あと七日

第2話

 あら、意外といけますわね。

 

 肉の旨味に関心したわたくしはそれを嚥下えんげすると、次の一個を咥えて串を横にシュッと引いた。サクッと軽快な音を鳴らして肉汁が口内に広がる。

 家で食べていた鶏肉の揚げ料理は高級若地鶏ばかりで、コンビニのお惣菜を食べ始めたのはここ最近だから、わたくしにとってジャンキーな味わいは珍しいものだった。普段食べていた油淋鶏ユーリンチーとかチキンソテーには及ばないが、これもまた乙なものだろう。なんともクセになる味。また今度食べてみたいものだ。

 

 まぁ、明日にコンビニがやっている確証はありませんけど。

 

 このご時世、お店が機能していること自体が奇跡に等しいのは生活していればひしひしと伝わってくる。昨日までやっていた店舗が、次の日にはシャッターで覆われているのを何度も見てきた。またいつか行ったときガラスが破られていなかったら御の字だろう。

 

 ビニール袋の持ち手が細く肌に食い込んできたので、わたくしは左右の手を入れ替えた。

 買い物からの帰り道。

 そこそこ膨れたビニール袋を提げながら、道中買ったから揚げ棒片手に家に向かう。実に庶民的な生活の一コマかもしれないが、その行為を『わたくしが』行っていることで、庶民的とはかけ離れた様相を呈していた。

 

 姿と行為が乖離したわたくしがカーブミラーに写り込む。

 女性的な柔らかさを宿しながらも、無駄のない肉体は今日も軽い。大和撫子やまとなでしこを彷彿とさせる絹の黒髪を背中で揺らし、運ぶ足は後にも前にも一直線。幼い頃から染みついた美しいウォーキングはこんなときでも抜けることはなかった。

 こんなわたくしが街中で買い物袋を引っ提げて歩き食いしてるのだから、ギャップはとてつもないだろう。

 

「わん! わんっ!」

「あら」

 

 どこからか一匹の犬がやってくる。柴犬だからきっと小麦色と言われる毛色だろう。尻尾をぶんぶん振って余りある元気を発散している。

 

「ごきげんよう。今日も会いましたね」

 

 わたくしは上品に膝を折って手を出す。柴犬はそれを認めると舌を出しながらわたくしのもとへ駆けてきた。と思ったらまるで見えない結界で入れないかのように一定の距離を保つ。今日もわたくしたちの仲は進展していないようだ。

 

 やっぱりいつも通りですわね。犬にもパーソナルスペースがあるのかしら。

「わんっ!」

 

 なにが楽しいのか、わたくしを見つめてちょろちょろと飛び跳ねる。そしてうっかり近づき過ぎるのに気づくと、「やべっ」という顔で後ずさる。絶対に側には寄ってこない。表情豊かでなんとも不思議な犬だった。

 

 可愛らしい。

 

 この犬とは数日前に同じく買い物帰りにこの道で知り合った。わたくしを見ると近寄ってきてはしゃぐのだから、多分知り合いという表現で正しいはず。この子が誰に対しても同じ反応をしているのであれば話は変わるが。

 

 浮気者ではないでしょう。

 

 常に数メートル離れて佇むこの子は首輪を着けており、どこからかの脱走犬か捨て犬だろう。

 

 確かニュースでペットは同伴できないって言ってましたから……当然ですね。

 

 人慣れしているのであれば、好感度が上がるとこの距離も縮まるのだろうか。

 

「あ、そうだ」

 

 わたくしは串から友好の証を一つ抜くと掲げて見せた。

 

「召し上がる?」

「わっん!」

 

 キラキラと目を輝かせる。実に分かりやすい。

 けれど早る息とは裏腹にやっぱり近づいてはくれない。

 仕方ない。

 

「ほら、お食べ」

 

 わたくしはほいっとから揚げを放った。

 

「わうわう!」

 

 柴犬はご馳走に喜んで向かっていく。

 

 そしてその小さな身体はぐちゃぐちゃに潰された。

 

 瞬く間の出来事だった。

 重く鈍い音のようにも聞こえたし、柔らかいものが破裂するようにも聞こえた。

 吹き飛ばされた柴犬だったものは、書道パフォーマンスの特大筆のように、アスファルトに真っ黒な軌跡を引く。荒々しくなにかを周囲に飛び散らせながら。

 

「……」

 

 吹き上げられた長髪が落ち着いた頃には、犬を跳ね飛ばした軽トラはずっと彼方まで走り去っていた。あんな猛スピードで一体どこへ向かうのか。

 わたくしは吹き飛ばされて縁石で止まった塊を見下ろす。

 

「あらら、死んでしまいましたわね」

 

 別段動物の医学的な知識は持っているわけではないが、これは即死と判定していいだろう。一瞬で死ねたのは不幸中の幸いか。

 内側から噴き出したものと土埃が混ざりあったそれにはさっきまで溌剌はつらつとしていた姿はどこへやら。風にそよぐ柔らかそうな毛が生命の息吹を残しているのみだ。まるで親が亡きことを未だ知らず、はしゃぐ子どものように。

 

「最期の晩餐は楽しめて?」

 

 口だった場所を注視してみるが、真偽は分からない。固体と液体が混合したびちゃびちゃの中からそれを探すのは無理そうだ。

 わたくしが与えたから揚げをこの子は味わえただろうか。

 食べられてないよりは、食べてから死んでたほうがいいなとは思う。

 

 でないとわたくしがから揚げをあげたのが無意味でもったいないですもの。

 

「みんなどうせ死ぬんですから。それがちょっと早くなっただけですわ」

 

 わたくしはそう弔辞の言葉を手向けると、もう二度とそれを見ることはなく歩き去った。

 あの柴犬の体は、もしかしたら他の誰かの最期の晩餐になるのかもしれない。

 

 まさに自然界の循環ですね。汚れてはしまいましたけど、元気な子でしたから野生動物にとってはきっと美味でしょう。

 

 わたくしは二本目のから揚げ棒を袋から取り出すと、がぶっとかじりついた。

 

 ん、美味です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る