第25話

「この子で最後」

 

 千鶴が腕に抱えた子猫をそっと下ろすと、子猫は小さくにゃあと振り向いてからトレイにがっついた。なんだかお礼を言ったようだ。

 

「はぁーこれ飲んでいいよな?」

 

 千鶴は床にべたっと腰を下ろす。身近にあったボトルを掴むと、答えを聞く前に封を開け喉を鳴らした。そのボトルはペット向けの水だが、人間にダメなものが入っていることはないだろう。大丈夫だ。多分。

 

「あーあ悪いことしちゃった〜。破壊行為なんて滅多にやらないからな。普通にしょっ引かれるぜ」

 

 しかしその口ぶりは成し遂げた清々しさでいっぱいだ。

 わたくしは彼女の近く、放置されたダンボール箱にそっと座った。わたくしたちの視線の先には思い思いに動くもふもふがいっぱいでふれあい広場みたいだ。食事をお腹いっぱいまでする子や早々に食べ終えた子は身を寄せ合って丸くなっている。走り回る元気な子もいて一先ひとまずは安心だ。

 

「で」

 

 太陽光がすっかり無くなって、彼女の横顔はぼやっとしている。

 

「いきなり派手にやってまさかなにも説明しない、なんてことはないですわよね」

 

 勝手にやったとはいえ、わたくしも手伝ったのだから説明を受ける権利がある。

 

「……だってよぉ電子ロックかけてんだもん。ぶっ壊すしかないじゃん」

「そういうことじゃありません。動物解放運動なんてらしくないということです」

「…………らしくないね」

 

 千鶴はおもむろにスマホのライトを点けると、それを天井に向けるように置く。そしてその上に飲みかけのボトルを重ねると、空間一帯が明るくなった。

 

「即席照明。便利だろ」

 

 水で光を拡散しているのだ。上手いライフハックだと感心する。

 

「私、ペットショップって大っ嫌いなんだよね」

 

 千鶴はバールでドンドンと床を突いた。

 

「別にペットを飼うことは否定しないけどさ、人間が勝手に動物に値段つけて、寄ってらっしゃい見てらっしゃいとかバカくそきしょいじゃん。何様だよ。そんで? 自分らが死ぬかもしれないとなったら、こうやって置いて逃げ出して。なんなんあいつら死ねよ」

 

 ペット産業については明るくないが、千鶴の意見は倫理に基づく自然なものだ。澄凰はペット産業に携わっていただろうか。金になるならやっているに違いない。人間とは実に烏滸おこがましい。

 

「見せ物みたいに狭いとこに押し込められて、高く売れるための管理されて……ずっと気に入らなかったんだ」

「そんな気に入らないものを壊すのがやりたいこと、と」

「そういうことなんだけど……それだけじゃなくて……」

 

 千鶴は一瞬言い淀む。

 

「まいっか。つまんない自分語りだと思っていいよ。なんつーかペットショップの動物ってさ……見てると……昔の自分思い出すんだよね」

「自分?」」

「うん……澄凰サン的にさ、私の印象を一言にすると?」

 

 不良、と言いかけてそれはただ表面の印象に過ぎないと止まる。ここ数日一緒に生活してみて、彼女は不良ではあるが不良ではない。

 行いの中には反社会的な一面も確かに見られるが、健康と時間とお金をただただ浪費して退廃的な日々を送る不良のイメージとはかけ離れている。高圧的な態度もなく、行きずりのわたくしに甘い、置かれた状況をともに楽しむ。

 だからきっと彼女が不良をしているのも、楽しいことに正直なのも。

 そして父親を殺したことにも。

 もっと根本がある。

 

「…………自由人」

 

 それがわたくしが出した答え。

 

「おぉ私が欲しかったやつ。でもねー昔の私に自由は無かったんだ」

「それはお嬢様だからでしょうか」 

「いんや。逆」

 

 わたくしの経験則を踏まえたのだが、逆……とは……。

 

「私ね、実は明導院の人間じゃないんだ」

 

 告白に思わず息を呑む。

 

「私は明導院の血を引くお嬢様じゃない。母さんとクソ親父は再婚でね。私は母さんの連れ子。それもごくごく普通の一般人。小学校二年の始めだったな。よく覚えてる。学年上がったらなんか金持ち学校に転校で意味不明だったもん」

「……」

「あいつは母さんに惚れてはいたんだけど、私には興味なかったみたい。だから後継も私じゃなくて、血が繋がった子にしたかった。あ、一応の世話はされてたよ。蔑ろにして母さんに嫌われてちゃ元も子もないから。そんで、母さんは妊娠して私にも下の子ができるねよかったねーっていう矢先、母さんは死んだ。事故死」

 

 内容はヘビィだったが、千鶴は綿々と、けりがついた過去のことと割り切っている様子だった。

 

「あいつにとっては大災難だよ。愛してる母さんと実子が死んじゃって残されたのはいらないおまけ。小学生のうちに一応の世話もされなくなった。使用人から低グレードの衣食住が支給されるだけましだけどさ、ケチくそ」

 

