恋心

 例えば、幼馴染を好きになる人がいる。例えば、近所の教会にいる女神像に恋する人がいる。身近にいる存在を好きになるのはよくある話だ。

 つまり、何が言いたいのかって?

 白状しよう。


 俺はシオンが好きだ。


 家族ではなく、異性として。感情が爆発してその衝撃で宇宙に飛べるくらいには好きだ。弟の言葉に敏感に反応したのもそのせい。

 桃色の頬。微笑を作る唇。澄んだ海が日光を柔らかに反射するように、きらら煌ら輝く宝石のような瞳。

 ゲッカビジンのように美しいとでも言うべきか。夜にしか咲かない。それは俗世にあまり関わりを持たないシオンのようにも思える。それにビジンだ。「シオン」もまた花の名前だけど。

 勿論、家族にも友人にも言っていない。

 人形と人間が恋愛するなんて、それこそ御伽噺。けれど好きなのだから仕方がない。あの深海のような目に吸い込まれてしまったら、抜け出すことなんて不可能だ。だからといって、この恋を進展させる気は微塵もない。

 家族として近くに入れるのであれば、それで十分だ。

 そもそも、シオンの目には母さんしか映っていないのだから。





「ちょっと。勉強するんじゃなかったの?」

 そうだ、母さんにもシオンのことを聞きに行ってみよう。

 そう思い立って足を運んだのは家の庭。花壇や植木鉢が沢山あって、四季折々の花を望むことが出来る。可憐な花だけでなく、食虫植物もあると品揃えだって豊富だ。

 母さんしかいないと思ったのに、そこにはシオンも居た。

「母さんに用があって来たんだよ。シオンこそ、料理してるんじゃなかったのか」

「料理に使うローズマリーを採りに来たの」

 いやいや、おかしいぞ。俺は言い掛かりをつけようとする。シオンの片手にはローズマリーの葉。もう任務は達成しているはずだ。

 シオンの横、軍手を付けた母さんが「それがね」と付け足す。

「花の話を始めたらヒートアップして、止まらなくなっちゃって」

 どうせそんなことだろうとは思っていた。母さんはあはは、と苦笑いを浮かべているように見えるが、反省している素振りはない。

 それを良いことに、シオンも堂々としている。

「それより、マリーに用があるって言うけど、勉強関連じゃないの? 参考書もノートも見当たらないけれど」

 脇腹を突かれた時のように、げ、と呻く。

 本人(形)の前で聞くのは気が失せる。右上を仰いで適当に口実を考える。

 それが愉快だったようで、シオンはふふ、と声で笑った。

「やっぱり、勉強をサボりに来ただけじゃないの?」

「ち、違うしー?」

 元はと言えば、勉強をサボる口実が欲しかったからなのでしようにも反論できない。

 母さんは、ぱん、ぱんと手を叩いた。


「まぁまぁ、良いんじゃない。受験生だって気晴らしが大事大事!」


 俺だけでなく、シオンも母さんには逆らえない。

「丁度色々な花が開いてきたことだし、見て行きなよ。植物園で働いているから、説明くらいはお任せあれ」

 やる気満々の母さんに、俺達二人は無言で頷いた。



「今の時期はヒガンバナが咲くんだよ。ほら、あそこにあるでしょ。沢山別名があるの。幽霊花、灯篭花、それに花が咲いた時は葉が見えないから、葉見ず花見ずとか。美しい花だよねぇ」


