第22話 ハル風
「……低俗が」
帝都上層域 中部の噴水公園。
古い時代の噴水が中央に設置された公園の隅で、一人の女が新聞を握りつぶす音が薄い秋風に溶けていった。
奥で鳩の群れが一斉に飛び立つ。
コレットは記事の内容を忌々しく思い、読むのを止めた。
どれもこれも、自分の事など二の次。
リーシャをまるでシンデレラのようにストーリー立てている。
ゴミ箱に捨てる前に、オルフェル工業関係者の寄稿記事を見つけ、皺になった新聞を広げ直す。
――彼女の比類なき強さは、過去の闇を照らす光である。その歩みこそ、帝都における『真の美姫』の姿だと私は信じている。
この言葉に、先日のレインとの会食が重なる。
コレットはその記事の頁だけを丁寧に折りたたみ、残りは丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
下位の技工士の財政事情は非常に厳しい。
それは、コレットとて同様だった。
行きつけのカフェで購入した珈琲を片手に、帝都最大の博物館の裏口へと歩みを進める。
挨拶する警備員を通り過ぎ、関係者オンリーと書かれた扉を開く。
「あ、おはようございます」
男女に分かれた更衣室前。
スタッフの待合室。
ネクタイを調整していた後輩の男がコレットに挨拶をした。
名前は、何だったか。
「……おはよう」
目線を合わさずに更衣室に入り、鍵をかける。
ロッカーを開き、扉裏の小さな鏡の中の自分を睨む。
惨めだ。
学生時代より、トップの成績で他の連中が下に見えていた。
晴れやかな闘技場の世界に飛び込んだは良いものの、現実は残酷。
技工士としての仕事以外にも、こうしてアルバイトを掛け持ちしないとまともに食べていけない。
溜息すら付かず、いつもの動作で身なりを整え、学芸員としての仮面を作る。
こうなる事を予想はしていた。
その為に学生時代に勉強をして学芸員の資格も取得した。
だが、この生活がいつまで続くのか。
それ故、先刻のレインの「勝てばスポンサーに付く」という話は僥倖だった。
「勝てば官軍、負ければ……」
鏡の中の、冷たい瞳がつぶやいた気がした。
「コレットさん」
更衣室を出ると資料整理をしていた後輩に声掛けられる。
短く「なんでしょう」とそっけなく返事をする。
「今度の試合、頑張ってくださいね! 応援してます」
別にあんたに応援されても、という言葉を喉元で留め、「ありがとう」と返す。
「……あ」
短い言葉で後輩を呼び止める。
「……ネクタイ、曲がっていますよ」
何をやっているんだか。
そう思いながらも、下手な結び目をきつく直した。
帝国博物館。
帝都中枢、皇城区内にある格式高い施設。
宮廷と行政庁の間に位置し、国の権威と知の象徴でもある。
正式名称は「帝都中央博物院」。
疎らな客を眺めるように見ながら、一枚の絵画の前で足を止める。
『婚礼の墓標』というタイトルの大きな絵。
中央に白いヴェールを被った花嫁と、黒い軍服の男が描かれており、
互いに向かい合いながら、口づけを交す直前を収めている。
花嫁の背後に迫る暗い影。
下部に設置された窓の外から僅かにのぞく、歯車のような太陽。
男の方は逆に煌びやかな装飾に彩られているも、参列者の中に腹を抱えた女がいる事から、この男との関係性も考察されている。
西に傾いた太陽と、明るい将来を約束されながらも、不安を孕んだ男の未来。
それをまとめて墓標と括る。
なるほど、的を射た絵画だと鼻で笑う。
警備員の咳払いが聞こえ、雑多な空気がゆっくりと形を取り戻す。
沈んでいたコレットの輪郭が現実みを帯び、我に返った。
業務に戻らなくてはと、その場を後にする。
再度にもう一度振り返る。
もし、その絵に別の意図が込められていたといたら。
きっと作者は、とんでもなく純粋な人物なのだろうと、理由もなく、そう感じた。
この仕事の、この時間は耐えようもなく苦痛だった。
稼ぎが悪いわけではない。むしろ良い方だろう。
当然だ。そのように勉強をしてきたのだ。
技工士になってしばらくは、大した収入を得られないは知っていたから。
だが、自分の本質は技工士だ。
そのプライドが、あの場での自分を空虚にする。
闘技場でのスポットライトを一身に浴びる快感、愉悦。
時代遅れの価値観や、勉強不足の駆体編成。
それらをまとめて叩き壊す音。
自分が育てたホムンクルスが、思い通りの成果をもたらす瞬間。
ただ一つ。勝利のために。
だが、現実は。
自室に戻り、整頓された机に置かれた資料を取り出す。
そこには闘技場の特殊な仕様について書かれた文書が添えられていた。
「……奈落」
ざっと目を通した後、資料を片手で投げ捨て、編成中の駆体の調整に取り掛かる。
奈落。その一言が引っ掛かり、ピタリと手を止める。
ようやく思い出した。
学生時代に虐めていた黒い髪。
