【試し読み】今日のたわけの神頼み~京都学生単位戦記~【ガガガ文庫】
洲央
第1話:単位が足りない!
講義に出ないで単位がほしい。
全大学生の夢である。夢であるから、現実には絶対あり得ない。
「だから京都の大学生は、単位を神様に祈るのさ!」
先輩は不敵に微笑んで、輝く単位玉を俺に渡した。次の瞬間一斉に、単位に飢えた大学生の大群が、目を血走らせ襲い来る。俺はワケも分からないまま、本能的に走り出す。
「単位をよこせぇ!」「私の単位よ!」「うるせぇ俺のだ!」
罵詈雑言と、飛び交う暴力。紙一重でパンチを躱し、急カーブしてタックルを避け、古い神社の本殿へ。普段は閉じられている扉が開いて、奥の祭壇が見えている。単位玉の輝きに呼応するように、浮遊する杯がそこで輝く。
「大学生の命が単位だ。それ故に、単位を落とし続けた学生は、単位に餓えた餓鬼となる! 怠惰で愚かで浅ましい、神頼みしか許されぬ、他力本位の背律者となる!」
鎮守の杜の木の葉が揺れる。華麗に跳んだ先輩が、古都の宵闇に高らかに謳う。
「くだらぬ現実を書き換える、君の言葉を見せてくれ! 落とした単位を今こそ拾え! 大学生よ、単位を供えに手を伸ばせ!」
ライバルたちを押しのけて、俺は手にした単位の玉を、神様の杯に向かって――
第一章 神頼み
「祈ったら単位がもらえる神社って知ってる?」
大学構内のお洒落カフェにて、同学科の
「そんなんあったら毎日通うわ」
「僕も完全に信じてはないんやけどね……」
龍馬は秘密の話でもするように顔を寄せてくる。肩までの金髪がサラリと揺れて、いい匂いが漂ってくる。近距離で見るイケメンってのは目に毒だ。俺は視線を逸らして耳だけを向ける。
「友達の友達が言ってたらしいんよ。夕方に神社で祈ったら、単位もらえたんやって」
「祈っただけで? 条件軽すぎないか?」
「せやね。でも、それ以上は言うてへんかったって」
ある調査によれば、全大学生の実に八割が単位不足に苦しんでいるという。故に履修登録期間中には、こういう怪しい噂が世に出回る。買えば単位取得間違いなしの壺だとか、レポートを代筆してくれる幽霊の掛け軸だとか、代返請け負い招き猫とか。まともな精神状態なら見向きもしないほら話でも、単位が不足していると不安になって、なけなしの金を払ってしまう。
そして期末に、泣いて苦しむ。
(……いい加減、粗大ゴミに出さないとな)
龍馬の話はそういうのとはちょっと違って、金銭を要求していない。しかし、真偽のほどは同レベル、いや、お金という目的が見当たらない分、より不透明で怪しいものだ。
祈るだけなんて簡単すぎる。内緒話にして正解だ。俺以外の単位に飢えた大学生たちがこんな話を耳にしたなら、京都中の神社が祈る者たちの襲撃に遭いかねない。そうして時間を無駄にして、またも単位を落とすのだ。ああそうだ、そう考えるとこの噂は、姑息な大学生に単位を取らせないための、大学側の大いなる陰謀なんじゃなかろうか。
「なんか神様みたいなんが見えたらしいで」
龍馬は「なっ、ちょっと気にならへん?」と笑いながら身を離し、コーヒーをズズッと飲む。
「単位の神様か……教授の顔してるんかな?」
「あははは!