 母さんの説明は本職であることを感じさせる程詳しいが、シオンも負けず劣らず花の知識が相当ある。

「でも、球根には毒があるから気をつけなさい」

 確かに美しいなぁ、と顔を近づけた俺は咄嗟に離れた。しゃがんで見ていたので、後ろに転がって尻餅をつく。

「……花って可愛い見た目のくせに、毒を持ってるヤツが多くないか?」

 確かにね、と母さんは頷いた。そして、兄貴の名前が書かれた植木鉢を指す。

「もう枯れちゃったけど、これはお兄ちゃんが小学生の頃の植木鉢で育てているアサガオね。アサガオだって、種には毒がある」

「美しい花には棘があるって言うでしょう」

 シオンがことわざを披露する。

 母さんは得意げな顔で、「つまり」と指をシオンに動かした。

「シオンにも棘があるってことだ。ひゃー怖い」

「それを言うマリーだって、花の名前でしょうに」

 二人で顔を見合わせて笑った。

「確かに。でもそれは、私は美しいってことかな?」

「当たり前よ」

 俺だけ仲間外れ。不貞腐れたので、とりあえず話題を変える。

「シオンは何か花を育てているのか?」

「さぁ?」

 シオンは適当に返すが、代わりに母さんが「一つだけね」と横から答えた。

「あれは私じゃないって言ったはずよ」

「またまた。この家で私以外に花を育てるとしたらシオンしかいないもん」

 少し移動したところに、シオンが育てたという花が咲いていた。


 赤、橙、黄色。植木鉢に入った土を彩るのは、太陽のように明るい色ばかり。

 細長い花弁が円を囲むようについている。

 この花の名前なら知っていた。だって、母さんの花だから。


「これ、マリーゴールドだっけ? ねぇシオン?」

 母さんは揶揄うような笑みを浮かべる。

「そうだけれど」

「私の花だって言って育ててくれたんだよ。みんなが産まれる前から毎年育てていて。意外にシオンって花の栽培が上手いんだよね。誰かから教わったの?」

 シオンは首を振った。

「機械なんだから当然よ」

「やっぱ機械って凄いんだね」

 母さんが「それにシオンだしね」と褒めちぎり、シオンが「そんなことない」と謙遜する。そのやり取りを俺は静かに見ていたが。


「そろそろ勉強に戻りなさい」


 シオンに追い出されてしまった。

 父さんが贈ったという蕾のゲッカビジンを横目に、退散する。

 勉強したって……俺、特に夢なんてないのにな。






 俺は学校で貰った白紙と睨み合っていた。

 周りはすんなりと書き込んでいたが、俺は真っ白しろ。

 高校二年の冬、進路希望調査である。

「そろそろ、卒業後どうするか決めないとなんだっけ?」

 リビングで呆然としながら考えていると、仕事から帰ってきた母さんが聞いてきた。

「うん。でも、全然決まってない」

「大学で学びたいことがあるなら、お兄ちゃんみたいに大学に進学しても面白いと思うけれど」

 兄貴や弟みたいに学びたいことはない。心理学は結構好きだが、将来に繋げる気はなかった。それに、二人みたいに成績が優秀な訳でもない。

 ペンをきつく握りしめて頭を抱える。

「やりたいことはないの?」

「……ない。強いて言うなら、ゲーム」

「こら。自立できそうな仕事を選んでよね」

 丁度そこに宇宙開発機関で働く兄貴が通りかかった。連日夜勤が続いていたから、平日の今日でも家にいるのである。

「そんなに深刻そうな顔をしてどうした?」

「進路に迷ってるみたいで。大学に行く気はないけど、やりたいこともないんだって。この子に向いている職業って何だと思う?」

 兄貴は俺の方を見て、「あれをやればいいじゃないか」と言った。

 俺は首を傾げる。

 「あれ」も何も、仕事に繋がるような趣味はないはずだが……


「何をとぼけている。よく人形を作っているだろう。中々のクオリティだったから、人形作家を目指したらどうだ」


 母さんは目を見開き、俺の方に向く。

「まぁ、そうなの~?」

 喜んでいる母さんとは反対に、俺の頭はどんどん冷えていく。あっという間に十度を下回り、ついにマイナスに突入。

「な、なんで知ってるんだよクソ兄貴……!」

「部品を買ったレシートがそこら辺に落ちているし、隣の部屋だから作る音も聞こえている」

「ででででも、どこで作品を見たんだよ!?」

「ネットに写真を投稿していただろう。部屋の構造がこの家と全く同じだったから、もしやと思ってな」

 シオンへの密かな恋心を満たすために始めたのがきっかけだった。最初に作ったのは人形ではなく動物。夜な夜なひっそりと自室で作り続け、今では人形を作って投稿出来るくらいのクオリティにはなった。

 言うと恋心に気付かれてしまいそうだから、必死に隠して爺ちゃん以外誰にも言わなかったというのに。

「それって、私でも見れるの?」

 兄貴がスマホを操作してそれを母さんに見せる。

 俺はスマホを奪おうと兄貴に突進。しかし父さんに似て身長が高い兄貴に届かない。飛び跳ねても躱されてしまう。

 健闘虚しく、スマホは母さんの手に渡ってしまった。しばらく画像を見つめる。

「全部自分で作ったの?」

「……一応。趣味で作ってたからそんなに上手じゃないけど……」

「そんなことないでしょ。形になっている時点で凄いわ」

「ほら、母さんもこう言っているだろう」

「いやでも人形を作るのは好きだけどさ、これで生きていくって大変だろ」

「これで生きていくのは大変って……自由に研究する人に言われてもねぇ。若いうちは何とかなるって」

 そうだった。

 この家は研究者ばかり。好きなことをひたすら突き詰めて生きてきている人達だ。

 母さんが言うと説得力が違う。その領域に片足を踏み入れた兄貴も、母さんの横で頷いていた。

 生計を立てられるか不安だが……好きなことを仕事に出来るなら嬉しい。

 でも、シオンになんて言われるだろうか。シオンが好きだが、自分が作った人形にも愛着が湧いている。

 それで恋心が消える訳がないだろう。しかし、人形を作っていると、シオンを差し置いてという罪悪感が生まれるのだ。

 お前が愛するのは、シオンだけではないのか?

