第53話

「いやぁ儲けた儲けた」

 

 腕いっぱいにおつまみとかお菓子とかを抱えて、千鶴はにんまりしていた。

 

「ほむほむ、……ですわね」

 

 わたくしはお酒の入ったそこそこ重たいビニール袋を下げながら、貰ったゆで卵を頬張る。

 美味しい。今朝採れたての卵を源泉で茹でたらしい。

 弓道ギャンブルの熱狂は何処いずこか、夕方の廊下はもの悲しさで乾いていた。

 

 今日は皆中、つまり全射あたりでわたくしの足取りは軽い。おまけにこれだけのいただきものだ。

 千鶴はちゃっかりしていて、賭けられた品物を胴元として回収していた。曰くこれが目的だったらしく、てへと舌を出す姿には強かさを感じずにはいられなかった。

 

「あー、やっぱ一発くらい外してくれたら番狂わせで大盛りあがりだったのに」

「やる以上、手は抜かない主義ですの」

「上手過ぎも考えものだわ」

 

 自室のドアを開錠して中へ。玄関と和室を仕切る襖を開けるとパッと光が灯り、極上の和室が広がった。

 

「うぉおお! 旅館〜〜! めっちゃ雰囲気あるじゃん!」

 

 思えば部屋の中を見るのはこれが最初だった。

 

「うちと同じくらいの良きお部屋ですわね」

「布団敷いてある! きゃっほぅ!」

 

 千鶴はお行儀悪くお布団に飛び込んだ。寝袋からお布団へのグレードアップだから気持ちは分かる。

 入った襖から見て左手にはもう一つの和室。そこには木彫りが美しい座卓と背もたれが低い素朴な座椅子が設られている。

 そして襖から正面は障子がありその先は。

 

「あー! よく話題になるけど正式名称が分からない窓際のチルいスペース!」

広縁ひろえんです」

「私ここ好き〜よく話題になるけど正式名称が分からない窓際のチルいスペース〜」

「長い」

 

 窓から拝める山々の眺望は既に薄暗くてはっきりしないが、朝日を受ければさぞ青々しく美しいだろう。残念ながら色が無いわたくしには拝めないかもしれないが。

 

「ここってさおばあちゃん曰く、めっちゃ良い部屋でしょ。だったらアレ、あるよね?」

「きっとあるでしょう、アレ」

「探せぇ!」

 

 そうして感嘆の声が響いたのは千鶴が飛び出してすぐのことだった。

 呼び声に招かれれば、ふんすと鼻息荒い千鶴がいた。

 

「やばい! ユヅっち! こんなのうちには無い!」

 

 誘われるように足を踏み入れたのはひのきの空間。そしてその先が。

 

「なんと…………素晴らしい露天風呂」

 

 息を呑んだ。

 東屋のような屋根の下、湯煙立つお湯がちょろちょろと軽快な音を奏でながら満ち満ちる。そして浸かりながら眺めるだろう眼前には枯山水の古風な庭、さらに向こうは竹林が囲んでいた。

 

「五つ星の理由はこれかぁ」

 

 どれだけ巨額の富を蓄えた資産家でも、この楽園を所有するものはいないだろう。この地でしか味わえない贅沢な世界だ。

 

「ユヅっち後で一緒に入ろな!」

「ええ、これは楽しみです……!」

 

 掛け値なしの満面の笑みを突き合わせずにはいられなかった。

 そうと決まればまずは夕食。夕食でお腹いっぱいになってお湯に浸かるのだ。

 おばさまは簡素だけど夕飯を用意してくれると言っていたが、それは断った。わたくしたちには満を持してのブツがある。

 

「缶詰ぱーちーーーー! いぇいいぇいドンドンぱふぱふ」

「いぇーい」

 

 座卓に並べられたのは、食べどきを伺って貯めてきた缶詰の数々。今晩はこれを一息に食すのだ。やりたいことリスト最重要項目の一つをついに履行する。

 

「まぁじでラインナップ豪華過ぎ」

「御託はいりませんわ。ただ食べるのみ!」

 

 割り箸を引き裂いたわたくしは手短かなものを掴み取る。

 

「熊肉の大和煮」

「熊肉! ジビエ! でも大和煮ってなに?」

「獣肉とかに用いられる調理法ですわ。クセの強いお肉を砂糖や醤油、生姜で濃いめに味付けいたしますの」

「へー詳しいね。流石」

「ふんっ」

 

 ただし知っているだけ。クセの強いお肉は出してくれなかったから。

 めきゃ。

 独特の音を鳴らしながら缶詰を開けると、タレに煮込まれた熊肉が顔を出す。絶対温めたほうが美味しいと豪語して、電子レンジにかけること一分強。煮汁がさらりとなって、肉から滴り落ちる。旨味エキスが凝縮された一滴だ。

 

「「いただきます」」

 

 一つの皿から二人で摘む。

 

「ん〜〜〜」

「え、うま! うまい! くまい!」

「……美味しい〜」

「くまいよ、これ! ちなみにくまいっていうのは私が今考えた言葉で、うまい熊のことを」

 

