイムが鳴って、ホームルームの終わりを告げた。

休み時間になると、クラスメート達が真白の周りに集まった。

そして、定番の質問タイムが始まった。

学園もののドラマやアニメとかでよく見る光景だ。

「何処から来たの?」

女生徒の一人が訊いた。

「北海道の富良野〈ふらの〉って言う所」

快〈こころよ〉く真白は答えた。

「得意な教科はあるのか?」

男子生徒が続けて訊ねた。

「得意と言える科目は、これと言って無いけど、好きな科目は家庭科かな」

真白はこれにもぞんざいにせず、答えた。

「分かる、調理実習〈ちょうりじっしゅう〉、俺も好き」

男子生徒が共感〈きょうかん〉するように言った。

「あんたはただ食べたいだけでしょ」

別な女子がツッコんだ。

「良〈い〉いだろ、別に」

男子が言い返した。

「僕も調理実習でご飯が食べられるから、家庭科が好きなんだけど」

真白が言った。

その言葉を聞いた男子が、勝ち誇〈ほこ〉ったように喋った。

「ほーら見ろ、やっぱり同じ男同士〈おとこどうし〉、通じ合うものがあるんだよ」

負けない、とでも、言うように、女子が真白に詰め寄った。

「何言ってんの、私達〈たち〉二人に気を遣〈つか〉ったんでしょうが、ごめんね」

女子の言葉を聞いて、真白は慌てて言った。

「いやいや、本心だから」

穂稀も三人の会話に割〈わ〉って入った。

「優しいんだね、古屋君は」

真白は穂稀の言葉を否定した。

「そんな事無いよ」

そう言って、困ったように笑った。

「それにしても」

と、話題を変えるように穂稀が言った。

「まさか、同じクラスでしかも、隣りの席になるなんてね」

と、続けた。

「僕も同感だよ」

と、真白が返した。

「てっきり先輩だと思ってたから」

また穂稀が言葉を口にした。

「僕もだよ」

真白も共感して言った。

「あれあれ?なんかお二人さん、良い感じ?」

別の男子がおチャラけて、真白と穂稀を冷やかした。

「ちょっと止めてよ」

穂稀が窘〈たしな〉めた。

「そうよ、見なさいよ、古屋君困ってるじゃない」

女子が加勢〈かせい〉した。

「良いよ良いよ、気にしてないから」

真白が、男子を牽制〈けんせい〉してくれた、二人に言った。

「とか、何とか言ってるわりには、やけに親〈した〉しいじゃんか」

ニヤニヤと怪しい笑みを見せながら、男子が女子二人に言い返した。

「もう、さっきの話、聞いてなかったの?学校までの道の行き方を訊かれたから、案内がてら教えて行っただけだって」

刺激〈しげき〉を受けて挑発〈ちょうはつ〉に乗った穂稀が負けじと反論した。

「そうやってムキになる辺りが怪しいなあ?」

言い返す程〈ほど〉、男子は面白がって、余計に穂稀達〈たち〉を誂〈からか〉った。

男子に悪〈わる〉ノリして、穂稀と真白を囃〈はや〉し立てる者〈もの〉も出て来た。

指笛が飛び交う中で、クラス中が騒ぎ出した。

「止めなさいってもう」

女子が叱った。

「ごめんね、巻き込んじゃって」

真白が謝った。

「ううん、こちらこそごめんね、迷惑かけて」

穂稀も陳謝〈ちんしゃ〉した。

「迷惑なんかじゃないよ、こう言う誤解〈ごかい〉なら、悪くない」

穏やかな声と口調〈くちょう〉で真白は返した。

「え……」

真白から言われた言葉に、穂稀の胸は高鳴〈たかな〉った。

「え、いいの?」

思いがけない言葉を聞いたらしく、穂稀は訊ねた。

「うん、僕はね、秋畑さんは嫌なの?」

穂稀の問いに答えると、真白が訊き返した。

「何で名前を知ってるの?私、言ったんだっけ?」

答えを聞く前にそう訊ねられて、真白は穂稀の質問を優先した。

「さっき先生がそう呼んでた」

真白に答えられると、穂稀は自分の中の記憶を振り返って、思い出した。

〝「なんだ、秋畑、知り合いか?」〟

(あの時……)

