第9話 静寂と混沌と
酒場の一階は、異様なほど静かだった。
割れた皿も転がった椅子もない。
まるで事件など最初からなかったかのように、整然と整えられた空間。
「今日この店、やってたのか? 休みみたいにキレイだな」
シェリーが率直な感想を口にする。
「……通常営業中の事件だけど」
リューネが苦笑いする。
「団長ガ、アトカタヅケサセタネ」
メイファがいつもの調子で言った。
「は? 誰に片付けさせたんだよ」
「犯人ヲ含メ、店ニ居タ全員」
「……冗談だろ」
リューネがため息をつきながら、聴き込みの結果を報告する。
昼過ぎのピークがひと段落した頃、犯人がナイフを持って店に乱入した。
最初の人質を取ろうとした瞬間、団長が自ら手を挙げた。
「こんなかで一番エラいの俺だから、人質はオレね」
その後、団長は店主に向かって言った。
「こんな状況で営業は無理だから、今日は閉店しよう」
客の会計から締め作業、鍵の管理まで全て指示を出した上で、
団長は犯人と店に残ったという。
「……信じられないと思うけど、これ、誰に聞いても同じ証言なんだよ」
リューネが半笑いで言う。
シェリーは頭を抱えた。
「団長って、もしかして――」
「バカトアホヲ混ゼテ煮詰メタネ。カナリ濃厚ネ」
メイファの言葉に、誰も反論できなかった。
その瞬間、二階から何かがぶつかる音が響いた。
木材がきしみ、空気が震える。
⸻
全員が顔を上げた。
「上か」
リューネが戦斧を構える。
ルナは怯えたようにリューネの背に隠れる。
息を呑むような静寂が、一階を覆った。
天井の向こうで、誰かの気配がうごめく。
それは、風が止まる直前のような不穏な静けさだった。
桜花の名を呼ぶ間もなく、シェリーは階段を駆け上がる。
一段ごとに、足裏から伝わる冷たい気配。
扉の向こうから、金属のぶつかる音。
もう迷っている場合ではなかった。
シェリーは息を吸い、勢いよく扉を蹴り開けた。
⸻
そこは、まるで嵐の中心だった。
奥の部屋では、桜花が刀を抜き、団長とスズを睨みつけていた。
スズは両手を広げ、犯人を守るように立ちはだかる。
その小さな背中は、まるで巨大な壁のようだった。
「危ないって桜花さん。ちょっと落ち着いて」
団長は笑いながら刃をかわす。
その笑顔が、さらに桜花を苛立たせた。
「団長を傷つけた者は、殺す!」
「いや、傷つけてないって。かすり傷だって」
「黙れ! 団長を傷つけた者を庇う者は、たとえ団長であっても殺す!」
――刀の音が、空気を裂いた。
「確かにスズに犯人守れって言ったの俺だけどさ、俺殺したら意味ないんじゃない?」
「うるさい! 訳の分からないことばかり言うな!」
刃が止まる。
わずかに震える手。
一瞬、桜花の瞳に迷いが宿った。
しかしその光は、すぐに怒りの熱に溶けて消える。
「なぁ……これって……」
シェリーが呟くと、メイファが肩をすくめた。
「バカガ増エタネ」
⸻
スズがシェリーたちに気づいて手を振った。
「見て見て! お館さまと桜花さん、今日も元気だよー!」
「元気ってレベルじゃねぇ……殺されかけてるだろ」
シェリーの心の声が漏れる。
「お館さまー! シェリーちゃんがつまらないってー!」
スズの声が響いた。
団長は笑顔で頷く。
「そっか。なら、ちょっと動きつけようかな」
「避ケルダケナラ誰デモデキルネ!」
メイファが挑発し、リューネとルナが頷く。
その表情には、すでにいつもの日常の空気が戻っていた。
――静寂が、音を立てて崩れた。
その余韻を、誰も恐れようとしなかった。
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