爆笑する龍馬をしり目に、一応スマホで検索してみる。京都には神社がごまんとあるから、一つくらいそういう逸話、もとい都市伝説を持つ神社があってもおかしくはない。あるいは神学部あたりが、神社で祈るだけで単位をくれる楽勝な講義を開いている可能性だってある。
「……情報はなさそうだけどな」
しかし、当たり前と言えば当たり前だけど、それらしい記事は見当たらなかった。多少ワードを変えて検索しても、北野天満宮なんかの学業にご利益のある神社が出てくるばかり。
やっぱりこれは、馬鹿な大学生が宴会の席ででも考え出した与太話なのだろう。もしくは相当切羽詰まった学生が、鴨川デルタで飲みすぎて見た願望丸出しの夢かもしれない。
「ホンマ? 単位は自力で取らなあかんってことか~」
「まあ、神様に縋りたいのは分かるけどな」
「せやな。いうてうちの大学、キリスト教やけど」
笑い合いつつ、「無駄話はこれくらいにしよか」「だな」と俺たちはタブレットを立ち上げる。
「んじゃあやりますか、履修登録」
俺たちの通う同志社大学では月曜日から土曜日に、一限から七限まで講義の枠がある。それらの枠に好きな講義を割り振って、一週間の時間割を作るのが履修登録という作業だった。大学生の一年は前期と後期に分かれており、それぞれ最高で二十四単位の計四十八単位が取得できる。一つの講義は二単位分なので、各学期フルで単位を取ろうと思ったら一週間で十二の講義を履修することになる。
「水曜休みにできないかな……二日行って休憩って最高じゃない?」
「確かになぁ……でも僕、月曜も休みにせな。もうバイト入れてもうて」
毎日少しずつ講義を入れて負担を分散する者や、午後にしか講義を入れない者、週の後半に講義を集中させて前半に休日を作り出す者。中には単位数が厳しすぎて、とにかく時間割を埋めるしかない者もいるが……いずれにせよ、ここでの選択がその後一年の大学生活を左右する。
そのくせに、履修を組むのは正直メチャクチャめんどくさい。だからこうして顔を合わせて、めんどくささを軽減するのが大学生の常だった。周囲の席でも同じように集まった輩が画面とにらめっこしている。京都のカフェなんかでは、これは四月の風物詩と言ってもいい光景だ。
「うわっ、必修散らばりすぎ……水曜休めないじゃんか」「ホンマやな。金曜も必修だらけやで」
卒業に必要な百二十四単位のうち、俺の通う美学芸術学科では約三分の二が必修科目というやつだった。これは必ず取らなければならないため、その枠は自動的に埋められてしまう。今期で言えば水曜日と金曜日は必修だらけ、週の真ん中で休みを取ってリフレッシュしたいという俺の野望は早々に打ち砕かれた。
「今期も週休一日になりそうだわ……ゼッタイ教授これ適当に講義振っただろ」
「ははは、うちの教授陣なら割とやりそうやね。マイペースばっかやし」
「どうしてこう芸術系は……F率もえぐいしさぁ」
教授陣を逆恨みしつつ講義の詳細を見比べて、去年のF率、すなわち単位取得不可人数の割合もチェックする。この数値が高いほど、取得するのが難しい講義ということになる。
「おっ、月曜の近代美術史、おもろそうやない? 毎回レポート千字やけど……迷うわぁ」
「いや、毎回千字は普通に地獄じゃないか? 木曜日の写真史は出欠八十%か……」
単位取得の条件は主に、テスト、レポート、出欠の三つがあった。各パーセンテージは担当教授が各々で決めており、例えばテスト百%の講義は極論、一度も出席しなくてもテスト結果が良ければ取得することができる。しかし、こういう講義は大抵教授の罠である。各講義の最後に教授が口頭でテストの答えを教えてくれるシステムになってたりして、ぜんぶに出席していないと太刀打ちできないなんてことはざらにある。
(あれは痛かった……)
ただでさえ、俺は大学での授業内容に興味が持てていない。龍馬が面白そうと言う近代美術史だって、何がいいのか分からない。マネとモネがどっちなのかも、俺は知らない。
そんな状態なのに、大学のレポートやテストでは踏み込んだことを聞いてくる。答えを覚えていればよかった高校までとは違って、明確な答えがないことも多い。教授の話をちゃんと聞き、難しい文献も読んでおかなくちゃ、一文字も書けない。大学というところは、サボる者にははなはだ厳しい。暗記の一夜漬けでどうにかなるのは、語学の文法くらいのものだった。
(楽そうな単位……楽そうな単位……)
だから俺は、血眼になって楽に取れそうな単位を探す。F率が低く、とにかく専門性の低そうな講義はどれだろう……。
「そういえば不明門くん、去年の単位、どんなもんやった?」
「えっ⁉」
なんでいきなりそんなことを?
グサッと心臓に刺さる質問に、俺は慌てて顔を上げるが、龍馬はタブレットをスクロールするばかり。特に何の意図もない、ただの世間話のつもりらしい。
「りょ、龍馬はどうだったん?」
脳みそを急速フル回転させつつ、平静を装って逆質問する。単位数を知られることは、俺にとって裸を見られるよりも恥ずかしい。何とか言わないように流せないものか……。
「僕? 一応どっちもフル単やね。前期後期で四十八単位」
「へ、へぇ~、さすがだわ~!」
聞かなきゃよかった!
まずい、これは本当にまずい。龍馬がメチャクチャ優秀なのは分かっていたが、まさかフル単だったとは。しかも「一応」とか言って、フル単を誇る気配はまったく見せない。
これはあれだ。一応フル単だけど、みんなそうだから別に言うほどのことじゃないよねっていう、大学生にあるまじき超真面目層、フル単前提界隈の奴の雰囲気だ!