「あ……」

そんな様子を見て、真白は話を戻すかのように、もう一度訊いた。

「それで、嫌なの?」

穂稀は一度、言葉に詰まるが、勇猛果敢〈ゆうもうかかん〉に自分の気持ちを答えた。

「う……嫌じゃない……かも」

照れたように顔を赤くして、穂稀は言った。

それを聞いて、真白は満足げに笑みを顔に浮かべた。

「そう、それはよかった」

と、そこでコホンと、咳払いをする声が聞こえた。

やり取りをしている二人の間に女子が割り込んだ。

「あー二人共〈とも〉、仲良くするのは悪いとは言わないけど、質問の続きをしても良〈い〉いかしら」

真白が女子に軽く謝って言った。

「ああ、そうだったね、ごめんごめん」

女子は質問を再開した。

「それで、好きなテレビ番組は?」

上を見て、考えるような仕草〈しぐさ〉をしながら、面白可笑〈おか〉しそうに、真白は答えた。

「んー、具体的にこれって言う番組は無いけど、バラエティーは見るかな」

その他に好きなゲームや漫画〈まんが〉、アニメやカラオケで歌う曲など、矢継ぎ早〈やつぎばや〉に女子は質問して行った。

それに真白は嫌な顔一つしないで、答えを返した。

「古屋君て肌の色が白いよね」

また違う女子が言った。

「え?ああ、うん、よく言われる」

真白が言葉を返した。

「何かコスメ使ってるの?」

更に女子は訊いた。

「何もしてないけど」

さらりと真白は答えた。

その一言に、女子達は静まった。

「え?え?」

真白は戸惑った。

「ごめん、何か変な事言ったかな?」

硬直した女子達に真白は訊いた。

「う」

女子達のうち一人の口が動いた。

「う?」

真白が言葉の続きを促〈うなが〉すように、繰り返した。

『嘘でしょ、マジで!?』

驚いた声が三つ、重なった。

「じゃあその、肌の白さは生まれつき?」

訊かれて、真白は答えた。

「え?うん」

真白の返答を聞くと、女子達は羨〈うらや〉ましそうな声を上げた。

『いいなー』

女子達のうち、また違う女子が言った。

「古屋君になりたい」

聞き捨〈ず〉てならない言葉が真白を刺激〈しげき〉した。

女子の何気ない一言に引っ掛〈か〉かるものがあった。

「古屋君……?」

様子の異変に気づいた穂稀が、心配そうな声で真白の名前を呼んだ。

「そんなに良〈い〉いかな」

自分の中に湧き上がって来る感情を悟られないように、さっきまでと変わらない声で、なるだけ平静〈へいせい〉を装〈よそ〉おって、真白は言った。

「えー、良いよ、だって美白じゃん、憧れるわー」

女子達が口々〈くちぐち〉に言う。

「本当、交換したいぐらい」

分かっている、仕方無〈しかたな〉いのだ。

「分かる、代わって欲しいよね」

だって、彼女達を含めて、此処にいるみんなは初対面。

たった今、会ったばかりなのだから。

こちらの都合〈つごう〉など、知らない。

そう自分に言い聞かせて、口から出かけている言葉を飲み込み、理性が切れそうなのをグッと堪〈こら〉えた。

「そう?だったら自慢〈じまん〉しちゃおうかな、あげないよ」

頭の後ろと腰〈こし〉に手を当て、グラビアアイドル風〈ふう〉のポーズを取りながら、冗談めかして、真白は言葉を返した。

「えー狡〈ずる〉ーい、頂戴〈ちょうだい〉よー」

女子達がノッて来た。

「分けて分けてー」

そのノリを見ていた、また違う女子が、先程の会話を聞いていたらしく、面白がってこんな事を言って来た。

「肌が白いだけじゃなくて、身体〈からだ〉も細いじゃん、ウチらの分けてあげたいよねー」

また、女子が爆弾を投下した。

「何をどうしたらそんなに痩〈や〉せていられるの?」

こちらの気持ちなんて何の知る由〈よし〉も無く。

ドロドロした悪い気持ちをなんとか抑〈おさ〉えて、落ち着いた感情と声と言葉で、調子に乗って真白は答えた。

「内緒ー」

文句を言うような口ぶりで、ふざけながら女子が返した。

「えー教えてよ」

はぐらかす言葉を真白は口にした。

「ヒ・ミ・ツ」

口元に立てた人差し指を近づけて言うと、こんな事を言って来る女子がいた。

「ウチらの貰ってくれない?」

腕の肉を摘まみながら喋った。

「貰って貰ってー」

その隣りにいた女子が調子の良い声で、先程の女子の言葉を繰り返すように言った。

「分けてくれれば、貰うよ、頂戴〈ちょうだい〉」

と、両方の掌〈てのひら〉を重ねて差し出す仕草〈しぐさ〉をしながら、真白は返した。

「分けてあげたいのはやまやまなんだけど、ね」

腕の肉を摘まんでいた女子が言った。

「うん、残念ながら、そうも行かないのが」

その隣りにいた女子が続いた。

『現実なんだよねー』

穂稀を除いた女子達全員の声が重なった。

『ハァー』

沢山〈たくさん〉の溜め息が、教室中に漏れた。

女子達に共感を覚えて、真似〈まね〉をするように溜め息をつく、男子もいた。

と、そんな時、こんな声が掛かった。

「ね、ねえ、みんな、そろそろ準備しない?授業始まっちゃうよ」

穂稀だった。

「だな、そうするか」

男子から賛成の声が聞こえた。

「それもそうね」

女子も賛同した。

穂稀の言う事に従うように、一緒の席である真白の周りをぐるりと取り囲んでいた生徒達の群れは、蜘蛛〈くも〉の子を散らすように去って行った。

クラスメート達がその場から離れて行くのを見ると、穂稀はホッと胸を撫〈な〉で降ろした。

「私達も準備しようか」

そう、真白に声を掛けた。

穂稀に言われて真白も頷いた。

「うん、行こうか」

二人は席を立つと、授業道具がしまってあるロッカーに向かい、一時間目に備えるのだった。


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