 寒いダジャレを解説してくる千鶴は放っておいてもう一口箸を伸ばす。

 食感は近いもので表すならばささみ。ささみに似た繊維質だ。しかしながら決してさっぱりしているわけではなく、噛めば噛むほど牛とも豚とも違う山林の肉という独特な味を呈するのだ。そしてそれが煮汁とよく絡む。

 

「これはお米が欲しい」

「分かるオブ分かる。炊飯器からしゃもじでいきたい」

 

 この醤油とみりんの甘じょっぱさがあれば白米なんて何倍でも吸い込めそうだ。お行儀悪いがお茶碗の上にどかっと空けて食べたくなる。いや、この野生的料理を前にお行儀なんか作っているほうが失礼かもしれない。

 ずっと噛んでいたいと願うほど味わい深いが、嚥下後の残り香も捨てがたい。己の欲望に突き動かされていれば、自ずとお皿は空いてしまった。

 口が寂しいので続いての缶詰。こちらも大和煮だ。

 

「トドだって。アザラシのデカい版でしょ。あれ食えんの?」

「食べられます。日本人はなんでも食べる生物ですから」

「主語デカ」

 

 トドといえばまさに大きなアザラシと形容できるずんぐりむっくりした海獣だ。こちらは北海道産らしい。確かに食用にするのは初耳だが、それだけ期待は膨らむ。

 

「これは味が気になりますわ」

 

 開封した見た目は熊とそう変わらない。調理法は同様だから柔らかさも似ている。素材そのもので比較できそうだ。

 温めてからぱくり。

 

「ほぅ、これは」

「え、待ってこれあれじゃん」

「同じ感想かも」

「じゃあせーので言お。いくよ! せーの」

 

「「サバ」」

 

「だよね! ウケる! サバやん!」

「同感です」

 

 シンパシーに思わず感謝して固い握手を交わしてしまった。

 食感が煮付けや焼き魚のほぐし身と酷似しているのだ。そして鼻を抜けるクセや風味にも青魚を感じる。それらの感想をまとめるとサバに帰結した。

 

「え、これ面白い。ビジュアルめっちゃお肉なのにさ、口に入れたら魚っぽいんだよ」

「魚を主食にしているから身もそれに近くなるのでしょうか……実に興味深い……はむ」

「てことはユヅっちを食べたら、三ツ星グルメの味がするってこと〜?」

「悪趣味。カニバリズムは守備範囲外ですわ」

 

 第一印象は驚愕だったのだが、味はちゃんと美味しい。こちらも熊と同じ大和煮なのでお米に合いそうな味だった。きっとお味噌汁や漬物といった和食御膳とセットで出されると食べ合わせもいいだろう。

 二缶目をペロリと完食しても、お腹はまだまだ空いている。

 

「いぉーし、次はダブルで出して食べ比べだ! 喰らえ!」

「ほぉ〜〜〜クジラ肉」

 

 ラベルにゴシック体で「クジラ」と載り、傍らのデフォルメイラストが可愛らしい。

 

「こちらがカルビ。それでこちらがハラミ。わたくし一番好きな部位はハラミですの。噛みごたえと脂のバランスがちょうどよくて……」

「私はカルビやね。肉といったらカルビ! まぁ部位とかよく知らねんだけど」

 

 記憶を辿ってみれば幼い頃に母がクジラ料理で上機嫌になっていた記憶があるので、食べたことはあるが味の印象は定かではない。はてさてクジラの部位はいかがなものか。

 缶をひっくり返すと、ずぅ〜どんっとお皿にのっぺり落ちてきた。ゼラチン質が多く、てらてらと輝く表面からはクジラの豊富な脂が窺い知れる。これは加熱しないと口がベトつきそうだ。

 

「いい香り……」

 

 温めればガーリックが先駆けとして香り立つ。甘辛く味付けされているらしく、ガーリックの中にラー油の刺激感もある。

 

「ハラミ、行きます」

 

 期待感とともにてらてら輝く身を口へ迎え入れる。

 そして訪れるは天にも昇る多幸感。

 

「はふ……」

「すごい幸せそうな顔……」

 

 とろりと纏う脂を割るように歯を入れれば、濃い肉の味が飛び出してくる。大海で育まれた巨大な肉の味わいは陸の肉とは比べ物にならないほど濃く、頬が緩まずにはいられない。赤身特有の肉肉しさはしっかりとあり、豊かな弾力を噛み締めるほど、奥から秘められた旨味が次々出てくる出てくる。

 見た目ほど脂はしつこくなく、ただし静かに鳴りを潜めているわけでもない。適度な脂が肉をまろむように包み、舌当たりを柔らかくする。

 味を絞り出すほど噛んだ後で惜しむように喉を通せば、ラー油の辛味がピリリと効き、場を上手に締めてくれた。

 

「あぁ、飲み込むのがもったいない……ずっと噛んでいたい。私今日イチの缶詰はこの子に決定です」

 

 脳内審査員が満場一致の満点を出したそのとき、場外から待ったがかかった。

 

「おいおいカルビを忘れてるんじゃないかい? その判断はこっちを食べてからね」

 

