第8話 それでも朝は来る

 工房の奥には鋼材を押しのけて作った粗末な寝床がある。

 油と鉄の匂いに包まれたそこは、リーシャにとって唯一の安息の場所だった。

 元々祖父の工房だったものを死後に譲り受ける形で自宅兼工房として活用している。

 帰宅すると真っ先に汗を流し、シャツと下着だけの格好で寝床に潜り込む。

 当時のまま残された工具や跡を眺めながら眠りに落ちるのが日課だった。 

 だが今夜ばかりは一向に睡魔は訪れなかった。

 寝床から見える工房には、回収されたアイアンボーンの残骸が横たわっている。

 肩から先を食い切られた左腕。火花に晒され、黒ずんだ装甲。

 そのどれもが、敗北の事実を突きつけていた。

 手に握るカートリッジは、既に中身を失った伽藍堂。

 見ると培養液が僅かに「結晶化」している。

 最後の立ち上がり、あの相貌から燃える青い炎は、あらんかぎりの力を振り絞った証だった。

 誰が責めるわけでもない。

 自分自身が許せないのだ。

 ぐるぐると後悔だけが押し寄せ、冴える一方の目を無理に閉じる事を止め、部屋の窓を開けた。

 僅かな夏の温い風が左頬を撫でる。

(……どこで間違えた?)

 狙った作戦は早期決着。

 アイアンボーンの重量を削ぎ、可能な限り初速を高めたアイアンボーン。

 奇襲も、パイルバンカーも、学習させた動きも、バオにはことごとく読み切られ、全く手が届かなかった。

 経験の差というには軽すぎる敗因。

 バオの言う通り、シザーキャニオンの右腕の鉄鋏だけに注目し、細い左腕は「機体バランスを取るだけの支え」だと勝手に思い込んだ。

 曲がりなりにも、かつてはトップランキングまで上り詰めた老練たる、一流の技工士を相手に、自分の準備は本当に万全だったのか?

 見知った相手、古馴染み。

 何度も何度も試合を見て目に焼き付け、技工士になる前から食卓で手の内を聞いていた。

 ――だから、知ったつもりになっていた。

 勝てると信じていた分、敗北は余計に痛かった。

 つまるところ、自分の経験不足などはない。

 あのバオを甘く見積もっていた慢心。

 一撃必殺。

 それが間違いだとは思わない。

 闘技場のトップランカーは、誰も彼もが何かしらの武器を持っている。

 バオに関してはその技巧、だった。

「あー……、相性最悪じゃないか……」

 自嘲がこぼれ、膝を抱えてしゃがみ込む。

 頬の傷が、痛んだ気がした。

 膝を抱えたまま、彼女はふと手の中の空のカートリッジを見つめた。

 声に出すつもりはなかったはずなのに、言葉は喉の奥かられ落ちる。

「ごめん、カタストロ。私が、……あんたを殺したんだ。」 

 自嘲にも似たその一言が、空っぽの工房の空気に小さく木霊した。

 やがて夜は、いつもと同じように淡々と過ぎていく。

 窓の外が灰色に染まり始め、夜明けの気配が薄く差し込む頃、リーシャは震える手で立ち上がった。

 眠りは訪れなかったが、それでも朝は確実に来る。

 頬の傷にテープを貼り、軽く髪を梳かし薄手のジャケットに腕を通す。

 帽子を軽くかぶり、勢いよく玄関を出る。


 朝の街は蒸気の匂いと喧騒に包まれている。

 路面電車に飛び乗り、中層域下層 クーノ地区へ。

 市役所前で降りると、露店の呼び込みや喫茶店の香ばしい匂いが漂い、眠気を追い払うように活気づいていた。

「おっはよ。ダリア」

 ダリアがアルバイトをしている喫茶店の街頭販売にひょっこりと顔を出す。

「リーシャ! いらっしゃい。もう傷は平気なの?」

 心配するダリアの問いかけに、人差し指で軽く叩き笑顔を作る。

「まだ痛むけど、もう大丈夫だよ。それよりもゾム鶏のサンドイッチと、冷たい水を頂戴」

「……そっか。うん。ちょっと待ってて」 

 ダリアは手際良くサンドイッチを包み、紙コップに冷たい水を注ぐ。

 大きく口を開けると頬の痛みがぶり返すため、リーシャは小鳥のように少しずつついばんだ。

 水の冷たさが、乾ききった体にじわりと染み込んでいく。

「それで、この後はどうするの?」

 接客の合間に、ダリアがカウンター越しに声をかける。

 リーシャは帽子のつばで影をつくりながら、すぐに朝空を見上げてひとつ大きく息を吸い、軽く吐き出した。

 遠くで鐘が鳴り、露店の呼び声が重なる。

 焼きたてのパンの香りと、煎り立てのコーヒーの匂いが風に混じり、夜の残滓を清めていく。

「これからちょっと青空市に行ってみようと思う」

「青空市? ああ、橋の向こうの? そっか、今日はあそこが市場をやっているのか」

「うん。うまくすれば軍の横流し品があるかもしれないし」

「そっか。いってらっしゃい」

「うん!」

 指についたソースをペロリと舐め、軽やかに歩き出す。

「あ、リーシャ」

 ふとダリアが呼び止める。

「これ、サービス!」

 ポンとリンゴが宙を舞い、右手でキャッチする。

「あの後のお父さん、本当に笑えたよ!」

「ありがとう! また行く!」

 手を振るリーシャが雑踏に紛れる。

 それを見送り、腰に手を当て見送るダリアの姿には、母親であるセラーの面影が宿っていた。



 市役所通りを抜けると、軋む音を立てながらタダ乗りトラムが石畳を渡っていく。

 市民は「ありがたい」と笑いながら腰を下ろすが、役人たちは「税金の無駄遣いだ」と眉をひそめる。

 そんなトラムに揺られ、リーシャとダリアから貰ったリンゴをしゃくしゃくと食べながら、ゆっくりと変わる町の風景を眺める。

 ホームを降りると、空気が一変する。

 青空市の匂い――香辛料と油、鉄屑の錆、遠くで焼かれる肉の煙が風に混じり、耳には値切りの声と笑い声が重なって押し寄せてくる。

 クーノ地区青空市へ到着した。

 帝国が管理する場所で定期的に開催される市場。

 主に中層と下層を繋ぐ、物流の要の一つ。

 大通り一本を丸ごと閉鎖して露店が居並び、衣食から工具、導機兵の部品まで雑多に取り扱う。

 月に、二、三回程度開催される市場は、周辺住民にとっても大きな娯楽となっている。

 ――はずだった。


「あ、……あれ?」

 市場についたリーシャが拍子抜けした声を出す。

 普段なら、真っすぐ通るのも困難な市場が閑散としていた。

 あるのは歯抜けのように並んだ露店と暇を持て余し、あちこち走り回る近所の子供たちの姿。

 香辛料の匂いも鉄屑の光も薄く、目当ての工具や導機兵の部品を扱う露店はほとんど見当たらなかった。

「おお、リーシャ。傷の具合はどうだ?」

 ふいに声を掛けられ振り向くと、そこには胴元のルガードがやや疲れた表情で、顔見知りの警察と立っていた。

「おはよう、ルガードさん、……と、警察? 珍しい組み合わせだね。ついにお縄になった?」

 よく見ると目の下に濃い隈を作り、声にも疲れが滲んでいた。

 警官は軽く帽子を取り、会釈をする。

「はぁ。バカを言うな。お前の一件と例の件で、昨日から一睡もしてないんだ」

「例の件?」

「新聞くらい読め。一昨日、北辺交易路で盗賊が蜂起してな。盗品が紛れる可能性があるからと、ここで警察と、……兵士とで張っているんだ」

「ふーん、大変だね」

「一番大変だったのはお前のケガだ! まったく、心配させよってからに……」

 リーシャは本当に他人事のようにリンゴの残りをしゃくりと食べる。

 そのやり取りを見て隣の警官がくくっと笑いながら、今日の出店予定のチラシを手渡す。

「えー? 今日こんなに少ないんだ」

「……で、お前がここに来たという事は、導機兵の部品関連か?」

「うん。どのみち……新しいホムンクルスが必要だからさ。掘り出し物を探しに」

 言いながら周囲を見渡すが、閑散とした様子に、あまり期待が持てない。

「……まぁ無理はするなよ。それよりお前金はあるのか? 今のところ返済に滞りは無いが」

「おじいちゃんの財産もまだあるし、当面は平気かな。やっぱさー、利子を帳消しにしてくれたのは大きいよ、あんがとね」

「お前の祖父のグラブとの約束だからな。だが、身内のようなお前でも完全にチャラにできんのは許してくれ」

「ふふ、そう思うならそこのゾム鶏の串焼き買ってよ」

 正午前の日差しがリーシャの金髪を美しく反射する。

 リーシャの笑顔は何ら変わらない年頃の娘のようで、ルガードは僅かに安堵した。

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