(なんでそんなに頑張れるんだよ?)
俺たちは、つい最近まで高校生だったのだ。朝から晩まで授業があって、放課後も部活や塾で潰れてしまうのが、いわば当たり前の人生を送っていたのだ。加えて三年生になってからは、娯楽の類も受験のために封印し、我慢に我慢を重ねてきている。そんな禁欲主義の若者が、進学を機に親元を離れて一人で暮らし、バイトや仕送りで小金も手にしてしまったらどうなるか。
(負ける、負けるだろ、誘惑に!)
圧倒的な自由に浴した、怠惰な快楽主義者の誕生だ。学業よりも楽しみを、何より優先してしまう。これはもう、仕方のないことだろう。つまらない授業に出るよりも、家でゲームをしていたい。レポートは適当に終わらせて、気になる試合を見ていたい。テスト勉強よりも、漫画を読むのに忙しい。眠いから今日くらい、講義をサボってもいいだろう。
そうした怠惰が積み重なって、単位は粛々と落ちていく。
たった一つ落としただけさ。二つはセーフ。この講義は捨てていた。俺じゃなくて、ゲームが悪い。まだ半分も残っているから。十単位超えてたら偉いだろ。
言い訳ばかり取得して、気づいた時には手遅れになる。
「お、俺なんてあれだぜ?」
心の焦りを隠しつつ、俺は笑顔で龍馬に告げる。欲望にかまけて、現実から逃げ、一年かけてたどり着いた――
「八単位だよ! 八単位!」
見るも無残な、まさに単位の飢餓状態を。
「八単位かぁ……」
龍馬の反応は、どっちともつかない曖昧なもの。ドクン、ドクンと心臓が鳴る。変に言い訳するよりも、素直に言ってしまった方が傷は少ない。そういう作戦だったのだけど……。
「こ、ここだけの話にしてくれよ?」
もう一押し、付け足してみる。すると龍馬は「分かってるって」とにこやかに笑う。
馬鹿にしているのか、同情か。探るつもりで笑顔を返したら、龍馬は砕けた感じで言った。
「八単位も落とすのはきついわな~」
違うのだ!
発生したのはとんでもない勘違い。しかもわざと軽めに言うことで、俺を慰めてくれている。
「だ、だよな~! 今期は頑張らないとだわ~」
同意するように笑いつつ、内心俺は身をよじる。
八単位は落とした数じゃない! 八単位しか取れなかったんだ!
利用しない手はないから乗ったけど、あまりに情けなさすぎる。真実を知られることよりも、誤解の方がショックが大きい。しかも落とした単位の中には、龍馬にレジュメをもらったり、テスト範囲を教えてもらった講義も含まれているのだ。サボって落としたのなら自分が悪いけど、手助けされたのに落としたのでは示しがつかない。龍馬もこれを知ったら、「あんなに手伝ってあげたのに」って失望するに決まってる。何なら二度と話してくれなくなるかもしれない。
(そうなったら終わりだ!)
地元を遠く離れて京都の大学に入ったのもあり、俺には龍馬しか友達がいない。サークルにも入っていないから、龍馬に嫌われたら大学生活はそこで詰む。
「……さっきの神社って、場所とか聞いた?」
「特に言ってなかったけど……えっ?」
龍馬はまさか信じるのかって顔をする。
「あっ、やっ! ご利益があるなら祈るくらいいいかなって……今年はフル単したいしさ!」
「あ~、そういうことね!」
龍馬は「聞いたら送るわ」と、心なしホッとしたように言う。別に俺だって、そんな神社があるって本気で信じてるわけじゃない。だけど龍馬の反応で、はっきり己の危機を自覚した。
(八単位落としたのなら最悪どうにかなるかもだけど、八単位しか手元にないのは、いまさら履修をどうこうしても、リカバリーできる数じゃない……!)
一回生で頑張れなかった奴が、二回生で頑張れるわけがない。
怪しい話? 上等だ。あと三年で無事に卒業するためには、縋れるものは藁でも神でも陰謀論でも、とにかく縋っていくしかない。
「したらさっさと終わらせよか。夕方に新歓あんねん」
「……だな。とりあえず語学合わせよ」
そうして覚悟を決めた俺は、落とした単位の詳細は隠しつつ、一時間かけて龍馬と時間割を埋めたのだった。ちなみに、一回生で特定の単位を取っていないと履修できない科目もけっこうあって、そういうのは入れたふりして誤魔化すか、「そこバイトだわ~」の鬼札で乗り切った。
正直先が、思いやられる。
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