 千鶴がクジラカルビを箸で摘みながら不敵に笑った。

 

「驚くなよ。はい、あーん」

 

 千鶴の箸で差し出されたカルビをはむっと招き入れる。

 

「んむ……!」

 

 頭をそらし、天井を見上げてしまった。

 

「どすか……」

「………………」

 

 咀嚼して。

 目を閉じて、口元を覆って。

 そして最後には千鶴の体をハグで抱き寄せていた。

 

 カルビといえば肋骨周りのお肉で脂のバランスが良い人気部位であり、クジラも例に漏れず肉厚な身をとろっとろの脂がくるんでくれている。肉の旨味と脂のコクが奏でるハーモニーは筆舌に尽くしがたく、わたくしができる最大限のリアクションは満面の笑みで食べ続けることだけだった。

 お肉の王様カルビは伊達ではない。

 

「すごい……溶ける」

 

 煮込まれた末の柔らかさにより、口に入れれば噛まなくたって蕩ける。口が幸せで一杯になる。そして多幸感が体に駆け巡る。

 

「千鶴、わたくし悔しいです。ご飯も持ってくるべきでした……」

「唯一悔やまれるのはそれだけだよね。うまぁ……」

「ハラミまだでしょう? お返し。あーんです」

「ん」

 

 今度はわたくしが千鶴の口に運んであげる。そうしてハラミを味わう千鶴は「Oh……」と欧米人顔負けの深い感嘆を露わにした。

 カルビとハラミ。どっちも美味しくてどっちも素晴らしい。優劣つけることが馬鹿馬鹿しくなる美味しさだった。

 

「さてと、ちょっと味変してみようか」

「味変」

 

 ここまでご飯のお供になるような濃いめの味ばかりだったので、趣向を変えてみるのもありだ。

 そうして千鶴が選んだのは……。

 

「サバ缶チョコレート味!」

「……サバ缶チョコレート味?」

 

 人生で耳にしたことのない言葉だったのでオウムになってしまったが、確かにラベルに書いてある文字はその通りだった。

 

「アバンギャルドな組み合わせ」

「え? ギャル?」

「先鋭的ってことです。食べてみましょ」

 

 めきゃっと開けると勢いよく飛び出てくるのは香り。

 

「ヤバ、ガチでチョコの匂いじゃん。え、しかもサバもいるんだけど」

「ビターチョコというよりはミルクチョコのような香り……不思議とサバとの組み合わせで嫌悪感はないですね」

 

 ムース状になっているソースをスプーンで掬い、鼻を近づけてみるとより鮮明にチョコとサバの共存を感じられた。

 

「これ美味しいんかな……ネタ枠だろ」

 

 半笑いの千鶴に共感しつつも、実食もせず判断を下すのは野暮なので、美味しい状態で食べられるように温める。

 程よく温まり液体となったソースは、ケーキとかにかかっているミルクチョコソースとほぼ同じであり、苦笑いが出てくる。温まったおかげでカカオの香りが立ってサバの香りを凌駕しているが見た目はサバ。なんだか面白い。

 

「食べます?」

「んーここはレディファーストで」

「それ女性を盾にしてる頃の意味ですよね。わたくしは抵抗感ないから頂きますけど」

「私も抵抗感はないけどねー」

「じゃあどうぞ。あーん」

「いやぁ美味しそうだからぜひ一口目はユヅっちに」

 

 結局わたくしに毒見をさせたいのだろう。自分が選んだ缶詰のくせに。

 

「いただきます」

 

 サバをほぐして、ソースに潜らせてぱくり。

 

「どう?」

「…………以外といける」

「マ⁉︎」

「先入観に反して甘過ぎない。ゲテモノって感じはないですね」

「じゃ、食べるわ…………。え、悪くないんだけど」

 

 なんだこれ、と困惑しながら笑う。

 口当たりはまずごくごく一般的なサバ。トドよりも確固たるサバである。掛けられたソースは見た目と香りに反して甘味は無く、仄かにカカオが後押ししてくれるのみだ。甘みではなく塩味としてソースがまとまっているので、サバと絡んでも違和感無く食べられる。

 骨のコリコリとした食感を楽しんでいると千鶴が呟いた。

 

「これはあれだ、チョコかかってるポテチみたいな。一見変でもいける」

「チョコポテチを知らないので今度はそちらを食べてみたいですわね」

 

 今度なんてもう無いだろうが、言ったもん勝ちだ。

 サバチョコはサバ味噌のような王道的な味付けにはなり得ないかもしれないが、この珍しい食体験が箸を進めて止まない。食べ切るのも案外すぐだった。

 

「完食早かったですわね。わたくしを毒見役にしたくせに」

「人聞き悪いなぁ。違いますやん〜」

 

 わたくしよりパクパク行っていた気がする。

 

「わたくしは傷ついたのですが」

「えぇーごめんー」

「申し訳なさがあるというなら、今度はこれ。コンビーフ、あっためてきてください」

「へいへい承知しました」

 

 わたくしたちの缶詰パーティはまだまだ続く。

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