 シオン以外を愛するなんて、許されることなのか?




 とは言いつつも、進路希望調査は「人形作家」と記入した。

『ほぉ。手先が器用だから、良いんじゃないでしょうかねぇ』

 進路面談でも担任に反対はされなかった。生徒一人の将来に大して興味がないだけかもしれないが。

 母さんから聞いた父さんは、また俺を部屋に招き入れて茶会を開いた。

『人形作家になるって聞いたけれど、本当かい?』

 ようやく紅茶の味が分かるようになってきた俺は、うん、と返した。

 父さんは『そうかぁ』としみじみと頷く。

『やっぱり、シオンの影響かな。一番シオンにべったりだったもんねぇ』

『その記憶はないんだけど』


『あれ、覚えてない? 「大人になったら結婚してよ!」とか……』


 はしたなく紅茶を吹き出しそうになった。変に紅茶を飲み込んでしまったせいで咽せる。

『ゲホッ、ゴホッ……そんなこと言ってたのかよ』

『子供だからね。確かシオンは、「今世は誰にも添い遂げないし、来世もマリーと一緒にいるから」って答えてたような』

 俺、撃沈。分かっていたことだが、この恋は植木鉢があっても種がない。

 種がないから恋が実ることもないのだ。

『とにかく、私は夢が出来たってだけで嬉しいかなぁ。それがシオンの影響だとしたら尚更』

 父さんは満足そうに笑って頷いた。




「マリーから聞いたわ。貴方、人形作家になるんですって?」

 玄関でシオンに声を掛けられた。学校から帰ってきたばかりの俺は頷く。

「じゃあ弟子入りするのかしら」

「一応。もう弟子入り先は決まったし」

 個展も開くくらい有名な人形作家だ。ダークなデザインを好み、人形も世界観も緻密に作り込まれていて、熱狂的なファンも多いらしい。シオンとはまた違う傾向の人形ばかりだが、一番俺に合っていたのである。

「この研究者一家の中で一人だけ人形作家だなんて、随分と異質ね」

「それは分かってるけど……俺が研究者をしてるところなんて想像つくか?」

 シオンは両手を上げて「全く」と言い放った。

「貴方らしい選択だと思っただけよ」

 友人に言った際には「大学に行かないのか?」という目で見られたものだ。しかし、この家では誰も否定しない。

「それにしても、貴方が人形作家ねぇ」

 額に手を当てて、首を傾げる。

「そんなに不満か」

「働いているところが想像つかないわ。ずっと家でゴロゴロしてそうじゃない……そうね、貴方が一人前に作れるようになったら、私も依頼しようかしら」

「人形が人形を?」

「えぇ。悪いかしら?」

 俺は首を横に振った。そんなことない。シオンから頼んでもらえるだけで、天に召されそうになるくらいには嬉しい。

 どんな人形なのか俺は待ち構えた。シオンは少し悩んだ様子を見せ、やがて言う。


「マリーを模した人形とか、どう?」


 俺は耳を疑った。

 母さんを模した人形。作れないことはないだろう。しかし実在する人の人形というと、突然ホラー味が出てくる。

「良いと思わない? 人間はずっと生きられる訳じゃないけれど、人形なら手入れさえすればずっと生きられる。ずっと一緒に居られる」

 硬直する俺を気にせず、シオンは嬉々とした調子で続ける。

 そうだ。シオンは人形なのだ。だから本来は感情など存在しない。だから人間の恐ろしいという感覚も分からない。

 シオンは「名案だと思うでしょう」と俺に同意を求めた。人形と人間の間の壁、価値観の違いに戸惑いつつ、曖昧に頷く。

「……勿論、人形じゃなくて、マリー本人とずっと一緒に過ごせたら良いのだけれど」

 意外に人間は脆い。死ぬ時は呆気なく死ぬ。

 そう実感したのはごく最近のこと。爺ちゃんが亡くなったのだ。

 これまた研究好きの爺ちゃんで、よく博物館に連れて行ってもらった。遊びに行く度に「シオンとマリーには内緒だ」と言ってお小遣いをくれた。密かに人形を作っていたことを爺ちゃんにだけは話していた。

 体は丈夫な方だと自負していたのに、亡くなるのは早かった。滲んだ視界に映るベッドを見ながら、人間の儚さに呆然としたのを覚えている。

「それは人間だからどうしようもないわ。不死の薬でも作らない限り解決しないもの。だから、貴方がマリーの人形を作って頂戴」

 俺は小さく首を縦に動かした。

 好きな人の好きな人の人形を作るというのはちょっと複雑だ。

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