心音ノ標本

茜@紅月

プロローグ

「お前に心はない」

 それが父さん…所長の口癖だった。小さい頃から研究所の跡取りとしてしかおれのことを見ていなかった所長は、おれが”心”を表に出すことを毛嫌いしていた。母さんはどうしてそんな酷いことを言えるのかと泣きながら言ってたのを覚えてる。所長にとって心は観測するもの。心音を数値化して、それを感情として売る。感情が失われつつあるこの世界では感情は高価なものだから。

 それを売ることができる所長は世界から高い評価をもらってる。所長と母さんの間に愛というものはない。ただ、数少ない感情がある人間として政略結婚しただけ。その間に産まれたおれにも感情はあるはずだった。今ではけど。

「はい、所長」

 母さんが涙を流さないようにするためにはおれが所長の命令に従えばいい。所長が言うことを全部受け入れて、否定はしない。だって、ずっとそうしてきたから。今のおれには所長に従うこと以外何をしたらいいのか分からない。


 いつものように硝子の向こうにいる対象者の心音を見る。今日は感情が粗ぶっているのか、数値が高かった。

「ここから出してくれ!家族に会わせろ!」

「催眠ガスの用意を」

「承知しました」

 150を超えた感情は不必要。だから催眠ガスを吸わせて数値を下げたあと、処理室へ移動させる。そうするように所長に言われたからやってるだけで、処理室で何が行われているのかおれには分からない。否、知る必要はない。知ったところで何も変わらないから。

 そんないつも通りの仕事をしていたら、所長に呼び出された。そこで下された命令は地下室にいる4人の心音を観測すること。本当はあと2人いるらしいけど、まだ捕らえられていないのだとか。


 地下室にいるのは受刑者の研究者だけ。理由は死ぬ可能性があるから。地下室にいる四人は少し特殊な存在で、捕らえるのも時間がかかったって所長が言っていた。

「行くよな」

「はい、所長」

 新しい仕事内容は地下にある4つの扉の奥にいる人物の心音を観測すること。心音に少しでも変化があったら報告すること。

 あとは…

「対象者に情を移してはいけない…か」

 "情"というものがなんなのかも分からなくなったおれにそんな事を言うだなんて、所長は何を考えているんだろう……まあいい。

 所長から渡された資料をバインダーに挟み、ある程度の情報を確認しながら地下室へ向かう。途中で会った受刑者たちと軽く挨拶をして扉の前に立った。6つあるうちの4つに使用中のライトが光っていて、1番左の扉を開けて中に入る。

「…?」

「おや、新しいカンソクシャかな?」

 この場所に似つかわしくない優しい笑みを浮かべておれにそう言った。所長は、特殊な存在と言っていたけど、おれには彼が普通の人間にしか見えなかった。

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