ゴキブリと揶揄した、生意気な後輩。
当時、両親の再婚で中層域上部から転落をした。
転落とはいえ、同じ上部である事は変わりない。
だが、離婚前の両親の罵倒や罵りや連夜の怒鳴り声が、今も耳鳴りのようにこびり付いている。
慣れない家。義父との確執。歪み、燻る心。
そこに飛び級で編入した長い、黒い髪の女。
形にならない苛立ちが隠せないでいた。
下層の出のくせに。
自分よりも下のくせに。
どこからともなく沸いた、ゴキブリ。
ある日、廊下を取り巻きと歩いていたら、「おい」と呼び止められた。
振り返ると、眉間に皺を寄せた金髪の女が、自分の顔面を貫くように殴り飛ばしていた。
その後の記憶は曖昧だが、しばらくは双方停学となった。
自分の経歴に泥を塗った女。
何の因縁か。
同じ技工士となり、そいつも飛び級で同じ時期にデビューしている。
当時の記事でも、天才美少女などと持て囃した。
祖父が闘技場の古い英雄だったのも起因している。
対して自分はどうだろう。
成績は優秀とはいえ、それまでだ。
華があるかと言われれば、世間はそうは見ていない。
あいつらに有って、自分に無いものは何なのだろう。
何が「美姫対決」かと、今朝の新聞をなじる。
ふと、丁寧に折りたたんだ帝スポの記事を広げる。
――彼女の比類なき強さは。
そうだ。自分にも認めてくれている人がいる。
「勝てば……」
帝国一の巨大企業からの、潤沢な支援を受けられる。
最新の設備も、技術も。世間の評価も。
全て、自分を認めざるを得ない。
惨めな全てから抜け出せる。
自分に有って、金髪女に無いもの。
コレットには、自分が持つ記事が、栄光の未来への切符のように感じた。
栄光。
コレットの中で、昼間に見た絵画が浮かんだ。
黒い軍服を着た男は、人生で最大の栄光の瞬間を描かれていたのではないか。
そこに孕んだ、影のない、影。
もう一度、記事を読み込む。
「――彼女の比類なき強さ」。「過去の闇」。「照らす光」。「歩み」。「帝都」。「『真の美姫』」。
そして、「私は信じている」。で締めくくられた言葉。
どうみても自分へ向けられた言葉だ。
疑いようもない。
だが。
もし、それが。
あの金髪女に向けられた言葉、だとしたら。
レンチを壁に叩きつける。
鈍い金属音が耳を
頭の中で、風がざわついた。
頬を伝う気持ち悪い汗と、息が荒い事を理解するまでに時間は掛からなかった。
――理暦243年10 の橙月。
マッチアップ当日。
アウラ闘技場 午後一番の部。
最大の大きさを誇る第四会場。
リーシャは調整室で、駆体の最後の調整をしていた。
いつもの手順で後頭部にカートリッジを差し込み、動作チェックを促す。
「どう? 違和感とかない?」
「ああ。……問題ない」
「そ。良かった」
僅かに青を残した美しい白の駆体。
だが裸は嫌だと、宗春がわがままを言ったため、亡き祖父のトレンチコートを無理やり羽織る。
カレンとの約束通り、企業ロゴが隠れないように袖を調節。
腕を通した後に接続できるようにコートと武者鎧の大袖を加工した。
「……ねぇ。何度も言うけど、導機兵の駆体は、裸じゃないの。分かる、いぶし銀の浪漫なんだよ」
「……言っている事は理解できんが、俺にとっては裸も同然だ」
「ホムンクルスの本体はどうなるのさ」
「あれは魂だ。裸もへったくれもない」
「へったくれはあんたでしょ!」
試合前にも関わらず、妙に落ち着いている気がする。
カタストロやライトニングの時は、こんなに余裕は無かった気がする。
「それで、武器は?」
リーシャがふふんと口角を吊り上げる。
「昨日、ようやくラオールさんから届いたんだよ」
そう言って、奥の木箱を開封する。
そこに収められていたのは二振りの刀。
いや、刀と脇差というべきだろう。
宗春が手慣れた動作で持ち上げ、シンプルな白い鞘から、ゆっくりと刀を抜く。
「……黒い刀身か」
「文句いうな」
ラオールの工房で鍛え直された、ヴァリセイドが使用したブレード。
時間が無いための苦肉の策だったが、刀をまじまじと見ている様子を見ると功を奏したようだ。
「あ。肩のロゴには気を付けて。なるべく傷つけないように」
「心得た」
試合開始十分前を告げるベルが鳴り響き、手慣れた動作で鞘に納め、腰に差す。
「それじゃぁ、ハル」
「……ああ」
短いやり取りで宗春が所定の位置へと移動する。
「……勝てよ、必ず」
「約束だからな。――死力を、賭そう」
言葉は少なく、ただ頷きで全てを語る。
「ライトニング二式。出陣する」
その一言に一陣の風が吹いた気がした。
遠く異国の、知らない、風。
リーシャが満足そうに腕を組む。
コートを翻して戦地へ赴く後ろ姿が、どうしようもなく頼もしく感じた。
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