第17話 雨、嗤う夜
朝の光が工房に差し込む。
埃っぽい、いつもの空気が今は輝いてすら見えた。
リーシャは、待ち焦がれた贈り物が届いた子供のように、穴が開いたパンチカードを放り出す。
打刻された文字は『HERE』。
『ここはどこだ』という明確なホムンクルスの声。
「ライトニング! ライトニング! あはは! ライトニング!」
涙でぐしゃぐしゃになりながら笑うその顔を、ただ見つめていた。
次の瞬間、機械の奥からもう一度、意志の信号が走る。
待ってましたと、散らかる紙を泳ぐようにかき分け、刻まれた譜面を確認する。
「……え?」
刻まれていたのは意味のないノイズの連なりだった。
期待していた「声」は、そこには無く。
リーシャの笑みがゆっくりと止まり、胸の奥に焦燥が滲む。
カチカチと打刻されるノイズ。
機械の故障かと、稼働中のリーダーを開け、内部を確認し、計器を見比べる。
ふと変換機材に赤いスイッチが目に入る。
「ノキア語と、……
なぜ、そんなものがこの機械に。
疑問が巡るが、視線は赤いスイッチから離れない。
打刻される音だけが響く工房で――。
何かに導かれるように、スイッチを入れた。
それはリーシャの意志だったのか――。
定かでは、ない。
祈るように、
しばらくの空白の後。
再び、リーダーが打刻を開始する。
そこに記載された文字は三つ。
『W』と『R』。そして『U』だった。
――遡る事、リーシャとラオールの対決の日。
硝子の塔のように朝日を弾くオルフェル工業の社屋。
会議室の扉を押しのけ、銀髪の女がヒールを鳴らす。
役員たちとは真逆の方向へと颯爽と歩みを進め、控えていた黒服から新聞を手渡される。
部下たちに軽やかに挨拶をかわしながら、自室に入る。
気を利かせた部下の一人が入れたいつもの珈琲を、ウインクをしながら受け取り、新聞に目を通す。
帝スポ。
主に導機兵の試合関連の記事や、裏面には風俗コラムなど、雑多な内容を取り扱う娯楽誌だ。
それを経済新聞でも読むような真剣さで、今日の試合構成を見る。
熱い珈琲を
「へぇ。珍しく大穴じゃん」
銀髪の女性は、薄く引いた口紅に煙草を添えた。
高級なスーツには不釣り合いな無骨なライターを取り出し、流れるような動作で火を灯した。
レイン・オルフェウス。
オルフェル工業の重役の娘にして、実力で部長の座に君臨した若きカリスマ。
「……リーシャって、あぁ、あの可愛い娘か」
レインは独り言をつぶやきながら、一人で納得する。
一通り予定試合を嘗め回し、煙草を押し消して電話を取る。
「――もしもし。私。このリーシャって娘の試合を一点買いしておいて」
闘技場の機券は朝、昼、夕と三部構成、三試合ずつ行われており、一般の市民は三試合ごとの勝敗を一度に賭ける。
だが、VIP席に入れる特権階級だけは例外。
レインは、その制度を当然のように利用する常連だった。
「――いくら買うかって? 決まってるでしょ。上限ギリギリの二十万よ」
電話を肩に挟み、手渡された資料に目を通す。
心配そうに採決を待つ部下に、笑顔で資料を返却し、企画書に承諾の判を押した。
残陽を重ねる社屋。
ヒールを部下に預け、走りやすい靴に履き替え、レインが綺麗なフォームで駅を目指す。
「どいて!」短く声を上げ、人並をかき分け、改札を抜ける。
跳ねるように階段を上がり、列車の扉が閉まる寸前に、身体を滑り込ませる。
驚いた顔の乗客を余所に、スーツの襟を正し、何事もなかったように、隣の車両へと歩みを進めた。
結局、日が落ちる頃に闘技場に到着。
黒服から機券を手渡され、貴賓館のような廊下を駆け抜けた。