 千鶴は吐き捨てた。

 

「ガキの私には二つ求められたことがあった。一つはとにかく静かに暮らすこと。話しかけず、求めず、迷惑かけず、邪魔をせず。ようは飼い殺しだな。私も追い出されたら終わりだから、黙って受け入れた。選択肢が無いもんね」

 

 その独白を聞いていると、今しがたの動物たちを見てしまう。

 今の千鶴ならそんな生活受け入れないだろうが、それは小学生の女の子には選べない行動だ。

 

「二つ目があいつの鬱憤晴らしに付き合うこと。こっちのが最悪」

「どういう……」

「言葉通りだよ。あいつに気に食わないことがあったとき、怒鳴られて殴られる。ストレス解消のサンドバッグになるってこと」

「…………っ」

「無理になんか言わなくていいからね……」

 

 千鶴はわたくしを気遣ってそっと呟いた。

 本当に優しくしなければいけないのはわたくしなのに。

 だがなんて声をかければいいのか。

 ネグレクトや虐待の話は耳にするが、その犠牲者本人から語られるのでは受け止め方は大きく違う。重みが違い過ぎる。

 

「大きくなるにつれて自分の家庭の異常性に気づいていった。周りを知らないから、ずっと自分が普通だと思い込んじゃってた。だけどクラスメイトがかわいい筆箱持ってて、素敵な服着てるのに私は持ってない。授業参観で答えて褒められる? 友だちの家に行って遊ぶ? なにそれ。金持ちのみんなはまともな暮らししてんのに、私だけは理不尽に抑圧されてる。これっておかしくね? ってなったよね」

 

 だから、と床に後ろ手をついて脚を伸ばした。

 

「私は与えられるのを待つのはやめた。自分の脚でクソ親父の檻から飛び出して欲しいものは自分で掴む。こうして今のわたしのできあがり」

 

 にゃあ、というかわいらしい声が聞こえた。声の方を覗くといつの間にか私たちの間にふわふわの猫がいた。目が合った、ソフィと同じ長毛の子。

 猫は千鶴に擦り寄ると、また一つ愛らしさを振りまいた。

 

「あら〜どしたの〜。お礼を言いに来たとか? 律儀だね〜よしよしよしよし」

 

 顎をこちょこちょされて、猫の顔はとろんと緩くなる。

 クラスメイトはきっと素行の悪い千鶴が、慈愛を滲ませながら動物を愛でる様子なんて想像しないだろう。だが彼女の本質はこちらな気がする。育ちの環境で性格が収斂しゅうれんし、間違った方向に解放されてしまったかもしれないが、きっと根っこは優しい子なのだ。

 

「父親殺害の件はどういった経緯で?」

 

 前の夜は彼女の殺害なんてどうでもよかったのだが、今になって聞かないのは逆にしこりとなって気持ち悪い。

 

「単純だよ。今までのお礼」

 

 千鶴はお得意の悪魔っぽい笑顔を浮かべた。

 

「高校卒業くらいで出ていくつもりだったんだけど、世界終わるってなってさ。じゃあ感謝伝えとくかってことでサックリ」

「檻を飛び出すどころか破壊してますね」

「そうなったね。私は……親に縛られるのも嫌だったし、それを甘んじて受け入れて、自分はこうやって生きていくしかないって諦めてた自分も嫌だった。だからケースに囚われてるこの子たちは……私にそっくりなんだ。私は私を解放したかった。とまぁ……自分勝手な話だろ?」

 

 自嘲する声が反響した。

 

「そうですね……」

 

 私は彼女の顔に相対して間違いないように伝える。

 

「でもあなたの自分勝手がこの子たちを救い出した。それは正しいことで、あなたは正しいことを臆することなく行った。それでいいのでは? 第一あなたはややこしいこと考えるたちではないのですから」

 

 気づくとソフィ似の子だけでなく、他の犬や猫も集まっている。

 千鶴が生き延びさせた子たちが。

 

「そうだな。違ぇねぇや」

 

 この世界に善意は残されていない。

 けれどエゴともいえる偽善はまだある。

 千鶴の中にあった。

 これくらいの偽善なら、誰かを救った偽善なら許されるべきだろう。もしこれが否定されるのなら、この世界に価値なんてなく、きっと滅ぶべくして滅ぶのが道理なのだ。

 

 私たちは動物たちが全員寝られる分の寝床を用意し、滅亡まで食べ放題できる量のご飯と水を空けていく。楽しく過ごせるようおもちゃもばら撒いておく。これで一時の楽園だ。決して報われたとはいえない生涯になりそうなのだ。最期くらい不自由なく過ごしてもらおう。

 

 最後にソフィ似の子を撫でる。満更でもなさそうなので、顔をにゅぎゅっとおにぎりみたいに握った。ソフィが好きだったやつなのだが、この子もお気に召したらしい。

 連れてはいかない。私たちだって明日の生死なんて不明瞭な身だし、千鶴の家に住み続けるかも不明だ。だったらここで仲間と過ごすほうが幸せだろう。

 

「よしよし〜」

 

 ゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄られると、連れて帰りたくはなる。

 然れどもわたくしと一緒にいたらこの子は呪われるかもしれない。

 動物と接していると轢かれた柴犬の光景が眼裏に浮かぶ。

 ご飯をあげただけで柴犬は死んでしまったのだ。わたくしと暮らしたって碌なことにはならないだろう。

 

「…………」

 

 ふと振り返ると千鶴も千鶴で動物たちを撫でくりまわしていた。チワワがお腹を見せてコロコロしている。

 

 そういえば、千鶴との生活も二日目ですね……。

 

 今更ながら千鶴が呪われてしまったらどうしようと考え、胸がチクりとした。

 柴犬のときと同じように達観していられる自信は……際どいところだった。赤の他人ならいざ知らず、千鶴とは一緒に時間を共にし過ぎているし恩もある。

 馬鹿馬鹿しいと一蹴した彼女のことだ。もう澄凰の呪いなんて忘れているだろうが、元凶であるわたくしは気にしてしまう。

 

「にゃおーん」

「ん。それじゃ行きますわ」

 

 鳴き声で思索から呼び戻されたわたくしは出発の決意をした。

 

 ソフィとは違いますけど、思い出すことができて幸せでしたわ。

 

「じゃあ出るとしますか」

「千鶴……あの、この子の毛色は何色ですか?」

「んー灰色? グレーかな。毛色の名前とかよく知らんけど」

 

 猫が手元でぐねぐね身を捩らせた。

 

 現実とは小説よりも奇なり、ですね。

 

「そう。ありがとう。それじゃあね」

 

 店を出ると外は既に真っ暗で、わたくしのフィルターを通すと月明かりではなにも見えないくらいだ。あとは千鶴に頼り切りになりそう。

 

「そういえば」

「ん?」

 

 二人でバイクに跨り、鍵を回す直前に急いで切り出す。会話がしにくくなる前に一つ聞いておきたいことがあった。

 

「一昨日、名字で呼ばれるのが嫌いと言っていましたが……親が嫌いだからですか?」

 

 できれば名字で呼びたい派のわたくしがすぐに諦める程に嫌悪感を纏わせた語気はよく覚えている。

 

「そだよーん。あいつの名字がついてることに虫唾が走るね」

 

 千鶴は振り向き顔をうえーと歪ませた。

 話を思い返せば子を子として扱ってもくれない親の姓など汚名以外のなにものでもない。知らなかったとはいえ、申し訳ないことをした。

 

「ではわたくしも真似します。わたくしのこともどうぞ夕鶴羽とお呼びください」

「あ……そっか……」

 

 妙に早く、わたくしが仔細を語る前に千鶴は納得の声を上げた。先を察するのが上手い子だ。

 

「もう決別したいものですから。この姓はいりません」

 

 殺したいほどではないが、一連の騒動に関しては親に対して、というかこの血筋に負の感情を抱いている。わたくしが澄凰の姓のもと産まれなければこうはならなかったのだ。澄凰の呪いとはよく言ったものだが、わたくしにとっても呪いに他ならない。

 

 もちろん思うところはある。

 心の拠り所であり生きる意味。

 誇らしかった己の家系。

 裏切られたとはいえ、そう易々と腹が決まるものではない。

 

 だけど千鶴の生き様を知ったわたくしは彼女を肯定したい。大袈裟だが、今現在この場所この世界で彼女のことを理解してあげられるのは、わたくししかいないのだ。余計なお世話だとしてもこれはエゴで偽善でわたくしが急遽思いついたやりたいことリストの一つ。

 だからわたくしもならう。

 澄凰が堕落した今、わたくしは澄凰を捨てる。

 義絶。

 巣立ちのときが来たのだ。

 

「どうぞ夕鶴羽で」

「夕鶴羽……ね。ねね、小さい頃からのあだ名とかある?」

「昔から敬称でしか呼ばれませんね」

「だろうね。お堅そうな家だもん。だ・か・ら私がつけてあげよう! 今日から君はユヅっちだ!」

 

 ユヅっち……。

 

「安直……」

「え、不合格? いーじゃん、かわいげあって……」

「ですが」

 

 シュンと小さくなった千鶴の背中に身を預けた。腰に腕をギュッと回すと彼女の温もりが心地よい。

 

「嫌な気分ではありませんね。あだ名……名状し難い特別感がありますわ」

「お、やったね」

「それにあなたは呼びにくいさん付けが取れるのが嬉しいのでしょう」

「バレてたか」

 

 千鶴は肩をすくめた。歯切れの悪いイントネーションを聞かされ続けて気づかないわけがない。

 人生二回目の命名。初めて名を授けられた者は皆すべからく赤子なわけで、命名の感想は抱きようもないが、今は違う。わたくしの存在が認められる感覚。

 

 千鶴を肯定しようとしたのに、なんだかわたくしがされた形ですわね。

 

 わたくしはこのとき家族とは違う新たな寄る辺を見つけたのだった。

 

「それじゃ改めてよろしくなユヅっち」

「こちらこそ」

 

 陽の落ちた町に関係新たな二人の少女が奔る。

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