宇宙うどん ~湯気の記憶~
黒羽 透矢
第1話 ぼくらの食卓
この宇宙ステーション『ノレダ号』に、食卓なんてものは、もうほとんど残っていなかった。
壁一面を銀色のパネルが覆い、空調の風が低く唸る空間。その片隅に置かれた折りたたみ式のテーブルだけが、ぼくらにとっての『食卓』だった。
そこに並ぶのは、無味乾燥のレーションパック。無機質な灰色の袋を破り、プラスチックのスプーンで掬って、口に運ぶ。
とても『食べる』という行為じゃなかった。ただの作業。生命を維持するために無理やりエネルギーを流し込む。それだけの行為。
「ねえ」
対面の椅子に腰かけた少女が、ぼそっと呟いた。
「うどん、食べたい」
ぼくは一瞬、耳を疑った。
この『ノレダ号』に生き残っている人間は、ぼくと彼女の二人きりだ。ほかの何百、何千という人々は、事故で死んだり、病で倒れたり、あるいは救命艇に乗って去ってしまった。
だから、ここに『うどん屋』なんてあるはずがない。
「……それ、突然すぎない?」
ぼくは思わず笑ってしまう。笑いながら、彼女の真剣な目つきを見て、ちょっとだけ居心地が悪くなる。
「地球にいたころ、よく食べてたんだ。うどん。お母さんが作ってくれたの」
「へえ……いいね。ぼくはコンビニのカップうどんばっかだった」
「それでも、地球の味だよ……それにさ」
スプーンの先でレーションを突く。
「これ──味、しないじゃん」
そう言われればそうだ。口の中に入れるたび、濡れた段ボールを噛んでいるかのような錯覚に襲われる。味覚を刺激する要素はゼロ。
それでも食べなきゃいけない、生きるために。だから我慢してきた。
──だけど。
「うどんか……」
言葉にした途端、脳裏に懐かしい映像が浮かんだ。湯気の立ちのぼる白い麺。つるりとした食感。塩気の効いた出汁の香り。想像するだけで、喉が鳴る。
「いいね──」
ぼくは小さく頷いた。
「──じゃあ、作ろう。うどん」
少女が目を丸くする。数秒後、吹き出すように笑った。
「作れるわけないでしょ! ここ、宇宙だよ?」
「いや、やってみなきゃ分かんない」
ぼくは、胸の奥に妙な熱を覚えていた。
どうせ他になにもやることがない。端末に残っている大量のゲームも、もう全部クリアしてしまった。それなら、うどんを探しに行くほうが、ずっとマシだ。
それに、どこかで拾えるかもしれない。麺やスープの材料も。そしたら、失われた地球の味を、もう一度ここに呼び戻すことだって。
食卓の上の灰色のパックを見下ろし、ぼくは拳を握る。
「ぼくもレーションは飽きた。だから──うどん、探しに行こう」
少女はぽかんと口を開け、それから少し照れたように、微笑んだ。
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