観覧席の扉を力強く開ける。
一組の父娘の歓喜が室内を満たしていた。
レインは息を切らしながら、できる限り平静を装い、試合の結果を尋ねる。
観覧席の分厚いガラス越しにも響く歓声に、勝敗が読めなかった。
赤毛の可愛い女の子が胸を張って伝えた結果に、自らの機券を照らし合わせる。
狙い通りの大金獲得に舞い上がる。
気を良くしたレインは、教えてくれたお礼を兼ねて名刺を手渡した。
「そういえば」
ダリアと名乗った少女が顎に人差し指を添えて首を傾げた。
給仕の男から渡されたシャンパンで、上品に唇を湿らせながら視線を送る。
「リーシャのライトニング、本当に凄かったんですよ!」
友人の勝利が余程うれしいのか、未だに興奮冷めやらぬといった様子で年相応の無邪気さに、レインはわずかに口角を上げた。
「特に凄かったのが、最後で、……何て言えばいいか。その、目が」
――赤く光ったんですよ。
その言葉を聞いたレインが「へぇ」と瞳の奥を光らせた。
全試合が終わった夜。
レインは役員特権を使い、運営委員会を緊急招集した。
「……レイン様、何もこんな夜遅くに会議などしなくても」
胴元のルガードが漏らす不平を聞こえないふりで押し流す。
疲れの滲む重い空気を一喝するように、手を叩いた。
「はい、はい。眠いのは分かるけど、お仕事しましょう?」
合計十人の役員たちは、レインが黒服に急遽作らせた資料に目を通す。
「……これは、今日の、リーシャ……選手の試合内容と、……全戦績ですかな?」
ルガードが老眼鏡を上下しながら、資料をめくっていく。
リーシャを娘や孫のように思っているルガードにとって、予想外の名前に困惑の色を隠せない。
老眼鏡の奥で、ルガードの眉間がわずかに寄った。
企画書には『闘技場のこれからについて』と大雑把にしか書かれていない。
ページをめくる指先に、微かに汗が滲む。
ルガードはあくまで闘技場の胴元として、震える舌先を隠しつつ、資料を読み込む。
「そう! 戦績はぱっとしないけど、今日のジャイアントキリングで閃いちゃったの」
レインが煙草を指で軽く転がすと、黒服が阿吽の呼吸で火を付けた。
煙草を口に加え、サングラスをゆっくりと外す。
一つ一つが魔性を帯びる仕草。
美しい銀髪の奥から覗く「赤い瞳」が、この場全てを支配した。
「彼女を、私たちでプロデュースしましょう」
その黒い一言にざわつく周囲。
レインは自身も資料をめくりながら、咥えた煙草に指を添える。
体中に染み渡らせるように、ゆっくりと吸い込み、僅かに紫煙を吐き出す。
「で、……ですがレイン様。なぜ、リーシャなのですか?」
ルガードの質問に周囲が同意する。
金か、話題か。
他にも華がある選手はいる。
似た戦績の選手もいる中で、なぜ。
肘を立て、資料見比べながら、自らの手帳にペンを走らせる。
インクの擦れる音だけが室内に響く。
誰一人言葉を発しない――。
発する事ができない、刻による、白い間。
「――炎」
ペンを止めたレインが、重々しく口を開く。
「それは、試合中に見せた、不可解な赤い光の事ですか?」
意図が見えぬ言葉。
困惑する空気をルガードが代弁する。
「試合後のインタビュー。……あの娘を観た瞬間」
手帳から視線をゆっくりとルガードへ向ける。
「あれは燃える為に生まれてきたと確信した。だから、私はその為に、薪を。……いいえ。違うわね」
――生贄を用意してあげるの。
宝石のように輝く赤い瞳。
そう嗤う銀髪の女を前に、ルガードは背筋が氷のように固まった。
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