第2話 白無垢は紅に散る

 木の焼ける音が誰かの声と重なり、意識が黒から白へと移り替わる。

 目を開けたとき、そこは瓦礫と炎の地獄だった。


 父と兄の名を呼びながら這い出す。

 肋骨が軋み、引きずる足が自分の血で滑った。

 炎に照らされた参列者たちの亡骸が幾層にも重なっている。

 見覚えのある鎧が、炎の影に落ちていた。

 兄。いや、兄だった物というべきなのだろう。

 胸を貫く支柱の残骸。

 光を移さぬ瞳からは、既に魂魄こんぱくが宿っていない事を物語っていた。

 震える手で、抱きしめる。

 篝火なのかは定かではない、熱が。

 止めどなく溢れる血と共に。

 俺の腕から、失われていく。


 その背後で、美しい声が甲高く笑い声をあげた。


 振り返ると、そこには人の形をした異形。

 金色に輝く縦長の瞳。

 黒絹くろきぬのように美しかった髪は赤白い光を孕み、月を穢すように逆巻いている。

 美しかった白無垢はほつれ、解けた帯が地に堕ちる。

 胸元は辛うじて布に覆われるのみで下衣したごろもも薄布ひとつに残されていた。

 婚礼の清らかさは、もはや影と残らず。

 火の粉を侍らすような姿。


 ――凄惨。その一語に尽きる。


 それは羞恥しゅうちではなく、

 月下に晒された姿が、むしろあでやかとすら感じさせる。

 美しい程に異様で、おぞましい程に異常な光景。

 俺に強烈な畏怖を強いるその存在は、自分が知っている智姫ではないと理解させるに十分過ぎた。

 口元からは赤黒い光と髪が混じり合ったものが滴り落ち、両手からは神々の残滓ざんしのような臓物ぞうもつめいた光が零れ落ちていた。

 

 その光景に理解よりも直感が先に悲鳴を上げる。

「まさか……神を喰らっているのか……?」


 その声に気づいた異形、智姫は、口が裂けるほどの笑みを浮かべ、

 宝物を見せつけるように、残滓をこちらに見せつけた。

 悲鳴にも似た絶叫。同時に手が勝手に柄に伸びていた。

 刀を引き抜く音が炎の熱に飲み込まれながらも、鮮明に響く。

 智姫ではない何かに切っ先を向け、

 焼け付くような心臓の鼓動をどうにか抑える。


「……姫。なぜ、なのですか……?」

 絞りだした声など届くはずもない。

 智姫は俺の問いには答えず、頬まで裂けるような笑みを浮かべた。

 周囲を取り巻く赤黒い神々の残滓は渦を濃くし、断末魔を上げながらその身に吸い込まれていく。

 理屈も理由も、立場も想いも関係ない。

 目の前に広がる光景に、

 これを絶対に許してはならないと、全身の血が告げていた。


 お前は誰だ?

 本物の姫はどこだ?

 なぜこんな事をした?

 

 俺の問いに僅かに頭を傾け、髪を掻き上げ、笑みで答える。

 それは俺や兄と話す時によく見た仕草。


 頭の中がぐちゃぐちゃになり、言葉を忘れた意識が原始的な咆哮を上げた。

 

 混乱のまま、瓦礫の壇上へと駆け上がる。

 姫の姿をした何かを、この場で始末しなければいけない。

 ためらいは、ない。


 思考は破棄され、衝動のみが明瞭になった。

 崩れた木材、肉片を踏み散らし、熱を越え、吹き荒ぶ風に抗いながら、ただ真っすぐに進む。

 俺の渾身の一閃を、花でも手折たおるように摘まむ。


「……誰かと思えば、なるほど、なるほど」

 姫の姿で、姫の声色で、何者かがつぶやく。

 刀が岩に挟まれたように、引く事も押す事も出来ない。

「お前の恋慕れんぼには、気付いていたよ」

 その言葉に世界が、止まった。


「どれ。この刀で私を穿うがつか?」

 華奢きゃしゃな指からは想像もできない力で、切っ先を胸へと誘導される。

「そら。……あと少しだ」

 姫の胸元に剣先が突き刺さり、一筋の燃えるような赤が月明かりに照らされた。

 

「……宗春むねはる

 俺の名を呼ぶ声に、思わず刀を手放す。

 青い桜の、届かなかった記憶。

 春風を纏った姫との思い出が重なった。


 一瞬の油断。


 いつの間にか眼前へと迫っていた金色の瞳が俺を見つめた。

 姫の手が俺の腹に触れた瞬間、えぐるような衝撃が走る。

 たまらずに吐血。

 膝から崩れ落ちそうになる俺の襟を、姫が無造作に掴んだ。

 火の粉が視界を掠める。

 姫は唇を妖しくうるわせ、

 俺に口づけをした。


「……宗千佳とすらした事の無い、夫婦の契りぞ?」

 その言葉に全身から熱が抜けていくようだった。

 俺から奪った刀を放り捨てる音が遠くに響く。

 

 足元から崩れるように身体が落ちる。

 唇に残る熱と、兄の面影が同時に胸を裂いた。

 自らの不甲斐なさに、涙が冷めて零れた。


 姫が剣を拾う。

 それは秘具とされる「狗狩剣くかりけん」 。

 兄 宗千佳が手にしていた大太刀だ。

 その刃が月明かりを拒絶し、炎を映す。


 壊れた笑みで俺へと歩みを進める。

 焦げついた空気。

 戦場で感じた事のある不吉。

 わらう死神がそこに居た。

 

 虚ろな視界で、違和感を掴む。

 涙で歪んだ目と自棄した心が見せた幻。

 あるいは陽炎かげろうか。

 そこに、兄が立っているような気がした。

 険しい顔だ。

 だが、それは俺の無様を叱咤しったしているように思えた。


 瞼を閉じて、再びこの赤く染まった地獄を瞳に映す。

 揺らめき立つ影の奥から、兄の声が聞こえた気がした。

 感触が残る襟元が、持ち上げられるような思い。

 震える足に釘を刺すように立たせ、姫の皮を被った異形を見る。


 俺は震える手で懐からヒトガタの紙を取り出し、霊を込める。

 血が浸み込んだ紙を横に振る。

 紙の焦げる臭いが立ち、青い炎から一匹の、犬とも狼ともつかぬ四足の牙のしきを呼ぶ。

 犬型の式、「コハク丸」が姫に唸り声を上げ、牙を剥ける。

 

 腰ほどの大きさの体躯が姫へと迫り、振るった刃を鮮やかにかすめる。

 姫の注意が逸れ、俺はコハク丸とは逆の方向へ身体を投げる。


 阿吽あうんの呼吸でコハク丸が俺の刀を咥え、俺の下へとほうる。


 姫を中心に、俺たちが姫へと駆ける。

 コハク丸が投げた刀を空中で掴み、同時に斬りかかる。


 姫は俺へ向き直し、大太刀で斬り結ぶ。

 俺と姫の吐く息が白く流れる。

 月下、剣と剣の火花が散った。


 コハク丸が姫の足元に牙を立て、動きを鈍らせる。

 つばぜり合いのまま、力押しで二の太刀を入れようと左足を踏みしめた。

 

 金色の瞳は顔色を崩す事なく、不気味に口角を上げたまま、大太刀を捻り俺の剣を弾く。

 俺が離れたのと同時に、コハク丸も姫から距離を取る。


「……立ち話も飽きてきたな。何しろ、久しぶりの“身体”だ。もっと私を楽しませろよ、犬ども……!」

 姫の言葉に疑問を口にする前に、信じられない一足で距離を詰められ、俺に斬りかかる。

 初太刀を避け、続く剣戟けんげきを刀で受ける。

 コハク丸の牙が迫るが、死角にも関わらず右腕を振り回し牽制する。

 その隙を突いた横薙ぎを、姫は状態を逸らし、舞うように後転しながら再び距離を取った。

 小さく跳ねて体勢を整え、ニタリと嗤う。

 まるで、自らの体を試すような仕草だった。


「……お前は」

重い剣を受け止め続け、頭蓋まで麻痺をしたのか。

自ら言ってはならぬと、無意識で禁じていた言葉が這い出てくる。

焦燥で焼かれ、焦げ付いた好奇心が声になった。

「……誰だ?」

 それは、目の前の姫を拒絶する言葉。

 俺自身を、否定する言葉に他ならない。

 乾いた雑巾を絞るように出した言葉に、姫は一層の嘲笑で返礼をする。


 金色の瞳が見開かれる。 

「私か?」

 その姿はまるで――。

「――私は」


 魔神。


 一番聞きたくなかった言葉。

 姫が、姫ではない証明。

 そのたった一言の絶望に、全身が泡立った。


 清々しい程に凄惨に嗤う魔人。

 木材が焼け崩れ、立ち込める熱気と黒煙が、狼煙のように夜空へと昇る。

 月は炎に染まり。

 白無垢は紅に穢された。

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