第7話 村の決断
朝霧が、辺境の村フェルンを包んでいた。
いつもと同じ鳥の声。
けれど、それはもう“昨日と同じ朝”ではなかった。
――聖堂騎士団襲撃の翌朝。
村の中央広場には、村長や村人たちが集まっていた。
そしてその輪の外、森の端には、リアンとミリアの姿があった。
村の鐘は鳴らされない。
代わりに漂うのは、沈黙と、言葉にならない緊張。
「……皆、集まったな」
杖を手にした老人――村長ガルドが、重い声で口を開いた。
深く刻まれた皺の中に、苦悩が滲む。
「聖堂の使者から、正式な勅令が届いた。
“聖女を保護し、魔王の器を討伐せよ”と」
村人たちがざわめいた。
“聖女”と“魔王”。
それが、昨日までこの村で仲良く暮らしていた兄妹のことだと知っている。
だから誰も、声を上げられなかった。
「……村を守るためには、聖堂に逆らうわけにはいかん。
彼らはもう、一介の組織ではない。王都より強い“神の権力”だ」
ガルドの言葉は静かだった。
しかしその一語一語が、刃のように胸を刺した。
ミリアが息を呑む。
リアンは目を伏せ、拳を握ったまま動かない。
「――だからこそ、だ。
リアン、ミリア。……お前たちには、この村を出て行ってもらう」
その瞬間、誰かの嗚咽が聞こえた。
それが誰のものか、もう分からなかった。
子供かもしれない。老人かもしれない。
だが、その涙が“別れの鐘”となった。
ミリアが唇を震わせる。
「……私たち、何もしてないよ。
誰も傷つけたくなんて、なかったのに……!」
「分かっておる。誰よりも分かっておるさ、ミリア」
村長の声が揺れた。
その目には、後悔の光があった。
「だが、聖堂は“聖女を差し出さねば村ごと浄化する”と申しておる。
……村人たちを守るためには、これしかないのだ」
リアンは静かに顔を上げた。
目に浮かんでいた怒りの炎は、もう消えている。
代わりに、どこか諦めたような、穏やかな笑み。
「……分かりました。俺たちが出ます」
「リアン!?」
ミリアが叫んだ。
リアンは妹の肩に手を置く。
「いいんだ。ここは、俺たちが守ってきた村だ。
……守る形が変わるだけだよ」
その言葉に、ミリアは声を詰まらせる。
村長が目を閉じ、深く頭を下げた。
「……済まん。本当に、済まんのだ」
リアンはゆっくりと頭を振った。
「謝らないでください。村長。……俺は、村を恨みません」
その言葉に、涙ぐむ村人がいた。
彼らの中には、リアンに剣を教わった少年も、ミリアの料理を食べた老夫婦もいる。
“追放”は、誰にとっても痛みだった。
* * *
昼過ぎ。
兄妹は小さな荷物をまとめ、村の門前に立っていた。
荷馬車に積まれた袋には、干し肉と水袋、それに少しの金貨。
村人たちがこっそり用意してくれたものだ。
リアンが深く一礼する。
「今まで、本当にお世話になりました」
沈黙。
だが、その沈黙の中に――誰かの小さな声が届いた。
「リアン兄ちゃん……戻ってきてよ……」
少年ルークの声だった。
彼の両目は赤く腫れ、握る拳が震えている。
リアンは笑って、その頭を軽く叩いた。
「馬鹿だな。帰るさ。……ミリアの料理を、また食べさせないとな」
「っ……!」
ルークの涙がこぼれた。
その姿に、ミリアも泣きそうになりながら微笑む。
「お兄ちゃん、行こ……」
「ああ」
門を出るとき、村の空気が変わった気がした。
まるで、長く続いた夢から覚めるような感覚。
足元の土の匂いが、なぜか遠く感じられた。
背後で、村長が小さく呟いた。
「……聖女と魔王の兄妹、か。
この村から、新しい伝説が始まるとはな……」
誰にも聞こえないような声で。
* * *
夕暮れ。
二人は丘の上に立っていた。
眼下には、霧に包まれたフェルン村の小さな屋根が見える。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「……私、怖いよ。これからどうすればいいか、分からない」
ミリアの声は震えていた。
リアンは少しの間黙っていたが、やがて空を見上げて言った。
「大丈夫だ。
おれたちはもう、誰かに選ばれる側じゃない。
――自分の意志で、選ぶ側になるんだ」
ミリアがその横顔を見つめる。
強くて、優しくて、でもどこか寂しげな兄の背中。
「うん……分かった。私、お兄ちゃんと一緒に行く」
「よし、それでいい」
リアンは微笑み、妹の頭を軽く撫でた。
その手の温もりが、夕焼けの光に溶けていく。
風が吹く。
金色の麦がざわめき、遠くの空で鳥が鳴いた。
彼らの旅は始まった。
行く先も、目的も分からない。
ただ一つだけ確かなのは――
二人でなら、生きていける。
そして、知らぬ間に彼らの影を追う者がいた。
聖堂の報告書に記された名――
> 『聖女ミリア』および『魔王の器リアン』、追跡対象に指定。
> 優先度:最上位。
その報せが、王都の聖堂へと運ばれるのは、ほんの数日後のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます